ジョン・ピルジャー氏の評論: やって来る戦争 ― 声を上げるときだ The Coming War — Time to Speak Up
- 2023年 5月 17日
- 評論・紹介・意見
- グローガー理恵
《フリードリヒ・フォン・シラー の 言葉》
”人間が人間に与えるもので、真実よりも偉大なものがあるだろうか?[仮訳]
(Was hat der Mensch dem Menschen Größeres zu geben, als Wahrheit?)
– Unsterbliche Hoffnung [不滅なる希望-仮訳]”から –
はじめに
著名な調査報道ジャーナリストである、86歳のシーモア・ハーシュ氏は、ジャーナリストとして “真実を語る” ことの重要性について、次のように語った:
『真実を語ることの何が勇気なのでしょうか? 我々の仕事は、恐れることではありません。そして時には醜くなることもあります。 私の人生には、そのような時がありました…知ってのとおり、私はそのことについて話しません。脅迫は私のような人間に対してでなく、私のような人間の子どもたちに対して為されるのです。ひどいことがありました。でも、そのことについて心配はしません。心配することは、できないのです。ただ自分のやることをやるだけです。』と。
ご存知のように、ハーシュ氏は、2023年2月8日、2022年の9月に起こった”ノルドストリームパイプライン破壊工作”について大スクープ記事を公表したジャーナリストである。
ご紹介させていただく評論「やって来る戦争ー声を上げるときだ(The Coming War — Time to Speak Up)」の著者・ジョン・ピルジャー氏は著名な調査報道ジャーナリストでありフィルムメーカーでもある。彼はこの評論の中で、ハーシュ氏と同様に、ジャーナリストとして、今、メインストリーム・メディアが中心になって促進している戦争プロパガンダを見極め、 ”真実を伝える” ことの大切さを訴えている。
そして、そのタイトルが物語っているように「戦争がやって来る。今こそ、我々が声を上げるときだ」と、警報を鳴らしている。
私は、この、見識あるベテラン・ジャーナリストが語る示唆に富んだ ”True Story” が皆さまにとって、思考を促す、読み甲斐のあるものとなることを心から望んでいる。
原文(英文)へのリンク:https://consortiumnews.com/2023/05/01/john-pilger-the-coming-war-time-to-speak-up/
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ジョン・ピルジャー氏について ジョン・ピルジャー氏 (Source:Nachdenkseiten)
ジョン・ピルジャー (1939年10月9日–)はオーストラリアのジャーナリスト、著述家、ドキュメンタリー映画制作者。1962年以降、ロンドンを活動拠点とし、ニューヨーク州のコーネル大学の客員教授も務めている。
英国で最高のジャーナリズム賞を2度受賞し、”International Reporter of the Year”、”News Reporter of the Year”および”Descriptive Writer of the Year”を受賞した。これまでに61本のドキュメンタリー映画を制作し、エミー賞、BAFTA賞、Royal Television Society 賞を受賞している。彼の”カンボジア・イヤー・ゼロ”は、20世紀の最も重要な10本の映画のひとつとして選ばれている。
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やって来る戦争ー声をあげる時だThe Coming War — Time to Speak Up
2023年5月1日
著者:ジョン・ピルジャー (John Pilger)
〈翻訳:グローガー理恵〉
プロパガンダのコンセンサスで満ちた沈黙は、我々が読み、見て、聞く、ほとんどすべてのものを汚染している。メディアによる戦争は、今や、いわゆるメインストリーム・ジャーナリズムの主要な仕事なのだ。
1935年、ニューヨークで ”アメリカ人著述家会議”が開催され、同会議は2年後にも開催された。 彼らは『何百人もの詩人、小説家、脚本家、評論家、ジャーナリスト』に、『資本主義の急速な崩壊』と『手招きする別の戦争』について議論することを訴えた。これらの ”アメリカ人著述家会議” は、ある報告によると、3500人の一般市民が参加し、1000人以上の人たちが入場を断られたという電撃的なイヴェントとなった。
