アジサイの季節になって―長めの論評(三)
- 2010年 6月 14日
- 評論・紹介・意見
- 吉田茂安保岸信介日米同盟
言葉は恐ろしいところがある。曖昧なまま流通し、いつの間にか疑うこともなく人々に使われたりもする。そして、また、人々に行動まで縛ってしまうのである。例えば、日米同盟などはその一つである。一体、日米同盟というのは何のことだと問えば、誰もまともに答えられないと思う。でも、これが日本の安全保障の根幹をなすと言われたりするのだから注意がいる。1960年の安保闘争のころにはこの言葉は使われなかったし、むしろ警戒されていたことを記憶しておいていいのだ。日米同盟が軍事同盟を意味することに人々は疑念のまなざしを向けていたのである。
1951年に吉田茂が締結した安保条約は不平等的で片務的であると言われた。端的にいえばアメリカ軍は日本に基地を有する権利はあるが、日本を防衛する
義務はなかったのである(明文化されていなかったのである)。これが評判の悪い条約であることは吉田も知っていてこの調印式に随行していた池田勇人(後に首相)には参加させず、自分一人で調印した。彼の今後の政治履歴に傷がつくのを慮ったのである。戦後の占領政策の清算をいう岸がこれを相互契約的(双務的)なものに変えようとしたのは当然であり、前進的なことであったと見なされている。日本がアメリカとの関係を半歩でも前進させてことと言われてきた。これは表面的なものである。このことを岸当人はよく分かっていた。例えば、1959年3月に砂川事件の判決として出された伊達判決を岸は高く評価し、傾聴に値すると述べている。この伊達判決は安保条約に基づくアメリカ軍の駐留を憲法違反とした唯一のものである。これは安保条約が国際共産主義の侵略という脅威に対して日本を軍事的空白から防衛するという政治情勢的な判断で締結されたものであり、憲法にあらわされた国家論理とは関係しないものであり、憲法9条(たとえそれが自衛のための軍の保持を認めたにせよ)という国家論理に反するものとした。要するに国連の決議に基づく、外国軍の駐留なら憲法の前文にも合致するが、アメリカ駐留軍は国際的には何の法的根拠もなく、イデオロギー的な国産共産主義の脅威から防衛という政治情勢的判断以外のなにものでもない、というのだ。政治情勢的判断は政治的には重要であるにしても、国家的論理にはならないのである。安全保障条約のような国家間の条約には国家的論理がなければならないし、それが極めて重要なのである。吉田茂は岸と違って安保条約の改定には消極的であったと言われているのだが、彼もまた安保条約の政治情勢的判断と国家的論理の矛盾が分かっていたのである。
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〔opinion018:100614〕
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