経産省前脱原発テント座り込み日誌9月21日版
- 2023年 9月 25日
- 時代をみる
- 木村 雅英
経産省前テントひろば、脱原発テント設置日(2011年9月11日)から1807日目(2016年8月21日)にテント強制撤去。2023年9月21日は、座り込み4,394目。これは、マハトマ・ガンディー「非暴力、不服従」の実践です。
◎ なかなか止まない雨に閉口した 9月15日 (金)
今日は出掛けに、天気予報で「ところによってはゲリラ豪雨になる」と聞いていたので、カッパと傘を用意した。事務所で準備しているとき、「大間集会の報告を誰に送るか」など、イロハの女性達が話していた。いつものように事務所を出て、途中で水を買い、経産省前に到着。
蒸し暑い中、セッティングを済ませ座り込む。何事もなく時間が流れて行く。ところが、午後1時30分を過ぎたころからポツリポツリと降りだした。初めの頃は、「恐らく夕立だから、1時間もすれば止むだろう」と高をくくっていたが、中々止まない。一時、小止みになったので、「これで止むだろう」と期待をしていたが、とんでもない。雷があちこちで鳴り響き、話しも聞こえないほどの降り方となった。後半のK.Mさんと電話相談の上、今日はこれで撤収することにした。まだK.Mさんは来ていないが、雨の中、撤収作業となった。荷物を一纏めにした頃、Nさんがやってきた。K.Mさんもやってきたので私達、前半のメンバーは帰途に着いた。 (S・S)
◎ 土砂降りの後の経産省抗議行動 9月15日(金)
虎ノ門駅を上がったら、激しい雨。薬局で傘を買って、事務所から雑巾を持ち出しても、お呼びでない。前半の方が、大雨の中でいつでも撤退出来る様に荷造り。後半座り込みは、人数分の椅子を出して座り込み。
それでも午後5時には雨が上がり抗議行動を開始。Hoさんが、老朽高浜2号再稼働と現地抗議行動の報告。Takさんが、岸田改造内閣には悪の大臣が残り、老人が多く、岸田政権維持のみを目的とした内閣で、特に統一教会に関係したまごうことない右翼が文科大臣でひどい。Saさんが汚染水海洋投棄をなぜ政権が強行するのか、六ケ所再処理施設からトリチウムを流したいからか、汚染魚が心配。K.Mから「処理水」=「汚染水」、英仏の再処理施設からの放射能汚染が北極圏氷床に記録されている、地球を汚してはいけない。
火炎瓶テツさんが、福島の廃炉が見えない、事故炉を通った汚染水を強調し、脱原発・核廃絶のアピールとコール。Moさんが「座り込め、ここへ」「水に流すな」を歌って、肉親の広島被ばく影響を伝え、汚染水海洋投棄を糾弾。K.Mから、911集会の動画案内、規制委抗議、子ども裁判、原発ゼロ再エネ百会議、細野豪志批判。Hiさんが、最高裁のひどい判決から三権分立の崩壊と元国民民主党を間際に離党した女性を入れた岸田組閣を嘆き、911集会を評価。Isさんが、請戸川河口テントひろばと吉沢さん(希望の牧場)を紹介し、現地にいくことを薦める。Ogさんから18日(月)代々木公園の「さようなら原発集会・デモ」、若い人たちも参加する集会の案内。TaさんとIsさんとずぶ濡れの備品をしまい、原発いらない金曜行動に駆けつける。(K.M)
◎ 何を食べて応援、愚劣なパフォマンス 9月16日 (土)
・食べて応援
報道陣の前で得意げに魚を貪る人達。何を食い物にするのやら。
・食べて勝つ
そう、確かに「腹が減っては」なのだが。縁起かつぎで、高校球児が試合前に食べるというステーキと豚カツというのがあるが、魚とは。関係なさそうですね。失礼しました。ギグもまた真なりということで。
・南相馬で子供たちとサーフィン。「時流に」ではなく「波に」乗りに行きました。信じろぉ。
(O・O)
◎ 9月17日(日)
私(M島)が12時に経産省に着くと、藤原節男さんと、自転車のE藤さんとS藤さんが、座り込みの設営中。E藤さんは、私(M島)と入れ替わるようにして帰る。3人で設営を終わらせる。横断幕6枚、のぼり旗8本を立てる。新しく増えた横断幕は、白地に墨書きで「処理水は汚染水!!汚染水放出やめろ!!」。K岡さんのお姉さんが筆をとったそうだ。S藤さんは12時半くらいに帰る。
