ドイツ通信第205号 2023年10月7日~8日の週末から今日まで
- 2024年 2月 10日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
テーマに取り上げている週末から既に3か月以上が過ぎてしまいました。この間に起きた事態は、しかしこの週末とは決してかけ離れた世界の出来事なのではなく、むしろその延長上にあることがわかります。何が、どこで交錯しているのかが一目瞭然になったということでしょう。
年末から新年にかけ農民(農家)のトラックターによるアウト・バーン占拠も含んだ全国的な集会とデモがあり、この動きはまた、ドイツに限らず他のEU諸国、例えばフランスへも広がりを見せています。それに合わせるように、先週の週末1月20~21日にはベルリン、ミュンヘン、フランクフルトなどの大都市部といわず、地方の中小の町々でも〈反ナチ・反AfD〉の集会とデモが、警察発表で91万人(注)の結集によって実現され、現在も休みなく引き続き取り組まれています。
そして1月24日(水)から29日(月)までドイツ鉄道の5日間ストライキが加わり、現在、市民の移動及び経済と商品の流通がストップしています。「ワイマール時代」から「ナチ支配」が再現されようとしているのか――議論はこの点をめぐります。
(注)情報を収集していくと、どうしても100万人以上の計算になると思われるのですが。現在、集計方法もめぐり公然と議論されています。
ドイツの現状は、「Nie Wieder Jetzt!」のスローガンに明らかです。現在の課題と問題は、ここにすべてが言い表わされていると思われるのです。
「同じ過ちを二度と繰り返さない!」ためにドイツは戦後あらゆる分野での努力と取り組みをすすめてきました。そして今(Jetzt)こそ、それがどういう意味を持っていたのか深い歴史的な自省から、現実的に何をなさねばならないのか?――を各自に問い詰められています。
さて、2023年10月8日はバイエルンとヘッセン両州の議会選挙でした。通常、私たちは投票を午前中に済ませるのが習わしになっていましたが、カッセル「市民賞」授賞式に参加した後、午後3時前後でしたか、投票に向かいました。人出はまばらで、緊張感がなかったような印象を持ちました。
SPD-緑の党-FDP、所謂「信号連立」政権への支持率の低下のみならず、同時に政権への不信感、怒り、混乱、批判、怒号等々が社会全般に噴出してきていた時期だけに、投票場へ向かう市民の足が重くなっているのが想像できました。友人たちの間でも、政治議論がもり上がりません。重苦しい雰囲気になります。現状の向かう先が読めなくなっているのです。
どこまで政権三党が得票数を減らし、逆にどの野党が得票数を伸ばすのか? これが事前の焦点でした。
結果は両州とも、CDU と極右派AfDが勝利し、政権与党の三党は大打撃を受けることになりました。(注)
(注)両州の選挙結果 ( )内は前回2018年の選挙
バイエルン:CDU37.0%(37.2)、Freie Waehler15.8(11.6)、AfD14.6(10.2)
緑の党14.4(17.6)、SPD8.4(9.7)、FDP3.0(5.1)
ヘッセン:CDU34.7%(27.0)、AfD18.5(13.2)、Freue Waehler(自由選挙民)
3.5(3.0)緑の党14.8(19.8)、SPD15.1(19.8)、FDP5.0(7.4)、左翼党3.1(6.3)
ベルリン市議会選挙に見られた傾向が、ここでも確認されることです。その底流にあるドイツ社会に何が起こっているのか――というのが今回のテーマです。それによって現在のデモ、ストライキの意味が理解できると思うのです。
バイエルン州では2018年の選挙を前後して、緑の党よりグリーンなCSU!を強調することによって、将来はCSUと緑の党のバイエルンだけではなく、連邦での連立政権の可能性キャンペーンが張られていました。しかし、「信号連立」政権が成立して以降、〈反緑の党〉に旗幟をひるがえすことになり、緑の党バッシングはエスカレートし、徹底していきます。それと同時にCSUからは環境・気象保護への掛け声が小さくなっていきました。
