経産省前脱原発テント座り込み日誌7月4日版
- 2024年 7月 8日
- 時代をみる
- 木村 雅英
◎韓国では日本の脱原発の住民の動きを注視している 6月28日(金)
2週続けての大雨の座り込みだった。事務所を出るときから雨が降り続けている。経産省正門前に着いて、セッテングを始めてもなお雨の勢いが止まない。今日は一日覚悟をしなくてはならないかなと考える。そういう中でも、イロハのメ ンバーの女性達は、7月にある大間グロックに参加するので、話題は専らそちらの方に集中している。
1時少し過ぎたころAWCのSaさんが女性を連れてやって来た。聞くところによると、韓国のヨンドク市から来た女性でパク・ヘリョンさんと言って反(脱)原発の活動家だと言う。福島原発の事故以来、脱原発の運動をしているそうだ。13年前の事故をテレビで見ていて、1週間、涙が止まらなかったそうだ。それ以降、韓国でも反原発の運動が盛んになったそうだ。ちょうどその時、彼女の地元で原発建設計画が発表されたそうだ建設計画反対の住民投票が行われ圧倒的な勝利を収めたそうだ。その時以来原発建設計画は声を潜めたそうだ。ただ、現在の 保守政権は建設計画は諦めていないようだ。韓国では日本の反原発の住民の動きを注視していると言う。
そんな中、日本に来て首都東京のど真ん中でこんなふう に座り込みを続けている人々がいると聞いて、びっくりしている。しかも、雨の日も、風の日も暑い夏の日も、寒い雪が降る日も続けている皆さんのことお手本にして韓国でも頑張っていきますと言う。韓国では60歳過ぎると、皆運動から退くそうです。そして、その下の世代が現れるそうだ。でも、日本に来てこの座り込みをしている人たちを見て驚いた。日本では80歳を過ぎても第一線で活躍されている。このことは本当に素晴らしいことだと褒められた。実をいうと、日本では若い人がなかなか運動に参加していない現実があるのが・・・・この後、議員会館でシンポジュウムがあるのでそちらに参加するとのことだった。
沖縄から奥間さんという活動家がやってきていて話は聞けなかったが、5時からの抗議集会では発言があるそうだ。東京での運動も国外からも関心持たれていると聞き、今後も頑張らなくてはと思った座り込みだった
◎沖縄の怒り、岸田政権への怒り、都知事への怒りが雨を吹っ飛ばす 6月28日(金)
梅雨前線が居座って徐々にリュックに水が沁みてくる強い雨の中、「脱原発、使用済み核燃料を増やすな、使用済み核燃料の行き場が無いぞ、これ以上核のゴミを増やすな、原発推進を止めろ、全ての原発を廃炉にしろ、経産省は嘘をつくな、安全・安い・クリーン・グリーンは嘘だ、原発無くても電気は足りている、再稼動反対、運転延長反対、命を守れ、地球を守れ、未来を守れ、…」のコールで抗議行動を開始。
K.Mから一週間の振返り:再稼働阻止全国ネットワークパンフレット「知っていますか?使用済み核燃料の危険」を紹介、火曜の東海第二防潮堤と40年+20年老朽原発延長問題の院内ヒアリング集会で規制庁を攻めた報告、水曜の原子力規制委員会抗議行動とアメリカ大使館前一人抗議、佐藤保さんが6月の経産省申し入れを提出、木曜夜遅くに請戸テントの方たちとZOOM会議で放射能測定の学習、本日は「柏崎刈羽原発の再稼動を許さない!首都圏行動」(午後に院内集会と夜に東電抗議行動)。