アーサー・ミラー、マイラ・ページ、リリアン・ヘルマン、ダシール・ハメットは、ファシズムが、しばしば偽装された形で、台頭していることを警告し、その責任は、著述家やジャーナリストが公然と声を上げることに、かかっていると呼びかけた。 トーマス・マン、ジョン・スタインベック、アーネスト・ヘミングウェイ、C・デイ・ルイス、アプトン・シンクレア、アルベルト・アインシュタインからの支援電報が読み上げられた。
ジャーナリストで小説家のマーサ・ゲルホーンは、ホームレスや失業者、そして”暴力的大国の影の下にいる我々全員”のために声を上げた。
親しい友人となったマーサは、後日、彼女のいつものお決まりの飲み物・フェイマスグラウスとソーダを啜りながら、こう語った:
「ジャーナリストとして私が感じた責任感は計り知れないものだったわ。大恐慌によってもたらされた不正と苦しみを目撃して、私と私たち全員は、もし沈黙が破られなかったら、何がやって来るのか、分かっていたのよ。」
今、彼女の言葉が沈黙の中で響き渡る:それは、コンセンサスのプロパガンダで満たされた沈黙であり、そのプロパガンダは、我々が読み、見て、聞く、ほとんどすべてのものを汚染しているのだ。 一例を挙げてみよう:
3月7日、オーストラリアでもっとも古い新聞である”Sydney Morning Herald”と “The Age“の2紙が、中国の”不気味に迫る脅威”について数ページにわたる記事を掲載した。彼らは太平洋を赤色で染めた。 中国人の目は好戦的で、行進中であり、威嚇的だった。黄禍 [訳注:黄色人種の勢いが盛んになり、他人種・白色人種に及ぼすという災禍〕は、まるで重力の重さで落下しようとしているようだった。
中国によるオーストラリアへの攻撃についての論理的な理由は何も挙げられていなかった。 ”専門家の一団” は信用できる証拠を呈さなかった:そのうちの一人はオーストラリア戦略政策研究所の元所長で、キャンベラの国防省、ワシントンのペンタゴン、英国、日本、台湾政府と西側の戦争産業の隠れ蓑になっている。
「北京は3年以内に攻撃してくる可能性がある」と彼らは警告した。 「我々は準備ができていない」。 アメリカの原子力潜水艦に数十億ドルが費やされることになっているが、それだけでは十分ではないように思える」。 「オーストラリアの歴史からの休暇は終わったのだ」: それがどういう意味であるにせよ、構うことはなし。
オーストラリアに対する脅威はなし、何もなしだ。 遠方の “ラッキーな”国には敵がいない。とりわけ最大の貿易相手国である中国が敵である筈はない。 しかし、アジアに対するオーストラリアの長い人種差別の歴史がもたらした中国バッシングは、自称 “専門家”にとって、スポーツのようなものになった。中国系オーストラリア人は、このような状況をどう捉えているのか? 彼らの多くは混乱し恐怖感を懐いている。
犬笛吹き【*訳注1】で米国権力追従のグロテスクな作品の著者は、ピーター・ハーチャーとマシュウー・ノットで、確か彼らは”国家安全保障リーポーター”と呼ばれていると思う。私はハーチャーがイスラエル政府から報酬をもらって遠出したことから、彼を覚えている。もう一人のノットは、キャンベラのスーツ組の代弁者である。両者とも、今まで、戦闘地帯や人間の劣化や苦しみの極限を見た経験がない。
「どうして、こんなことになったの?」マーサ・ゲルホーンがここにいたとしたら、そう言ったことだろう。 「”ノー ”と言う声は、どこに行ってしまったの?仲間意識はどこにあるの?」
ポストモダニズムが舵を取る
その声は、このウェブサイトや他のウェブサイトのサミズダート【*訳注2】で聞くことができる。文学では、ジョン・スタインベック、カーソン・マッカラーズ、ジョージ・オーウェルといった人物は時代遅れである。 今はポストモダニズムが主導しているのだ。リベラリズムは、その政治的梯子をはずした。かつて傾眠状態の社会民主主義国だったオーストラリアは、秘密主義的、権威主義的な権力を保護し、知る権利を妨げる新しい法律の網を制定した。内部告発者は無法者であり、秘密のうちに裁かれることになる。とりわけ不吉な法律は、外国企業のために働く人々による ”外国からの干渉” を禁止するという法律である。これは何を意味するのだろうか?
