大規模金融緩和政策を検討する(その6) 国債はどのような債券か
- 2023年 7月 13日
- スタディルーム
- 国債盛田常夫金融政策
大規模金融緩和は、主として、日銀が市場から国債を大量に買い上げる形で実行され、10年の緩和政策の結果、事実上、日銀が財政ファイナンスを行う状況になっている。ところが、先進国の中でも債務上限を課していない日本では、このような危機的状況を転換させる議論がなく、詐欺まがいの議論や政治家の放言がメディアを汚染している。
金融緩和政策は国家債務を積み上げている
日銀が緩和政策を開始してから10年で政府が発行した国債は、すべて政府の累積債務として積みあがっている。緩和政策10年で、実に300兆円の国債が追加発行され、国債発行残高(国債累積額、地方債200兆円を含まない)は2021年に1,000兆円を越える水準になった。対GDP比でおよそ190%(地方債を含めると200%を超える)、税収のおよそ20年分に相当する。一般会計歳出額に占める赤字国債の割合はおよそ45%の水準で推移し、これは税収の75%に当たる(表参照)。これほどの財政赤字を抱えている経済先進国は日本だけである。しかも、赤字国債なしに歳出を維持できない日本の財政は、赤字の累積を止めることができず、半永久的に財政の底抜け状態が続く。
国債発行額とその指標(各年度、単位:億円、%)
注:国債依存率は、(4条債+特例債)/一般会計歳出額。
出所:財務省「国債発行額の推移(実績ベース)」より
この段になっても、政治家は無責任な言動で問題を隠蔽し、国民は政治家の無責任な扇動に踊らされて、問題の深刻さを理解することができない。無責任なアベノヨイショの御用エコノミスト(御用学者)は、財政問題の深刻さを指摘する論者を「ザイム真理教」などと揶揄し、財政再建のための赤字縮小は不要だと考えているようだ。財務省が財政均衡主義に立っていると非難するが、ここ20年の歴史を見れば、毎年赤字国債を発行し続け、日本の財政は赤字底抜け状態だ。御用エコノミストは、さらに赤字国債を発行して景気を高揚させよという政治家の無責任な主張を後押ししているに過ぎない。20円で1万円が作れると喧伝する、大道手品師のような詐欺師である。陳腐な錬金術を披露し、無責任な政治家とグルになって国民をだますイカサマ師である。
財政ファイナンスを許容する論拠
政府の赤字国債発行を支えているのは日本銀行である。大規模金融緩和が実行される直前の日銀の国債保有額はおよそ113兆円(2013年1月15日)である。緩和政策10年を経過した時点のそれは、およそ587兆円(2023年5月12日)である。保有増加額は10年間の新規国債発行額をはるかに超えている。既存の国債をも積極的に買い入れた結果である。これによって、日銀は政府発行の国債の57%を保有することになり、事実上の財政ファイナンス状況を生み出すことになった。
これだけの政府赤字を積み上げ、日銀の資産内容を悪化させても、金融・不動産業を除いて、就業人口が拡大しなかったばかりか、消費需要を増やすことも製造業を活性化することもできなかった。にもかかわらず、政府と日銀は緩和政策の見直しを拒否し、緩和政策を継続するのみである。あたかも基礎疾患を抱える高齢者に、過剰な栄養を与え、無駄な薬物を大量投与している状態である。過剰な栄養は余剰エネルギーとなって体に蓄積されて不健全な肥満をもたらし、過剰な薬物投与は基礎疾患の重症度を高めている。
このような状況になっても、緩和政策を支持してきたエコノミストは十年一日のごとく「デフレからの脱却」を唱えて、緩和政策の継続を主張するだけである。また、一部のエコノミストは政府の国債発行がハイパーインフレを惹き起こしていないことを根拠に、無責任な政治家と声を合わせて、さらなる国債発行による日銀ファイナンスを積極的に利用することを求めている。その論拠として主張されているのは、以下の二点である。
一つは、政府累積赤字が国内貯蓄の裏付けをもつ限り、国外からの投機的投資にたいする脆弱性はないという主張である。いま一つは、政府と日銀はともに政府部門だから、これを統合して考えれば、政府の負債と日銀の資産が相殺されて、政府債務は激減するという主張である。この二つの主張は累積債務を問題視することはないという議論の論拠として「発見」されたもので、これほどの財政ファイナンスを行ってもハイパーインフレが発生しない理由として考えられた論拠である。