高瀬さんが、沖縄で昨年12月24日に16歳未満の少女が米兵に性暴力を受け、本年3月に米兵の身柄を日本に引き渡し、これらのことを日本政府と駐米大使と話しながら、政府が県知事に隠していた、戦後ずっと続いている、エマニュエル米国駐日大使からは謝罪の一言も無い、怒りが止まらない、沖縄の人の人権を尊重せよ、今動かなければならない。K.Mが1995年の少女暴行事件、県民大会、辺野古基地建設、普天間はずっと使用、県議選の間隠していた岸田政権。
橘さんがハンセン病の為に来た奥間政則さんを紹介。奥間さんが、1995年の3名の米兵の少女暴行事件、再度起こった米兵による少女暴行事件、県議選の間岸田政権が隠していた、岸田よ沖縄を占有するな。
「辺野古に基地基地を造るな、米兵による少女暴行事件反対、普天間を直ちに閉鎖しろ」コール。守屋さんが、県議選まで少女暴行事件を隠していた自民党政権を責め「座込め、ここへ」と「水に流すな」を歌う。
平岡さんが、経産省が原発推進、小池百合子のカイロ大卒業問題、世論調査は厳しい、みんな選挙に行こう、原発推進を止めよう、岸田政権は対米従属政権、と。
K.Mから、都議会質疑で自分で答えない知事、都の官僚に答えさせているがまともに答えない、まるでファシズム。
奥内さんが青田恵子さんの詩「一万円」を詠む。
<…、一万円とはずい分少なく見積もってやっちまったものだ、領収書出せなんておどすものだからこっちから東電さオマケして安くしてやったのだ、どこまで欲深であさましいやつらなんだ、ああ!いらねえ いらねえ、一万円なんていらねえ、そのかわり”3・11”の前の福島さ戻してくいろ、早春の阿武隈の峰より注ぐあのオレンジ色の残照に包まれたオラのふる里を返してくいろ>。
続いて、奥間さんが、岸田政権が我々の税金を使って沖縄の基地化を進めて戦争国家化が進めていると警告、経産省は原発推進を止めろ。
K.Mから、日本の原発を止められない理由がぶら下がっている企業・人が多いから、世界でもウクライナ戦争・ガザ虐殺で軍需産業がほくほく、軍需産業が戦争を起こすことを許すな。
NOWAR、NONUKES、軍需産業反対、憲法9条を実現しろ、すべての原発を廃炉にしろ、死の灰をこれ以上増やすな、…のコールで終了。
片付けをイロハネットの3人の女性の献身的な応援を得て行い、最後の仕上げをお任せして私は東電に向かう。
(K.M)
◎ガザ日記を読んでいる 6月29日(土)
◯都知事選
全候補者を見渡せば、まさに真贋一堂、玉石混交。多くに感じる東京=都会という意識が残念。
在日米軍、政府、大企業に対しては沈黙、注視、立ち止まっている都政。首都防衛と言いつつ、待てば海路の日和あり。
多摩格差については礎を築いたと自画自賛のようだが、23区には23ヵ所ある保健所は多摩地区には7ヵ所しかない。多摩府中保健所にいたっては6市104万人を管轄。24市3町1村もあるのにまだ礎。そんな公約は額に貼っておいて欲しい。
◯ガザ日記
1週間で、やっと半分まで読んだ。文字数からすればとっくに読み終わっている筈なのに。
2023年10月7日土曜日、海からの艦砲射撃、F16戦闘機のミサイル攻撃による軍事侵攻が始まった。これはガザに約3ヶ月とどまった著者が現地から出版社に送り続けた日記だ。そのほんのごく一部だけ紹介する。
著者の子息ヤ-セルがラジオのニュースでジェノサイドという言葉を聞き著者に質問する。「ジェノサイドって何?」著者が答える。「いま私たちのまわりで起きていることさ」
ヤ-セルは15歳、これまで二度しか戦争を体験していないが(著者がそう書いている)、2014年の戦乱の記憶が心の傷になっている。そのとき7歳だったが、彼はすべてを鮮明に覚えている。