今、民主主義は観念的なものである; 国家および ”同一化” の要求と融合した絶大な力を持った企業エリートたちがいる。アメリカの提督たちは、”アドバイス”をして、オーストラリアの納税者から一日に何千ドルもの報酬をもらっている。欧米では、我々の政治的想像力がPRによって鎮撫され、腐敗した低級な政治家たちの術策に気を取られてしまっている: ボリス・ジョンソン、ドナルド・トランプ、眠そうなジョー[訳注:ジョー・バイデン米大統領のこと]、ヴォロディミル・ゼレンスキーのような政治家たちだ。
2023年の著述家会議は、”崩れゆく資本主義”や”我々の”リーダーの致命的な挑発について懸念していない。その中で、もっとも悪名高きトニー・ブレアは、ニュルンベルク基準で一見すれば犯罪者だが、自由の身であり金持ちだ。 我々の読者には知る権利 [訳注: 情報を得る権利] があるのだということを明示しようと、ジャーナリストに挑んだジュリアン・アサンジが監禁されてから10年以上たった。
ヨーロッパにおいてファシズムが台頭していることに議論の余地はない。または “ネオナチズム” か “極端な国家主義”とでも、好きなように呼べばよい。ウクライナは、現代ヨーロッパのファシストの巣窟として、150万人のウクライナのユダヤ人を虐殺したヒトラーの”ユダヤ人政策”を褒め称えた、熱烈な反ユダヤ主義者であり大量殺人者であるステパン・バンデラのカルトの再興を見た。バンデラのパンフレットは、ウクライナのユダヤ人に対して「我々はお前たちの頭をヒトラーの足元に置くのだ」と宣言している。
今日、バンデラは西ウクライナで英雄として崇拝されている。さらに、バンデラと彼のファシスト仲間の像が、ウクライナをヒトラー・ナチスから解放したロシア文化の巨人やその他の人々の像に取って代わり、多数たてられ、そのコストはEUや米国によって賄われている。
キエフを行進するウクライナの国家主義者たち、パンデラの写真がついたバナーと右翼の旗を掲げている CC BY 3.0
2014年、”親モスクワ派”であると非難されていた、選挙で選ばれた大統領・ヴィクトル・ヤヌコヴィッチに対する、米国によって資金援助されたクーデターで、ネオ・ナチスは主要な役割を果たした。クーデター政権には、顕著な”極端な国家主義者”― 事実上ナチス ― が含まれていた。
最初、このことについてはBBCやヨーロッパ・米国のメディアが詳細に報道していた。2019年、タイム・マガジンはウクライナで活動する「白人至上主義者の民兵」を特集した。NBCニュースは、「ウクライナのナチス問題は実在する」と報じた。オデッサの労働組合主義者の犠牲死は撮影され記録された。
ウクライナ軍は、アゾフ連隊を先頭にして、ロシア語を話す東部のドンバス地方に侵攻した。アゾフ連隊のシンボルは“ヴォルフスアンゲル”で、” ヴォルフスアンゲル” は、ドイツ親衛隊によって使われた悪名高きシンボルである。国連によれば、東部ウクライナで14000人が殺害されたという。7年後、アンゲラ・メルケルが告白したように【*訳注3】、ミンスク和平会議は西側によって妨害され、赤軍が侵攻した。
この出来事のバージョンは欧米では報道されなかった。それを口にすることさえもが、ライター(私のような)がロシアの侵略を非難しているか否かにかかわらず、”プーチンの弁解者”であるとの罵りを招くことになるのである。NATOが武装した国境地帯であるウクライナ、 ヒトラーが侵攻したのと同じ国境地帯が、モスクワに呈示した極度の挑発を理解することは禁じられているのである。
ドンバスに渡ったジャーナリストたちは自国で沈黙させられたり、けしかけられることさえあった。ドイツのジャーナリスト・パトリック・バーブは職を失い、ドイツの若いフリーランス・ジャーナリストであるアリナ・リップは彼女の銀行口座を差し押さえられた。
