ドイツ紙Tageszeitungが、アイヌ人歌手を紹介!
- 2023年 10月 9日
- 評論・紹介・意見
- アイヌ人歌手安東ウメ子野上俊明釧路
<まえおき>
日本のマスメディアでもなかなか取り上げられることのない、アイヌ文化。ドイツのメディアが、安東ウメ子というアイヌ歌謡の優れた歌い手を丁寧に紹介していることに驚いた。民族としての誇りを維持するために不可欠なのは、言語と文化である。そのことを肝に銘じていればこそ、ドイツの左派系メディアが、日本人批判の意味も込めて紹介記事を載せたのかもしれない。
なるほど日本でもようやくであるが、2019年にアイヌ民族の尊厳を守り、差別や権利の侵害を禁じる「アイヌ施策推進法」が成立した。それを背景にして、在日コリアンやアイヌ人への差別的侮辱的な発言をした自民党の杉田水脈衆院議員に対して、札幌法務局が、彼女の発言が人権侵害に当たるとして、是正措置をとった。ところがこの措置の直後、それに挑戦するかのように、自民党はレイシストたる杉田議員を環境部会長代理という要職につけたのである。故安倍元首相を中軸とする極右勢力の離反防止と、彼女が、民族差別、人権蹂躙という汚れ役を臆せず引き受けていることに対する論功行賞といっていい。自民党主流が、日本国を構成する民族の多様性を認めず、単一民族国家という神話にいぜんとしてすがりついていることの証左であろう。
筆者の故郷である釧路郊外の春採湖周辺には、「チャランケシャシ(談合砦)」や「モシリヤチャシ(砦跡)」といった国指定の史跡があり、おそらくアイヌ人たちがその周辺には居住していた―あるいは今もーと思われる。小学校の頃は、先生からアイヌ遺跡について若干教わった記憶があるし、小学校5年生の国語の教科書には、アイヌの口伝叙事詩であるユーカラ研究の泰斗・金田一京助の樺太におけるアイヌ語採取のための紀行文が載っていた。また柏鵬時代と重なるが、郷土の人気力士「明歩谷」は、阿寒のアイヌコタン出身であった。このように本州の日本人に比べれば、アイヌ民族への関心は少しはあったといえるが、しかし郷里の釧路でも人々の集団記憶からは年々薄れていっているのではなかろうか。その意味で、ドイツ紙の取り上げには敬意を表したい。(以下の文章は機械翻訳を用いているが、用語についてはかなり修正した)
歌手・安東ウメ子:牧歌的雰囲気
――2004 年に亡くなった日本人歌手の安東ウメ子は、少数民族であるアイヌの遺産を音楽のなかに表現したが、いま再発見されつつある。
安東ウメ子(右) 写真:狩野央樹 伝統楽器ムックリを演奏
アイヌは、日本の北海道に先住する民族集団の名前であり、以前はロシアの千島列島にも住んでいたが、現在は死に絶えている。長い間、文字を持たず口伝でしか伝統を伝えられないアイヌ民族は抑圧されてきた。最近まで日本は単一民族国家であるという教義に従っていたため、彼らは同化への大きな圧力にさらされていたのである。 2008年にようやく国会がアイヌ民族を独自の文化を有する独立した先住民族として初めて認める決議を可決したが、しかしこれによって差別がなくなったわけではない。現在アイヌ語を話せるのは、公式にアイヌと名乗る数少ない人々だけである。そして、彼らの文化を保存するための努力は、多くの人が不十分だと感じているものの、少しずつだが実を結びつつある。しかし、アイヌの民謡歌手、安東ウメ子のセカンド・アルバム『ウポポサンケ』(2000年)からは、こうした抑圧とそこから生ずる拒絶の物語はまったく感じられない。ありがたいことに、電子ラベルのPingipungから再リリースされたばかりである。遊び心に溢れ、暖かく風通しの良い彼女の音楽では、このアーティストは、おのれの文化に完全に溶け込んでいるようにみえる。安東の時にマントラのような歌唱は、彼らの音楽の伝統と調和している。彼女の音楽活動が自分の地域外で認められるようになったのは、人生のかなり後半になってからである。当時絶賛され、すでに2018年に再発売されたデビューアルバム『イフンケ』(2000年)がリリースされたとき、彼女はすでに68歳であった。
このファースト・アルバムでは、何よりも彼女の繊細で、同時に特異な歌唱に焦点が当てられていた。 一方、続く「ウポポサンケ」―このタイトルは「歌を歌おう」という意味―は、高揚感と同時に深くリラックスしたジャム・セッション(即興演奏)のような雰囲気を持っている。2000 年の夏に農場でトラクターの騒音がない休憩中に録音された。3 年後に初めてリリースされたこの曲は、きらめく夏らしく牧歌的な雰囲気を持っている。素晴らしく印象的なオープニングの「チョラックン」は、呼・応パターンでシーンを設定し、ダンスへの誘いを表している。安東はライナーノーツの中で、レコーディングの様子といくつかの作品の歴史を回想している。 「多くのアイヌ人が集まると、特に他の地域のリズムも楽しみます」 微妙にグルーヴ感のある曲「イウタ ウポッポ」では、喉の歌が突然忍び寄ってきて、中央アジアにトリップしたような気分にさせられる。「ウポポサンケ』は、ループ、チャント、特異なインストゥルメンタルが満載の家庭的なアルバムだ。キューバのバタ太鼓も使用されており、これについて安東はライナーノーツで「アイヌ音楽の本質は即興と変化だ」と明かしている。・・・(中略)
ハミングしながら踊る
安東をサポートするのは、女性ヴォーカル・グループのマレウレウ、パーカッショニスト、そして前述のヴォーカリストだ。彼女たちはのどを使うだけでなく、リズミカルでアクセントのあるシャウトも披露する。それらは、あたかもすべてがひとつの鋳型から鋳造されたかのように聞こえる、多層的な音の世界である。彼らは、鼻歌を歌うように歌うだけでなく、陽気なダンスも披露するー驚くべきバランス感覚である。このアルバムのサウンドの中心となっているのは、アイヌの伝統的な弦楽器であるトンコリを演奏する加納 沖だ。レコーディングの1年前、彼はセカンド・アルバム『ハンカプイ』(1999年)に安東ウメ子を参加させ、彼女をより多くの聴衆に知らしめることに貢献した。
加納の伝記は、66歳の彼が大人になってからアイヌの祖先について知ったという点で、典型的である。 アメリカの映画界で数年働いた後、帰国した彼にトンコリをくれた人がいた。彼は伝統的な楽器の演奏を独学で学び、それ以来、伝統的なアイヌの音と彼の他の好みを折衷的な方法で組み合せた。例えばダブやレゲエだ。彼のオキ・ダブ・アイヌ・バンドはポップな魅力に溢れ、世界中のフェスティバルのステージに立つ。しかし、安東ウメ子のセカンド・アルバムへの彼の貢献は、ソロ作品よりもはるかに伝統的に聞こえる。 2004年、『ウポポサンケ』発表の翌年、安東はガンで亡くなった。彼女のセカンド・アルバムは遺産となり、抑圧されたアイヌ文化にとっても画期的なものとなった。
原題:Japanische Sängerin Umeko Ando:Bukolische Anmutung
https://taz.de/Japanische-Saengerin-Umeko-Ando/!5962952/
★音楽はウポポ・サンケ= https://www.youtube.com/watch?v=IYqp2llzBis
イフンケ=https://www.youtube.com/watch?v=tDwvp66ChaM ぜひお聞きあれ!
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion13289:231009〕
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