言霊降臨
- 2023年 11月 22日
- カルチャー
- 川端秀夫
僕がまだ大学一年生の時のことである。戦友との同窓会のために上京した父は、次のメモを残して帰っていった。
「今日靖国神社の社頭に祈念して、大東亜戦争で散華した二六〇万の青年・壮年の英霊に対して涙にくれた。其人達の中には何十万という高校大学の学徒出陣の人達もいる。彼等は決して日本の軍部にだまされたのでも無く、資本家の犠牲になったのでもない。唯一路、父のため母のため兄弟のため郷土のため日本民族のため何等迷うことなく青春多感の命を捧げたのである。一路勉学に励まれんことを家族一同願っている」
言霊が発せられたのである。霊魂の波動が伝わってくるような気がする。父の言葉は、時を超えていまなお僕の魂を揺るがせ続けている。これは大事な言葉だから記録しておこうと考え、日記帳に書き写してあった。その日記帳からもう一度書き起こしてみたのだが、これはほんとうに名文である。小林秀雄にもこれほどの名文はなかったと思うのだが、言い過ぎだろうか。
これは僕がまだ小学生の頃の話。僕の田舎は日本海側の大きな海水浴場がある町で、家は土産物店を営んでいた。子供の頃から夏になると店の手伝いをした。ある日のこと、いつものように家族総出で店でおみやげものを売っていた。いつも器用な弟が、たまたまその時にあまり上手に包装できず、お客さんから包み直してほしいと要求されてしまった。誰も手を出さなかったが、お客さんが待っているので母が包み直した。お客も帰り、みんな奥に戻ったのだが、弟の怒ること、怒ること。母に殴りかかる。止めに入ったのだが、弟の興奮は納まらない。まだ母を殴り続けようとしている。その時だった。母もついに怒った。そして、「すな!」と叫んだ。そうだ、そんなことをするな。「やめとけ!」と僕も叫んで、なおも殴ろうとする弟を止めていた。ところが、次の母の一言で、僕は立ちすくんでしまった。
「やめとけ! 叩かしてやれ」と母は叫んだのだった。母が怒ったのは、弟にではなく、止めようとする僕たち兄弟に対してだったのだ。僕は、不思議な声を聞いた思いで、思考が混乱し、金縛りにあったようになってしまった。母が叩かれる光景をただ見守る以外になすすべもない。ところが、母に何度も突進した弟は、勢いあまって、大きな音を立てて転倒しまった。怪我はないか、みんな心配して駆け寄ったのだが、一番心配して声をかけたのはもちろん母。弟は気がそがれたのか、それで騒動は収まってしまった。男ばかりの四人兄弟で、この弟がいまでは一番の親孝行者。
それにしても、「すな! やめとけ! 叩かしてやれ」、小学生高学年の頃、母から聞いたあの言葉。あれもまた僕にとっては全身を貫いた言霊であった。戦争が終わって七十八年。父は先祖代々の墓の中で眠っている。母は96才までの長寿に恵まれた。
戦場から帰還した兵士とその妻から生まれた男児がここにいる。彼は何者か。今後どんな人生を歩むのだろう。彼は今日ドストエフスキーの『賭博者』を再読したばかりだ。数日前にはミハイル・バフチンの『ドストエフスキーの詩学』を再読している。彼はドストエフスキーに倣って最後の言葉を準備でもしているのか。
この惑星の、ある一点で、ひとつの不思議な力が育ちつつあるのではあるまいか。父と母から伝授された力を使って、彼は人類に向けて、新たな言霊を発しようとしているのではないだろうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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