脅迫の沈黙
英国におけるリベラルな知識階級の沈黙は脅迫の沈黙である。ウクライナやイスラエルのような国家ぐるみの問題は、もし大学の仕事や教職の終身在職権を維持したいのであれば、避けるべきことになっている。2019年に、労働党党首のジェレミー・コービンに起こったことは【*訳注4】大学構内でも度々起こっていることである。そこでは、アパルトヘイト政策のイスラエルに反対する者は無差別に反ユダヤ主義者として中傷されるのである。
皮肉なことに、”現代プロパガンダ”に関しての第一人者であるデイビッド・ミラー教授は、イスラエルの英国における資産とその政治的ロビー活動が不均衡な影響力を世界中に及ぼしていると公言したため、ブリストル大学から解雇された。― 証拠が豊富にある事実であるにもかかわらず、である。
大学は、この事件を独自調査するために優れたQCを雇った。QCの報告書は、”学術的な表現の自由という重要問題 ”においてミラー教授の無実を証明し、”ミラー教授の論評は違法な発言ではない”と認めた。 にもかかわらず、ブリストル大学は彼を解雇した。 メッセージは明確である:どんな非道行為を犯しても、イスラエルには免責があり、その批判者が罰せられるということだ。
数年前、当時、マンチェスター大学の英文学教授であったテリー・イーグルトンは、「この2世紀の間に初めて、西欧的生き方の基盤となるものについて疑問を呈しようとする英国人の著名な詩人、劇作家、小説家が存在しなくなった」と評価した。
貧しい人々のために語ったシェリーも、ユートピアンの夢を語ったブレイクも、支配階級の腐敗を酷評したバイロンも、資本主義の道徳的弊害を明かしたトーマス・カーライルもジョン・ラスキンもいない。 今日、ウイリアム・モリス、オスカー・ワイルド、HGウェルズ、ジョージ・バーナード・ショーに匹敵するような人物はいない。 「当時まだ生きていたハロルド・ピンターは”最後に声をあげた人”だった」とイーグルトンは書いた。
ポストモダニズム、すなわち、現実の政治および典拠のある異議を拒絶することは、どこから来たのか? 1970年に出版されたチャールズ・ライクのベストセラー『緑色革命 (The Greening of America)』が、そのヒントを与えてくれている。当時、アメリカは大変動の状態にあった;ホワイトハウスにはリチャード・ニクソンがいて、”ムーヴメント”として知られる市民の抵抗が、ほとんどすべての人々に影響を及ぼしていた戦争の最中[さなか] に、社会の縁から飛び出してきたのである。市民抵抗運動は公民権運動と結束して、この100年間で、ワシントンの権力に対するもっとも容易ならぬ挑戦となったのである。
ライクの本の表紙には、このような言葉が書かれてあった:「革命が到来する。それは過去の革命のようなものにはならないだろう。それは一人一人の個人から起こるのだ。」
当時、私はアメリカで特派員をしていたが、イェール大学の若い学者だったライヒが一夜にして教祖の地位に伸し上がったことを思い出す。”ザ・ニューヨーカー” 誌は、1960年代の ”政治的行動と真実を語ること” は失敗し、ただ “文化と内省” のみが世界を変えられるであろう、というメッセージを込めた、彼の本をセンセーショナルに連載した。それは、まるでヒッピーが消費者階級に権利を主張しているかのように感じられた。そして、それは、ある意味ではそうだった。
数年のうちに、”自己中心主義” のカルトは、多くの人々の「社会正義・国際主義・共に行動する」といった感覚を事実上、完全に圧倒した。個人的なことは政治的なことであり、メディアはメッセージであった。 それは ”金を儲けよ”と言っていた。
”ムーヴメント”に関しては、その希望と歌は、ロナルド・レーガンとビル・クリントンのもと、すべて終わりを告げた。警察はそのとき黒人たちと公開戦争にあった;クリントンの悪名高き福祉法案は、世界記録を破るほどの数の囚人―ほとんどが黒人―を刑務所に送り込んだ。