CSUの戦略は、実のところSPDとの大連立に取って代わる緑の党との州および連邦での政権を目指したアドバルーンだったといえるのです。もっとも、北ドイツの海洋風力発電のバイエルン州への高架ケーブルの引き込みに反対してきたのはCSUでした。
CSUの連立相手は、残すところ再度の「自由選挙民」(Freie Waehler)となります。しかし、選挙運動期間中にポピュリズムの発言が目立っていたこの党の代表アイヴァンガー(Hubert Aiwanger、州経済大臣)が1988年のギムナジウム(日本の高校)時代に、鞄に極右主義、反ユダヤ主義を訴えるビラを所持していたことが発覚し、大きなスキャンダルとなり、辞任要求の声が高まります。最後は彼の兄がビラの執筆者であることを名乗り出ますが、スキャンダルによる選挙戦への危機感を深める党内外からの圧力を受け、彼はユダヤ市民そしてホロコーストの歴史責任に対する謝罪を表明しました。
しかし、何一つ事の本質は明らかにされていません。
80年代というのは、再びドイツで反ユダヤ主義が台頭してくる時代です。そこでのビラの持つ意味が、今日のユダヤ市民に対する憎悪、差別、襲撃そして暴力を扇動し、誘引してきたことは、現在、もう一度捉え返されてしかるべきだと思うのですが、政党及び支持者の間では、「青少年の過失」(注)として事態の収拾が図られます。
(注)Jugendsuende–Deutschlandfunk Kultur 03.09.2023
CSU代表(Markus Soeder、州首相)は、25点からなる質問状を提出します。彼はアイヴァンガーからの回答は「すべてに満足するものではない」としながら、しかし連立相手に変わりないことを確認しました。
その結果が、選挙の得票率に現れています。極右主義と反ユダヤ主義がこうしてサロン化され、極右派・AfDの活動、支持基盤が広げられていきました。彼らに対抗する「防火壁」」(Brandmauer)が党略の下で取り払われてきてしまっているのです。
次にヘッセン州の選挙結果が示しているのは、過去10 年のCDU?緑の党連立に終止符が打たれ、州としては歴史上始めてのCDU主導下でSPD連立(大連立)政権が成立するいうことになります。CDU-緑の党連立は、過去、スキャンダルも表立った政治対立もなく平穏に政権運営が続けられて来たように思われるのです。従って、大半の予想として連立継続が見込まれていました。
しかし、前回と比べて投票場に向かう若い人たちの姿をほとんど見かけなかった背景には、20歳前後の若い年齢層が緑の党への政治魅力を失くしていたことが考えられます。特に環境問題――アウトバートン建設、空港(拡張と騒音)問題では緑の党はCDUに屈し、また他の領域では独自のプロフィールを鮮明にできなかったからでしょう。
他方でCDUから聞こえてくるのは、政権運営にまつわる合意を取り付ける際の緑の党との極めてハードで厳しい交渉過程への苦情です。
妥協を積み重ねてきた「城内平和」政権が、あとに残したのはストレスの塊で、それが自分と共に社会変革を望む市民への失望を招く結果となりました。こうしてCDUが保守票を固めながら、他方で緑の党とSPDは社会・環境派から見放され、既成政党に反発する勢力を生み出しAfDへの投票に導いたと考えられることです。CDUはそれによって、〈反緑の党〉の流れに舵を切る形となりました。
SPDサイドから今回の連立を見れば、単に党派の存在を示し、少数派政党に転落しフランスの社会党のように消滅してしまわないための布石を打つことでした。
ここで連邦に目を向けると、CDU/CSUを筆頭に「信号連立」に向けられる批判の意味が検討されなければなりません。
まず、統計から世論の動向を見てみます。
ZDF(ドイツ第二公共放送局)に世論調査プログラム――Politbarometer(政治・バロメーター)があり、21時45分の定時ニュースの中で定期的に放映されています。その2024年2月2日付の各政党の支持率は以下のようになります。