12時頃は雲が多く、雨が降るかもと思っていたが、次第に晴れてきた。蒸し暑く汗が流れる。天気予報では、雨は降らない。国会周辺で行われているイットクフェスは貫徹するだろう。明日も晴れの予報。代々木公園の「さようなら原発」も賑わうだろう。
午後1時45分頃、文科省から歌が聞こえてきた。見ると人だかりがある。私(M島)は文科省まで見に行く。50人ほどが入口のひな壇でプラカードを掲げ、シュプレヒコールを上げる。神宮外苑の再開発に反対する市民グループだ。「反対!反対!」「意志を繋げよう」「イチョウを守ろう」しかし、なぜ抗議の相手が文科省なのか?…スマホ検索。再開発の事業者に、文科省が所管する日本スポーツ振興センターが加わっているからだそうだ。抗議行動は短時間で、午後2時には終了。
文科省前の喧騒と同じ頃、東京消防庁の職員3人が、近くの消火栓(環境省寄りの歩道上のマンホール)の点検を行った。遠目には「特攻服姿の右翼か」と勘違いしてしまう。
文科省前抗議行動を終えた女性(テントひろばにもよく来ているようだ)が来る。「これから、イットクフェスに聴衆として参加する」とのこと。ジャニーズの性被害について、「華やかな世界の裏であんな事があったとは心が痛む」と話した。また「イットクフェスは今年で終わりかも?」とも話す。コロナ等で収入が少ないためだそうだ。女性は、イットクフェスに向かう。
W辺さんが来る。「今日明日は乱鬼龍さんが福島浪江の請戸に行っている」とW辺さんは話した。請戸では、「希望の牧場」の吉沢さんが海辺にテントを張り、釣った魚の放射能を測定する活動を始めた。テントひろばも賛同、有志が週末に活動に参加している。
定時の午後3時で撤収。今日の座り込み参加者は累計7人でした。事務所に荷物を運んだ後、私もイットクフェスに向かう。フェスのラストでは、主催者から、カンパが集まったことから、来年分の開催が決定したことがアナウンスされた。(M島)
◎ 高齢化社会の実態にケアは対応しえていない 9月18日(月・祝)
きょうは代々木公園で「さよなら原発集会」が開かれるので、「経産省前での座り込み者は、我々担当者だけだろう」と思って、経産省前に行ったら、高級自転車のYaさんが既に来ていて、我々が来るのを待っていてくれた。代々木公園での「さよなら原発集会」のことは知らなかったようだ。そのことを言って「まだ間に合うから行ってみたら」と促したが、最後まで座り込んでくれた。
きょうも酷暑日。暑すぎて汗かきの私(保)にはきつかった。バナーなどをひと通り括り付けてからは、パラソルの下で氷水を飲み続けて凌いだ。入院しているMiさんから相棒のSaさんに今朝、電話があり、今年いっぱい入院する事になったそうだ。10日程前に入院先から私の所に電話してきたときは「この暑さで、食欲が無く過ごしていたら、ある日、急に歩けなくなり松葉杖を使ってやっと歩けている」ことを報告してくれたが、ひと月前までは、川崎から歩いて経産省前まで通っていたので、私(保)には何が何だか解らなかった。それで「この際、ゆっくり休んで悪いところは全部、治して下さい」と言ったが、回復するのに時間がかかるようだ。しかし、治療法が分かっているので安心している。みなさん、食欲が急に無くなってきたら要注意です。直ぐに病院へ行って診てもらって下さい。
きょうは世間的には「敬老の日」。新聞の一面には「80歳以上が人口の一割」という文字が大きく踊っている。しかし、その実態は一日三食のうち一食しか食べるものがなくて過ごしている人が少なからず存在するということである。私が関わっている医療生協でも、月に一度、フードバンクをやっているが、いつも100~120名が利用している。缶詰・カレーなどはそれなりに渡せているが、残りの半月は食べていないということである。財政上、主食であるお米は2.5㎏しか渡せていない。去年、地元の国会議員を通じて農林省に余っている備蓄米を請求したら一回しか来なかった。なぜ一回しかダメなのか回答がない!
軍備費43兆円あれば民が餓える事はなくなり、岸田の支持率も上がるのに!
