菅首相と民主党政権
- 2010年 6月 15日
- 評論・紹介・意見
- 三上治民主党菅新首相
毛沢東はすぐれた哲学や思想を持っていたわけではないが、その政治的コピーはすぐれていた。本人が創作したのか、周りの面々が考えだしたのかは分からないが、出色ともいうべき政治的コピーを持っていた。政権に近づく過程での民主党もそうだった。「生活が第一」というのも「政治主導」も、「日米関係の見直し」もなかなかのものだった。政権党であった自民党が凡庸な政治的コピーしか持ち合わせていなかったことに比べればその差は歴然としていた。その民主党政権も鳩山首相と小沢幹事長の辞任によって次の局面を迎えようとしている。そしてまた、政治的コピーもかつての輝きを失ってきている。
安倍政権にはじまる自民党の短期政権の連続が依然として民主党政権でも続くものと見なれ、政権の不安定さを懸念する声は強い。僕は別段、首相が次々と交代し、政権が不安定に見えようとさして気にするほどのこともないと思う。要するに国民の意向や意思を汲み取るだけの政党や政治家がいないというだけのことであって、こうした不安定さはチャンスであると考えてもいる。
菅首相の所信表明演説(新聞収載された全文)を読んで見たが、印象を言えば政権交代に向かう時期の政治構想を現実的修正(寄せ)しているというところだ。哲学的・理念的な迫力に欠けるということだ。これは鳩山と小沢の辞任劇において「カネと政治」を全面に出し、普天間基地移設問題を目立たないようにしたことと関係している。所信表明演説の大半は現状の経済的・社会的困難の打破の構想[政策]の説明に費やされているが、彼が強調しているの<第三の道>である。高度成長期の公共事業中心の社会政策、「失われた10年」の後の市場原理主義の模倣期の生産重視政策の社会政策の次にくる政策として<第三の道>を提起している。生活の再生産に軸を置くライフ・イノベーションという言葉も見られるが、かつて先進経済地域と呼ばれた所が出会っている低成長と混迷を超える構想がない。戦争と金融投機いたったアメリカ経済の模倣とは別の道を模索する哲学や理念がなく、「もう一つの世界」へというビジョンがないため、言葉の羅列という印象を免れえない。これは最後に触れている安全保障問題や普天間基地移設問題での現実という名のアメリカへの屈服とも関係している。「失われた10年」後の小泉政権の政治的・経済的なアメリカ模倣が第二の敗戦であったことを理解していない。「アメリカとの関係の見直し」が国民に支持された理由が読めていない。アメリカへの屈服は脱官僚主導の放棄にもなる。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion019:100615〕
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