小石川、文学散歩に参加した~サクラには少し早かったが(2)「太陽のない街」から「植物園」へ~「新福寺」に寄り道
- 2024年 4月 9日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子
共同印刷のビル、2019年のときには、工事中で、全面シートで覆われていた。
きょうは入園の予定はないのだが、小石川植物園へと向かう途中に、「新福寺」という立派なお寺があった。コースの中には記載がなかったのだが、数人で、境内に入ってみると立派な鐘楼があった。下の文京区教育委員会の説明板によれば、「時の鐘」を打って、周辺住民から料金を徴収していたという「鐘」だったのである。時刻を知るのにタダでは済まなかった時代もあったのである。
新福寺正門、左手には立派な鐘楼がある。近年は除夜の鐘さえ、近隣からはうるさいとの苦情がくるというが、かつては、時を知る大事な鐘であり、タダではなかったのである。この写真は、ツツジの季節か、ネットから拝借した。
さらに、寺の掲示板の「今月のことば」風な大きな文字の「反抗」に目がとまり、よくよく見ると九条武子(1887ー1928)の短歌と記されていた。そういえば、彼女は、西本願寺大谷家の出で、男爵九条良致と結婚している。女子教育、社会福祉活動にも熱心な、佐佐木信綱「心の花」の歌人であった。
「いだかれてありともしらずおろかにもわれ反抗す大いなるみ手に」(九条武子)反抗を自覚し、自らの愚かさをも自覚して佛の偉大さを知るという浄土真宗の教え詠んだものらしい?
これは後から知ったのだが、1883年、夏目漱石が16歳のとき、後の一高受験準備の英語を学ぶため、学舎に近いこの寺に、友人たちと下宿していたというのである。
初出:「内野光子のブログ」2024.4.7より許可を得て転載
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