SPD:15%(前回2024年1月2日比+2)、CDU/CSU:31(±0)、 緑の党:13(?1)、
FDP:4(±0)、 AfD:19(?3) 、左翼党:3(?1)、そして左翼党から分裂したBSW(あとで詳しく触れます):6(+2)
あくまで一つの目安です。同じく政府への満足度では、ARD(ドイツ第一公共放送局)の22時15分の定時ニュースで放映される世論調査プログラム――DeutschlandTrend(ドイツの傾向)によれば、
2023年12月7日現在で、全く満足しない45%(前回比+5)、少し満足する37(+1)、満足する16(?6)、十分満足する1(±0)
となり、選挙民の50%近くが「総選挙」を望んでいるといわれます。市民の支持基盤を失くした「信号連立」政権は、丁度任期の半分を経過したところで、今後どこまで持ちこたえられるのかが一つの焦点となります。こうして野党と極右派・AfDは、反政府批判を強めます。しかし、CDU/CSUの政権能力への疑問符もつけられるところから、難民―コロナ―(ウクライナ戦争による)エネルギー―インフレ―貧富格差拡大への不満、反対票は、この間の経過が示すように極右派・AfDに流れることになりました。
しかし、保守派の牙城を自認するCDU/CSUにしてみれば、その勢いが燎原の火とならないようAfDに対抗する「防火壁」(Brandmauer)を築くことが必要となります。問題は、保守化路線の強調が実際にはより以上の右傾化を示し、結果的にAfD――燎原の火に油を注ぐ形となってきました。これが、極右派・AfDのサロン化に一躍買っているといえるでしょう。ここにCDU党代表メルツ(Friedrich Merz)の弱点と危険性が指摘されます。
次にCDUの保守党としての問題性は、〈保守〉の政治的意味が確定されていないことです。これはまた、メルケル16年間の大きな問題点でもあり、今日まで引き継がれてきているというべきです。それをCDUが自認しているかどうかも、一つの争点になります。
ヨーロッパに見られる保守派(キリスト教系)政党のこの間の傾向にも同様のことが言えます。Brexit―イギリスのEUからの離脱は、外国人労働者そして難民を追放し、国境を閉鎖することによって難民の流入を防ぎ、ナショナリズム的にEU に対抗しようとしたことが、どのような表現で粉飾されようとも、プロパガンダをも含み、そもそもの政治的意図であったことは明らかです。それ以前からイギリスの人種主義及び植民地主義は、根強いものがありました。そこにトーリー党代表ジョンソンは呼びかけ、在住外国人と難民を党派戦略の生贄にしました。
一方労働党はといえば、それに対抗できる方針を持たず、党内の反ユダヤ主義が暴かれ組織内混乱と政治低迷を続けてきました。
はたして、それによってイギリスの問題が解決したのか?
現実は全く逆に、難民は跡を絶たないどころか一時と比べて相対的に増大しているともいわれ、農村、運輸、サーヴィス等、社会インフラ部門の従来外国人が担っていた労働分野で深刻な人手不足が起き、国境―関税手続きの煩雑によって新鮮な食料品―農・海鮮品の流通が困難になり、それによるインフレからの貧困が広がってきました。
フランスとて同じようなものです。保守党大統領サルコジが外国人問題で強硬姿勢を取り、国内対立を強め、それに対抗して特にアフリカ系移民、ムスリム系住民の反乱が、2000年初めからたて続けに起こされ、当時「68年革命の再現!」とまでも言われました。これは差別を受け「二級市民」扱いされるアフリカ系移民、ムスリム系住民のフランス社会へのSOS――「連帯を求める叫び」であっただろうと考えるのです。
そして、フランス社会は?
答えられなかった!ということが、後のISテロを導いたのだと考えています。ISテロに対抗できる〈防壁〉が築き上げられなかったのです。
EUの〈彗星〉と期待されたマクロンとて同じ轍を踏み、議会内過半数を確保できないことから、保守派への賛成票をあてにした最近の難民対策は、極右派党代表ル・ペンから、「我われのイディオロギーが勝利し、そっくり反映されている」と賞賛される有様です。
何が議論されなければならないのか?
