放射能汚染水を海に捨てるな
- 2023年 3月 23日
- 評論・紹介・意見
- 原発事故小原 紘汚染水
韓国通信NO717
汚染水は単なるトリチウム水ではない。ALPSが除去できないストロンチウム90など、多くの有害放射性核種が含まれている。汚染水の保管場所がないというのは真っ赤なウソ、放流するための口実に過ぎない。放流は福島の漁民たちの生業を奪うだけではない、海に生きる世界のすべての漁民にとって脅威だ。福島の漁民への補償ですむ話ではない。
海が放射能汚染されれば生態系に深刻な影響を与える。だから放射性廃棄物の海洋投棄は国際条約で禁止されている。隣国の韓国や中国ばかりではない。世界中の漁業団体、環境団体が反対していることはあまり知らされていない。
濃度を薄めれば安全かのように盛んに宣伝されている。おかしな話ではないか。これまで溜まった汚染水と将来数十年にわたり発生する汚染水の放射性核種は、薄めても総量は変わらないはずだ。
事故を起こした張本人が実害はないなどと主張する資格はない。事故処理が進んでいるかのように見せかける事故隠し、原発を稼働するための口実に使われる。風評被害だけが問題ではない。日本のエゴが世界規模の食の安全を脅かし自然環境を破壊する。
海洋放棄をしない方法を主張する多くの専門家の意見を聞くべきだ。放棄は絶対に許されない。
鄭周河(チョン・ジュハ)さんから届いたお便り
原発事故直後から福島を撮り続けてきた韓国の写真家鄭周河さん(写真)から月刊誌『文化ジャーナル』に寄稿した記事が届いた。
写真展「奪われた野にも春は来るのか」が全国各地で開かれ話題を集めたのでご存じの方も多いはず。
彼はいわゆる報道写真家ではない。作品をとおして人間が生みだした科学技術と人間と自然をテーマにして原発事故を見つめ続けてきた。
百済芸術大学の教授という肩書に新たに「完州自然環境を守る連帯会議代表」の肩書が加えられていた。コロナのため毎年訪れてきた福島行きが実質不可能となった3年間に地元の環境保護運動に専念してきた姿がうかがわれる。
最期の写真展以降、久しぶりに届いたメッセージである。記憶する力と記憶させない力の相克。記憶に賭けてきた鄭周河さんの文章から汚染水放流への危機感が伝わる。
避けることのできない放射能問題―私たちはどう立ち向かうべきか
鄭周河 (チョン・ジュハ)
日本政府は今春4月から福島沖へ12年間水槽に貯めておいた核汚染水を放出するという。 正確な日付はまだ決まっていないようだが、4月頃というから、春が来てすっかり暖かくなる頃に始まるようだ。
全世界の人々がともに経験した•東京電力福島第1原発の1、2、3、4号機が爆発したのは2011年3月12日。 その前日に震度9の地震があり、その余波が津波となって日本の東側の海岸に押し寄せた。
始まりは津波だったが、私たち世界の人々に迫った苦痛の中心は核/放射能によるものだった。 津波による苦しみと被害は見落とすことはできないが、それは自然災害であり地球で生きていく人間の宿命といえる。日本だけでなく地球のあちこちで起きていることであり、災害に備えることは大変難しいので宿命と受け入れるのだ。
しかし、原発の爆発とともに起きた事態は全く違う。 すでによく知られているように、発電所周辺の防波堤の高さの設計ミス、低い地面に設置された非常発電機問題は人間の傲慢さに関連した科学的、人的ミスだ。 第二次世界大戦後、韓国戦争(朝鮮戦争)とベトナム戦争を経て成長した日本の経済は、まさにこの科学技術に基づいている。 アジアの盟主、あるいは脱亜を唱えるほど成長したといわれる日本は、その科学技術を土台に「安全神話」という傲慢な自信を国内外に標榜するに至った。