アメリカのポチでやっと首相の座を死守しているような岸田の耳には、何を言っても届かないだろうが。岸田政権打倒!(保)
◎ パレスチナ問題の講演会などの話を 9月19日(火)
午前11時前に事務所に汗をかきながら到着し、ゆっくりと、持ち出す荷物を階段下に下ろして、手押しのカートに積み込む。暫く部屋で涼んでいるところに、後半担当のAさんがやって来た。一瞬、暫く休んでいたYさんが現れたのかと思ったが、違った。
二人でカートを交代で押して経産省前に着き、二人で椅子を並べて幟旗や横幕をセットした。椅子に腰かけて休憩していると、今度はYさんから電話があり、「午後3時頃に事務所に行く」という。裁判所では、登院せずに国会議員を辞めた「ガーシー」さんの刑事裁判が、午後に行われるという。抽選に外れて傍聴できずに経産省前にやってきた男性から、その話を聞かされた。
今月の30日に板垣雄三氏が講師となって「パレスチナ問題」の現状を語る研究会が、府中の東京農工大学で予定されている。今日は、イスラエル占領地で抑圧され続けているパレスチナ人たちの闘いを考えながら、私(EO)は事前学習の読書に耽っていた。いまの日本は福島原発事故の汚染水を海洋放出して近隣諸国から非難を浴びても、なお、それを止めない時代だ。午後3時前に一旦、事務所に戻ってYさんと話をしてから再度、経産省前に戻ってWさんらと3人で撤収する。(EO)
◎「処理水と言っているのは日本だけ」だ 9月20日(水)
蒸し蒸ししたが薄日、もしくは曇りの日だった。ヨーカンさんが規制庁抗議から回ってくる。お弁当を食べて、座り込みの人と対話をして帰られた。道行く人、経産省から出てくる人に向かって、単発的にだが「処理水は汚染水です」「処理水と言っているのは日本だけです」「処理された汚染水と言っています」などと大声で言った。今回も、こちらを見てうなずく人が何人かいた。また、おばあさんが立ち止まってバナーなどをみて、そしてカンパをしてくださった。
今日は「ウクライナ戦争論」という安斎育郎さん(元立命館大学教授)の本が話題になる。そこにいた4人が読んでいた。いいことだ。(T・I)
◎ 色々の裁判がある。傍聴帰りに寄られる人も 9月21日(木)
小雨の中、Yoさん、Inさんと3人で設営作業。Yoさんが18日の代々木公園の集会で「上関町中間貯蔵施設建設中止を求める署名」の署名用紙を入手してきてくださったので、早速、署名する。
3人でひとしきり、先週汚染水放出抗議のために徒歩で来京した李さんの事を話し合う。Yoさんは李さんの行動を日本のメディアがほとんど取り上げないのを不満に思い、取り上げてほしいと「東京新聞」に電話したという。大事な取組みだ。13:30にOk妹さんが加わった。映画「福田村事件」を観て来たという。私も観たので2人で感想を話し合う。いくつか引っかかる場面もあるが、「重い歴史的事実を真摯に伝える映画だ」という点では一致した。
14:30にSuさん、Taさんが加わる。15:00に高裁での傍聴を終えたWaさんが立ち寄った。Waさんは、「勤務していた運送会社で搾取と虐待に遭った女性の民事裁判を支援しているのだが、一審で勝っていたのに、今日の高裁で二審判決があり、敗訴してしまった」とショックを受けていた。
終了間際になって大雨が降り出した。Suさん、Taさんと3人で撤収作業。濡れたノボリや横断幕を事務所一杯に拡げて干し、任務完了した。(M.U)
========投稿========= 半端な暑さでないこの夏の闘いから (三上治)
「暑さにも、寒さにも負けず」という言葉が自然に口にのぼるが、それにしても、この夏な暑さは半端な暑さではなかった。人々に記憶に残る暑さだったのだが、政府は8月24日に汚染水の海洋放出をはじめたし、その闘いも熱かった。暑い夏に熱い闘いなんて、乱鬼龍さんの川柳句会で飛び交う言葉のようだが、熱い闘いにしたかったという僕らの願望のようなことかも知れなかった。実際のところ、僕らはそれを期待したのだが、どちらかと言えば、むしろクールな闘いだったというべきかもしれない。「政府の用意周到な汚染水対応と報道統制が働いているのでは」と疑わせるような、メディアの対応もあって、汚染水放出に対する抗議の声は盛り上がらず、散発に終わったという印象がぬぐえないのだ。
これには、それなりの理由があるのだと思う。先に述べたように政府の用意周到な準備やメディアの対応もあるが、放射能汚染水の放出の危険性の認識が難しいということもある。原爆や原発事故で発生する放射能の危険性の認識は広くいきわたっている。放射能(線)の外部被曝については、その認識も広められ、人々の意識として高まっている。だが、残留し、蓄積された放射能が食物連鎖のような形で取り込まれ、内部被曝を招き、それが健康障害に結果することはあまり認識されていない。この疑惑は、それなりに広まってはいるが、それは解明が難しいこと、政府や体制(原発企業)側から、それを無視する、軽視する対応が続けられてきたからだ。正確には政府や企業(原発企業)などの立場を代弁するICRPやIAEAなどによって残留放射能による内部被曝が無視されたり、隠蔽されたりしてきたからだ。今回の汚染水放出にIAEAが安全宣言をだし、政府がそれにお墨付きを得たかのように振る舞ったのは、そのためだ。
