脱原発 - ドイツ的決断の背景について <3>オルターナティヴの開発
- 2011年 9月 1日
- スタディルーム
- 小林敏明
3. オルターナティヴの開発
このように一九八〇年以降盛り上がってきた脱原発運動において特筆しておかなければならないことがある。それは七〇年代までの反対運動とちがって、この運動がオルターナティヴすなわち「代案」ないし「代替」の創出に努力してきたということである。とくに反原発・脱原発の運動においては、ただいたずらに「反対」を声高に叫ぶだけでは問題の解決にならないことがはっきりしている。そこで代替エネルギーの開発という問題が焦点に上がってくることになるが、その前に触れておきたいことがある。それはライフ・スタイルの変革という問題である。
日本では六〇年代の学生運動が終息したあと、学生たちの大半はごく普通のサラリーマンになったり、大学に戻ったりして、そのライフ・スタイルはというと、普通の小市民サラリーマンと何ら変わるものではなかった。だからこれを批判して七〇年以降にフェミニズム運動が台頭してきたのも当然といえる。これに対してドイツにおいてはかつて運動を担った学生たちが、そのまま地域運動に移ってやがて「緑の党」の建設にまで進んだことは、さき見たとおりである。大事だと思われるのは、この過程でライフ・スタイルの変革が試行され、それが一定程度定着したということである。具体例をあげよう。
一九八〇年ごろからベルリンやフランクフルトでは空家などに住み込んで共同生活を営む若者たちが輩出し、やがて市街化区域の整備を理由にしてこれを排除しようとする行政側との闘争に発展した。いわゆる住宅占拠闘争である(この運動は東西の壁が破れた直後のベルリンが象徴的である)。実際に退去をめぐって警察ともみ合うことがなくても、こうした若者同士の共同生活の試みは各所でおこなわれ、今日ではごく普通に一つの住まいを何人かでシェアして住む「WG(共同住居)」と呼ばれるスタイルが定着している。それぞれのWGによってライフ・スタイルもさまざまだが、食住の共有をベースにしながら、たとえば母子家庭を余儀なくされた女子学生の育児を他の住居人が手伝ったりするところなどもある。フライブルクなどではこうしたコミュニティが大きくなって一街区がそれに近い状態になっているところもある(これには政府が多世代、多文化型住宅を促進していることも与っているだろう)。
こういうところでは総じて節約型の生活が主流だが、これにサブ・カルチャーが重なって独自のライフ・スタイルがつくられている場所は少なくない。今では全国的に流布しているビオ・ラーデン(日本の有機栽培食品店)もこうした変革運動から生まれたものである。これと並行するかのようにして進んだフェミニズムはいまや保守層の間でも常識化しつつあるし、同性愛者が差別を受けることなくさまざまな分野で重要ポストについていることなども、そうした流れと無関係ではない。こういう人たちの間で「緑の党」支持率が圧倒的に高いのはいうまでもない。つまり脱原発も含めて反対運動や抗議行動にはそのようなオルターナティヴなライフ・スタイルの裏づけがともなっているのである。本質的なことをいえば、こうした日常生活上の変革がなければ、たんにエネルギーを自然エネルギーに変えただけでは問題は片づかないように思われる。
さて、原発問題に関するオルターナティヴ創出の中心課題、代替エネルギーの開発普及である。これはいうまでもなく地理的気象的環境に影響されることが多い問題だが、ドイツでもっとも進んでいるのは風力発電、バイオマス、太陽光発電の分野である。これにくわえて非常に難しいとされるエネルギー貯蔵つまり電力を保存する技術の開発という別の分野もある。
まず風力発電について。あまり話題にされないが、現在世界でもっとも風力発電量の多いのが中国とアメリカであり、それにやや離されてドイツとスペインがつづいている(ちなみに日本の風力発電量はドイツの一〇分の一、中国、アメリカの二〇分の一である)。世界平均でいうと、二〇〇八年の統計結果は一九九六年の二〇倍を示しており、急激な上昇カーブを描いている。ドイツの場合壁崩壊後の一九九〇年ごろから本格的に始まって、二〇一〇年には総電力量の六%弱を占めるにいたった。価格もいまや他の電力とほとんど変わらないところにまで来ている。今回の政府の原発全面撤退政策にともなってもっとも期待されているのが、この風力発電である。重点設置地域としては北ドイツ、とくに北海やバルト海の洋上が有力地としてあげられているが、これからこの地域を中心に巨大な風車が林立することになるだろう。現在論議されているのは、この地域に風力発電の中軸が置かれることによって出てくる諸問題である。
洋上施設などの大きなプロジェクトは大手電力会社を中心になされる可能性が高いが、問題の一つは、ここで生産された電力を需要の多い南部へ運ぶための膨大な送電線が新設されなければならないこと。またその結果としてすでに存在している各地の中小の電力生産者たちの生産流通条件が不利になるかもしれないということなどである。政府はすでにこうした不利が生じないような電力網の管理運営をおこなう機関を設置し、送電線への接続料などに関して自由競争が公平におこなわれているかを監視している。じじつ多くがファンド方式で生産されている風力などの自然エネルギーの促進に関しては、すでに再生可能エネルギー法(二〇〇〇、二〇〇四、二〇〇九年)によって全量固定価格買取が義務づけられてもいる(ちなみに現在菅内閣もこの固定価格買取の立法化を進めているが、政争にからむ自民党の抵抗もあり、このレポートの執筆時点ではまだ実現していない)。