著者と子息はラファ国境検問所からエジプトに脱出することも可能だったが、父や兄弟や親族を残してガザを去ることなどできず残ることに決めた。ヤ-セルは一緒に残ると言ってきかなかった。イスラエルは軍事侵攻するときは決まってラファの国境検問所を最初に空爆する。結局は、彼の主張を聞き入れるしかなかった。
あとひとつ。家族のほぼ全員を殺された親戚の女性が著者に尋ねた。「この戦争は私が悪いの?」
著者 ア-ティフ・アブ-・サイフ
地平社より 2024.5.29 初版 2800円+税
(O・O)
◎脱原発青空川柳句会が開かれた 6月30日(日)
6月30日(日)12時より脱原発テントひろば座り込み開始。
脱原発テントひろば青空川柳句会は乱さんの体調不良により今回休会予定でしたが、常連参加者の海の民さんの発案で、自主的に川柳を作ろう!という事になりました。急遽自分たちで席代を「熱中」「恥」と決め、川柳を作っていると13時過ぎにが乱さんが「足慣らしに」とちょっとほっそりされて経産省前に見えたので、選者をお願いしました。
当日は雨もパラつく曇り空、蒸し暑い一日でしたが風があったので比較的過ごし易く、句会の参加者は5名。
14時15分投句締め切り、14時30分より入選者の発表、披講となりました。
選者の乱鬼龍氏により入選句が読み上げられ、入選者へりんごや喜多方ラーメン、ヨーグルト、コーヒーゼリーなど海の民さん提供の様々な商品が手渡されました。簡略版ではありましたが、いつものように乱さんに川柳を選んでいただけて良かったです。入選句は以下の通りです。(S.E.)
「熱中」
特選
・民不在アピール熱中選挙戦 - 芒野
秀句
・能登地震伸介熱中再稼働 - 海の民
・逃げることただ逃げること熱中す - 芒野
・修繕費株につぎ込む病める国 - ふ64
・世直しに熱中時代の青年たち - ふ64
・熱中す今だけ金だけ自分だけ - 原子力ガリレオ
「恥」
特選
・恥さらしガラガラポンでザルが出た - 海の民
秀句
・裏金は戦争と武器に化けまくり - 海の民
・金貸しと観光の国に誰がした - ふ64
・知事選が学級崩壊さながらに - 芒野
・人愛すノーニュークスに恥は無し - ふ64
・裏金が無いのは恥と本音言い - 原子力ガリレオ
次回の脱原発青空テントひろば川柳句会は2024年7月28日(日)12時より開催いたします。
是非ご参加ください。
7月に入り夏本番はこれからです。皆さまお体ご自愛のうえお過ごしください。
◎テントひろばには多くの人が訪れる 7月1日(月)
家を出る時には止んでいた雨が地下鉄六本木駅を降りて地上に出たら強めに降っていたのでビックリした。しかしこの雨は事務所近くでバスを降りたら止んでいたので助かった。
事務所に着いてすぐ冷房を入れて相棒のSaさんが来るまでおにぎりを食べて過ごした。先週、熱中症気味だったので心配したが元気そうだったので安心した。しかし相変わらず夜はほとんど寝られてないとの事。経産省前の工事は作業日だったが先ほどまでの雨の影響なのかやっていなかった。1時過ぎから始まった作業も削岩機は使わずコンクリート面の溝に木枠をあてて測量をしている程度に終始していた。外部から見ていると何をやっているのか判らない。
テントひろばに初めて来た人がいた。職業は自称パパラッチ。初めはバナーなどを眺めていたが「俺も原発には初めから反対だ」と言ってカンパしてくれた。テントニュースを渡しながら話し込む。大通りの反対側の財務省に入って行った人物の監視をしたいので端っこに居ていいかというので、座り込み者も少ないのでOKした。そのまま終わりまで座り込んでいた。