1990年代から2000年にかけて、頂点を極めた新自由主義の破産が明らかになってきました。その社会、労働への破壊的な影響が暴露され、それが2008年―10年のユーロ危機ではなかったかと思われます。ここからEUの共同対策ではなく、別の表現を使えば、EUは共同体の政治指導性を発揮することができず、各国のナショナリズムが一挙に持ち上がり、その状況はギリシャの国家財政破産に見ることができました。
そして2012年イタリアへの難民――記憶に間違いがなければ、この時EUは「ノーベル平和賞」を受賞しながら、イタリアに単独の負担と困難をかけさせてしまいました。 続いて2015年のバルカン・ルートからの難民のEU流入によって、アフリカ、中東、アジアからの難民経路が南から北ヨーロッパに向けられることになります。北はイギリス、スカンジナビア半島まで。
この間の唯一の対策は、EU―メルケルによるトルコ大統領エルドアンとの協約です。トルコが難民を受け入れ、そのための資金援助をEUが支出する、とは聞こえはいいのですが、実のところその後、大統領エルドアンによってEU強請・恐喝の政治手段に利用されています。要求が認められなければ「トルコは国境を開放」して、難民はギリシャからヨーロッパに押し寄せるだろう!が最後の言葉となり、EUは別の取引材料を持ち出すしか方法がありません。麻薬患者のようなものです。
そして、コロナです。
コロナによって人間の生命、生存を保障する諸権利が、今まで言われてきたように「普遍的」なものでは到底なく、資本の南北関係による貧富の差、肌の色、人種、性別、年齢によって国々で全く異なっていることがはっきりしました。今後も確かに〈感染病〉との取り組は意識的にすすめられていくことは確かだとして、それと同時に重要なのは、以前の社会と人間を繋ぎとめていた価値観、法的意識、共通認識などが、完全に解体されてしまったことを知ることも必要だと思います。
新自由主義が後に残したものは何か?
ヨーロッパの東西を分離していた「鉄のカーテン」が、東ヨーロッパ市民によるソ連からの独立解放闘争で取り除かれ、しかし、その後には西側からの資本攻勢が猛威を振るい、それに対抗するナショナリズムが支配していくことになります。当時、その現状に現地で直面しながら、あたかも禿鷹が獲物に襲いかかるようだと思ったものです。
西側世界での<民主主義社会を!>という期待が一方にあり、他方で現実には、各国の旧ソ連型「共産主義」制度が根絶されることなく根強く残る社会で、民主主義的改革の困難さが顕著になってきました。
そこに先に見てきたような90年代からの資本主義社会の危機が追い打ちをかけ、激化する政治対立の追い風を受けてナショナリズムの牙城が築かれていきます。 宗教、人種主義、排外主義、性差別、謀略論等、あらゆる類のイディオロギーとグループが結集することになりました。これが、現在の極右派及びファシスト勢力を構成している流れだと言っていいかと思います。
左翼党の分裂とサーラ・ヴァーゲンクネヒトの新党結成=BSW
こうした全体の中でドイツの州と連邦の政治的傾向を概略してみましたが、もう一つ見落としてならないのは、左翼党が分裂し、以前の「共産主義綱領派」を代表していたサーラ・ヴァーゲンクネヒト(Sahra Wagenknecht)が2024年1月8日に独自の党を立ち上げたことです。
昨年からヴァーゲンクネヒトの離党は話題になっていたところ、2023年10月23日に離党を表明し、今年1月の旗揚げとなりました。党名は彼女の名前を取り「サーラ・ヴァーゲンクネヒト同盟」(略称BSW)としていますが、ここにこの組織のすべてが言い表されているように思われます。
90年代の初め彼女は、PDS(旧東独民主社会党)の若い党員として髪形、服装もローザ・ルクセンブルクに似せて公の舞台に登場してきました。強い印象がありました。
