「自由は死せず」 ー 板垣退助や安倍晋三の生死にかかわらず。
- 2023年 3月 31日
- 評論・紹介・意見
- ジャーナリズムモリ・カケ安倍政権澤藤統一郎
(2023年3月30日・連日更新満10年まであと1日)
時折、産経新聞が私のメールにも記事を配信してくれる。友人からの紹介で、ネットの産経記事を読むこともある。他紙には出ていない、いかにも産経らしい取材対象が興味深い。そして独特の右側に寄り目でのものの見方が面白い。営業成績の苦境を伝えられている産経だが、メデイアには多様性があってしかるべきだ。
下記は、3月26日19:30のネット記事である。藤木祥平という記者の署名記事。
https://www.sankei.com/article/20230326-42GTY2H7FBKP7PRKWKKAROYUSM/
「板垣死すとも-」死せぬ自由誓い安倍氏慰霊祭、憂国の遺志「重ねずにはいられない」
この見出しだけでは何のことだか分からない。が、板垣退助と安倍晋三とを重ね併せて、両人ともに「自由を死なせずに擁護した」立派な政治家と持ち上げるイベントを取材し、なんともクサイ記事にまとめたもの。いかにも、産経らしさの滲み出た興味津々たる記事である。
この記事のリードを引用するのが分かり易い。「板垣死すとも自由は死せず」-。明治15(1882)年、自由党の党首として自由民権運動を推進していた板垣退助は岐阜で遊説中に暴漢から襲われた際、こう叫んだとされる。昨年7月、奈良市で参院選の演説中に安倍晋三元首相が銃撃され死亡したのは、板垣の「岐阜遭難事件」から140年の節目。命がけで国を憂いた2人の政治家を「重ねずにはいられない」として26日、板垣の玄孫(やしゃご)らが大阪市内で安倍氏の慰霊祭を営み、彼らの精神を受け継ぐ決意を新たにした」
「板垣退助先生顕彰会」なるものがあるという。1968年、板垣の50回忌に佐藤栄作が名誉総裁となって設立された団体だそうだ。土佐の板垣退助の顕彰を長州出身の佐藤がなぜ? ではあるが、その説明はない。そして、2018年の100回忌に合わせ位牌を新調する際、当時の自民党総裁であった安倍晋三に依頼した。こうして、「板垣ゆかりの高野寺(高知市)に奉納されている位牌には、彼の不屈の精神を表すあの叫びが刻まれている。その言葉を揮毫したのが安倍氏だった」という。
「あの叫び」というのが、「板垣死すとも自由は死せず」という独り歩きしている例のフレーズである。本当に板垣がそう言ったのかは大いに疑わしい。捏造説の方が随分と説得力があるが、それはさて措く。明らかなのは、板垣退助を「自由民権を希求した政治家」と持ち上げるのは、何らかの魂胆あってのフェイクに過ぎないことである。
岐阜で暴漢に襲われた1882年4月当時、確かに彼は自由党の総理として高揚する「自由民権運動の旗手」であった。しかしすぐに変節する。本来の彼に戻ったというべきかも知れない。
同年11月から翌年6月まで、彼はヨーロッパに外遊してしまうのだ。自由党に対する弾圧事件が頻発する中で、闘わずして逃げ出したと言ってよい。当時の彼に洋行の費用の工面ができたはずはない。政府の仕掛けに乗り、三井の金で懐柔されたのだ。もちろん、帰国後に板垣が反体制の立場で奮闘したわけではない。解党論を説いて、1884年には自由党を解散させている。
その後、板垣は伯爵となり、政治家としては2度の内務大臣にもなっている。自由民権の活動家ではなく、藩閥政治の保守政治家になりさがったのだ。だから、どっぷり保守の佐藤栄作や安倍晋三とは相通じるところがあるのだろう。それだけではない。板垣については、こんなエピソードが残っている。
板垣洋行の直前に、洋行資金の出所に疑惑ありと世に騒がれた自由党は、「板垣退助総理の外遊反対」を決議している。この決議を突きつけられた板垣は、党の幹部連に対して、「他日若し今回の事件にして、余に一点汚穢の事実の確証する者あらば、余は諸君に対して、其罪を謝するに割腹を以てせん」と誓約している。
割腹は大仰だが、「私はけっして悪くない。政治家としての命を賭ける」という言い方は、安倍とおんなじだ。森友事件発覚初期における安倍晋三の17年2月17日国会答弁、「繰り返して申し上げますが、私も妻も一切、この認可にもあるいは国有地の払い下げにも関係ないわけでありまして…、私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」は、板垣の誓約となんと酷似していることだろう。
もちろん、その後の板垣が腹を切ることはなく、安倍晋三も職を辞していない。板垣と安倍晋三、高潔さを欠く点でも自分の言葉に無責任な点でもよく似た人物なのだ。もともと、反権力とも自由とも無縁の人物。ちょっと気取って、似合わぬながらの「自由の旗手」のポーズをとって見たことがある程度。
とはいうものの、この産経記事の中には次のような関係者の言葉が連ねられている。「(安倍晋三)総理の優しいお人柄を垣間見ることができた」「板垣は肉体としては亡くなったが、その精神は滅びない」「自由民権運動は終わってなどいない。今の政党政治に受け継がれている」「民意を問う選挙の最中に行われたこの暴力的行為を許すことはできない」「(安倍氏は)客観的にも、国民から最も愛された首相だ」「事件の重大さを今一度思い返してほしい」。さすが産経である。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2023.3.30より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=21117
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion12938:230331〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。