『危険な関係』
- 2023年 5月 17日
- 評論・紹介・意見
- はだしのゲンメーデー小原 紘尹錫悦
韓国通信NO721
日韓関係正常化を手みやげに訪米した韓国尹大統領がバイデン大統領から熱烈な歓迎を受けた。価値を共有する日米韓が足並みを揃えて中国・北朝鮮・ロシアに対峙する体制が整ったとあらかたのメディアは報じた。(写真は「ハンギョレ新聞」から)
米中対立を背景に、新しい顔ぶれによる日米韓の結束は今まで以上に一触即発の危険性を孕む。アメリカに対して主体性を欠いた両国の政治姿勢から見ても明らかだ。
日韓の両首脳はまるで操り人形に見える。彼等は報告のため訪米しては新たな約束をして帰ってくる。日米韓はこれまでにない新時代を迎えた。
敵基地攻撃能力を平然と語り大軍拡に走りだした岸田首相と、北朝鮮との対決姿勢を露わにする尹大統領との組み合わせは危険だ。
<尹錫悦大統領への疑問>
尹大統領をわが国のメディアは破格の親日派大統領とチヤホヤするばかりだが、韓国歴代大統領の中では異色な人物である。政治家としての経験が全くない点では朴正熙、全斗喚、盧泰愚ら軍人出身大統領と同じだが、政治家としても人間としても未知数な点が多い。就任以来1年間の言動から判断するほかない。
「白か黒か、敵か味方か」という単純な二分法的発想はいかにも検事出身らしい。韓国では以前から大統領への過度な権力集中と弊害が指摘されてきた。大統領が聞く耳を持たなければ独裁者になる。言いたい放題やりたい放題は日本の首相と変わりないが、発足以来の超低支持率にもかかわらず唯我独尊、マイペースの印象が強い。すでに独裁という批判の声もあがっていて前途多難が予想される。任期はあと4年である。
大統領から聞こえてくるのは親日・親米、反北・反中に加え前政権と労働組合の批判ばかり。政治家として経験が浅いからだろう。
北の脅威に比べたら過去の日本の植民地支配などは取るに足らないという新しい歴史観の持ち主。アメリカのためにウクライナ派兵も厭わない。福島原発の汚染水の放出も賛成しそうな気配である。「アッパレ」としか言いようのないユニークさに親日大統領を歓迎する日本人でさえ気味が悪くなるほどだ。情緒的な親日と、厭韓感情の残る日本とはかみ合うようでかみ合っていない。
<日米韓の行方>
北朝鮮の相次ぐミサイル発射で緊張が高まった。
尹大統領就任直後から始まった米韓の大規模軍事演習が北朝鮮をいたく刺激した。一方的に悪いのは北朝鮮という理屈は素人目にも無理がある。日本ではあっという間に敵基地攻撃、軍事費倍増の流れができ上った。5年間で43兆円をかけるなら、「本当に戦争する気があるのか」と首相が直接問い合わせをする価値はある。実質的な平和宣言である「平壌宣言」の当事国として当然だ。国民の恐怖や不安を解消するのは政府の役割だ。
不安を放置するばかりか不安を煽って敵基地攻撃に走るというのは乱暴すぎる。
不安を利用して政権の維持を図り、国民の権利の抑圧と軍備拡張の果てに戦争になった歴史は枚挙にいとまがない。
経済的な繁栄だけをひたすら追い求めてきた日本。韓国もアメリカも例外ではない。ひょっとして支持率を上げるために不安をばら撒くのが民主主義なのかと思ってしまう。
<日本はゆるいなぁ>
テレビは連日ゴールデンウィークの帰省ラッシュと観光ブームを伝えた。意図してまき散らされた不安と日本全体を覆う現実の危機。異なる二つの現実を見てめまいを感じた。
3日、東京地区の憲法集会に2万5千人が集まった。憲法改悪に危機感を募らせた人たちで会場は溢れた。「戦争前夜」という声とともに、消滅すれば「戦後」もないと危惧する声も聞かれた。