イエナ生まれのヴァーゲンクネヒトはイラン人の父とドイツ人の母を持ち、ヘーゲル哲学を勉強し、マルクス理論から資本主義批判に依拠した分析は、「ベルリンの壁」崩壊以降、マルクス主義、共産主義という用語が既に過去になりつつあったドイツ社会では、なおさらアピールする力がありました。旧東ドイツでPDSが強い支持基盤を獲得してきたのは、彼女の力によるといってもいいでしょう。
PDSは、しかし旧東独の党で、西側に基盤を持たない弱点がその後出てきます。その解決を見込んで2007年に、SPDから離党して独自の組織を建設していたグループ(WASG)とPDSが統合し、現在に至る左翼党が設立されました。党活動の重点が、それによって国会議席を持たない西側の強化に重点が移ってきます。同時に、東ドイツの支持基盤が低下傾向を見せ始めます。
ここで西と東の活動方針をめぐる党内議論が始まり、ヴァーゲンクネヒトは党内で孤立化しながら、しかし東ドイツでの支持基盤はカリスマ的に確保することになりました。
資本主義批判を明確にしながら、しかし社会がどこに向かうかという点になればソ連モデル以上には出口が見出されないのです。一言でいえば、マルクスの資本主義批判による反米・親ロ路線であるのがわかります。
具体的な例を挙げます。
ウクライナ戦争によるエネルギー戦略とインフレによる市民の生活苦・貧困化の原因は、アメリカの世界戦略の下でプーチン・ロシアを孤立化させ、アメリカの地下資源を高価に売りつけるために、ロシアからのガスをストップさせた経済制裁にあると主張します。
これが現状分析ですから、運動方針は1.経済制裁をまず解除し、2.次にパイプライン「Nord Stream」を再開させることによってロシアからのガス供給を受け、3.プーチン・ロシアをヨーロッパの安全保障体制に迎え入れる必要がある――という結論が導かれます。
完全なポピュリズムです。その危険性は、極右派・AfDとの区別がつかなくなっていることです。
なぜか?
マルクス理論の資本主義批判に依拠しながら、彼女自身も体験した〈個人の自由〉を奪われた旧東ドイツの「社会主義」制度を振り返り、そこから自己の思想的確信となっていたソ連型「共産主義」体制まで遡って全体像を歴史的に再考すれば、それとは異なる解放された社会と人現像が見えてくると思うのですが。
ここでは、理論と現実の関係性の中で、自分自身に批判的に疑問を投げかけ、検証するという作業が欠落しているのです。その決定的な問題は、あとで触れるように運動の組織化に現れてきます。
では次に、どこで極右派の親ロ・プーチン路線と区別されるのかという点です。新右翼が結成されてくるのはロシア革命の衝撃を受け動揺するヨーロッパの1920年代の初めのことでした。本質的には〈反共産主義〉を思想的な結束軸にしながら、現在、難民議論を反イスラム主義化――「祖国・民族防衛」論議にすり替え、人種・排外主義扇動を通してプーチンに接近する一方、またプーチンにとってみれば、ドイツ社会の分裂・対立を促進するための絶好の機会が与えられることになり、こうして極右派とプーチンとの関係が成立します。
これに対してヴァーゲンクネヒト―BSWの運動は、AfD・ファシズムへの抵抗を呼びかけ、資本主義制度を批判することでロシアに寄り沿い、しかし難民議論の中では、〈難民というのはゲストであるわけだから、普通の市民がそうするように、その国の習慣、規則に従うべきである〉というような発言をして物議をかわしていました。
ここで具体的な一例をあげて、ヴァーゲンクネヒト―BSWの組織性格を見極めてみることにします。
2018年のことです。彼女は、フランス大統領選挙に勝利したマクロンの〈草の根運動〉を模倣して「決起」(Aufstehen)という運動を呼びかけ、格差、貧困が社会を覆っていた時期だけに、短期間のうちに1万人以上の人たちがそれに反応したと報道されました。いつデモが組織されるのか、どういう組織体制になるのかと、興味と関心が高まっていました。しかし、いつになっても具体的な内容は発表されません。