9.11が起き、”アメリカの国境” への 新たな”脅威”(アメリカ新世紀プロジェクトは世界をそう呼んだ)の捏造は、20年前だったら猛烈な反対運動を形成していたであろうという人たちに政治的混乱をもたらすことをなし遂げた。
それ以来、アメリカは世界と戦争を始めるようになった。社会的責任のための医師団 (Physicians for Social Responsibility)、世界生存のための医師団(Physicians for Global Survival)、そしてノーベル平和賞を受賞した核戦争防止国際医師会議 (IPPNW)は、アメリカの”対テロ戦争”で殺された人の数は、アフガニスタン、イラク、パキスタンで、少なくとも130万人であったという。
この数字には、イエメン、リビア、シリア、ソマリアなどの、米国が主導し煽動した戦争による死者数は含まれていない。 医師団による報告書は、「死者は200万人を超える可能性もあり、一般市民、専門家、意思決定者が認識している死者数や、メディアおよび主要NGOによって伝えられている死者数のおよそ10倍になるかもしれない」と述べている。
「イラクでは ”少なくとも” 100万人が殺された」と医師たちは語る。すなわち、人口の5%である。
何人が殺されたのか、誰も知らない
この暴力と苦しみのスケールがいかに巨大であるのか、西欧人の意識にはないようである。「何人なのか誰も知らない」というのがメディアの繰り返し文句である。ブレアとジョージ・W・ブッシューそしてストロー、チェイニー、パウエル、ラムズフェルドらに告発されるような危機は決してなかった。ブレアのプロパガンダ・マエストロであったアリスター・キャンベルは ”メディア・パーソナリティー”として称賛されている。
2003年、私はワシントンで、高名な調査報道ジャーナリストであるチャールズ・ルイスとのインタビューを撮影した。 我々は、その数ヶ月前にあったイラク侵攻について話し合った。 私は彼に訊ねた:「もし憲法上、世界でもっとも自由なメディアが、結局は粗雑なプロパガンダとわかったものを広める代わりに、ジョージ・W・ブッシュとドナルド・ラムズフェルドに挑戦し、彼らの主張を調査していたのだとしたら、どうだったろうか?」と。
彼はこう答えた:「もし我々ジャーナリストが 我々の仕事[訳注:調査報道]をしていたのだとしたら、イラク戦争にならなかった可能性が非常に高い。」
私はCBSの著名な総合司会者・ダン・ラザーにも同じ質問をしてみたが、彼からは同じ答えが返ってきた。サダム・フセインの ”脅威” を宣伝していた”オブザーバー”紙のディビッド・ローズも、当時BBCのイラク特派員だったラゲ・オマールも同じ答えをしてきた。 ローズの ”騙された” という立派な悔恨は、そのことを認める勇気のなかった多くのリポーターたちの気持ちを代弁していた。
彼らの論点は繰り返して述べる価値がある:
もしジャーナリストが、プロパガンダを誇張する代わりに、自分たちの仕事をして、プロパガンダに疑問を投げかけ、それを調査していたとしたら、100万人のイラク人の男性、女性、子どもたちは今日生きていたかもしれないのだ;何百万人もの人々が自分たちの家・故郷から逃げることもなかったかもしれない;スンナ派とシーア派との間に宗派争いが点火されるようことはなかったかもしれない、そして、もしかしたら、イスラム国家 [IS]が存在することはなかったかもしれない。
1945年以来 米国とその ”同盟国”によって挑発されたすべての強奪戦争に照らして、この事実を熟考してみよう。ー その結果は身の毛もよだつようなものになる。ジャーナリストの学校で、このことをテーマとして取り上げるようなことはあるのだろうか?
