橋川文三が引いた補助線を追う
- 2023年 10月 7日
- 評論・紹介・意見
- 川端秀夫橋川文三
■補助線その1 日本浪曼派
二十歳の秋に橋川文三の『日本浪曼派批判序説』を読んだ。翌春に橋川文三ゼミに入室した私は、ゼミで取り上げる最初のテキストにこの書物を所望した。
「最初のテキストは何であるべきか。橋川文三の他の本は自分で読めば全部わかる。しかし『批判序説』だけは自分だけで読んでも分からない謎の部分が残る。この不可思議をそのままにしておいて橋川文三ゼミは始められない。『批判序説』に関する認識を共有することから我々はスタートしなければならない」。
私は当時このような演説をぶった。いまから考えると気恥ずかしい発言ではある。しかしこれが二十歳の驕りと真摯さというものであろう。反省すべき点は何もない。このような経緯で翌週に先生自身に『批判序説』について語ってもらえることになった。
話の内容は、終戦直後から、編集者生活を経て、『批判序説』を同人誌に掲載するまでの生活史が主であった。橋川さんは編集者生活の中から丸山真男に出会う。丸山真男からカール・シュミットの『政治的ロマン主義』の原書を借り、ドイツ語の辞書を友人から借りて訳しながら、「これで日本浪曼派について何か書けると思った」と橋川さんは述べられた。
当時橋川さんは、結核を病んで、病院で療養中であり、職もなく、生活は窮迫を極めていた。「本は生活費のために売ったので、自分の本は一冊も持っていなかった」との発言には驚愕した。これほどの学者が三十代半ばを過ぎて自分の本が一冊もない生活を想像するのは難しかった。しかし、そのような環境の中で書かれた書物であるということを知って、『批判序説』の謎の一端が垣間見えたのは確かである。
まこと興味深い話であるが、一回切りの約束の『批判序説』講義のゼミの終了時間は刻々と迫ってきている。本文には入らないのだろうか。それはそれでもいいと思った瞬間、先生はゼミ生に用意してきた『批判序説』の「あとがき」を開くよう指示された。そして以下の部分を読んで下さった。
「そのようなものとしての日本ロマン派は、私たちにまず何を表象させるのか? 私の体験に限っていえば、それは、
命の、全けむ人は、畳菰、平群の山の
隠白檮が葉を、鬘華に挿せ、その子
というパセティックな感情の追憶にほかならない。それは、私たちが、ひたすらに「死」を思った時代の感情として、そのまま日本ロマン派のイメージを要約している。私の個人的な追懐でいえば、昭和十八年秋「学徒出陣」の臨時徴兵検査のために中国の郷里に帰る途中、奈良から法隆寺へ、それから平群の田舎道を生駒へと抜けたとき、私はただ、平群という名のひびきと、その地の「くまがし」のおもかげに心をひかれたのであった。ともあれ、そのような情緒的感動の発源地が、当時、私たちの多くにとって、日本ロマン派の名で呼ばれたのである」(橋川文三『日本浪曼派批判序説』)
橋川さんは、日本武尊の歌を板書され、若干の語句の注釈を施された。歌の解釈はされなかった。しかし我々はその時、電撃のように一瞬の内にことごとくを理解したのだった。日本武尊とはだれなのか、日本浪曼派とは何か、そして『批判序説』とはどのような書物であるのかを。すべてを見通す詩人にして学者である人がその日その時そこにいた。それが橋川文三であった。
■補助線その2 ルソーの声
学生時代に橋川文三の外書購読の講義でエルンスト・カッシラーの『ジャン=ジャック・ルソー問題』を学んだのがきっかけとなり、以来折りに触れルソーを読んできたが、ルソーの思想の核心が何であるかは、同じ橋川文三の次の洞察に尽きると今の私は考えている。
「J・J・ルソーについては、いわゆる「ルソー問題」とよばれるものがあるが、この問題はヨーロッパにおいて消えることのない謎といってよい。つまり、ルソーは崇拝者と嫌悪者とにわかれている。その一例として「ヒュームとルッソー」の場合をあげることでよい。この二人ははじめ尊敬しあいながら、一年と少しで悪魔よばわりするようになった。わが国では山崎正一、串田孫一の本が『ルソーとヒュームーー悪魔と裏切者』として出版されているのはその証拠である。四年前、フランスにおいてルソーとヴォルテールの死後二百年祭が行われたが、それはヴォルテール賛美の気配が濃かったという。これは一言でいうとルソーの自然賛美とヴォルテールの人工賛美との対抗であろうが、また西郷の「敬天愛人」と当時一般的であった「文明開化」との対比でもある」(橋川文三『西郷隆盛紀行』「あとがきに代えて」より)
ここで橋川文三は、ルソーの史的評価の難しさと西郷の史的評価の難しさを、パラレルなものと考える視点を提示している。これは、青年時代以来「実在」を追い求めてきた果てに晩期橋川文三が到達した究極の洞察である。
