「雨の神宮外苑」(NHKTV2000年制作)について書いた後、知って驚くことばかり(2)~「内閣調査室」のこと
- 2023年 10月 18日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子雨の神宮外苑
- 「文学者の政治的発言」(社会風潮調査資料10)昭和三十七年(1962年)
- 「社会風潮としてみた流行歌―歌謡曲を中心とした思潮の変遷」(1966年)(社会風潮調査資料37)昭和四十一年三月
1952年、内閣官房に「内閣調査室」を立ち上げた時からのメンバー、志垣民郎については、以下の当ブログ過去記事でも紹介した。志垣が、最晩年に出版した『内閣調査室秘録―戦後思想を動かした男』(志垣民郎著 岸俊光編 文春新書 2019年7月)を読むことができた。
「雨の神宮外苑」(NHKTV2000年制作)について書いた後、知って驚くことばかり~「わだつみ会」のこと (8月31日)
同書には、どういう人物とどこで、情報交換していたのか、<研究費>と称して、手渡した金額などが日誌風に記録されている。彼らが接触するのは、たいていは高級レストランらしい。<接待費>も<研究費>も、もちろん国費で、もとはといえば税金だったわけである。私が、初めて知ったのは、鶴見俊輔とも接触があって、『共同研究 転向』上中下(平凡社 1959年1月、1960年2月、1962年4月)へ資料提供をしていたことであった。「金は手渡さなかった」との記述にほっとしたのであったが。また、さまざまな研究者の名前と手渡した金額が明記されていた。その中で、私が新卒で2年ほど勤務していた学習院大学の先生たちの名も登場する。アメリカ帰りの行動科学専攻の先生の研究室には、巨大な「電気計算機」なるものが設置されていたのだが、その後の1960年台の後半、その先生から、150万円を要求された志垣は、そんな大金には応じられないとの記述もあった。
断捨離のさなか、紙が悪いのだろう、茶色くなった冊子が2冊出てきた。表紙にはなんと「内閣官房内閣調査室」のゴム印が押されていた。かつて勤務していた図書館には、納本される新刊書からレファレンスブックを選書する日があって、棚の片隅に、処分されそうな何冊もの副本の中から、レファレンスの事務用にと部屋に持ち帰ったのだろう。退職の時の私物に紛れ込んでしまったのかもしれない。
今回、あらためて読んでみた。①には、さまざまな文学者の名前や団体名が登場し、思想的な色分けをした上で、若干の解説が付されている。B5版の80頁ほどで、タイプ印刷のようにも見える。 巻末に参考文献も示されているが、当時としても、おそらく、あたらしい事実もないし、分析もそっけなく、内調のオファーに応じたかのような、かなり、偏向した内容でもあり、大学生の卒論くらいにしか思えなかった。②も同様に70頁ほどの冊子だが、この内容も、既刊の関係文献をなぞった程度で、巻末の「昭和の主な歌謡年表」も粗末なものである。この冊子が出されていた頃、私も、流行歌、歌謡曲には、けっこう興味を持っていて、関連の書物は何冊か今も持っている。②と対極にあるのは、「赤旗日曜版」の連載をまとめた高橋磌一『流行歌でつづる日本の現代史』(音楽評論社 1966年8月)だろうか。少し後に出された、作詞家4人による『日本流行歌史』(古茂田信男・島田芳文・矢澤保・横沢千秋著 社会思想社 1970年9月)は、歴史編・歌詞編・年表篇とに分かれ、巻末には、歌い出し・曲名・主要人名事項の索引がついている557頁もの労作である。さらに下って、『歌謡曲大全集1-5』(全音楽譜出版社 1981年)まで購入している。歌は歌でも、短歌ではなくて歌謡曲にも興味津々であった。さらに下って、戦時下の歌謡曲については、櫻本富雄『歌と戦争』(アテネ書房 2005年3月)と先の『日本流行歌史』は、調べる本として、いまでも利用している。後者は、発行が1970年だが、1964年創業のジャニーズ事務所は登場せず、言及は渡辺プロダクション止まりであった。
話はいろいろに飛んでいったが、借りた福間良明『「戦争体験」の戦後史』(中公新書 2009年3月)が、まだ読み切れていない。
北側のキンモクセイがいい香り漂わせていた。物置に邪魔されたキンモクセイはまだらしい。
初出:「内野光子のブログ」2023.10.17より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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