くらしを見つめる会つーしん No.229から 2023年12月発行
- 2024年 1月 4日
- 交流の広場
- 村山起久子
どうする 家 !
我が家の向いの家2軒が空き家になって久しい。数年前その1軒に買い手がついたが、産廃業者ということが分かり、近隣住民との話し合いで買い手は去り、空き家のままだ。屋根は抜け落ち、今や小動物の住み家と化している。さてもう一方の家は最近買い手がつき、放置されていた家財の本格的な廃棄が始まった。数台のトラックと人がやってきて作業をしている。いわゆる古民家で敷地も広く、作業は日が暮れるまで続いたが一日では終わりそうにない。次の日も業者はやってきた。次の日も、次の日も。結局1週間以上作業は続いた。分別の手間もあり、大変な労力と廃棄物の量と高額の経費だ。もし、これが取り壊しだったらと思うと、日増しに「どうする 家!」と我が家の末路が心配になる。
空き家問題は、間違いなく我が家の問題になる。しかし、初めて家を建てた頃の若かりし夫婦に50年後の家のイメージはなかった。核家族があたりまえで、マイホームを持つことが目標だった時代。その家は何世代にもわたって住み続けることを想定した家ではなく、1世代の家族が住むための家。そんな家が、駅周辺や郊外の開発地にどんどん建てられた。再生可能な資材を使った100年住宅ではなく、再生不可能資材を使ったせいぜい寿命は50年住宅が大半だ。そんな家々の、埋め立てるしかないゴミ大量廃棄時期がもうすぐやってくる。我が家も30年を超え、メンテナンスなしには住めなくなってきているから、廃棄の日はそう遠くない。そして今も、50年住宅?は増え続けている。50年後にはその1軒1軒も廃棄物となるのだ。家を建てる時に、最後は大型ゴミになることを想定した計画的な制度はあっただろうか?大型家電や車には廃棄のルールがあるが、果たして超・超・大型ゴミの家はどうする!しかも家主が亡くなったり高齢で余力もなくなったりした時に、家の廃棄がやってくるのだ。高額な廃棄料を果たしてこの1軒1軒が支払えるのだろうか?厳しい自己責任ルールだけでは、不法廃棄と放置の山になるのは目に見えている。
先日身内の死を看取りながら、終わりを考えることは、人の一生にとって大事なことだと感じたが、建築物も終わりが大事ではないか?終わり方を考えておくことが、個人レベルだけでなく公的レベルで必要なのではと思う。
そう言えば、ゆうに50年を過ぎてもう寿命だというのに、終わりをイメージできず延命させている原発や、溶け落ちたデブリを1回で耳かき1さじしか取り出せない事故原発などは、終わりは次の世代にという無責任さだ。また毎日のニュースで、戦闘によるがれきの山と戦争の終わりが見えずにおびえる子ども達の映像を見るにつけ、終わり方を考えるということが大人の責任のように感じられるこの頃である。(アマノ 若)
……10月例会にて 略……
♪こんな本いかが?
「人は家畜になっても生きる道を選ぶのか」
森田洋之著 南日本ヘルスリサーチラボ
新型コロナウイルス騒動で、私たちの暮らしは激変。コロナ感染への恐怖から日常生活は制約され、人と人とのつながりは断たれた。人の死亡率は100%。毎年、肺炎で10万人程度、1万人ほどがインフルエンザで、2~3万人が自殺で死んでいる(コロナによる死者はそれより少ない)。感染恐怖に怯えゼロリスクを求め、人とも会わず生き長らえることが幸せか、と医者である著者は問う。そして、医療の限界を知ることも大切と。日本の医療は公立病院より私立病院が多く競争原理で必然的に医療が過剰になる。県ごとの病院数に比例して医療費は高くなるのに寿命は変わらないというデータの意味するものは何か。高度医療を崇拝し、病院というブラックボックスにお任せする日本の文化。患者の体を拘束して管をつなぎ「安全に」医療を続けるのでなく、その人の「今」の幸せのため患者の意思を尊重する共生社会へ、との提言に共感する。コロナ騒動を機に、自分はどう生きたいか。生・老・病・死について考え、誰かの指示を待って従う(コントロールされる)のでなく周りの人と共に「自分で」考え、今を楽しんで暮らしたい。恐怖が煽られ、様々な自由を奪われたコロナ騒動とは何だったのかと考えさせられる。
≪編集後記≫
旅行どころでないという人も多い中、辺野古基地や南西諸島軍事化の問題でがんばっている友人もいるのに、単に観光でというのは気が引けますが、老いも目前、行きたいところに行こう!と、沖縄・渡嘉敷島に出かけました。渡嘉敷島へは那覇・泊港からフェリーで1時間強。前日・前々日は海が荒れ欠航だったというので、海のご機嫌が悪ければ旅の計画はボツになってしまいます。宿での昼食は私たちが乗ったフェリーに積まれた食材で作られた沖縄そば。2日間の欠航で食材が入らなかったので少し時間がかかるとのことでした。いつでも必要なものが手に入るわけでない島の暮らし。沖縄本島も綺麗ですが、渡嘉敷島を含む慶良間諸島の海は慶良間ブルーと言われ、それはそれは綺麗な青い海。本土では見られない海の美しさは透明度の高さとどこまでも続くサンゴ礁、輝く太陽が照らす自然のハーモニー。青い海はいつまで見ていても飽きません。夜になると満天の星。渡嘉敷島は光が少なく、雲や月の影響が無くなった夜中1時半、今までに見たことの無い、空にはこんなにたくさんの星があるのかと思えるほどの星を天の川も含め見ることができ感激でした。改めて「光害」を考えさせられます。さて、この渡嘉敷島では戦時集団自決で島民の半数近くの命が奪われたそうです。南西諸島の軍事化が進められている今、こんなにのどかで美しい島でも空自が通知なく訓練をしたとか。渡嘉敷村にある前島は戦時、日本軍の上陸を拒んだことで米軍からの攻撃を免れたことで知られます。人の命や暮らし、美しい海や豊かな生態系を破壊しての軍事化を何としても止めなければと強く思った旅でした。(きくこ)
★次回例会 2月19日(月)午前10時~12時 ガレリア3階にて
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