いうまでもなく、一九九〇年以降のこうした風力発電への本格的肩入れは、それ以前の長く粘り強い脱原発の流れを背景に生まれてきたものだが、今回の原発撤退の決断には、保守層や企業側をも納得させるほどの風力発電技術に自信が出てきたということもあるだろう。政府は一〇年後の原発撤退時にはこの風力発電を中心とした再生可能エネルギーのシェアを総発電量の三五%にまで上げたいとしているし、諮問委員会や専門家たちの間でもそれは不可能な数字ではないとされている。これに対し、現在野党側に立つ緑の党は予備の原発を残させないためにも目標四〇%を主張している。
再生可能エネルギー生産でこの風力につぐのが総電力量の四・六%を占めるバイオマスである。他の手段に比べ燃料に限りがあるとはいえ、発電量に変動がなく、またその廃熱も有効利用ができるという利点を備えている。またドイツの気象条件からまだまだ中軸的な役割をはたしているとはいえない太陽光発電に関しては、今後その機器開発に並行して普及流通が進み、コスト低下に成功すれば、充分な成長を期待できるだろう。この分野に関しては昨年亡くなったオルターナティヴ・ノーベル賞を受けたこともあるヘルマン・シェールなどの先駆的な普及開発の業績があり、この業績が将来的にはドイツの国境を越えて花を咲かす可能性がある(ちなみに、この太陽光発電のモジュール生産では現在中国がトップであり、折しもこの六月二七、二八日の両日にわたってベルリンでおこなわれたはじめての独中協議でも早速これについての交渉がおこなわれている)。
シェールという人物を少し紹介しておくと、彼は七〇年代にカールスルーエの原子核研究所の研究員なども経験したこともある社民党の国会議員で、社民党・緑の党連合政権時代に再生可能エネルギーに関するさまざまな法案づくりにおいて主導的な役割をはたした人物だが、IEAやIAEAに対抗して、ヨーロッパにおける太陽エネルギーとバイオ・エネルギーの促進を目的としたEUROSOLAR(一九八八年)やIRENA(国際再生可能エネルギー機構、二〇〇九年)などを創設し、自然エネルギーの普及開発政策をヨーロッパ・レベルでリードしてきた重要人物である。そのシェールが肩入れしてきた自然エネルギーの一つが太陽光発電で、ようやくその方面での普及が進むというさなかに本人が早世してしまったわけだが、この遺志はやがて他の人たちによって受け継がれていくことだろう。
最後に原発全廃までのいわゆる過渡期の見通しについて簡単に触れておきたい。いまも述べたように、原発の穴を埋めるものとして風力発電の飛躍的発展というのが今後の大きな課題ということになるが、これからそれに向けての移行期を乗り越えていくためには、どうしても「現実的」な代替策が必要となる。いま政府が考えているのは、まず節電政策を進めながら、当面天然ガスによる代用、石炭の一時的復活(これはルール地方と旧東側の労働者たちを考慮した面もある)、それに外部からの電力輸入である。この電力の輸入に関して一言つけくわえておきたい。
最近日本の情報を見ていると、ドイツは原発を止めたといいながらフランスの原発でつくった電力を輸入しているではないかという、批判とも揶揄ともつかない意見を目にする。いかにも島国的発想だが、気になる意見なので、これについて一言だけコメントしておきたい。まず、知っておかなければならないのは、ヨーロッパはEUを中心にほぼ全域にわたって送電線網がつながっており、そのつどの電力相場に合わせて各地の電力が売り買いされているということである。いわゆる自由化されたエネルギー市場である。くわえて、送電線網にはつねに需給バランスが保たれていないと支障が生じてしまうという技術上の制約がある。だから電力の相互やり取り、すなわち輸出入はその送電線網の保全維持のためにも必要となってくる。つまり、そういう経済的技術的要因もからんでくるので、原発を止めたから輸入しなければならなくなったというような単純な論理では充分に説明できないということである。しかも一度電力網に入った電力はまるでユーロ貨幣と同じように、原発、火力、水力、風力、バイオの起源に関係なく一律の電力として扱われる。原発でつくられた電力をいっさい拒否するというなら、理論上はその電力ネットそのものから脱退しなければならなくなるが、ドイツもそれほど幼稚な国ではない。ドイツの基本的な意図は、そういう電力網のシステムの中にとどまりながら、まずは自国の電力生産方式を変え、その実績を示しながら電力網全体の長期的変革を狙おうとしているところにあるのだから。
(記事は二〇一一年七月二日現在の情報による。また執筆に際してはベルリン在住のジャーナリストで原発やエネルギー問題に詳しい福本榮雄氏から貴重なアドヴァイスを受けた)
初出:「atプラス09号思想と活動」(太田出版)より許可を得て転載
http://www.ohtabooks.com/publish/2011/08/09181230.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study411:110901〕
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