――八ヶ岳山麓から(472)――都会の人の考え方を、百姓の目から見ると
- 2024年 6月 13日
- 評論・紹介・意見
- 「リベラル21」有機農法都会人の考え方阿部治平
有機農法を求める人々
この3月、珍しくも村の共産党が「農業を知る会」をやった。参加者は40人くらいで、共産党の集りとしてはびっくりするほど多かった。元国会議員という人が、基調報告として、地球温暖化・食糧自給率・農業基盤の弱体化などの話をした。
ところが、顔見知りの原住民はわたしと農家の2人だけ。残りはみな別荘地に移住してきた新住民だった。だから、水田大規模経営の是非とか、この数年広がったワイン用ブドウの栽培はいつ元が取れるようになるかとか、温暖化が進んだからセロリーの栽培はやりにくくなった、といった話は出なかった。
そこでの主な話題は、無農薬無化学肥料の有機農法になった。あっさりいえば、村の農家は農薬を使い過ぎるというのである。そういう話は以前から新住民から聞かされていた。それが今さらのように強調された。
有機農法を強く要求する人々のなかには、有機農法の野菜を村のブランドにしたらどうかという意見があった。わたしは、これは考える価値があると思ったが、実現までには時間がかかる。たとえばセロリーだが、これが養蚕に代わって登場してから、夏場の生産全国一といわれるまでには、県や村当局や農協の作付け奨励と技術指導があり、少なくとも10年はかかっている。それに高冷地とはいえ、昨今の温暖化で冬に死滅するはずの病菌害虫も冬越ししている。低農薬ならともかく無農薬・有機農法は実に難しい。
あまり有機農法が強調されるから、わたしも意見を言った。
――コメが安いいま、農家の経済は野菜栽培にかかっている。無農薬無化学肥料の有機栽培をした場合、ウイルス病・生育不全・不揃い・虫食いが多くなる。市場は規格外のものを「はねだし」といって受け付けない。「はねだし」が多くなると採算が取れない。
それに農薬や化学肥料にはカネがかかるから、農家も使いたくて使っているわけではない。昔は農薬を使った出荷用とあまり使わない自家用をべつべつに栽培していたが、いまは農薬使用は県当局による規制があり、残留農薬の検査もある。農家も出荷用の野菜を食っている。 安心して村の野菜を食ってもらいたい――
さらにどんな根拠があるのかわからないが、新村民のなかに農薬を使えば2世代、3世代後に障害が出ると強く主張する人があった。わたしは、それほど無農薬野菜が欲しかったら、自分で作ればいいじゃないかといいたかった。なかには、野菜や花のビニールハウスが八ヶ岳山麓の美しい景観を邪魔しているといった意見も出て、あきれてしまった。ハウスで育った野菜を食っていることに思いが至らないのだ。
この人たちはわが村の野菜のことばかり言うが、輸入農産物をどう思っているのか。2022年の生鮮野菜の輸入量は70万トンだ。タマネギ・カボチャ・ニンジン・ネギ・ジャガイモなどのかなりの量を輸入している。ゴボウなど90%は輸入だという。
外国の畑でも農薬を使う。さらに輸送途中でも、鮮度を保ち病虫害を防ぐために薬品を使う。当然輸入野菜には薬品は残留している。これをどう思うか聞いてみたかったが、有機農法の声に押されて聞けなかった。
集まりの後で、わたしは、共産党の代表者に「共産党が有機農法をすすめる気なら、支持者がグルーブをつくって有機農法をやる 農家と契約をしてはどうか。だが、有機農法を強調しすぎると、村の農家の多くを敵にまわすことになるかもしれないよ」といった。
静寂を求める人々
4月、突然わが地区に私立保育園をつくるという記事が地方紙に載った。8月開園するという。わたしは村の保育所は3歳児までなので、もし小学校へ上がるまで保育をするなら保育園開設は結構な話だと思った。我々は初めのうち、定員や設置場所がわからず戸惑ったが、そのうち直接企画者から、場所は別荘地と野菜畑や花卉のハウスの中間であり、保育園には庭がないことが分かった。
これに対して近ごろ移住してきた人と近隣の農家からともに異議が出た。地区では新住民を中心に集まりを持った。そこでは、だれもが保育園の必要性は認めるのだが、新住民は、口々に保育所の騒音がだめだ、都会の喧騒を逃れてこの村に来たのに、また朝夕の送り迎えの車や子供の騒音に悩まされてはたまらないというのである。
村生れ村育ちのわたしのような原住民には、静かでなければだめだという感覚はない。むしろ、都会に出たものがたまに帰郷して、「村中に子供の声がしないので寂しい」とか、「雪解けて村いっぱいのこどもたち」という、かつての風景を懐かしむというくらいのものである。
わたしははじめ、「静けさを求めて保育園反対」など、少子化の進むこのご時世にそぐわない、ぜいたくな言い分だと思った。だが、話を聞いているうちに、退職金をはたいてわが村に家を建て、ついの住み家をここと決めた人々にとっては、騒音は深刻な問題だと同情するようになった。
新村民とは違って、わたしも含めて農家が心配したのは、保育園建設地が夏の間トラックの出入りが多い野菜の集荷所に近いことである。新保育園には園庭がないという話だったから子供の遊び場は道路になってしまう。はなはだ危険だ。
それに、野菜や花に撒く農薬が問題である。病虫害を防ぎ出荷時の農薬の残留を防ぐために、いつ撒くかは作物によって異なる。もとより保育園から農薬散布をやめてくれと言われるのは困るが、早朝撒いた農薬が日の出とともに蒸散して保育園の方に流れるのも子供のためによくない。だが、農家は、農薬問題はあえて口に出さなかった。新住民に農薬使用を嫌う声が強いのを知っているからである。
このままだと
我が村は人口が増加している。移住者があるからである。住民基本台帳からすると、この10年くらいの間に、少なく見ても別荘地の世帯数は2倍になった。新村民はおそらく全村人口の3割を占めるだろう。移住した人には青壮年もいるが、多くは定年退職(?)の年配者だ。
新旧村民の考え方の違いは騒音とか農業の在り方だけではない。たとえば、わが村はいまだ高齢者の医療費補償制度を維持しているが、これが村財政を圧迫しているのは目に見えている。将来どうするかについても、原住民と新住民では考えの違いがある。村民は折り合うことなく二分していくのだろうか。これから村はどうなるだろうか。 (2024・06・10)
初出:「リベラル21」2024.6.13より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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