世界のノンフィクション秀作を読む(23) マリ・エレーヌ・カミユの『革命下のハバナ』(筑摩書房刊、真木嘉徳:訳)――キューバ革命大詰めの迫力ある目撃記(上)
- 2023年 9月 9日
- カルチャー
- 『革命下のハバナ』ノンフィクションマリ・エレーヌ・カミユ横田 喬
著者(1932~)は執筆時、新婚早々のフランスの新進ジャーナリスト。報道写真家の夫との蜜月旅行(1958年末)でハバナに赴く巡り合わせとなり、かのフィデル・カストロによるキューバ革命の大詰めに直面する。手記は自分の体験だけを記していて、生々しい現実感に満ちている。ハバナ入城直前のカストロに深夜インタビューに向かう件はスリル満点だ。
①革命の前夜
◇キューバ蜜月旅行 結婚後28日目、私と夫ダニエル・カミユはニューヨーク・ハバナ線の飛行機でキューバへ旅立ちました。情勢が急迫、飛行便は全部欠航になる恐れさえあったのです。米国はこの地に何百万ドルにも上る巨額の投資を行っていて、その政情の変化にやきもきしていました。数年前から一人の蒼白いインテリで頬髭を生やした男が、密林の中に根拠地を設定。多くの真面目な農民を組織し、「解放軍」を養っている、というのです。
◇享楽と背徳の都ハバナ ハバナ市近郊の飛行場には午前零時に着陸。辺り一面は一流カジノの広告イリュミネーションで目も眩むばかりです。曰く、世界えり抜きの美女による椰子の葉陰の夢幻的なショーに御招待いたします云々。遠くから見るハバナ市は、旧市街の上に巨大な摩天楼が林立し、ひどくモダンな都市に映る。午前一時、制服の運転手が運転するアメリカの車の列が続く。車内には夜会服の婦人と黒い背広の紳士。宝石。毛皮のショール。
友人の紹介による私たちが泊まるホテルは中級の古いホテルです。召し使いの一人一人に、旦那方はこれ見よがしにチップを渡す。「革命が進行している」図なんて、一体どこに!?
◇壁に耳あり 12月31日――大晦日、そして私たちの結婚月の終わりの日です。何しろ金持ち相手の国だから、物入りが大変。町の至る処に大衆食堂があり、人々は一杯五㌣のコーヒーを立ち飲みしている。この一見「アメリカ化」は非常に進んでいた。盛り場のレストランというレストランが「スナック」(軽食堂)であり、「セルフサービス店」で、内部の調度もアメリカ人の店にそっくりそのまま。多くのキューバ人は昼食に、ハンバーグと一緒にコカ・コーラを飲んでいる。街には至る処に栄養失調の子供を連れた女乞食がいて、しつこく五㌣貨幣をねだった。一部上流市民が「ハバナは世界一富裕。百万㌦長者がニューヨークと肩を並べる三千人もいる」と誇るこの都市に、恐るべき貧困が白昼公然と同居している。
ハバナ・テレビに勤める新聞記者兼映画人のラモンは「フィデルは3月までに入城し、キューバは今の圧制から解放される」と予告し、こうも言った。「キューバ人は全て心の底ではフィデル派です。国民は誰の目にも明らかな政府の腐敗紊乱に飽き飽きしている。そしてフィデルこそ、純粋な解放者だと見ている。が、実のところ、事態はさほど単純ではない。キューバには互いに全く隔離され、相交わることのない二つの世界が存在する。一方には農民、正直な小市民、労働者が集まる地帯がある。彼らは欲の深い政府から絞られるだけ絞られている。他方にはバチスタが享楽と背徳の都に仕上げたハバナ市がある。総人口六百万のうち、この市に百五十万が集まり、その生活環境は腐敗堕落の極。警察は密告を歓迎し、血に飢えたようにテロをほしいいままにしています」。
近い未来の(革命軍)大尉どのラモンはまた、言った。「バチスタ軍は藁人形です。僅か十二人で山に籠ったフィデルを始末できなかった。将校たちも成っちゃいない。官吏の地位もそうですが、軍隊の階級も金で手に入れたものばかり。兵隊たちも、指揮者たちの無能に呆れ返り、時至ればフィデル軍に寝返りを打つ腹だ。でなければ、流血は必至でしょう」
◇キャバレー・トロピカーナ 宵闇迫る街を私たちは、なお暫く歩いた。珈琲店という珈琲店に、酒場という酒場に必ず数台の「ジュークボックス」が設置されている。これは悪魔の器械の一種。カジノに出かけるわけにいかぬ慎ましい労働者が、五㌣銅貨を投入しては一攫千金を夢見るが、千金などは出てこぬ仕掛けになっているのだ。多くの労働者たちは、自分の家の敷居にしゃがみ込み、ボール紙の箱の中で骰子を振っている。それは貧しい人々の博打の時刻だった。街中至る処で人々は博打に浮身を窶している。これも、現大統領バチスタが世界中の遊び人を引き付け、そのドルをはたかせるために博打を奨励した結果と言える。
世界で最も豪華なホテル、「カプリ」「ハバナ・ヒルトン」「リビエラ」などは各々自前のカジノを持っていた。そこでは百万長者たちが、デラックスな雰囲気の中で自由に博打を楽しめる。ハバナのカジノで数時間を楽しむために、夜会服姿のアメリカ人を乗せた特別機が毎晩マイアミから飛んで来ている。その名も「ギャンブリン号」と言った。ラモンは別れ際に言った。「今夜は是非トロピカーナ(世界一と称されるキャバレー)に行ってらっしゃい。あそこはハバナ随一の豪華版だから」。私たちはその豪華版を覗いてみたが、散々でした。
