「フェミニズム」へチョコッとひとこと(1)
- 2023年 6月 8日
- 時代をみる
- フェミニズム池田祥子
1 「フェミニズム」や「女性学」への違和
「言葉」というものは、複雑に交錯している現象や事物を、とりあえず共通性によって括り、他のものと区分し分断する。そのような抽象的な「言葉・言語」を産み出し獲得した人類は、他の生物とは異なる予想外の世界を形作ってきた。
今や、「言葉・言語」を離れて、私たちの暮らしは一日とて成り立たないが、しかし、それが成立し、通用している「言葉・言語」ゆえに、私たちは、逆に「現実」そのものをしっかりと把捉したり、その「現実」にぴったりと寄り添ったりすることができにくい。
「男/女」という言葉も、その一つの例である。
かつては、「男尊女卑」が当たり前の家父長制社会から、徐々に「女性」たちの目覚めや運動によって、「男女平等」が主張され、世界的にも「フェミニズム」や「女性学」が大きな流れとなってきた。しかし、20世紀になって(日本では半ば以降)、身体的な「男/女」のあり様と、自らの「性自認」とのズレや「セクシャリティの多様性」ゆえに、「男/女」という二元的な言葉は避けられ、今では「ジェンダー」概念が用いられるようになっている。
ただ、それでも「LGBTQ」などの「理解」は、日本では未だに混乱ぎみである。
今後は、「ジェンダー」問題が、より具体的に議論され、現実の政策にどのように落とし込まれるのか、なお継続する社会的な課題になるであろう。
にもかかわらず、一方では、「フェミニズム」や「女性学」は今なお提唱され続けている。それは、現実社会が一向に「男女平等」を実現しえていないためでもあるのだが、逆に、「フェミニズム」「女性学」自身が、「差別」され続けた当事者としての「女」「女性」に固執している側面があるのかもしれない。
以下は、これまで私自身が、「フェミニズム」や「女性学」に対して、ほんの少し「アレ?」と思った事柄を思い出し、取り出しながら、今後の「ジェンダー平等」のあり様をさらに探って行く手がかりにできればいいな、と思っている。
(1)「男と出会って・・・」
ここに雑誌『インパクション76』(1992.8、インパクト出版会)がある。ほぼ30年前の雑誌である。そこに次のような私の「男と出会って・・・」という短文が載っている。
男と出会って、「東京」に行きたいと思った。
男と出会って、<男の弱さ>と<女の強さ>を知った。
男と出会って、大菩薩峠の星の美しさを知った。
男と出会って、たくさんのロシア民謡を歌った。
男と出会って、マルクス、レーニン、そしてグラムシを読んだ。
男と出会って、「新島」を知った。
男と出会って、南京虫を知った。
男と出会って、子どもがいてもいいと思った。
男と出会って、子どもの可愛さを知った。
男と出会って、子どもが欲しいと思った。
男と出会って、南アルプスを眺めた。
男と出会って、あちらこちらの山に登った。
男と出会って、アララギの実を初めて見た。
男と出会って、短歌なるものを創り始めた。
男と出会って、ショパンを聴いた。
男と出会って、パンツを買ってあげて軽蔑された。
男と出会って、宮沢賢治の世界を知った。
男と出会って、家はレンガや木で「建てる」ものだと知った。
男と出会って、子どもは何人いてもいいと思った。
男と出会って、スキーに行って骨折した。
男と出会って、中島みゆきを聴いた。
男と出会って、夢野久作、内田百閒、稲垣足穂の世界を知った。
男と出会って、デビッド・ボーイを聴いた。
男と出会って、ルイス・ブニュエルの映画を見た。
男と出会って、髪を伸ばしてみた。
男と出会って、つげ義春、つげ忠男の世界を知った。
男と出会って、<男の恋の激しさ>を知った。
男と出会って、ジャニス・イアンの歌のやさしさを知った。
男と出会って、二十四歳で自殺した(92.5.24)山田花子の漫画『嘆きの天使』を読
んだ。
男と出会って、私四十九歳。ともかく「死ぬまで生き続けよう・・・」と思った。
以上は、私の10代後半から49歳までの自己形成史でもある。それには、良くも悪くも身近に関わった男たちの影響を抜きにはできない。
これを読んだますのきよし(増野潔)さんが、「池田さんのリブ批判ですね」と感想を送って寄越した。ますのきよしさんは、たまたまお互いの子どもが同じ中野区の保育園の園児だった、という私的にも近い関係だったが、彼は一方で、『交流』というミニコミ誌を発行し続けていた(1975年3月25日~1990年代半ばまでは続いていたようだ。まだ若かった落合恵子、福島瑞穂、保坂展人、向井承子、山田真、岡崎勝などの各氏の連載も。)
私自身は、明確に「リブ批判」を書いたつもりはなかったが、「男」一般を「女の敵」として批判する傾向には、いささか違和感を抱いていたのは事実だろう。「女」も多様だが、「男」も多様である、という事実はしっかり手放さないでいたいとも思っていた。
しかし、そのようなスタンスは、一方で社会全体になお残り続ける「男性支配と女性への差別」構造を批判し変えて行く運動と、具体的にどのように関わるのか・・・実は、今なお、悩み多き課題なのである。
(2)「家事労働に賃金を!」の先は?
