映画「妖怪の孫」を見る 安倍政権とはなんだったかのか
- 2023年 3月 30日
- 評論・紹介・意見
- 「妖怪の孫」アベ安倍晋三小川 洋
映画「妖怪の孫」は、安倍晋三元首相の実体に迫った内山雄人監督の作品である。映画「新聞記者」などを企画した河村光庸が完成を待たずに急逝したため、企画プロデューサーとして元通産官僚の古賀茂明が加わって完成し、3月17日より全国各地で上映されている。古賀は作品中、インタビューアーとして出演もしている。題名の妖怪は、「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介を指す。
安倍晋三には当然、二人の祖父がいた。父親の晋太郎は、岸信介の長女である洋子と結婚したが、自身の父親である安倍寛の息子であることにプライドを持ち、「岸の女婿」と言われることは不本意だったといわれる。しかし映画では、安倍晋三は、あくまで岸信介の孫なのである。映画はその理由をその生い立ちから説明していく。
生育事情からみた安倍晋三
安倍晋三は、両親からの愛情を受ける機会が極めて少なかった。国会議員の父親はもちろん母親も、ほとんど自宅に落ち着くことがなかった。すでに書籍などでも紹介されている話だが、中学生になっても、晋三が夜、養育係であったウメさんの布団の中に入ってきたという逸話が紹介される。また「宿題は片づけた」という晋三に対して、白紙のノートを見たウメさんが宿題を完成させることもよくあったという。
それでも、安倍晋三にとって父親よりも母親の存在が大きかったようで、映画では、岸信介が達成できなかった憲法改正を実現することで母親に認めてもらいたかったのだと指摘する。そのため、元首相のアイデンティに安倍寛の孫である側面はなく、岸信介の孫であることにあったという。安倍晋三は、国家の基本法としての憲法の性格を理解しているのか首を傾げざるをえないような改憲論を繰り返したが、どのような形であれ、現行憲法を変更すること自体が彼の目指したことだったとすれば納得できる。
映画が紹介する彼の生い立ちから理解できることは多い。両親の愛情に満たされた家庭生活を経験できなかった故に、自我の成長が弱いものになったことは想像に難くない。一般に弱い自我の持ち主は、傷つくことを恐れ、防御線をなるべく遠くに置く。過度に防衛的であり攻撃的傾向が強くなる。元首相が、自分を批判する政治家やマスメディア関係者には反射的に敵対的に反応した。安倍政権時代に蔓延するようになった不寛容の気分は、多分に、この安倍の余裕のなさの裏返しだったと理解できる。
映画で紹介されている内容の多くの部分は、すでにテレビ報道などで紹介された映像であり、ところどころで挿入されるアニメーションである。また彼の生い立ちについては評伝などの関連本で紹介されていることがほとんどであった。独自に取材した部分は多くない。
インタビューから
映画による独自取材による箇所で、筆者の印象に残ったのは以下の三か所である。第一に、政界や企業のスキャンダルを積極的に取り上げているジャーナリストの山岡俊介氏のものである。氏は地元の安倍事務所と暴力団とのかかわりを追い続けていた。安倍事務所が工藤会系の暴力団員に襲われた事件についての裁判で、安倍事務所が暴力団を利用して選挙妨害行為をしていたことが認定されている。当然、安倍晋三にしてみれば触れてもらいたくない問題であり、大手メディアはこの問題をあまり報道しなかった。だが氏の証言はじつに生々しいものである。しかも彼は取材していた時期に、ビルの地下階段で何者かに突き落とされて大怪我をしている。関係者の関与が疑われているのである。
第二に、覆面での出演ではあったが、霞が関の二人の高級官僚が安倍政権時代の官僚たちの萎縮ぶりを具体的に証言していたことである。憲法解釈さえも易々と変更する官邸により不本意な仕事を命じられる。自他ともに認める優秀な人物であると自負して国家の官僚になった彼らが、人事権を盾に横車を押してくる官邸のやり様から感じていた屈辱感はいかほどのものだったか想像に難くない。
第三に、憲法学者の小林節氏へのインタビューである。氏は長期にわたって自民党の憲法検討部会の相談役として付き合ってきたが、第二次安倍政権以降は、「付き合いきれない」という気持ちになったという。筆者が想像していた以上に、自民党の世襲議員たちの多くが、国家の基本法としての憲法の意味も理解せず、明治憲法への郷愁に生きているのだという。安倍晋三も好んで使っていた「法の支配、民主主義、人権といった価値を共有する自由世界の一員」という科白は、外向け(外国向け)だけのものだった。
監督の内山氏が映画作成を終えて、自らの印象として安倍晋三の姿に「およそ成熟した大人の言動とは思えない」と述懐しているが、この評は、『安倍三代』(朝日文庫)でジャーナリストの青木理が述べている安倍晋三=「空虚な器」という評に重なるものである。
安倍晋三と不寛容な空気
青木理は、安倍晋三の学生時代、社会人時代を通じて、政治的な発言をしたのを誰一人として聞いていないこと、勤務先の会社では上司から「子犬のように可愛がられた」などのエピソードを指摘している。そのうえで青木は、「空虚な器にジャンクな右派思想を注ぎ込まれた」政治家(「日刊ゲンダイ」臨時特別号、2022年9月15日)と評している。
父親の死によって突然、38歳で国会議員になった安倍晋三は、周囲から「お前は子犬ではなく、偉大なお爺さんである岸信介の血を引いた高貴な狼だ」と持ち上げられたのだろう。読書や人との議論などを通じて深く思索したり、思想形成をしたりしたこともなければ、特定の思想家や作家などから強い人格的影響を受けた様子もない。空っぽの器には安っぽい「思想」が入り込む。
彼の脆弱なアイデンティティの核に祖父の岸信介がいたから、日中戦争・太平洋戦争における日本の加害を指摘する研究や報道などに拒絶反応をしたのも自然なことだった。それは社会に不寛容な空気を醸成することになった。リベラルな言論人たちを攻撃する人物、とくに旧日本軍の加害責任を否定する人物を重用した。百田尚樹、小川榮太郎、櫻井よしこ、さらに三浦瑠璃ら、それまで無名であったり、際物扱いされていたりした面々が、安倍政権時代には、テレビなどに頻繁に登場するようになった。稲田朋美や高市早苗、杉田水脈ら政治的業績の乏しい女性議員でも、安倍晋三が喜びそうな言動をとれば、党内で重用されたのである。
国民の戸惑い
筆者が鑑賞した新宿のシネマコンプレックスでは、封切直後の土曜の午後とはいえ、客席はほぼ満席であった。客の平均年齢は多少高めだったようだが、若い客も少なくなかった。多くの国民が、安倍政権とその時代とはいったい何だったのか、夢から醒めたように疑問を抱きつつあるようにも思える。旧統一協会問題やオリンピック汚職に始まり、安倍政権時代の疑惑の数々が司直の手によって、あるいはジャーナリストたちによって明るみに出るようになっている。多くの人に見てもらい、安倍政権の時代とは何だったのか、反省の議論の材料としてもらいたい。
初出 :「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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