2時前に一瀬弁護士が寄ってくれた。二週間前に右翼に妨害された時に間に入って頂いたので、その後どうなのか心配してのものだった。今週も英語講師のAさんが時間まで寄ってくれました。朝から雨が降っていたので氷水入らないと思って用意しなかったが事務所に帰って来たら嫌に疲れているのを自覚したので夕方の防衛省抗議集会には参加せずに帰宅した。 (保)
◎暑さの中続く座り込みを自負していいと思う 7月2日(火)
曇り、日照もそれほど強くないなかで、経産省前座り込みは行われた。
座り込み目前―経産省門正面では、下水道工事が行われていて、たて2m、横7mの棚が建てられ、中で工事がおこなわれている。先週来たときは、中で何人か労働者が作業をしていたが、今日はしていなかった。座り込みの正面での工事ということで、座り込みの妨害かとも思われたが、別に工事が行われたからといって、座り込みに支障がおきるということもない。
経産省前は、2011年のテント設置以来13年、4000日強、われわれでも想像を越える長期のテント、座り込みの持続だった。その期間日本社会も混迷と自壊の続く期間だった。日本社会は1980年代以降、雇用の非正規化が進行し、今や全労働者の3分の1が非正規という差別、分断、貧困という構造の社会となってしまった。若年層では45%、半数近くが非正規という構造である。同じく労働分配率は1990年代以降減り続け、98年70.9%から2006年60.7%まで下落している。(「反貧困」岩波新書)
原発という日本破壊の危機とともに、この差別・分断の構造は日本社会の自壊の危機をも意味している。われわれは13年強、反原発のテント・座り込みを闘ってきた。それは日本社会の格差・貧困・分断との闘いとセットの闘いでもあった。そうした厚みのある闘いを経産省前テント、座り込みとして13年、4500日以上続けてきたことは大きな意義があったと自負できるのではないだろうか。それは我々の責任でもあり、脱原発まで座り込みを続け、拡大してゆくという課題を今後とも背負ってゆくことだと運命づけられている、と座り込みながら考えさせられた。 (旭凡太郎)
◎裁判に関わる人が多いのを実感する 7月4日(木)
Inさん、Yoさんと3人で交差点沿いに設営。日差しが強く猛烈な暑さだ。乱さんんが作ってくれた大きなうちわであおぎながら溢れ出す汗をぬぐっていると、男性が1人立ち寄り「ここでお昼食べてもいいですか?」と聞いてきたので「どうぞ」と言って座っていただいた。
今日は日の丸君が代裁判の傍聴に来て、午前の意見陳述が終わり昼休みに入ったところだという。続いてKaさんがいつもの「あきらめないせんべい」を持って現れた。Kaさんも男性と同じ裁判の傍聴に来られたという。
13:30 Okさんが参加。男女の2人組が立ち寄り「写真を撮らせてください」と言ってきたので一緒に写真撮影した。自分たちが関わる裁判のために大阪から出て来られたという。地元では福島からの避難者の支援活動もしているそうだ。お互い頑張りましょうとエールを交換し見送った。後半担当のSuさん、Taさんが到着したのでバトンタッチした。 (M.U)
・・・・・・・・・
経済産業大臣 齋藤 健様 経済産業省の皆様
資源エネルギー庁長官 村瀬 佳史様 資源エネルギー庁の皆様
経産省は福島第一原発事故を教訓として全原発廃炉に転換せよ!