先日、小さな「趣味の会」の席上、あるトラブルが持ち上がった。参加者は男性(40代~70代)数名と、女性もほぼ同じ。ただ女性は大半が60代~70代以上で1名がほぼ30歳である。たまたまその日は、少しの飲み物とつまみが用意されたのだったが、広くない部屋だったということもあり、奥の方に座っていた人たち(おもに男性)は、そのまま腰を上げることもなく、女性も高齢者が多くて、膝や腰をかばっている人が目立っていたため、その30歳前後の女性が「若い」ということもあって、主に彼女が飲み物や皿や箸を運んだり並べたりする形になってしまった。しかも、会が終わった後の片づけやお皿洗いも、結局は、その彼女にお任せの形になってしまった。もちろん、男性や女性の大半は、「どうもありがとう!」だの「すみません、助かります」と声かけはしていたのだが・・・。
ところが、その日の会が終わった後に、その30歳前後の彼女から代表者にクレームが届いたとのこと。つまり、〝「若い女」ということで、皆は私に「ただ働き」を強いた”というのだった。今後、そのような事態になった時には、きちんと「代価」を払ってもらいたい、そうでなければ「会は辞める」・・・ということまで述べたそうな。
小さな趣味の会の出来事である。できれば参加者には続けて欲しいし、辞めるのはできるだけ避けたいものだ。したがって、今回のように、彼女に負担がかかるようなら、今後は、飲み物は各自持参、つまみなどはナシにする、ということも決めればいい・・・ということで、その小さな会のトラブルは、とりあえず落着したかに見えるのだが・・・。
ただ、私自身は、その若い女性とは顔を合わすだけで、立ち入った話をするまでには至っていない。その意味では、彼女が「ただ働き」を強いられたとか、「きちんと代価を払ってほしい」という言い分が、どのような「思い」から発せられたのか、十分に理解できている訳ではない。それでも、思わず、かつてのフェミニズムが口にした「家事労働に賃金を!」(主としてイタリアのダラ・コスタなど)の主張が蘇って来た。
言うまでもなく、その主張は、社会が性別役割を構造化して、結婚し家族を形成する男女を、「外で稼ぐ男と、内で〝無償のまま”家事・育児を担わせられる女」に振り分けている現実に警鐘を鳴らすものではあった。
しかし、今更ではあるが、その主張は、果たしてその先に、どのようなビジョンを提示したのだったか。日本でも、あるフェミニストたちは、具体的な主婦の無償労働を、市場での「食」「育児」「クリーニング」「清掃」などに関する労働価格を参考にしつつ、それらを国に「主婦年金」(水田珠枝)として要求するということまで大真面目に主張してもいた。あるいは逆に、女もまた外で当たり前に労働に従事するのが当然、という主張も目立っていた。
こうして、「男女共同参画」社会が目指されながら、一方で減少する婚姻数や出生数に危機感を募らせた政府は、いま「異次元の少子化対策」として、その財源保障はなお曖昧なままに突き進もうとしている。したがって、大方の人は、その政策の行方に信頼を寄せている様には見えないのだが・・・
先に上げた、小さな趣味の会でのトラブルをきっかけにして、フェミニズムもまた、「主婦労働とは何か」「労働をめぐる有償と無償」など、大切な論点を十分に詰め切れないまま今日に至っていることに、改めて気づかされてしまった。今さらながらではあるが、もう一度、日本の「主婦論争」の見直しや、「フェミニズム」が取りこぼしてきたものを、拾いあげることが必要なのではないか、と思い直している。(続)
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