リハビリ日記Ⅴ 39 40
- 2023年 8月 12日
- カルチャー
- 阿部浪子
39 瀬沼夏葉の娘のこと
林先生の運転だった。リハビリ教室の送迎車が高塚町を走っていた。わが目に寺院の白い花々が飛びこんできた。何種類もの白い花たちは、夕ぐれどきの空にあざやかだった。キョウチクトウ、サルスベリなど。高い木々は、猛暑にめげずたっぷり花々をつけている。キョウチクトウは、何年ぶりに見ただろう。
あっ、こんな所に焼き芋屋さんがある。営業は午後4時までだという。
翌朝、セミの大合唱に目が覚める。なぜか気がおもい。眠れなかったようだ。そうか、昨日、リハビリ教室で女のけんかの続きがあった。〈あたしだけ、コケにされてる〉すずよさんは歩行の訓練中なのに叫んでいる。ある女性に送迎車の同乗を拒否されているという。
コケにする。母の時代には使われた言葉だ。しかし、あなたからそのような言葉を聞こうとは! すずよさんは毎回、若い女性理学療法士を独占している。それをどう思っているのか。こちらには順番が回ってこない。だれにも患部を回復させる権利がある。理学療法士のベッドでの施術はだれにも公平でなくてはならない。先生、患者の声なき声に耳を澄ましてください。見られている意識を持ってください。
改善されない、先生の不公平なやり方に、わたしは不信が募ってきた。彼女は口のじょうずな人。ごまかす。やり返す言葉もない。バカなことだ。
すずよさんは、生命保険会社に50年勤務していたと自慢する。年金も多額のようだ。しかし、長年の勤務で何かをすり減らしてきたのではないか。他者への思いやりに欠ける。金の稼ぎ方は体験したが、金よりも大切なものを学んでこなかったのかもしれない。
*
瀬沼夏葉はロシア文学の翻訳家だ。日本に初めてチェーホフを紹介した。1875(明治8)年から1915(大正4)年までの、39年の生涯を生きた。
辺見庸が4月20日付ブログのなかに「チェホフ『六号室』。瀬沼夏葉の翻訳!」と書いていた。夏葉の、中編小説の翻訳を評価しているようだ。
わたしは、取材ノートをさらに読みかえした。石川すずに会ったときのこと。ある日、すずの家をみしらぬ女性がおとずれる。電話機の掃除がしたいと。あなた日本人? いや、父はロシアの伯爵の子で、母は身分のない日本人で、ものかき、瀬沼夏葉です、と応える。すずはビックリ仰天。新聞記事がよみがえった。えっ、あなたが夏葉の子どもさんなの。そう言うや娘にしがみついたのだった。その人は金岡文代と名のった。
明治末年、夏葉はロシア人留学生と激しい恋に落ち1児をもうける。しかし1915年急性肺炎で他界。2歳の子をおき、母はどんな思いで旅立ったのだろう。
世話好きなすずは、文代を中目黒にたずねる。みすぼらしい家に住んでいた。
文代は来し方を話す。幸せな結婚ではなかった。妻子のいる男にだまされて妊娠。女児を出産。その子は長じてバーに勤め母を助けるが、がんを患い早世している。
男に裏切られ悲嘆にくれる日々だった、そのころ文代は朝鮮の留学生と出会う。かれにもたれかかるように結婚。しかし夫は働こうとしない。9人の子を出産する。夫は死亡。文代は子どもたちの援助で生活するのだった。
文代は、母、夏葉の奔放な生き方をどう思っていたろう。神学者の夫、小説家の尾崎紅葉、恋人のロシア男性。3人のよき影響をうけて志を成就した母、夏葉については、どう思っていたろう。
40 里村欣三夫人の老後
『全作家短編集・第21巻』をいただく。本間真琴さん、藤木由紗さん、陽羅義光さんなど、「全作家」同人21名の作品が掲載されていた。
題名に惹かれたのか。まず、西之園マリオさんの「死期の四季」をいっきに読んだ。医師から余命1年の宣告をうけた男性の、その後の内面、妹や友人などとの交流が描かれる。モチーフは深刻だが、テーマとの格闘が弱い。作者は題名の掛詞にこだわったのであろう。そのこだわりから解放されれば、テーマは絞られて明確になったはず。
「健康広場佐鳴台」に行く。きょうも暑くなりそう。あっ、深見先生だ。わがぼろ家の門まで迎えにきてくれた。先生の明るい声が青空につきぬける。送迎車を降りると、看護師の小澤先生が現れた。よろける手をとってくれる。いつも聡明な人だ。
和久田先生の準備体操。藤田先生の滑車運動を終えレッドコード運動。健康広場のメイン運動である。担当は水谷先生。戸塚先生は休日かな。どの先生の指導も心がゆきとどいている。わたしたちは椅子に腰かけて行なう。天井からぶら下がる2本のコードを手ににぎる。上半身を左右にダイナミックにうごかす。ふしぶしが鳴って小気味よい。
きょうまでリハビリ教室は1日も休んでいない。1人暮らしのわが安心の場所なのだ。介護職たちの働く姿は、たのもしい。サポートは肉体労働だ。責任もともなう。福祉、介護にたずさわる人たちの時給が、大幅に上がることをねがっている。
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雷がゴロゴロ鳴る。〈そうだ、雷子がいい〉父の里村欣三は、誕生した長女に命名する。〈いや、そりゃないよ〉「文藝戦線」の同人仲間が反対した。結局、夏子に落ちつく。
里村夫人の前川マスヱは気さくな人だった。わたしは、平林たい子の評伝を書くために取材している。昭和初期にかんする回想がおもしろかった。「文藝戦線」の同人たち、その周辺にいた人たちとの交流は続いていた。
その1人、越智まさ子。近くの分譲住宅に1人で住んでいた。前川は夏子の家族と持ち家に住んでいた。前川は越智の老後をみるつもりでいた。
越智は、斎藤茂吉の一番弟子を自認する歌人だ。「万葉集」の市民講座を担当。
前川は毎夜9時に越智の家に電話を入れる。手当てを2千円うけとっていた。
越智は郷土史研究家の男性と恋をしていた。〈あんた、結婚する気はないか。あれば世話するよ〉〈もういいわよ〉。里村は1945年、戦死していた。
2人の会話を想像すれば愉快だ。〈あっちゃんがテレビに出るよ〉あっちゃんとは、直木賞受賞作家の安西篤子のこと。越智の息子の恋人なのだ。
越智は未婚の母として1児をもうけていた。里子に出したが、里親が老人ホームで死亡後、実母に引きとられた。息子は小学校教員で、日教組でも活躍中だった。2人は越智の住まいをたずねては泊まっていく。〈あっちゃんは洗濯はするけど、掃除はねえ〉。
「女の学校」というテレビ番組に出演していた安西は、感じのいい人だった。
ところが、前川はついに我慢できなくなる。越智はおもしろいキャラクターだが、前川のまえでは自信たっぷりに知識を披露する。前川は見下されていると思いつづけてきた。
〈これ以上約束はまもれないわ〉〈どうしてだー〉越智は激怒するのだった。
老いて、女どうしの助け合いは有意義だ。しかし、お互いの心のうちを読むこともだいじだ。その思いやりがなくなれば、2人のよい関係は破綻するではないか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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