今日、メディアによる戦争は、いわゆるメインストリーム・ジャーナリズムの主要な仕事であり、1945年にニュルンベルク検事によって描写されたものを思い出させるのである:
『それぞれの大規模な侵略の前に、便宜に基づいた幾つかの例外を除いて、彼らは、彼らの犠牲者を弱めて、ドイツ国民を心理的に準備させるように計算された報道キャンペーンを開始した……プロパガンダ・システムにおいて….もっとも重要な武器は日刊紙とラジオであった。』
アメリカの政治環境に根強く存在する一つの要素は、ファシズムに接近するカルト的な過激主義である。トランプはそのように評価されたが、アメリカの外交政策が本気でファシズムと弄んだのは、バラク・オバマの2期の時代であった。このことはほとんど報道されなかった。
「私は全身全霊でアメリカ例外主義を信じる」とオバマは言った。彼は大統領お気に入りのパスタイムである空爆や”特殊作戦”として知られる死の部隊を、第一次冷戦以来、他のどの大統領がやったことがないほどの規模に拡大した。
外交問題評議会の調査によると、2016年、オバマは26,171発の爆弾を投下した。それは毎日72発の爆弾になる。彼は、アフガニスタン、リビア、イエメン、ソマリア、シリア、イラク、パキスタンのもっとも貧しい人々や有色人種の人々を爆撃したのである。
毎週火曜日、ー ニューヨークタイムズ紙の報道によれば ー オバマは無人機から発射される地獄のミサイルで殺害される人たちを自ら選んだという。 結婚式(複数)、一件の葬式、羊飼いたちが攻撃され、”テロリスト標的 “を飾る死体の部分を集めようとする人たちも攻撃された。
共和党の有力上院議員・リンジー・グラハムは満足げに、オバマの無人攻撃機によって4,700人が殺害されたと推定した。彼は「時には罪の無い人たちを殺してしまうこともあるが、私はそれを嫌う」と言い「しかし我々は幾人かのアルカイダの幹部を破壊した」と述べた。
2011年、オバマ大統領は、「リビアのムアンマル・カダフィ大統領が自国民に対して”大虐殺”を計画している」とメディアに告げた。 「我々は知っている …」と彼は言い、「もし我々があと一日待てば、シャーロット(ノースカロライナ州)と同じ大きさの都市ベンガジで、地域全体に響き渡り、世界の良心を汚してしまうような大虐殺が起こるかもしれない」と付け加えた。
これは嘘だった。 唯一の”脅威”は、リビア政府軍による狂信的イスラム主義者の敗北が迫っていることであった。カダフィには、独立パン・アフリカ主義の復活、アフリカの銀行、アフリカの通貨を確立し、そのすべてをリビアの石油によって資金提供するという計画があった。しかし、そのため彼は、リビアが2番めに近代的な国家であるアフリカ大陸で、西洋植民主義の敵として仕立て上げられたのだ。
カダフィの “脅威 “ と彼の近代国家を破壊することが目的であった。 米国、英国、フランスの支援を受けて、NATOはリビアに対して9,700回の出撃を行った。国連によれば、爆撃の3分の1がインフラと民間人の標的に向けられた。ウラン弾頭が使用された;ミスラタとシルテの都市は絨毯爆撃を受けた。赤十字は集団墓地を確認し、ユニセフの報告によれば、「[殺された子どもたち] のほとんどが10歳未満であった」という。
オバマ大統領の国務長官であったヒラリー・クリントンは、カダフィが反乱軍にとらえられ、ナイフでソドミーされたと聞かされると、笑ってカメラに向かって「我々は来た、見た、彼は死んだ!」と言った。
2016年9月14日、ロンドンの下院外交委員会は、NATOのリビア攻撃についての1年にわたる調査の結論を報告した。 報告書はリビア攻撃をベンガジ虐殺説を含めて”数々の嘘”であると評した。【*訳注5】