〈内部の意見がまとまらない〉というような情報がスクープされ外に流れてきます。そうこうしているうちに、〈貧困と闘い公正を!〉と訴える「分断不可能」(Unteilbar)のグループが数万人のデモを組織しました。ヴァーゲンクネヒト・グループへの連帯参加呼びかけがおこなわれますが、彼女は拒否します。その理由は、「分断不可能」グループが、難民受け入れに国境を開放することを要求していることに対して、「決起」グループ――ヴァーゲンクネヒトが、国境を閉鎖することを主張しているからだと言われました。
そして今年の1月27日に党大会が開かれ、党員数は450名と発表されています。メディアのインタヴューでは、多くの人たちから党員加盟への問い合わせがあるが、党内意見の一致を重視するために監視期間を置いて制限している、というような内部事情が説明されていました。
そして、この点をメディアから突かれます。要は、ヴァーゲンクネヒトの党独裁です。意見対立を事前に封鎖するために、異なる意見の人たちを排除しているだけのことです。彼女に従うメンバーだけを選別しているといっていいでしょう。メディアからは、「One-Woman -Show」と書かれます。
それならまだ無邪気な方ですが、私には〈プーチン体制〉に見えてしまいます。
BSWの新党が設立されました。政治関心は、どこまで組織を拡大できるのか?
AfDのファシスト傾向に不安を持つ支持者からのBSWへの票の流れが十分に考えられます。また東ドイツ地域で、従来の左翼党に不満を持っていた部分の移行も考えられます。しかし、一番の危険性は、小党分立の「ワイマール共和国」時代が再現されることです。
今年予定されている東ドイツ地域の三つの州議会選挙では、AfDがトップ当選する可能性の強いことが各世論調査機関の選挙予測で、定期的に報じられています。既成政党がAfDとBSWとの連立を拒否し、左翼党の議会での議席喪失が十分に予想できますから、残るはその他の政党との組み合わせとなり、その場合に、はたして過半数を獲得できるのかどうか?が危機感を持って議論されています。それを見越し、CDU内――とりわけチューリング州では「無視できない」AfDとの連立交渉もとりだたされていますから、政治混迷と不安は日々に募りつのってきていました。
そんな折、時期を同じくして年明けに、「コレクティブ」(Correktiv)という名称のリサーチ・ネットワークが、2023年11月25日にネオナチ-ファシスト勢力の開催した「ポツダム会議」にAfDが参加していた事実を暴露しました。テーマが「Remigration」といわれ、趣旨がドイツ在住の外国人――難民、移民、ドイツ国籍所有の外国人の如何を問わず国外に追放するための会議で、議論が行われました。一部のメディアでは、ナチのユダヤ人虐殺を決定した「バンゼー会議」と比較されもされました。
参加者の中にはAfDの他にCDU党員、同じくCDU内超保守派グループ(Werteunion)が確認されおり、市民の中には「そこまで!」という危機感と共に、社会の中間層が保守派から右に分裂し現実にファシズム化していく過程を肌身に感じることになります。
市民は即、町に出て対応しました。これが、1月18日―19日の100万以上のデモとなって現れました。一回きりではありません。引き続き毎週、数万人、数千人規模のデモが大小の町々を席巻している様子は、皆さんもTV、メディアで見られたことだと思います。
ドイツ社会の底辺民主主義の基盤が盤石であることを、まざまざと見せつけられました。
1月18日(土)当日、私もアルバイトを早めに切り上げ集会場に向かいました。参加者の間では、「1万5千人」(カッセルの人口は20万人)という話し声が聞かれます。特に目を引いたのは小さい子供連れの家族です。気温は、マイナス10度以下に下がっていたはずです。デモが出発したのは既に3時過ぎになっていて、気温はさらに下がり、マイナス15度位になっていたはずです。町の中心部を包囲するようにデモが進みます。通りは人波で立錐の余地がありません。路肩には、数日前の雪が凍てついて残っています。デモの先頭部から後部を振り返り全体像をつかもうとしますが、デモ参加者で埋め尽くされた通りだけが目に入るだけで、切れ目が見つけられません。
