政府の原子力政策転換について~「A君への手紙」~
- 2023年 3月 3日
- 評論・紹介・意見
- 椎名鉄雄
A君、ご無沙汰を続けておりますがお元気ですか。今日は久しぶりに手紙を書かずにいられなくなりました。私の中に許しがたい感情が湧きあがってきたのです。私の思いを記しますので読んでみてください。
1、岸田内閣の原発政策転換に危険を感じる
岸田さんは、今、原発再稼働、新設、稼働期間延期等の法律改正を進めようとしています。原発政策が大きく変わろうとしているのです。その議論の中で許しがたいことが起きています。一つは、科学者の意見が無視されていることです。そして決め方が強引です。何よりも原子力規制委員会が「事業者側の虜」になっています。規制委員会は、今になって科学的根拠も説明せずに原子力推進の後押しをしています(註:1)。原子力規制委員会は独立性が確保された組織です。いまその独立性が失われようとしているのです。岸田内閣による政策転換には危険を感じます。
〈註:1〉2023年2月14日、朝日新聞の記事
原子力規制委員会は、1月13日、臨時の会合を開き原子炉規正法から運転期間の規定を削除した法律改正案を了承した。60年超を容認する内容。地震や津波の審査を担当する石渡委員は、これは安全側(安全を強化する側)への改変とはいえない。60年以降にどのような規制をするのか具体的になっていない。」と改めて反対意見を述べた。中山伸介委員長は「根本が食い違ってしまった。」として多数決を採用し法改正を4対1で認めてしまった。賛成した委員からも〔説明が圧倒的に足りない。60年超の審査手法など重要な指摘が後回しになったのは違和感がある。〕などの意見が出された。規制委内部で意見が割れた要因は、原発事故の教訓として導入された原則40年最長60年の運転期間の規定を、原発を利用する側(事業者)の都合にあわせて変えることにあると報じている。更に山中委員長は「今回の変更は、経産省の動きに対応したものである。」と述べている。後日に「これは経産省側の日程に合わせたもので急がざるを得なかった」と正直に述べている。
ここで注目すべきことの一つは、地震や津波の審査を担当する石渡委員の意見を規制委員会が多数決で無視したことです。地震や津波の専門家の意見を無視し、専門外の委員たちで決定しているのです。こんな無責任な決め方は許されるのだろうか。これで本当に安全は保てるのだろうか。二つ目には、規制委員会の独立性の問題です。規制委員会は安全確保のため、他の行政当局から完全に独立したものとして設立されたものです。山中委員長の〈註:1〉のような発言は、独立性を自ら放棄するものではないか。更に付け加えれば、この法律改正について、原子力政策推進側の経産省と原子力規制側(環境省)の担当者が、事前に非公式に面談し、経産省側が安全確保の原案を作って協議していたことです(2月16日の朝日新聞の報道)。政権の政治日程に従って規制委員会がそれに合わせて動いている。 このことは、規制委員会が政権と事業者側の「虜」になったと看做されても仕方ないではないか。
2、原発の安全対策の推移
原子力の安全対策には、大雑把にいって次のような推移があります。1950年代から1970年代前半までは、安全対策は、原子力委員会のひとつの業務として扱われていた。その後、原子力事故があいついで発生するようになった。1975年7月に当時の三木内閣総理大臣は、〔原子力船むつ〕の放射能漏れ事故後に、私的諮問機関として「原子力行政懇談会・座長有澤廣巳」を設置した。原子力行政懇談会は、原子力発電の安全性を担保する為、原子力委員会から安全確保機能を分離し、原子力安全委員会設置を提言した。この提言に従い、三木内閣総理大臣は、法律を改正し「原子力安全委員会」を新たに設置した。この当時までは、時の政権は原発問題を、専門家の意見を尊重し国家的プロジェクトとして扱っていた。