現在、福島原発周辺に保存されている汚染水は180万トンを超すと言われている。しかしこの数字は意味がない。すでに12年間に地中に沁み込んだ汚染水量の計測は不可能であり、放射能汚染濃度の計測・推測さえ不可能だ。
この間、日本政府は汚染水を遮断するために爆発した発電所周辺に凍土遮水壁を設置して汚染水流出を止めようとしたが、それは「手のひらで空を覆う」に等しいものだった。爆発当時の原子炉内の温度は1200度にも達し、これによって溶け落ちた核物質は液体状態で敷地地面深く入り込み、これを冷却するために注水した海水は直ちに核物質と混ざり地中に沁み込んだ。正確な計量は難しいが、現在でも爆発した原子炉から放出される汚染水は相当な量にのぼるはずだ。雨と雪、さらに風がこの地域を特定することなく流れ広がる放射能物質は人間の過誤から形成された刑罰の重要な断面を示していると言える。
間近にやってくる今年の4月に予定されている放射能放出問題はすでに数年前から計画されていた。日本政府は公然とアルプス(ALPS Advanced Liquid Processing System)の活用を公言していた。しかし汚染水から放射能核種を除去するにはこの装置は不完全なことが既に判明しており複数の情報機関、研究機関からも明らかにされてきた。特に三重水素で知られるトリチウム(Tritium)は除去できず一般水素より三倍も重い質量の核種は水素爆弾の材料に使用されるものだ。さらに最近ではアルプスが除去できる62核種の半分を超す核種に対する処理を撤回したという。どのような理由からだろうか?時間と経費を節約しようということか。
改めて、福島原発爆発事故を原点から考えてみると、なぜ福島に原発を建て、発電された電気をすべて東京に送電したのか。さらに東京周辺の海岸でなぜ原発を建設しないのかという疑問が湧く。 他の産業財とは異なり、エネルギー問題は生産の代価がはるかに一般的だ。 すべての国民は恩恵とそれに伴う代価を払って暮らしている。小さな家庭であれ大きな産業体であれ使用するエネルギー量の差はあるが、皆が消費しており、その代価も比例して支出することになっている。 だが、そのエネルギー生産による被害と処理の代価は公平ではない。東京で消費する電気エネルギーの生産を福島で支え、それに伴う被害は福島の住民が抱えるという構造の根幹にある生産と消費の地域的不均衡問題は非常に深刻な人権蹂躙ではないかと思う。日本で、そして世界の人々が福島を「エネルギー植民地」と呼ぶのは無理からぬことである。このような指摘が妥当なら、日本政府と東京電力が隠蔽しようとする核汚染水放流の理由と言い訳は、単に処理費用を減らそうとする姑息さだけでなく、最初からこれを薄めて皆の食卓に乗せて無かったことにしようとしているようで恐ろしい気がする。
#風景 1
東京電力第1原発から北西に14キロほど離れた浪江に「希望牧場」がある。 ここにはまだ約200頭の牛が住んでいる。 原発爆発当時、政府による「殺処分」命令に抵抗し、牧場主の吉沢正巳さんが12年間世話をしている。 数年前に吉沢氏に会い、なぜこのように難しい仕事を続けているのかと尋ねると、彼は「この牛たちは人間の欲望が作り出したあのとんでもない事件の証言者なので殺すことはできない」と答えた。
#風景2
現在私たちが放流を憂慮している汚染水貯蔵タンクは、福島県の霊山山脈の渓谷の所々に散在する汚染土の山と非常によく似ている。 この汚染土は黒い1トンバックに入れられ、まるでピラミッドのように、または堤防を築いたように置かれている。緑色のビニールで覆われていたり、時にはそのまま放置されていたりする。 そこを巡回していると、住民たちが設置した「汚染土再利用反対」という切なく揺れる旗に出会うことがある。
#風景3