子どもたちも自分で作ったプラカードを掲げ、頬を真っ赤にしながら両親とデモを続けていきます。
16―18歳くらいの年齢層がシュプレヒコールを上げ、手を打ち、足で拍子をとりデモに活気を与えます。
写真を撮るつもりが、私のスマホは骨董品になってしまっていて、この寒さの中では機能せず、世代の遅れを感じて、この時ばかりは寂しい思いをしました。ということで、写真抜きの報告になりました。
極右派・ネオナチの「ポツダム会議」はファシスト的な理論、イディオロギーが、その目的の実現には暴力、武力、武器の行使と表裏一体となっている事実を如実に示しました。
人種主義、差別主義、ジェンダー、謀略論等の本質的な危険性は、実にこの点にあるということです。それはトランプ派の国会突入、そしてドイツ極右派の国会突入未遂、そして各国のネオナチ・極右派の暴力襲撃にその現実を見ることができます。
毎週デモを続けながら、そこから「なぜこうなったのか?」という疑問が投げかけられ、そして「これまで何をしてきたのか?」と自問することになりました。これが現在の議論です。
テーマについて、確かに今までも多く語られてきました。しかし、語ることの意味がどこにあったのか。この市民の思いをスローガンにしたのが、〈Nie Wieder Jetzt!〉です。
各自に現実的な行動が求められているのです。
次にこのドイツの全国的なデモが、AfDの動きにどのような影響を与えるのか?
直後の世論調査では、AfDは支持率を3%減らしているという結果が出されています。今後、さらにどう変化していくのか?
それは、現在のデモの進行如何にかかっていると思われます。デモがどのような社会を作ろうとしているのかを提起すことによって政党の党略を許さず、また中間層の動揺する部分を糾合していけるはずだと考えています。その逆では決してないはずです。
最後に、今年、州選挙が予定されているチューリンゲンの歴史に関して少しふれ、現在の政治危機の意味を捉え返しておきます。
1920年後半から30年代前半にかけてチューリンゲン州はNSDAPの温床になっていました。30年代の初めには得票率11%に過ぎなかったところ、ブルジョア保守派と政権を組み、ワイマール共和国で初めてNSDAPの入閣する州政権が成立することになりました。現在のAfD跳躍――30%以上の選挙予測に危機感を持つドイツ市民は、この歴史経験に警鐘を鳴らします。知らなかった、そこまでは考えられなかった・・・云々は、歴史的な自己責任を回避し、NSDAPの歴史を繰り返すことにほかなりません。
それが、ドイツ戦後の「過去の克服」をめぐる議論の中心軸になっていたはずです。
以下の経過はそれを示すことになります。
NSDAPは内務省、国民文部省という二つの重要な大臣席を手に入れ、
・教育要綱と学習プランの変更
・民主的な校長・教育指導者の解任とNSDAP系人物の就任
に着手しました。
既に2023年7月の初めにザクセン―アンハルト、同年12月中旬にはザクセンで二人のAfD市長が誕生しています。地方政治に関連しない連邦政治批判を中心とした選挙公約は影をひそめ、AfDの本性は表に出さず、「現実政治」をすすめ、従来政治対立の絶えなかった混乱した町が静かになったと伝えられています。
この二人の下に、地域、地方の
・学校・教育
・文化
・外国人
・青少年
・援助・助成金
・放送
の権限が握られることになりました。
デモを維持しながら、こうした領域での対抗勢力を形成していくことが、今まさに必要とされているだろうと思います。それが、この間の教訓だといえます。 (つづく)
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〔opinion13543:240210〕
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