NATOによる爆撃はリビアを人道的惨事へと陥れ、何千人もの人々を殺害し、何十万人以上の人々が避難を強いられ、リビアはアフリカで最も生活水準の高い国から戦争で荒廃した破綻国家へと変貌したのである。
オバマ大統領のもと、アメリカは秘密の”特殊部隊”の活動を世界人口の70%にあたる138国へと拡大した。最初のアフリカ系アメリカ人の大統領が、フルスケールのアフリカ侵略を開始したのだ。
19世紀のアフリカ分割を思い出させるアメリカアフリカ軍(Africom)は、それ以来、アメリカの賄賂と軍備を渇望する協力的なアフリカの政権の間に請願者のネットワークを築いた。アメリカアフリカ軍の”兵士から兵士へ”のドクトリンは将軍から准尉まで、あらゆるレベルの指揮官に米国人将校を配置することである。ただピスヘルメットが欠けているだけなのだ。
それは、あたかもパトリス・エメリィ・ルムンバからネルソン・マンデラまで、アフリカが誇る解放の歴史が、新たな白人支配者の黒人植民地エリートによって忘却へと葬られてしまったかのようである。「このエリートの “ 歴史的使命 “ は、”カモフラージュされているが、野放しの資本主義 “の推進である」と洞察力あるフランツ・ファノンは警告した。
NATOがリビアを侵攻した2011年、オバマは “アジアへの軸足 “ として知られるようになった政策を発表した。 「”中国の脅威に立ち向かう “ ために米海軍の3分の2近くをアジア太平洋に移す」というのが国防長官の言葉だった。
中国からの脅威はなかった;米国から中国に対する脅威はあった;400ほどの米軍基地が中国の工業中核地帯の縁に沿って弧状を成して配置された。あるペンタゴンの高官は、これを満足げに “わな” と描写した。
同時に、オバマは東欧にロシアを標的にしたミサイルを設置した。核弾頭への支出を、冷戦以来、どの米政権よりも高いレベルまでに増やしたのは、ノーベル平和賞の至福を授かった受賞者・オバマだったのである。ー2009年、彼はプラハの中心部で感動的な演説を行い、「世界から核兵器をなくすことを促進する」と約束したのだ。
オバマと彼の政権は、2014年に、ヌーランド国務次官補が監督するために派遣された、ウクライナ政府に対するクーデターが、ロシアの反応を挑発し、おそらくは戦争につながることを十分承知していた。 そして、そうなってしまった。
私はこれを、私が取材した20世紀最長の戦争・ベトナム戦争の終結記念日である4月30日に書いている。 サイゴンに到着したとき、私はとても若かったし、多くのことを学んだ。私は、雲の上から大虐殺の限りを尽くした巨大なB-52の独特なエンジンの音を聞き分けることを学んだ;私は、人間の体の部分が焼け焦げた木に飾られているのを目の前にしたとき、目を背けないことを学んだ。私は、かつてないほど親切というものを大切にすることを学んだ;私は、ジョセフ・へラーが、彼の傑作 “キャッチ=22“ の中で、彼が正しかったこと=戦争は正気の人間には適さないということ=を学んだ;そして、”我々の”プロパガンダについて学んだ。
あの戦争の間ずっと、プロパガンダは、「ベトナムが勝利すれば、北の大黄禍が流れ込むことを可能にさせ、共産主義の病をアジアの全域に広げていくだろう」と言っていた。「国々は”ドミノ倒し”のように次々に倒れていくであろう」と。
ホーチミンのベトナムは戦勝し、上記のようなことは何も起こらなかった。その代わり、驚くべきことに、ベトナム文明は開花した。彼らが払った代償にもかかわらず、である。―300万人の死者。傷つけられた人、奇形の人、中毒になった人、毒性物質に晒された人、失った人。
