田中小実昌と彷徨の文学
- 2023年 8月 3日
- 評論・紹介・意見
- 田中小実昌髭郁彦
6月17日から8月13日迄、練馬区立石神井公園ふるさと文化館で「田中小実昌―物語を超えた作家―」展が開かれている。田中が死んでから30年も経った今、何故この展覧会が開かれているのかという理由を、私は知らない。かつては人気作家であった田中小実昌だが、彼の作品に現在も多くの読者がいるとは思われない。それゆえ、何故という問いを発したのだが、こんな疑問には大して意味はない。私は数十年前から田中の作品を熱心に読み続けている一人の友人と共にこの展覧会に行き、この作家に興味を持ったのである。
実は、私は田中小実昌の小説よりも、色川武大の小説の方が好きだ。この二人の作家は同時代を生き、その独特の文体と二人の友人関係によって同時に語られる場合が多い。放浪、反理知、闇市の雑多な風景、ヤクザな仕事、場末のバー、兵隊崩れ、ストリートガール、安酒の味。二人の作品に共通する風景や時代性、テーマはいくらでも並べ挙げることができる。しかしながら、二人の作品は根本的に異なっている。色川武大の小説はアンチ・ヒーローが主人公である悪漢小説 (roman picaresque) の系譜を継いでいるが、田中の作品は文学ジャンルが限定できないものが殆どである。確かに、二人とも戦中、戦後の混乱期に青春期を送り、新宿ゴールデン街の雑多な光景を彷彿させる描写を得意としていたが、小説のテーマやエクリチュールの方向性はまったく異なる。だがゆっくりとこんなことを検討していたら、いくら時間があっても足りない。田中小実昌展と彼の作品という本題に入っていこう。
行軍と彷徨
田中の小説世界は登場人物の細部が語られることは殆どなく、秩序だった情景描写も少ない。時空間 (クロノトポス) が歪に組み合わされている。この奇妙なクロノトポスに私は惹かれないが、創造されたその空間内を遊歩することに魅力を感じる読者は確かにいる (「いた」と言う方が正しいかもしれないが) 気がする。実際、展覧会のフライヤーには「整然たる物語となってしまわないよう、言葉が慎重に用いられ、独特の文体が生み出されました。飄々とした田中の表現には多くの読者が引き込まれました」と書かれている。田中が慎重に言葉を選んで小説を書いたとは私には思われないが、彼が流浪の作家として一時期多くのファンを得ていたのは事実だ。
この彷徨の文学の源流について、批評家の岡庭昇は『田中小実昌―行軍兵士の実存』の中で (以下、岡庭の言葉の引用はこのテクストからである)、短編小説『ミミのこと』を取り上げ、田中の生きる姿勢を「立ち止まっていけないはずの「行軍兵士」は、だがしばしば持ち越されたはずの「行軍兵士」の代わりに自己満足を、もっと悪く言えば自己肯定のふりの上に自足するようになる」と述べ、さらに、「(…) 行軍兵士の悪夢はついに癒されることがない生涯の宿命になったのである」と述べている。田中を実存主義作家と位置付ける岡庭の意見に私はまったく賛成できないが、田中が戦後も行軍兵士のように歩き続け、彷徨し、そうすることが田中の文学の主要テーマとなっていったという岡庭の考えには同意することができる。
だが、何故行軍兵士のように重い何かを背負いながら彷徨し続けるのか。岡庭は田中の小説に対して、「永遠に行軍し続ける者にとって、地上にはついに繋ぎ止める場所はないのか? 幻想と現実の対峙を巡って、田中はもう宙に浮かぶ自己を、被虐的に観察する根気も失ったのだろうか? われらが可哀相な小実昌は、ただ疲れて呆然と飲んでいる」という鋭い指摘を行っているが、彷徨に疲れて飲む酒にはデカダン (décadent) の香りはしない。酔って眠る前、その姿はフワフワと浮遊していく手前の魂の遊泳ではないのだろうか。思考停止のための遊泳。それを自己放棄と呼ぶことができるだろうか。田中の小説の主人公達も、田中自身も、ある地点にじっと落ち着いていることはない。常に動いていなければならないという強迫観念に捉えられているように、グルグルと何処かを回っている。そして時折、酒場のカウンターに腰かけて酔い潰れるまで酒を飲み、行軍兵士がへとへとになって寝込むようにして、眠りの中に休息を求める。
常に歩き続けることを選んだ理由について田中は具体的に示してはいない。ただ、戦争中の行軍に対しては沢山の発言がある。「行軍は戦闘よりもつらい、と言われている。その行軍をはいってきたというだけの、まるで教育もうけていない初年兵ばかりの集団がはじめたのだ」(『浪曲師朝日丸の話』)、「まだ兵隊になっていないまま、湖南省までの長い行軍がはじまり、蕪湖を出発したその日にたおれて死ぬ者がいたり、粘液便の尻がいちめんにキャラメルをくっつけたみたいになったり、ぼくたちはいわばすれてきた。」(『北川はぼくに』)、「行軍のときは、それがいくらかでも身がかるくなるならば、自分のからだの皮でも剥いですてたい、と言われている」(『岩塩の袋』)。しかしながら、行軍がその後田中の体験した赤痢やコレラ以上に苦しいもので、本当に強力なトラウマとなるほどのものであっのだろうか。