◇バチスタ大統領、深夜の亡命 大晦日の夜の終わり、重大事件が勃発します。なんと現職大統領が家族全部と政府首脳を引き連れ、三台の特別機で「逃亡」したのだ。彼らは翌朝七時、サント・ドミンゴに到着、当地の権力者の許に身を寄せる。バチスタ逃亡のニュースはハバナ市民を茫然自失させた。若いならず者たち(黒人もいればキューバ人も)は早速、有料駐車場の料金箱を略奪したり、裕福そうな婦人などを襲って金品を強奪したりし始める。
略奪は段々激化し、商店のショーウィンドーを叩き壊し、中の品物まで盗り始める。大広場付近ではあちこちに小さなボヤが起こり、暴徒たちは豪邸の鉄の門扉を叩き壊し、手当たり次第に内部を破壊した。持ち出されたテーブルや椅子に火がつけられ、歓声が上がった。市内はたっぷり二時間の間、略奪者たちの手中にあった。警察も施すすべを知らないようだった。ホテルに引き返そうと私たちが車で国会議事堂を回ろうとした時、すぐ傍で機関銃の弾ける音がした。私は生まれて初めて命の危険を感じました。ダニエルは私を車の底に腹ばいにさせ、自分もかがみ込んだ。幸い突進してくる警察車のライフルは空に向けて射撃していて、私たちは命拾いをしました。機関銃の威嚇の下に略奪は止んだ。すると今度は自動車、古い人力車までが街を走り出した。どれもこれも青年たちで一杯。彼らは缶詰の空き缶を叩きながら、「フィーデル、カスートロ」「フィーデル、カスートロ」と連呼していました。
カストロは1953年7月26日、独裁者バチスタに対し公然と戦いを開始しました。ハバナに対しキューバ島のもう一つの端に位置するサンチャゴ・デ・クーバ市から。カストロは携帯機関銃を手に二百二十人の学生の同志らと兵営に侵入。が、軍隊の手でまもなく鎮圧~投獄される。幸いサンチャゴ大司教のとりなしで命拾いをし、懲役十五年の判決に。が、十九カ月後、同市のウルチア判事の弁護により特赦~釈放される。彼はメキシコへ亡命し、弟のラウルと共にキューバ解放運動を組織し、バチスタ政権に対し公然と反旗を翻します。
さてバチスタ逃亡後の警察は当初、フィデル党の歓喜の爆発に対し、怯むことなく対抗手段を取った。が、デモ隊を攻撃すれば内乱勃発は必至。警察は反乱軍のシンパではないにしろ、われ関せずの態度を持し「暴徒によるハバナ略奪を阻止する」ことにだけ重点を置いた。
ダニエルと私はホテルに戻り、部屋の窓から事の成り行きを追った。ニューヨーク支局長は「仮払いでの三百㌦送金」を約束。48時間以内での写真・記事のパリ到着を要請しました。
②栄光の日
◇カーキ色の救世主 革命第五日目。私たちはいつ見ても微笑んでいる、非の打ちどころのないヒゲの勇士たちの中で生活していた。彼らの宿舎はハバナで最も高級なホテルです。が、彼らは豪華な部屋の寝台に寝ることを嫌い、軍服を着て、銃を手にしたまま床の上に寝ている。肝心のフィデルはハバナへの「途上」にあり、その緩慢さに全世界が驚いていました。
彼の入城を前に、ハバナは大統領としてフィデルが指名したウルチアを迎えます。この人物は前サンチャゴ最高裁判事。廉直で衆望を集めていました。カストロにとっては恩人に当たります。彼がバチスタに抗して事を起こし死刑判決を受けた時、数人の同僚と協力し特赦に持って行ったのがウルチアだったから。しかし、人民大衆が待ち望んでいるのは、彼ウルチアが五年前、死刑から救った若い法律研究家(フィデルを指す)その人でした。
二台の戦車と約十名のヒゲの勇士たちが大統領官邸の警戒を担当。早朝から日没まで果てしない請願者の列が、官邸の扉を突破しようと試みた。各省とも人が溢れ、公務員たちは無能でした。どんな手続きもキューバ式の「モメント」(暫くお待ちを)で受け付けられ、確実に数時間は待たされる。ダニエルは怒鳴ったり、脅したりしたが、何の効き目もない。
フィデルは、いつまでたっても到着しない。ダニエルは「うまく行ったぞ。彼の処へ案内してくれる男を二人見つけた」と晴れ晴れした表情で言った。同時に二枚の委任状を手に入れたと言い、「サンチャゴとハバナの間のどこかに居る。行けば、会えるよ」と力説する。夜の八時でした。私たち用の二人の運転手は腕章付きの軍服を着用し、車の奥に小型機関銃と二挺の銃をしまい込む。車はクライスラーの高級仕様(前閣僚が遺棄したもの)でした。
この数日の革命騒ぎのどさくさに、三千台の自動車が盗難に遭ったとか。我々のもそうだが、大抵の車がナンバーを付けずに走っている。私たちは闇をついて出発。街頭警察の検問に遭い、経緯が知れ、彼らは「外国新聞記者」の代表としての我々に敬礼した。交差点ごとに前照灯を三回明滅させる合言葉を教えてくれ、以後は誰何を受けても停車せずに済んだ。
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