その後、1980年代に中曽根内閣により新自由主義的思想(小さな政府、効率化、規制緩和、民営化等)が取り入れられた。橋本内閣は、行政効率化のため権限を内閣府に集中させた。それまでは、原子力委員会で原子力政策の基本的枠組みを審議し、原子力委員会がそれを総理大臣に諮問し、総理大臣はそれを尊重しなければならないと法律で定められていた。その「尊重義務」が行政改革の名の基に法律から削除されてしまった。そして原子力政策立案機能は、経産省管轄の資源エネルギー庁に移され、原子力委員会は普通の審議会(政府を補佐)並となり形骸化してしまった。原子力委員会と原子力安全委員会の事務局は廃止され、事務局機能は各省庁に分割され縮小されてしまった。その結果、安全確保のための「安全委員会」によるダブルチェック機能は失われてしまった。安全確保は事業者任せとなった。そうした中で、2011年3月11日、福島原発事故が発生し大惨事となった。こうした経過を見ると、原発事故は政府の新自由主義的思想(小さな政府、効率化行政)の中から生み出されたと考えることができる。
2011年の福島原発事故後、「東京電力福島発電所における事故調査検証委員会」による事故の検証が行なわれた。検証委員会は、安全対策が極めて不十分だったことを指摘している。事故の原因については、様々なことがあげられるが基本的には単なる自然災害ではない。国の行政、事業者共に地震、津波に対する科学的予測を甘くみて、取るべき対策を講じていなかったことが事故の原因であり、いわゆる〔安全神話〕の中に閉じこもってしまったことが大きな原因であると指摘している。一つの例を挙げると、東電は、事故発生以前に、国の調査機関から15メートル超の津波発生の予測が出され、当時の原子力安全委員会から対応策を求められていた。これに対し、社内では対応策が検討され、15メートル超の堤防設置を含む具体的対応プランを作り経営会議に提出していた。それにもにもかかわらず、経営会議では対応コストが経営を圧迫すると考え、現在提示されている津波予測は科学的根拠に乏しいとし、民間の調査機関(土木学会)に津波予測の再検討を依頼し、津波対策用の堤防作りを含めた対応プランを握りつぶしてしまった。それから間もなく、大地震・大津波が発生し大惨事となってしまった。
事故調査検証委員会は、効率化行政の失敗を指摘し、政府、事業者の意識改革(安全神話を抜け出すこと)の必要性を説いている。今後は行政の安全対策部署のスタッフ充実と十分な予算確保をしたうえで、安全担当部署の「独立性」確保が絶対的要件である、と指摘している。そして事故の教訓を踏まえ、原子力利用の〔推進〕と〔規制〕を分離し、規制事務の一元化を図るとともに、専門的知見に基づく中正公立な立場から、独立して原子力安全規制に関する業務を担う行政機関として平成24年9月19日に「原子力規制委員会」が発足した。
しかしながら、先に見たとおり、現在は「原子力規制委員会」から肝心の「独立性」は失われつつあると看做さざるを得ない状態となっている。
3、岸田内閣は、政策転換の前にやるべきことがある。
その一つは、事故の原因究明である。依然として崩壊した原子炉の中の様子は掴めていない。事故発生のメカニズムは不明である。この解明が必要である。津波による電源喪失で原子炉の冷却装置が破壊され、メルトダウンを起こし、原子炉が爆発して大量の放射能漏れが生じたことは確かであるが・・・。更に、事故発生の責任が不明確のままである。
その他に、原発使用済み核燃料の処理方法が決まっていない、更に使用済み核燃料の再処理工場「もんじゅ」は、1兆数千億の大金を投入したにもかかわらず失敗し、廃止が決定された。冷却用汚染水も貯まり続けている。まだ6万人以上の人が地元に帰れないでいる。こうした中で、なぜ政府が今になって急に原発再稼動,新設、運転期間延長を叫び始めたのか。ロシアによるウクライナ侵略戦争の影響で、石炭や液化天然ガスの輸入価格が上昇し、東電等の経営が圧迫され、それが電気料金に跳ね返って経済・家計を圧迫しているからだといわれている。それは確かに一理あるかもしれない。しかし、それだけの理由で、「原発政策」の方針転換をしてよいのだろうか。
岸田内閣の原発政策の方針転換はあまりにも唐突である。先に見てきたような様々なリスク対策への説明がなされていない。岸田内閣は、安全対策よりも事業会社の経営重視(原発再稼動で経営収支は改善するという)に傾いているのではないか。経済及び家計への圧迫問題は別の対策で凌ぐべきではないか。岸田内閣は、短期的・長期的な国民的立場で、政策転換の必要性を科学的根拠に基づいて、時間をかけて説明すべきである。原発政策は、その時のムードに乗って急いで転換するような性質の問題ではない。
