専修大学名誉教授・内田弘先生の訃報に接して
- 2024年 5月 16日
- ちきゅう座からのお知らせ
- 内田弘合澤清
実は3月29日に開催された日・中合同「第8回廣松渉哲学国際シンポジウム」の後の懇親会で、すぐ近くに座っておられた石塚良次さん(元専修大学教授・経済学)から、「内田さんが亡くなられたようだ」ということをお聞きした。
こうしたことは、新聞などに掲載されていたのなら、間違いないこととして「公表」できるのだが、まだ不確かなことであり、ましてやご遺族に電話などで確かめるわけにもいかず、さてどうしようかと悩んだ挙句、事務局長の松田さんにとりあえず相談した。
松田さんは、自分の出版社に関連する要事もあるから、とりあえず先方に連絡を取ってみようということになった。その結果、2月の末頃お亡くなりになったことが判明した。
私自身が最初に内田弘先生のお名前を知ったのは、もうずいぶん昔のこと(多分1970年代後半か80年代)だったように思う。マルクスの『経済学批判要綱』(通称、グルントリッセ)が『資本論』を研究する上での必読文献として喧しくもてはやされ始めたころであり、内田先生はその方面の研究にいち早く着手し、『経済学批判要綱』に関する研究書を何冊か発表されていたように思う。そのうちの一冊を手にとって、わからないなりに読んでいたことから先生のお名前を知ったわけである。
もっと身近に接するようになったのは、私が廣松渉先生に言われて、雑誌『情況』を手伝い始めたころのことだ。マルクス経済学に関する特集だったか、はっきりした記憶はないのだが、ともかく先生に原稿を依頼することになり、若い編集者のY君に、「内田先生は、グルントリッセの専門家だから、その辺から話を切り出したらよいと思う」と伝えたことがあった。しかし、その後Y君が言うには、「グルントリッセの専門家というのは間違いみたいですよ。電話でそのことを話したら、それは人違いではないか、と言われましたよ」という。まさかそんなことはないだろうと思いながらも、その時は再度電話をすることもなく、原稿だけはいただいた。確か『資本論』の「自由時間」の絡んだ論考で、「ソフィスティケートされた資本主義」という風なタイトルではなかったかとぼんやり覚えている。
その後、直接先生と話をしたり、お酒の席に同席するようになってから、この話をして、「ひょっとしてY君をからかったのでは」とお聞きしたら、笑いながら「そんなことがあったかな…」とお惚けぶりを発揮されていた。そういう茶目っ気も大いにある方だったと思う。
先生は、1939年2月11日の生まれ(群馬県)で、大学入学までの幼少期を栃木県で過ごしている。大学では長洲一二氏について経済学を学び、マルクス経済学、特に『経済学批判』の研究者として著名である。
研究領域も多面にわたっていたと思う。『資本論』を数学的な手法で解読しようと試みた『『資本論』のシンメトリー』(先生は数学がお好きだったとお聞きしたことがある)や哲学者の三木清について書かれたもの(『三木清 個性者の構想力』)、またヘーゲルに関するドイツ人の著書の翻訳『無意識のヘーゲル』、更にはご趣味の俳句(川柳)に関連して書かれた、『啄木と秋瑾』(石川啄木の歌のバックボーンに中国の女性革命家で、斬首された秋瑾の思想が流れているということを解読したもの)…等々。
因みに申せば、あるとき先生に「私は先生が書かれたものの中では、この『啄木と秋瑾』が一番よくできていると思います。これが一番面白かったです」と冗談半分で言ったことがあったが、先生は少しも怒らず、「そうか、僕自身もそう思っているところだ」と喜ばれていた(?)ことも思い出す。
私が知っている限りでも、先生はご専門のマルクス経済学ばかりでなく、ヘーゲルに対する並々ならぬ興味をお持ちだった(だから私が一時主宰していた「ヘーゲル読書会」にも顔を出されていた)こと、また「ちきゅう座」にたびたび俳句や川柳などを投稿されていたこと、先ほど触れたように数学への興味、それに、もちろん今の社会に対する批判的な見解も持ち続けていた。私のような怠惰な不勉強者も、先生に叱咤されながら、例えば、ポール・メイソンの『ポストキャピタリズム』を読まされたうえ、研究会をやるように促され、レポートまでさせられたこともある。また、河村健吉の『影の銀行』が面白いから読んでみなさい、と言われたこともあった。これらのことについては、思い出すときりがない。学恩に心から感謝したい。
最後に、ちきゅう座との関係についてごく簡単に触れたい。先生がいつごろ入会されたのか、今となってははっきり思い出せない。しかし、かなり積極的にかかわっていただき、主に監査役を務めていただいた。先生特有の直截的な物言いで、いろいろご教示をいただいた。数年前に、ひどい腹痛になった時にも、電話をかけてきてくださり、家内に「すぐに救急車を呼んで病院に行くようにしたほうが良い」と細かく注意されていたと聞いた。私には、「税金を払っているのだから、救急車を使うのに遠慮することはない」ときつくおっしゃっていた。
ぶっきらぼうに見えてなかなか細かく気を遣う方だというのが私の先生に対する印象である。今となっては先生と冗談を飛ばしながら一緒にお酒を飲めないのが残念である。
先生のご逝去を心からお悼みしたい。
2024年5月16日、記す
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