田中は決して書かなかったが、岡庭は行軍中に重大な出来事があり、それが田中の心の奥深くに沈み込んでいき、それが田中の存在理由となったのではないかという興味深い仮説を立てている。だが、それを証明するための資料はまったく存在してはいない。岡庭のこの説が正しいにしろ、間違っているにしろ、田中の文学は疑う余地なく彷徨の文学である。しかし、このセクションではこの問題に関する考察をこれ以上は行わずに、最後のセクションで改めて検討することとする。
言語ゲーム
展覧会の会場には田中が所有していた沢山のマッチ箱の山が展示されていた。一つ一つは別々で、関係のない店のマッチ箱が無造作に置かれ、広がり、積み合わされることによって、山のような形が出来あがっている。これはまさに田中のテクストそのものの暗喩ではないだろうか。緻密な構成や物語構造、洗練された文体と崇高なテーマ。田中の作品はそういったものとはまったく無縁だ。また、色川武大の小説に登場するアンチ・ヒーローとしての強烈な生の抵抗意識とも大きく異なる作品だ。書きながらでっち上げ、何かが出来あがる。それが田中のエクリチュールではないだろうか。
ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは言語ゲーム (language game) というものの特徴として、「やりながらでっち上げる」という点を挙げている。この特徴は田中のエクリチュールにぴったりと当て嵌まる。言語 (langue) は体系であり、様々な法則や規定によって成り立っているが、その体系をどのように用いるかによって言語生産性は異なる。語る主体にとっては如何に言語化するかが根本的な問題となるのだ。田中のエクリチュールに関しては先ほども書いたように、そこには緻密さ、厳格さ、論理性、優美さといったものは存在しない。田中の文体はノンシャラン (nonchalant) であると語ることができる。『動機は不明』の中で、田中自身もこの言葉を使って、「砂のやわらかさの女の下腹のくぼみ、海べの砂のノンシャランな (あたえることへのノンシャランさの) ふくらみ。さらさら、こだわりのない、やさしい砂だが、流砂のはげしさは、その渦にまきこまれてみないとわかるまい」と述べているが、この性描写におけるノンシャランは「無頓着な」や「適当な」といった意味ではなく、反秩序的で、水平性を求めて広がる田中の存在姿勢を包み込むエロティズムのように私には感じられる。
こうした水平への広がりを、ジル・ドゥルーズならば、リゾーム (rhizome) と形容するかもしれないし、田中文学の彷徨性はノマド的 (nomade) であると断定するかもしれない。田中のテクストは実存主義的なものと言うよりも、はるかにポストモダン的な臭いが強く漂っている。だが田中が生きていたならば、自らの作品がそうした枠組みの中に閉じ込められてしまうことをまったく望まないであろう。いいかげんに書いていたら、小説が出来あがった。それは展覧会に飾られていた無造作に積み上げられたマッチ箱と同じである。こうした側面から見れば、確かに、田中はこの展覧会のサブタイトルにあるように「物語を超えた作家」であるだろうが、そう表現されることは田中のノンシャラン性の否定につながるのではないだろうか。田中の作品が彷徨の文学であり、ふわふわと漂う語りであるならば、そこにあるものはまさにノンシャランな言語ゲームが作り出す文学であると言うことがきるからである。言葉を積み上げることは遊びであり、人生もまたゲーム。ゲームの規則から考えれば、それはグルグルと同じことを繰り返しているように見える。だが、一つ一つのゲームは同じようでまったく異なっているとも言える。田中の作品もそうだ。差異と反復の連続がそこにある。
意味と無意味
田中の代表作である『ポロポロ』は言い表せないものを言い表そうとした小説である。主人公の父は広島の山奥にある教会の神父である。戦時中、その教会に通う信者は少ない。少ない理由は、戦争だけが原因ではなかった。主人公の父の信仰するキリスト教は一般的なキリスト教ではなかったからだ。教会には十字架も建てはいず、父が聖書について話すことはあるが、信仰の中心はあくまでも一人一人の信者が神と対峙することである。その神との対峙において重要となるものが「ポロポロ」なのである。