4、今、我々は分岐点に立っている
原発政策は、1980年代に橋本内閣の行政改革によって大きく変わった。それまでの「原子力委員会」による政策立案と「原子力安全委員会」を主体とした安全管理政策の展開から、行政改革により、官邸を中心とした効率優先の新自由主義的政策が、官僚主導の下に展開されることになった。そして「原子力安全委員会」の指導機能は低下した。そうした中で福島原発事故が発生した。事故発生の教訓から法律改正が行なわれ、原子力安全委員会は廃止され、新しく原子力規制委員会が発足した。そして、法律により原発の新規建設は中止され、既存の原発稼働期間は原則40年、最大60年とされ、時間をかけて原発へのエネルギー依存率を低下させる方向付けが決まった。
そして、岸田内閣成立の約1年後、ウクライナ戦争が始まり、突如として原発政策の大転換が始まった。今我々は「脱原発」か、それとも「原発推進」かの分岐点に立たされている。それは、短期的な目先のことを中心に考えるか、中長期的な目線で考えるかの問題でもある。私は、中長期的目線で原発のハイリスク問題(後世に「負の遺産」を残さないことを含む)を考えると脱原発の道を歩むべきだと思う。有澤先生は原子力エネルギーを「科学エネルギー」と捉え、そのリサイクル技術に注目し、日本のエネルギー自給に寄与すると考えていた。しかし、その考え方は、今の時点では実証的に科学的根拠を失いつつあるのではないか。更に心配なことは、今の岸田内閣による敵基地攻撃能力保有を含めた軍事予算・軍事力強化の先に核武装の可能性があるのではないかということである。
山本義隆氏は、その著書「福島の原発事故を巡って~いくつか学び考えてこと~」(みすず書房・2017年3月22日)の中で次のように述べている。「岸信介元総理大臣は回顧録の中で、「核開発は大国化の条件であり,核技術、核兵器生産能力の習得は、国際社会において発言権を得る必須の手段と思われたのであった。岸はその年の5月に外務省記者クラブで、現憲法下でも自衛の為の核兵器保有は許される、と発言し、回顧録に付記している。更に1959年3月21日予算委員会で改めて「防衛用小型核兵器は合憲」と主張している」。
岸信介元総理大臣の考え方は、現在の自民党の基本的考え方として引き継がれている。日本には既に原子爆弾の原料となる、かなりに量のプルトニュウムが蓄えられている。それは、原子力発電のプロセスの中から生成されるものだからだ。日本の科学レベルから見れば、核搭載ミサイルの製造はそんなに困難なことではない、と思われる。
私は、「脱原発」を支持する。時間をかけてその方向に進むべきである。原発の原子炉技術は核兵器開発技術と関連性が深いとされている。山本義隆氏は著書の中で、「原発(原子炉建設)の真の狙いは、エネルギー需要に対応するというよりは、むしろ日本が核技術を有すること自体、即ちその気になれば核兵器を作り出し得るという意味で核兵器の潜在的保有国に日本をすることに置かれている」と述べている。「潜在的核保有国」とは国際社会の中で大国を意味し、外交力強化を意味する。それは、経済グローバル化の中で市場制覇を目指す日本の金融資本の思惑とも合致すると思われる。
最後に、ドイツ・ワイマール共和国を滅亡させた、ナチスの有力なリーダーであるゲーリングの言葉を引用したい。〔人々は指導者の意のままになる。「我々は攻撃されているといい、平和主義者を愛国心にかけ、国を危険に晒している」と非難する。それだけで良い〕。
「原発推進」は、「原爆推進」に繋がるという大きな意味を持っている。我々には、今、主権者として冷静な判断が求められている。以上、長くなりましたが、私の思いを書いてみました。後で感想をお聞かせください。
<付記>この文章は、「有澤廣巳の昭和史」(東京大学出版会)、山本義隆著〔福島の原発事故を巡って〕〈みすず書房〉その他新聞、雑誌、NHKの報道、福島原発事故調査検証委員会の資料、パソコンより検索した「原子力委員会の歴史」等を参考に書いたものです。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion12865:230303〕
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