汚染水放出に対して、政府の宣伝に多くの人が疑問を持ちつつも、それに乗せられている状態には、こうした背景がある。このような事態の中で僕らに要請されているのは、放射能汚染水の危険性について、その認識を高め広めることで、その放出をやめさせるために、これまでの闘いを変えなければならないということである。(誤解のないようにいえば、従来のような闘いが不要ということでない。何か別の闘いが加えられなければいけないということだ)。それは汚染水の海洋放出に反対する方向性というか、それが明確なる闘いを創出していかなければならないということだ。
原爆投下や原発事故はそれがもたらす放射能被曝(外部被曝)によって、放射能の危険性を人々に知らしめる。だから、この危険についての意識、反応を認識に高め広めて原爆や原発の廃棄に発展させていく道が考えられる。汚染水放水は射能を残留させ環境を汚染する。そのことで内部被曝を招くが、この危険性については外部被曝の時のような放射能の危険を感じさせない。直接性として。だから、想像力によってよってその認識を獲得しなければならない面がある。汚染水の放水は放射能を蓄積させ、「水俣湾化」を招くというように。これは科学的推論(疑惑の進化)によって得ることであり、放射能の危険の認識をひろめることは、啓蒙運動のような形にならざるを得ないところがある。しかし、これを啓蒙運動のように知識として広め高めていくということだけでは不十分というか、不足もある。ここは汚染水放出に対する闘いの難しさでもある。
想像力を持って獲得した放射能の危険性、これは未来の視線(像)であるが、これを僕らは現実意識、あるいはその喚起になるような運動を考えなければならないのだ。「水俣湾化」するという未来像が現実に進行していることして人々に知らせる行動(運動)がいる。それは放水が進められて汚染度が進む状態を調査し、情報として人々に知らせていくことだ。政府や企業も調査をするだろう。しかし彼らが事実を情報として出すとは思えない。権力や企業に対する不信がある。ここには権力企業の所業というより、彼等の原発事故対して取ってきた態度、その経験がある。彼らの残留放射能や内部被曝についての対応は科学的であったことはない。その不信が僕には強くある。
僕らが想像力で獲得した未来の視線(像)を現実として喚起させる運動。そのことによって放射能の危険の認識を高め、広めていくことは、これまでの脱原発や反原発運動、あるいは反核運動ではなかったことではない。そういえるだろう。
だが、そこが自覚的で意識的あったかといえばそうではない。事故を契機に起こった運動とは違う形の運動を創出し、切り開いていくことは可能である。
この間、浪江での行動(現地行動)によって僕らが見出しつつあるのは、汚染水放出反対運動の方向性である。蓄積される残留放射能の危険性の認識を高め、広めることがその基本的なことだが、そのためには僕らが何をしたらいいのか、どうしたらいいのかの道が見えてきた。その可能性があると思える道が見えてきた、というところだろうか。従来の運動のように事故などを契機に急速に盛り上がり、それをどのように持続化していくかではなく、汚染水反対運動は、最初はしょぼくても時間の中で、末広がりのようになっていくものと思う。そうならなければならないが、その可能性は十二分ある。考え方が大事なのだ。全共闘運動と似ているともいえるのだが、そこには運動的な工夫や知恵がいる。そこに気づき始めたということだろう。暑い夏の闘いは、暑い闘いだったが、熱い闘いになる端緒は見出したのではないだろうか。10月26日(土)・27日(日)には浪江の請戸川河口での集会も予定されている。
=====添付資料=====
原発週報2023. 9.13-9.19 編集:漆原牧久
=========デモ、集会==========
・9月29日(金)経産省前抗議集会(毎週金曜日) 17時~18時
・9月30日(土)東海村JCO臨界事故を忘れない 追悼と抗議 10時~11時 経産省別館前
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5116:230925〕
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