国債とは何か
アベノヨイショは国債を「国の借金」と表現することを極端に嫌う。逆に、国債は国の債務であると同時に、「国民の債権」だと表現して、問題の深刻さを中和させようとしている。いったい国債とはどのような債券だろうか。
国債は「将来のキャッシュフロー(将来税収)」を担保にした担保証券であり、将来の納税者にたいする債務証券である。この担保証券が日銀の所有になっても、その性格は変わらない。日銀が国債を保有する行為は、この担保証券を担保にして、政府に資金を融通することを意味する。最後の貸し手である日銀は徴税権を持たないから、この担保証券を形に(買い)取って、政府の代わりに徴税することはできない。だから、日銀は保有国債(政府への融資)を相殺(帳消し)して、この債権分を放棄することはできない。この点は非常に重要なポイントである。
故安倍元首相が繰り返し主張したように、政府と日銀は親会社と子会社の関係にあるから、政府の国債債務と日銀の保有の国債(債権)は相殺できるという主張は成り立たない。政府は野党の質問趣意書に答えて、「日銀は政府の子会社ではない」という答弁書(令和4年5月24日付答弁書)を用意したが、この回答はあくまで法的関係について回答したものである。この点はさらに次回で詳述するが、法的関係からだけでなく、社会経済関係においても、上述のごとく、政府発行の国債と日銀保有の国債は相殺できない。したがって、この論点に関する故安倍元首相ほかの主張は虚偽である。
日本の公的債務が深刻なのは、すでに税収のおよそ20年分が前借りされているという事実である。しかも、財政再建の目途が立たず、国の債務は増え続けている。50年先を見据えても、労働力人口が減り、納税者が減りつづける日本に、積み上がった公的債務を減らすめどはまったくない。アベノヨイショの「学者」やエコノミストは、これだけ国が借金してもハイパーインフレが起きないのだから、インフレを気にせずに、さらに国債発行で景気を上昇させるべきだと主張している。これはハイパーインフレが発生する社会経済条件にかかわるものであり次回以降で詳述する。
もう一つの論点である「国内貯蓄の裏付けがある」とは、逆に言えば、国内貯蓄が政府債務の形に押えられていることを意味する。既述したように、赤字国債は「将来の税収というキャッシュフロー」を担保にした担保証券である。もし、ハイパーインフレが発生すれば、終戦直後のように、国債価格が暴落し、事実上の国債債務の裏付けとしての国内貯蓄も限りなく減価する。すべてがご破算になり、債権債務関係はリセットされる。債権債務の強制終了によって国の債務は消滅するが、政府債務の担保である貯蓄も無価値になる。そういう状況を創り出さないために、平時から政府の債務水準を適切に管理することが重要なのである。だから、欧州では政府の債務上限を厳しく管理している。アメリカでも法律で債務上限が規制されている(繰り返し修正されているが)。平時では債務上限の危機が国民経済に与える影響はそれほど大きいとは言えない。それでも債務水準を管理することに意味があるのは、戦争や自然災害など莫大な社会的犠牲を伴う事態にたいして、政府の制御能力を維持し、経済社会を崩壊の危機から守るための人類の知恵である。それは20世紀の戦争の時代から引き継がれた歴史的教訓である。将来の危機に備えることなく、当座の景気促進だけを考える思考は、イソップ物語の「キリギリス」的思考である。
このように見れば、「国内貯蓄に裏付けされている限り、債務の累積に問題ない」という議論の脆弱性が明らかになる。「今すぐに首都圏直下型地震が起きないから、特別な準備は必要ない」という議論と同じである。結末の恐ろしさを考えれば、無責任な言動の浅はかさが際立つ。「浅はか」と片付けるには、あまりに罪が深い。詐欺的言動だと言わざるを得ない。
「ブダペスト通信」7月8日
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