もし、現在のプロパガンダニスト[宣伝者]たちが中国との戦争を手に入れたら、これは、これからやって来るものの一断片にすぎないだろう。
声を上げて堂々と発言せよ。
ー翻訳終わりー
以上
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【*訳注1】犬笛 (政治)英語-dog whistle:
政治の世界で、政治的メッセージに暗号化された言葉や暗示的な言葉を使うことで、反対派を刺激することなく特定のグループからの支持を集めること。この概念は、犬には聞こえるが人間には聞こえない超音波の犬笛に因んで命名された。犬笛は、大多数には普通に見えるが、意図する対象には特定のことを伝える言葉を使う。一般的には、否定的な注目を集めることなく、論争を引き起こす可能性のある問題についてのメッセージを伝えるために使用される。(Source:Wikipedia)
【*訳注2】サミズダート:
ロシア語で自主出版というのが原義だが、検閲された書物を手書きで複製し、読者から読者へと流通させるという重要な活動であり、1980年代の抵抗運動の成功の土台を築いた。検閲を逃れるための草の根的活動は、検閲された資料を所持したりコピーしたりすると、厳しい処罰を受けるという危険性をはらんでいた。(Source:Wikipedia)
【*訳注3】 アンゲラ・メルケルが告白したように:アンゲラ・メルケルの告白
メルケル前首相は、2022年12月7日付の独誌”ディ・ツァイト(Die Zeit)”のインタビューでミンスク合意について言及し、次のように語った:
『2014年のミンスク合意は、ウクライナに時間を与えようとする企てだったのです。ウクライナは、この時間を利用したことによって、現在、見られるように強くなりました 。2014/15年のウクライナは、今のようなウクライナではなかったのです。2015年はじめのデバルツェボ(ドンバス地方の鉄道の町、ドネツク州)の戦いで見られたように、あの時だったら、プーチンは簡単に侵略することができたでしょう。そして、NATO諸国が、あの時、ウクライナを助けるために今と同じようなことができたかどうか、大いに疑問です。』
【*訳注4】労働党党首のジェレミー・コービンに起こったこと: 英国の平等人権委員会(EHRC)がコービン時代の労働党内で行われた反ユダヤ主義な言動に対する調査の結果報告書(2014-2019)を公表し、3件の平等法違反について労働党が責任を負うべき事案であると認定し、それらの行為にコービンの事務所が不適切な形で関与した証拠が23件見つかったとした。労働党はコービンの党員資格を停止した。(Source:Wikipedia)
【*訳注5】2016年9月14日に英国の下院外交委員会が公表したNATOのリビア攻撃についての1年にわたる調査報告書: 調査報告書のサマリーは次のように述べている:
『2011年3月、イギリスとフランスは、アメリカの支援を得て、ムアンマル・カダフィに忠実な勢力による攻撃からリビア市民を守るためにリビアに介入することを支持するようにと国際社会をリードした。しかし、この政策は、正確な情報に基づいたものではなかった。とくに、英国政府は、民間人への脅威が誇張されていたこと、反政府勢力には、かなりのイスラミストのエレメントが含まれていたことを認識できなかった。…….』
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion13022:230517〕
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