田中はこの小説の中で、ポロポロについて、「みんな、言葉にならないことを、さけんだり、つぶやいたりしているのだ。それは異言のようなものだろう」と書いている。それは神との特殊な対話であり、信仰の確認のためのトランス状態 (=異言) である。その形式は一人一人異なり、言語になる前の原言語のようなものである。それゆえ、田中は「(…) 実際には、異言は、口ばしっている本人にも他人にも、わけのわからないのがふつうではないか。うちの教会のひとは。異言という言葉さえもつかわなかった。ただ、ポロポロ、やっているのだ」とも書いている。これはジャック・ラカンが言うララング (lalangue) の一種として捉えることが可能なものであろう。つまり、ポロポロを言語習得期の子供が話す言語以前の言葉であるララングと同様なものと見做すことができると思われるのだ。しかしながら、言語習得期の子供にとってのララングとポロポロとは多くの類似性を持っていながらイコールではない。前者のララングは言語 (ラング) を獲得するための一過程で喃語などとして発せられる言葉になる手前の言葉であるが、ポロポロというララングはわれわれが日常用いている言葉を超えて神と直接対話するためのものである。それゆえ、ポロポロはラングを解体しなければ獲得できないララングと述べることができる。
私は田中の作品を読んでいると、しばしば、彼のエクリチュールの理想はポロポロにあるのではないかと思うことがある。何故なら、テーマ的に見ても、文体的に見ても、田中の作品はある完成した形態を目指すのではなく、法則化された規範からの逸脱、あるいは、その破壊を目指すもののように感じられるからである。しかし注意すべき点は、この言語的な逸脱または破壊行為が、確固とした意志によって遂行されていないという点である。田中のテクスト構築論理は三段論法にも、弁証法にも依拠せず、レトリックによってなされているのである。それは戯れの中の言葉の連続性としての言語ゲームである。
こうした田中のテクストを読んでいくと、意味とは何かという問題を考えざるを得なくなる。意味とは定められたものではない。モーリス・メルロ=ポンティが『見えるものと見えないもの』(滝浦静雄他訳) の中で、「われわれは話すために話すのではなく、誰かに向かって何かについてまた誰かについて話している(…)」と言っているように、言葉の意味とは対話的なものである。それが、自らの内部でのもう一人の私との対話であったとしても、あるいは、私の向こう側にある神との対話であるにしても。ポロポロにおける内的対話(dialogisme) を通した意味の構築がそこには存在しているように私には思われるが、この問題については最後のセクションでもう一度検討することとする。
実存という近代性を引きずったタームによって田中のテクストを捉えることは田中の作品を近代という枠の中に無理やり押し込めることではないだろうか。文学史において、確かに、田中を近代文学の系譜に位置付けることも不可能ではないかもしれない。しかしながら、もしもそのように田中の作品を位置付けてしまったならば、彼の作品のミステリアスな不思議な力は平板化されてしまわないだろうか。
田中の文学は彷徨の文学であると私はこのテクストの最初で述べた。それは深さとしての垂直性あるいは論理性を求めることとは真逆な方向にエクリチュールを向けることである。厳格なるテクストの構築ではなく、遊離しながら、遊びながらテクストを作り上げていく作業がそこにある。この言語ゲームの理想形態の一つとしてポロポロがあると私は考えるが、それはミハイル・バフチンの用語である内的対話性の究極の形態でもある。何故なら、先程引用したメルロ=ポンティの言葉にあるように (同様のことをバフチンも述べているが)、それがララングとしての語りであったとしても、話すということは必ず何かについて誰かに向けて語ることであり、上記したようにその誰かは私であることも、私を通した神であることもあり得るからである。そこで語られる言葉が理路整然としたものであっても、ポロポロであっても、内的対話性というレベルは変わらない。それゆえ、田中の彷徨的エクリチュールは内的対話性の特殊形態であると私は考えるのである。