山崎正一と串田孫一の『悪魔と裏切者』は、ルソーのヒューム宛一七六六年七月十日の手紙を中心に、ルソーとヒュームの大喧嘩の経緯と背景を周到に再現する書物であり、ここで読者はルソーという人物の人格の複雑さ・不可解さ・理不尽さをまのあたりに見せつけられて途方にくれるのだが、それはまた遠い時代の大思想家を自分の身近に引き寄せることができる稀有の経験でもあるのだ。『悪魔と裏切者』は、ひとことで言って、ルソーを現代日本に甦らせる力を備えた衝撃的な名著である。
ルソーは、オペラ『村の占い師』の王宮での上演によって、パリの社交界で一躍名声を得た。貴婦人達は「素晴らしいこと。うっとりしますわ。どの声も心に語りかけてくるんですもの」とささやき合い、国王自身にしてからが、この作品に熱狂し、王国一のはずれた声で、「私はしもべを失った。幸せをすべて失った」と、一日中歌い続けたのであった。このエピソードは『告白』第八巻に紹介されている。
急転直下、『エミール』と『社会契約論』の発刊によって、ルソーは、全ヨーロッパのエスタブリッシュメントから石持て追われる逃亡者の身に落ち入ってしまった。
「こうして私は、いまや自分自身のほかに兄弟も、近しい者も、友も、つき合う相手もなく、この地上にひとりきりになった」(ルソー全集・第二巻『孤独な散歩者の夢想』冒頭)
けれども全世界から隔絶された存在となったルソーの声は、すべての孤立する知識人と民衆の耳元にまで熱く届いた。ルソーの声は、その声に耳を傾けるすべての人の理性と感情を根本から揺り動かす。ルソーの声は、まず西欧のアンシャン・レジームを薙ぎ倒した。そしてルソーの声は、世紀を越えて、二十一世紀の日本にまで鳴り響こうとしている。 遂に、ルソーの声は、その時と処を得たのである。
■補線その3 西郷隆盛の「敬天愛人」
橋川文三が、「私はキリストの連想という妙なことがらに興味を持つ」と書いたのは、最晩年の著作『西郷隆盛紀行』の「あとがきに代えて」の中においてのことであった。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
(新共同訳『聖書』「マタイによる福音書」、日本聖書教会)
この「マタイによる福音書」二二章三六節~四〇節が自由に翻案されて、中村敬宇(正直)の次のような文章を生んだ。
「天は我を生じる者にして乃ち我父なり。人は我と同じく天の生じるところとなし、乃ち我兄弟なり。天はそれ敬せざざるべけんや、人はそれ愛せざるべけんや」。
西郷隆盛のもっとも愛した言葉「敬天愛人」は、中村敬宇が明治元年に唱えた「敬天愛人説」からきていたのだ。
こういった経緯を私は、橋川文三の『西郷隆盛紀行』から学んだのであるが、 西郷隆盛は「敬天愛人」の思想を実践することにより、敬虔なキリスト者としての生涯をまっとうしたということもできるのである。橋川文三に触発されて、私がキリストの連想という妙なことがらに興味を持つようになったのも、まったくこの関連からである。
ところで、橋川文三の西郷隆盛への関心は、竹内好の論文「日本のアジア主義」の中の、次のような認識と相関している。
「こうなるとアジア主義の問題は、一八八〇年代の状況や一八九〇年代の状況においてだけ考えるのでは不十分で、もっと古く征韓論争にまでさかのぼる必要が出てくるかもしれない。言いかえると、西郷の史的評価ということである。」
「西郷が反革命なのではなくて、逆に西郷を追放した明治政府が反革命に転化していた。この考え方は、昭和の右翼が考え出したのではなくて、明治のナショナリズムの中から芽生えたものである。それを左翼が継承しなかったために、右翼に継承されただけである。」
「西郷を反革命と見るか、永久革命のシンボルと見るかは、容易に片付かぬ議論のある問題だろう。しかし、この問題と相関的でなくてはアジア主義は定義しがたい。」
(竹内好「日本のアジア主義」筑摩書房『アジア主義』解題)
坂本龍馬は、かって勝海舟に対し、「西郷といふ奴は、わからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だらう」と述べたことがある。
ドストエフスキーは、キリストをモデルに『白痴』という小説を書いたが、この白痴の主人公ムイシュキン公爵もまた、「もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口」であるようなキャラクターとして造型されている。
西郷隆盛の「敬天愛人」の思想が、アジア主義と相関しているだけではなく、キリスト教神学とも相関していることは、われわれが竹内好と橋川文三から継承した最も重要な思想的遺産である。
われわれの思想的位置を、私はこのように考える。
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