コタツ記事vsクラブ(提灯)記事
- 2023年 12月 26日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
のっけからこう言ってしまうと実も蓋もないが、現地に赴いて調査したわけでもなければ、取材したものでもないということからすれば、下記は巷でいう「コタツ記事」もどきの雑文ということになる。
ひと月ほど前になるが、Webでニュースを漁っていたとき「コタツ記事」という言葉を見つけた。コタツと記事がどこでどうつながるのかと思って、「コタツ記事」と入力してググってみた。上手いことを云うものだと感心しながらも、他人ごととも思えない。どうにも後ろめたいが、時間が経つにつれて、でもという気持のほうが強くなってきた。
インターネットのおかげで、ちょっとしたことなら、ググれば大体以上のことがわかる時代になった。ググった結果は下記の通り。
Googleがまとめてすっとだしてきたのは、
「名前の由来として、炬燵(こたつ)の中で、取材の手間を省いてラクに書かれるという意味合いが込められています。 この言葉は、デジタルガジェット論評を手掛けるジャーナリスト、本田雅一氏が2010年頃に提唱したもので、今では広く使われています」
ウィキペディアはもうちょっと詳しい。
「コタツ記事(コタツきじ)は、ジャーナリスト、ライターが現地に赴いて調査を行ったり取材対象者に直接取材したりすることなく、インターネットのウェブサイト、ブログ、掲示板、SNS、テレビ番組などのメディアで知り得た情報のみを基に作成される記事である」
デジタル大辞泉においては「炬燵記事」の項目で「独自の調査や取材を行わず、テレビ番組やSNS上の情報などのみで構成される記事」と定義づけられている。SNSで取材先を探し、取材者から聞いた「個人的意見」の話の「裏取り」をせず、聞いた内容をそのまま記事にするケースも増えている。
「コタツ記事 後ろめたさありつつも」がコタツ記事に対する賛否両論というのか功罪を指摘している。urlは下記の通り。
https://www.shinmai.co.jp/feature/ayashiitv/2022/06/post-107.html#:~:text=%E3%82%B3%E3%82%BF%E3%83%84%E8%A8%98%E4%BA%8B%E3%80%82,%E6%8B%BE%E3%81%84%E4%B8%8A%E3%81%92%E3%81%A6%E8%B6%B3%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%80%82
取材も調査せずに、すでに公表されている話題から気になるところを引っ張って来てとなれば、公表した組織や人から忌嫌われそうだが、なかには公表したことや公表した組織や人や番組の宣伝になるからとプラスにとらえる人たちもいる。その通りだと思う一方で、「現地に出かけて直接取材、調査した」ことから書き起こされた記事が今の日本にどれほどあるのかと問いもせずに、「コタツ記事」云々というのは如何にも日本のマスコミの言い分にしか聞こえない。
自称他称に関わらずジャーナリストでございます、マスメディアでございますという組織や人たちに「コタツ記事」を蔑視する権利があるとは思えない。もしあると思っているとしたら、誤解というより驕りだろう。
全国紙を自認した新聞の記事に振り回されたことも一度や二度じゃない。その道三十年以上にもなる取締役が新聞記事を真に受けてひと騒ぎなんてことはいつものことだった。いい歳をして経済新聞や産業新聞の内情に気がつかない上司を説得するのに裏付けとなる情報を探すほどバカバカしい仕事はない。
目にした記事からの話しで恐縮だが、新聞やテレビで禄を食んでいるジャーナリストのほとんどは、一般的な上っ面のことを言葉として知っているだけで、言葉が何を意味しているのか、なぜそんな情報を出してきたのかという社会的、経済的、技術的、ときには特許がらみの情報戦などということを想像することはめったにないんじゃないかと思っている。
ちょっと想像してみればいい。新聞記事やテレビのニュースのどれが、独自の取材、独自の分析体制をもってして書かれたものなのか?もしそんな体制が敷けているのなら、なぜ「記者クラブ」なんてものが存在するのか。
記者クラブで配布された資料と聞いた話から、ときにはプレスリリースを端折って文字数を合せただけの記事すらあるだろう。書いてあること――記事の内容のあっちとこっちの辻褄が合わないから電話して聞いたら、「書いてあることが全てです」と偉そうに断言されたこともある。安芸高田市のYouTubeに出てくる中国新聞となにもかわりゃしない。
コタツ記事を見下すまえに、「常に現地に赴き、取材をして得られた情報の裏をとってから」記事を書いたらどうだ。一見立派な記事や社説も裏を返せば、どこかの誰かの都合や思惑が絡んでいそうなこともある。コタツ記事どころか、どうみても提灯記事としか思えないものまで出しておいて、なにがジャーナリズムだ、なにがマスコミだと言ったらいいすぎか?
提灯記事と入力してググったら、下記がでてきた。
「提灯記事とは、記事の内容が特定の組織などに対して有利になるよう意図して書かれた、好ましくない内容の記事を揶揄した言葉。 有力者に媚びへつらう人を『提灯持ち』と呼ぶことから、転じて同じような意味を持つ記事を『提灯記事』と呼ぶようになった」
日常生活で見聞きするニュースは、そのニュースをださなければならなかった人や組織が誰なのか、そしてその人たちの状況をうかがい知るきっかけをつかむまでの価値しかないと思っている。
何を知っているわけでもない巷の一読者、視聴者の理解でしかないが、一度ProPublicaの記事を読んでみたらいい。ジャーナリストのありようを体現している。機械翻訳の性能もよくなって、英語から日本語へなら十分使える。英語だからという言い訳はもう通用しない。
ProPublica ? Investigative Journalism and News in the Public …
https://www.propublica.org
2023/11/5 初稿
2023/12/27 改版
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion13458:231226〕
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