関東軍軍馬防疫廠100部隊の追加情報が寄せられました!
- 2023年 10月 2日
- 時代をみる
- 加藤哲郎細菌戦関東軍軍馬防疫廠
● 9月の更新で、<関東軍軍馬防疫廠「100の会」の情報をお寄せください!>と本サイトの読者の皆様によびかけましたが、その数日後に、情報が寄せられました。ただし、本サイトのよびかけに応えたというよりは、前回紹介した、関東軍軍馬防疫廠=100部隊旧隊員の遺言執行者と称する匿名の情報提供の、第二信でした。「旧隊員から遺言を託され」「機会があれば世の中に発表してほしい」といわれていた発信者は、隣人であった元隊員は「温厚、博識、かくしゃくとした紳士」で「戦争は絶対にしてはならない」とも遺言したとのことでした。その元隊員の第一信で驚いたのは、「100の会会員名簿 関東軍軍馬防疫廠<通称満州第100部隊>および関係部隊の在隊者・関係者名簿 平成7年5月末日現在」という「100の会」名簿の表紙コピーで、100部隊の関係者は、戦後も30年以上経った1977年以降、「100の会」という隊友会をつくり、18回以上も年に一度の会合を持ち、1995年段階では生存者497名、物故者179名、戦死者9名、計685名・生死不明372名という旧隊員名簿を作っていたことでした。
● 今回送られてきた第二信によると、1945年8月敗戦時のソ連侵攻、新京(長春)からの撤退時に、細菌戦を直接担当した山口本治第二部六科長・若松有次郎部隊長ら幹部とその家族の第一陣約50人は素早く日本に帰国でき、第三陣の保阪安太郎中佐他一般隊員約700名は実験施設・建物等証拠品を爆破した後、京城経由で遅れて帰国できたが、第二陣として、ほとんどが女性・子どもであった一般隊員家族の一団500名は、北朝鮮の定州でソ連軍に捕まり、性奴隷や幼児の栄養失調死で大変な被害を受けたという100部隊隊員の帰国事情が綴られていました。その第二陣を救い、なんとか引揚させるために、1946年1月には家族を残してきた一般隊員中心の「第100部隊家族援護会」が作られたとのことです。この「家族援護会」が、第一信で1977年に作られたという「100の会」の前身であったようです。
● しかし、『紫陽』という仲間内の会誌を含む第二信の新資料を読むと、どうやら遺言を残した元隊員は、スムーズに帰国できた第一陣の幹部クラスではなく、第三陣の一般隊員だったようです。そして、多くの一般隊員の妻やこどもを含む家族が第二陣に入っていて、北朝鮮に取り残され、女性が強姦されたり幼子が栄養失調で亡くなったりしたようです。「100部隊家族援護会」は、妻子を北朝鮮・定州に残して帰国した一般隊員の、家族をとりもどすための組織で、第一陣で帰国し名目上は代表者になった若松有次郎隊長や、家族とともに早期に帰国した幹部隊員たちへの不平不満や恨み辛みを内包したものだったようです。細菌戦・人体実験に関わったというばかりでなく、旧満蒙開拓団やシベリア抑留者たちの組織に似て、軍隊内部の上下関係や占領軍への態度で分かれた内部矛盾を抱えた隊友会であったようです。そして、私と小河孝教授の共著『731部隊と100部隊』で明らかにした敗戦直後の米国占領軍に対する100部隊人体実験の内部告発者二人は、今回の遺言を残した旧隊員と同様に、北朝鮮で妻とこどもを亡くした若手の一般隊員であり被害者だったようです。
● この資料を遺言で遺した旧隊員は、第二陣の家族を失っていました。GHQの捜査のきっかけとなった若い二人の隊員による(家族と共に第一陣で素早く帰国できた)山口本治・若松隊長等への「内部告発」は、中国大陸で人体実験・細菌戦を強制された悲憤慷慨(「良心の呵責による内部告発」)によるというよりも、家族を捕虜として奪われ喪った帰国時の幹部たちへの私怨によるものではないか、といいたいようです。確かに、第1信でも今度の第2信でも、「家族援護会」「100の会」の中核にいたと思われる旧隊員遺言者の記録中には、人体実験の犠牲になった中国人・ロシア人被害者への謝罪や悔恨の言葉はみられません。自分たちの家族を見捨てた幹部たちへの告発・弾劾はあっても、侵略戦争への反省は乏しいのです。
● 旧隊員の遺言資料によれば、1949年ハバロフスク細菌戦裁判の被告で100部隊隊員であった三友一男が著した歴史的証言『細菌戦の罪』(泰流社、1987年)には、森村誠一『悪魔の飽食』ベストセラーで危うくなった「100の会」としての自己防衛が含まれていたようです。三友一男には、著書の原型となった自伝草稿『青春如春水』及び「紫陽」という旧陸軍獣医部同窓会誌に掲載された文章があり、どうも100部隊細菌戦の中核であった2部6科長・山口本治の「検閲」の手が入り、『青春如春水』には入っていた三友の「人体実験」という草稿の一節が、単行本『細菌戦の罪』ではまるごと削除されたらしいことが示唆されています。また、陸軍中野学校から100部隊に送り込まれた井田清という人物が重要な役割を果たしており、その人脈が、戦後は土居明夫の大陸問題研究所につながったらしいことも、見えてきました。 戦後80年たって、ようやくつながった、日本軍国主義の獣医による細菌戦とインテリジェンスの結びつきです。
● 現実政治の方は、悲惨です。岸田首相の内閣改造は、予想通り、無残な結果に終わったようです。内閣支持率は回復どころか、横ばいか下がったかたち、5人の女性閣僚を目玉にしたつもりが、次々に政治資金や事務所・秘書、家族・親族のスキャンダルが噴出です。党の選挙用広告塔にするはずだった「ドリル小渕」も同様で、政策実行どころか、まずは弁明・釈明で大忙し。9月の国連総会での演説は、あまりの空席の多さで、NHKも議場撮影は断念、核廃絶でも東アジア緊張緩和でもなすすべなしだったようです。なによりも、物価高が続き、1ドル=150円の円安です。ここ数年注目されてきたジェンダー・ギャップや報道の自由度ばかりでなく、あらゆる経済指標でこの国の劣化・二流国化が進んでいます。アメリカ大統領選挙では、高齢の民主・共和両候補が、自動車労組のストライキ支持を競っています。ストライキがなくなった日本では、賃金も雇用も保守政権任せで、労組の代表が政権参加や首相官邸にすり寄る始末です。
● 若者たちが、留学ばかりでなく海外に仕事を求めて帰国せず、文化崩壊を恐れて入り口を規制してきた外国人労働者が、気がつけば日本経済に希望を見いだせず来てくれない状況に入っています。世界の若者にとって、働く場としての魅力が、なくなっているのです。かつて、1980年代のイギリスで、A・ギャンブルの『イギリス衰退100年史』が書かれ、バブル絶頂期の日本でも広く読まれました(みすず書房、1987年)。いまこそ「喪われた30年」を明治以来の「開国」「近代化」過程から真摯に見直す、「日本衰退200年史」が必要です。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5119:231002〕
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