その日の夕方のテレビニュースは憲法問題をほぼ素通りして、行楽各地の賑わいと外国人観光客の話題を伝えた。コロナ騒ぎの行き過ぎを反省しているかのようにも見えた。こわい現実と未来を考えたくないとばかりに。
その日の集会場所のある有明駅までの「ゆりかもめ臨海線」は楽しげなイベント会場に急ぐ若者たちでいっぱいだった。
<写真/憲法集会於江東有明 筆者撮影>
<晴れた五月に>
5月になると「晴れた五月」というメーデー歌のメロディがつい口から出る。
およそ130年前に8時間労働制を要求したのがメーデーの始まり。今でも8時間労働どころか複数の職場を掛け持ちしなければ生活できない人が多い。社会も人間もいっこうに進化していない。
メーデーは政府と経団連をパトロンにして恵まれた大企業労働者の祭典になった。4月に行われるという世界に例を見ないユニークなメーデー。総理大臣が来賓とは信じがたいが、批判の通じない相手に批判する気にもなれない。
メーデー歌は「懐メロ」になった。30年間欠かさず参加した僕はバカみたいだ。
憂鬱な五月を吹き飛ばす漫画に出会った。
<はだしのゲン>
中沢啓治の漫画を読んでいる。広島を舞台に原爆に被災した家族の物語だ。広島市で小中高生向けの平和教育「ひろしま平和ノート」に使われていた『はだしのゲン』が採用取りやめになったという。
何故、広島市がゲンをきらうのか。汐文社版10冊シリーズを読み始め7冊目に入った。漫画はパラパラと読むものと思っていたが、あまりの迫力でなかなか読み進めない。コーヒーブレークして紹介することに。
主人公のゲンは6人兄妹。姉と弟、父親を原爆で失った。父親は「踏まれても 踏まれても 真っ直ぐ伸びる麦のように強くなれ」と子供を励ます戦争嫌いの職人だ。非国民と謗られながら原爆で無念の生涯を閉じた。
残った家族と被災した仲間が助け合い、たくましく生きる。
ストーリーは単調ではない。貧苦と涙、友情、恋もあり、笑いもある。漫画でゲンたちが歌う流行歌や替え歌は楽しい。登場人物の豊かな表情と言葉が心に響き沁みる。
父親の心を受け継いだ主人公のゲンの戦争、原子爆弾に対する怒りに満ちたことばは平和ボケした人間には衝撃的だ。
顔のケロイドで生きる希望を失いかけた少女にミシンをプレゼントするゲンの口から飛び出る激しい言葉。何故、戦争で、何故、原爆で「オレたちが苦しまなければならないのか!」。その問いは繰り返され、戦争責任を追及してやまない。名指しこそしないが、昭和天皇の息子とその孫の現天皇、安倍晋三、麻生太郎らの責任も見逃さない。それは戦後を生きた私たち大人すべてに向けられる問いかけでもある。被爆者の中沢啓治の怒りと確信と被災した人々への愛に目を見張る。
現代日本が抱える記憶の喪失と責任逃れ、貧困問題、ジェンダー、「在日」の問題まで視野に入れたゲンの主張を不都合な真実と感じる人もいるかも知れない。何もかもあやふやにしたゆるい社会を突き破る原作者のエネルギーにたじろぐばかりだ。
子どもはもちろん大人も『はだしのゲン』から始めるべきだ。そう思わせるゲンと出会った。
「子どもらは、素直に何が真実かを見きわめてくれます。ですから肩を張るのではなく、リラックスしながら、子供が作品のなかに入っていけるようにと念じつつ描き続けました。その中から、本当のものをつかんで、戦争とは、原爆とは何かをわかっていただければ本望です](中沢啓治)。
新幹線、海外旅行も無縁だった今年のゴールデンウィーク。出鱈目な政治に呆れながら『はだしのゲン』と朝日新聞(5月4日デジタルニュース)の俳優小泉今日子の「人間宣言」にも似たインタビュー記事から爽やかな晴れた五月の風を感じて大いに励まされた。
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