軍隊に労組は必要か否か――セルビアにおける国防省対軍人兵士労組の衝突と弾圧――
- 2024年 4月 10日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征軍人労組
東南欧のバルカン半島の国セルビアでは、伝統的に親ロシア感情が強いが、親NATO感情は1999年のNATO19ヶ国の大空爆の結果弱いとはいえ、親北米西欧の志向は決して弱くない。
後者を代表する週刊誌が『ヴレーメ』Vremeである。常用文字はローマ字であって、セルビア伝統のキリル文字ではない。『ヴレーメ』2024年3月7日号にダヴォル・ルカチ筆「セルビアのドレフュス事件が仕組まれているのか」(pp.20-22)なる衝撃的タイトルの論説を見付けた。周知のように、「ドレフュス事件」事件は、19世紀末に仏軍のユダヤ人将校がドイツ軍スパイに仕立てられて逮捕投獄された典型的冤罪事件である。早速一読してみた。要約紹介する。
ドレフュスに当たる人物は、ノヴィツァ・アンティチである。アンティチは、セルビア軍人兵士労組の議長であり、今年の2月末に逮捕された。容疑は組合費の横領着服である。
アンティチの経歴は、次の如し。
1978年ベオグラード生まれ。士官学校で工学を専攻し、軍警犯罪捜査課程を好成績で終了。軍警察に勤務。ベオグラードで経営・法律学部をも卒業。2012年同志と共にセルビア軍労働組合を結成し、2014年その議長になる。2020年野党セルビア民主新党から国政選挙に立候補する。2024年2月17日逮捕。
かくして、国防省相ヴゥチェヴィチは、軍公安組織を使って、セルビア軍人兵士労組を切り崩した。軍人兵士労組の諸支部は、様々な圧力によってシャボン玉のように破裂した。
この論説に例示されている圧力は、次の如し。
① 労組を抜ければ、(給与の良い:岩田注)国際平和部隊へ転属できるぞ。
② セルビア南部で親と共に生活している下士官に北部のヴォイヴォディナへの転属か労組を抜けるか、を迫る。
③ 「労組を脱会するだけでなく、労組を公然と否定しなければ、少佐への昇格はない。」と士官に迫る。彼は、経営学の学歴を持っていたので、軍歴を中断する決意をした。
④ ズレニャニン兵営の労組支部に憲兵がやって来て、労組のパンフレット等を押収。
セルビア伝統のキリル文字を常用する日刊紙『ポリティカ』ПОЛИТИКА 2024年3月21日に「軍隊に組合は必要か」なる論説、政治評論家ブランコ・ラドゥンの主張が載った。要約・紹介する。
セルビア軍人兵士労組事件の結末は、労組の新指導部が選出されて、旧指導部の発言や行動を規約違反であるとして否定した事だ。
ノヴィツァ・アンティチ等の旧指導部は、軍上層、特に軍公安組織と衝突して来た。それだけでなく、防衛領域一般に関して政治活動を始めていた。
政権反対派の軍事評論家や政治評論家は、逮捕された組合員の側に立って、政治的に仕組まれた無実の犠牲者であると強調する。NATOの有力支持者と目される人々は、早速労組側についた。何故ならば、労組を通して、セルビア軍の内部情況に影響を与えたいからである。
勿論、国防相ミロシ・ヴゥチヴィチは、軍の側に立って、組合費着服流用の捜査を是とする。そして、セルビア軍の内部問題を政治問題化する試みを拒否する。
そもそも、軍隊にとって労働組合が必要なのか否かの問題がある。国防相ミロシ・ヴゥチヴィチは、労働組合は誤りであり、軍に労組は不必要だと悟ったのである。
私=岩田には、セルビア軍人兵士労組幹部逮捕事件を評価する材料を殆ど持っていない。そもそも、軍隊労組とか警察労組とか、セルビアのメディアで目にするだけで、我が祖国日本にはない。イメージがわかない。もしも、自衛隊に労働組合があったならば、近年社会問題となった女性自衛官への暴行事件などは、もっと早く、もっと容易に対処されていたかも知れない、とは思う。
それはともかく、電子検索をかけてみると、ノヴィツァ・アンティチ事件についてかなりの発言が見られるが、その殆どは、今の所、親北米西欧のメディアである。親ロシア、あるいはセルビア民族主義派の意見はみられない。週刊誌『ニン』(https://www.nin.rs)を呼び出してみると、3月15日の記事に38支部の代表者が集まった総会で、アンティチ等旧指導部が解任され、サーシャ・ヴェリノフ一等大尉を議長とする新指導部の選出が報じられていた。
ここで私=岩田は一つの疑問を持つ。
1999年のNATO大空爆の結果、2001年にミロシェヴィチ大統領は逮捕されて、ハーグ国際法廷に立たされた。それ以来、2012年まで親NATO・親北米西欧の政権がセルビアを統治していた。その時代には、セルビア軍にセルビア軍人労組は存在しなかった。
2012年の大統領選挙でセルビア・ナショナリスト政権が成立した年に、奇しくも軍人兵士労組が誕生し、活動を正式に開始した。そして、国防省、参謀本部、軍公安機関と緊張関係に入り、2024年2月末の労組弾圧に至る。
今日、軍労組を必要ないとして行われたこの弾圧を非難する政治理念がセルビア政治の本流だった時代、軍人兵士労組自体が無かったのである。
この不整合に何等かの政治的意味がありそうだ。私=岩田の感想である。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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