このテクストを終える前にもう一つ検討しておくべきであると思われる問題がある。それは田中のノンシャラン性と絶望との関係である。行軍や、赤痢、コレラといった伝染病感染という戦争体験は間違いなく田中の生き方を決定した。それは目的も持たずに知らない場所を彷徨することで、自らの生の証を探ろうとする姿勢を田中に植え付けた。だが、そうして得られたものは希望でも、絶望でもなく、ただ中空に浮遊する情けない自らの姿であった。田中の小説の主人公たちにヒーローは存在しないし、アンチ・ヒーローも存在しない。だらしなく、適当で、優柔不断で、気が弱く、それでいて好色な男ばかりだ。『赤鬼がでてくる芝居』の中に「異質なものとの連絡はユーモアでごまかすか、死で対決するしかない」という言葉があるが、田中は軍隊にはまったく同化できず、生来の不器用さによって上官から絶えず嫌がらせと制裁を受けていた。そんな初年兵である田中が、戦争によって得た生きるための術を示す言葉。田中はこの術を戦後も変わらずに持ち続けた。それゆえ、彼は真面目さに背を向け、ノンシャランに生き、絶望の手前に止まるために、絶えず彷徨していた。
だが絶望の手前にいることによって、彼は尚更重く、苦しい生を引き受けざるを得なくなる。『氷の時計』の中で田中は、「夕暮れが、一日のうちで、いちばんくらいかもしれない。夜には夜の、あきらめに似た落ち着きと、あかるさがあるが、夕暮れは、くらさを未来にもつために、はてしなく深まっていく夜のくらさが、そこに凝縮しているからだ」と述べている。夕暮れに対するこの解釈は田中の生きる姿勢と彼のエクリチュールに繋がっていないだろうか。田中のノンシャラン性の根本には絶望の手前にある猶予状態としての重苦しさがあるのではないだろうか。絶望にはもう行き場のないという結末しかないが、絶望の手前で生きることはシジフォス的に繰り返される刑罰ではないだろうか。そこには救いは存在しない。
繰り返される俗っぽく、平板で、卑しい姿。それは、ミラン・クンデラが「存在の耐えられない軽さ (insoutenable légèreté de l’être)」と述べたキッチュな様相であるように私には思われる。クンデラは『小説の精神』において、「キッチュな態度があり、キッチュな行為がある。キッチュな人間 (Kitsch-mensch) のキッチュへの欲求。それは、あばたをえくぼと化する虚偽の鏡を覗きこみ、そこに映る自分の姿を見てうっとりと満足感にひたりたいという欲求である」(金井裕他訳) と語っているが、キッチュに対するこの文を読んでいると、私は田中のテクストを思い起こしてしまう。絶望に到達できないゆえに、何度も何度も虚構の自分を見つめて、その醜い様相を美しいように感じてしまう愚かしさ、卑俗性。まさにそれはキッチュであり、ガラクタを集めることしかできなかった田中の生き方を感じてしまうからである。ポロポロに浸ることもできず、厳格なロジックによってエクリチュールを構築することもできず、ただグルグルと回りながら、ガラクタを拾い集め、積み上げていく。それでも、いつの間にか何かが出来あがり、それがテクストとなってしまう。だからこそ、それは遊びであり、それが絶えず繰り返されるゆえに彷徨となる (こうした田中の姿をヴァルター・ベンヤミンの姿と重ね合わせることも可能であろう)。クンデラは上記したテクストの中で、「反復、すなわち作曲の原理。繰り返し、すなわち音楽となった言葉。小説は、その内省的な個所では、できればときとして歌に変わって欲しいと私は思っている」とも語っている。田中の小説、彼の小説もこのような歌を目指していたのかもしれない。
ウラジミール・ジャンケレヴィッチは『死とはなにか』で、「(…) 死は「問題」であると同時に、「神秘」なのです」と述べ、「「問題」は、私の前、わたしたち [*ママ] の外に、大いなる明証性の光に照らし出されて透明化するものとして存在します。しかし、「神秘」の方は、私たちがその内部にいるものです」と述べている。田中は死の問題を論理的に解決できず、死の神秘の中に引き込まれてしまったのではないだろうか。行軍での死と向き合った体験はロジックで解決できるようなものではなかった。神秘は謎のままつきまとう。逃れようとして動き回っても。田中は『鮟鱇の足』中で、「言葉のない声、音のない声というものは、声のかげのようなものか」という言葉を書いているが、「音のない声」とは何だろうか。そのようなものは存在するのか。それこそ、それは神秘であり、それは声のかげというよりも死のかげ (多分、それは絶望の色をしている) ではないのか。そのかげを振り払おうと思いながらも、ピリオドを打ちたくないゆえに田中は彷徨し続けた。私にはそう思われる。田中自身もこう書いている。「(…) 神はおそろしい罰を用意した。それが、(…) 始めなく終わりない人生のフィルムの無限のからまわりなのだ」(『タイムマシンの罰』)と。それでもやはりフィナーレが訪れる。田中小実昌の人生と作品生産とのからまわりのドラマは2000年に終わりを告げた。
初出:宇波彰現代哲学研究所のブログから許可を得て転載
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