多くのメディアが東京電力福島第1原発敷地周辺にある汚染水貯蔵タンクの映像を伝えている。そのタンクの数を知られたくない理由は、その汚染水の合計が120万トンであれ180万トンであれ、それが全てではなく、ひいてはそれで済む問題ではないからだ。 すでに放流された汚染物質と今後放流される汚染物質は、時間をかけて私たちを攻撃する隊列を整えているだけだ。 しかし、空中から撮った水槽タンクの整然とした整列は合理的思考の残忍な姿だ。一見格好よく見える軍隊の閲兵に似ている。(下写真/希望の牧場/よしざわ/「牛は証言する」)
この3つの風景が今の福島だ。 希望牧場の吉沢氏が小声で主張していたように、ここ福島には証言者が必要だ。 証言と記憶はいずれも「春」を「記憶/経験」しながら成立する。 その形成された風景を跡形もなく消そうとするのが、殺処分であり、汚染除去であり、汚染水の放流である。 そして時間が経てばかつて「あった」風景は「起源」(柄谷行人)を含んだまま時間の中に放流され、私たちの記憶と証言は錆ついて消えていくだろう。 だから、この3つの風景は消えることなく、その場に存在し続けなければならない。 理由は、私たちの記憶が未来に向けた証言につながらなければならないためだ。 汚染土を再利用してその跡を消し、汚染水を海に放流して皆に分配することで、苦痛が始まった起源の理由を曇らせ、被爆した牛を殺害して起源以前に戻そうとする試みはすべて「証言不能」へと続く。日本政府は今回の汚染水の放流を撤回する意思はなさそうだ。
中国と韓国を含む周辺国の安易な対処に支えられ、経済的代価を少なく払うという意志も見える。 このような意志に代案的提案が何の意味があるだろうかという、放流「汚染水」を「処理水」に変えて呼び、ひいては飲むこともできると唱える彼らの意見(麻生太郎副総理)を「受け入れ」ようとする提案がある。 1400万人が住む東京の中心部に湖を作り、よく処理されて飲める水を貯めて素敵な公園にして住民が自由に散歩、水泳ができるようにするなら、どれほど経済的で美しいことか。 この提案は日本政府だけでなく、核を基盤にエネルギーを得ようとするすべての国に捧げたい。<訳 小原 紘>
<「百姓JAPAN」のオススメ>
WBCで「サムライJAPAN」の快進撃が止まらない。テレビでプロ野球は滅多に見ないが、今回は特別だ。試合を見ながら繰り返されるアナウンサーの「サムライ」という言葉が耳障りになった。
「あいつはサムライだね」などと刀を持たない現代人にも日常的に使われる。悪い言葉ではない。硬骨漢へのほめ言葉だが、女性には使わない。
サムライの起源である武士は武器を持ってあるじのために命をかけて戦う人間だ。江戸時代に入ると士農工商という身分制度の最上位に置かれ、世襲によって体制を維持する階級集団になった。
江戸時代の医師で思想家の安藤昌益は、堕落した僧侶、儒者たちに加えて武士は不要な存在と断じ、土を耕す農民を人間の理想の姿と考えた。農中心の平等な人間中心の社会、平和な社会を理想とした。日本が世界に誇る「いのち」の思想である。日本代表は侍ではなく栄えある百姓として胸を張って戦ってほしい。百姓が言いにくいなら少しおしゃれにFarmer Japanでもいい。日本発、平和の使徒が世界に存在をアピールする意味は絶大だ。武より農。平和憲法を世界にアピールして欲しい。頑張れ百姓 Farmer JAPAN!
<尹錫悦大統領の来日>
12年ぶりの韓国大統領の訪日。わが国は日韓関係の「正常化」の期待一色。韓国では日本の主張を丸呑みにした前代未聞の大統領の独走に騒然。第二の「日韓併合」と危惧する声まで上がっている。日韓の動きに目が離せなくなった。韓半島と台湾の動きがあわただしい。有事を想定して石垣島では避難訓練が実施された。
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