阪神・淡路大震災は大自然からの警告
- 2011年 8月 28日
- 交流の広場
- とら猫イーチ阪神・淡路大震災
阪神・淡路大震災の折に、私の縁者は、一家全滅になるところでした。 地震の第一撃に耐えた家屋から何とか全員が脱出出来たのは、私の忠告により、一家の住まう家屋が建つ傾斜地の地盤改良工事が終わった後に地震に襲われたからです。
私の縁者一家は、ある官舎に住んでいたのですが、その官舎は六甲山系の傾斜地に立地していました。 一家を訪問した私が、雨天時に傾斜地から大量の雨水とともに土砂が流失しているのを目撃し、周辺を調査した結果、傾斜地には相当の空隙が出来ていることを察知し、一家に、地盤硬化剤の注入を管理責任者に申し出ることを強く勧めたことがあったのです。 当時、私は、ある官庁の開発指導部門に勤務し、たまたま管内の山系の調査等に携わったことがあったことから専門知識もあったのです。 要望を受けた管理者においては、すぐさま地盤硬化剤を数日間かけて注入されました。 そのお陰で、大震災に数日耐え、一家は脱出出来たのです。 尤も、その傾斜地は、地震後数日後に完全に崩壊しましたが。
六甲山系は、殆どが砂地であり宅地開発には慎重にならなければならない土質であるにも関わらず、急激な開発により宅地になった個所が多く、大震災では、新規開発の宅地に住まう家族が全員亡くなった不幸な事例もありました。 今思えば、偶々一家を訪問した折に、思い切って忠告したのは本当に良かったと思います。
この事例では、官庁勤務の公務員向けの官舎でさえ、安全性に疑問のある土地に建築し地震で崩壊したのです。 想定外の地震によるものでしょうが。 想定外の阪神・淡路大震災では、崩落しない筈の阪神高速道路が落ちたり、神戸の市民病院が立地する埋め立て地の橋梁が打撃を受けて通行不能になったり、想定外の事態が頻出しました。 火災の鎮火活動も防災用の用水が不備のために、多くの地域で消防署員は消火が不可能になり、現場で歯軋りをしました。
思い返せば、阪神・淡路大震災は、日本と日本人に対する、大自然からの最後の警告であったのかもしれません。 崩壊する筈の無い土地、建築物、等々でさえ地震により一瞬で悲劇が襲う結果になる、との警告を真摯に受け止め「想定外」を言いわけにすることを止めて大自然の猛威に備える必要があると信じます。 たった一人の知識と経験が、一家の命を救うことも出来るのです。 巨大な政府と行政機構が国民のために本気になれば、出来ないことは何も無い筈でしょう。
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