2024年6月26日 「経産省前テントひろば」有志
福島原発事故から13年経過したがあの時の事は昨日の事のように思い起こされる。国民は決して忘れない。13年前に起きたマグニチュード9.0の巨大地震と津波により福島第一原発は4基のうち3基で過酷事故を起こして日本中を恐怖に陥れた。これを経験して日本中が原発はすぐに廃炉にしなければならない、と思った。
しかし経産省はそれとは真逆の方針―原発再稼働に邁進している。これは許されることではない。
福島第一原発事故の教訓に立ち返り全原発廃炉に直ちに転換すべきである。
能登半島地震の教訓。元旦に起きた能登半島地震にはビックリした。地形的にかなり特殊の地震かと思っていたが、地震学者の話だとあの地形は日本中どこにもみられるものでどこで起きても不思議ではない、との事。半島沖の地形は波に浸食されてしまうのでどういう状況になっているのかの判断が難しいとのこと。
そうだとすると日本中どこでも能登半島地震が起きてもおかしくない所に我々は住んでいることになる。能登半島地震が起きたら自衛隊でも被災地に行くことは困難で、着いても機械が使えないので無力。被災地の人々は自力で何ヵ月も生活していかなくてはならない。
全原発廃炉に直ちに転換すべきである。
連絡先 〒105-0003 港区西新橋1-21-8 新虎ビル2F 経産省前テントひろば 佐藤保
・・・・・・・・
経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その223
核燃料サイクル破綻を認めよ、戦前の商工省と同じ過ちを繰り返すな
~山本義隆「核燃料サイクルという迷宮 核ナショナリズムがもたらしたもの」から~ (投稿)
7月5日 木村雅英
「核燃料サイクル」破綻を多くの識者が認め多くのメディアで報道されている。にも拘らず、岸田政権・経産省は全くそれを認めない。山本義隆「核燃料サイクルという迷宮 核ナショナリズムがもたらしたもの」(みすず書房)からその背景を紹介する。
1 戦前の商工省の電力「国策民営」と戦後の通産省=経産省の核政策の「国策民営」
1936年に発送電事業の国営化案。1938年の状態では、「当時電力会社は日本の総資本の25%を占めており」電力は主要に軍需産業の基盤を形成するためのもの。
電力問題は単なる経済問題ではない。本質的には国家の浮沈に関はる国防問題。
庶民が敗戦で体制が変わったと早合点したが、軍国を陰で支えた官僚は生き残り、経済成長に狙いを絞って統制的手法を再起動させた。
原子力は、支配体制を再構築するには絶好の標的だった。
2 核兵器の為の核(原子力)発電
軍事力に直結している先端科学技術の所有こそが「一等国・一流国」の証であるという、明治のナショナリズムと同様のメンタリティが、戦後の復興期にも脈打っていた。その目標は、明治にあっては軍の近代化・兵器の国産化であったが、戦後の時代にはとく核技術の習得だった。
先端的科学技術の保有こそが第一義的に政治的なそして同時に軍事的な意味を帯びていた。
官僚と官僚機構とともに、戦前の財閥系軍需産業も、人材や施設とともに実際には生き残っていた。
対米戦争で大儲けした旧財閥系の企業グループが、米国企業と提携しつつ日本の原子力産業界を形成し、原子力に群がることによって完全に蘇った。
3 誰も言い出せなかった敗戦・降伏、誰も言い出せない再処理破綻
戦後日本の「国家事業」として日本の原子力政策の柱をなしている核燃料サイクル・プロジェクトは、政治家も所轄官庁の官僚も財閥メーカーも電力会社もすべてが、すでに「死に体」のそのプロジェクトに群がり、国民から集めた税金や電気料を投入しつづけ、将来的に実現できるかのようにふるまうことによって、命脈を保っている。
かつて大日本帝国は、アジアの盟主という思い上がりと「資源立国」の強迫観念にとらわれて、大陸の地下資源、とりわけ鉄鋼と石炭の収奪のために「満州国」を捏造し。そこから「日満支経済ブロック」の形成へ、そしてさらに南方の石油を求めて「大東亜共栄圏」の確立へと野望を広げ、東アジアの諸国を軍事侵略していった。
そしてアジア太平洋戦争において、すでに勝利が見通せなくなった時点においても「神州不滅」の神話にもたれかかり、敗戦の受け容れを先送りしつづけ、「カミカゼ」が吹くのを待望して、破滅までつき進んだ。
同様に戦後もまた、核ナショナリズムと「資源小国」の観念にとらわれて、核燃料サイクルという迷宮にはまり込んでいった。核発電の「安全神話」は、福島の破局をもたらすことになった。さらには、「無限のエネルギー資源」という核燃料サイクルの「増殖神話」も、日本社会の破局をもたらしかねない状況にある。ここで立ち止まらなければ、「いったん開始した研究の見通しがないときに、これを捨て去ることができない日本は、第二次大戦を自ら止めることのできなかった旧軍と、同じ病に侵されていることになる」のである。
一刻も早く核燃料サイクルの迷宮から脱出しなければならないのだ。そしてその脱出は、根本である核政策そのものの廃棄、核発電そのものの放棄によってしか可能にならないであろう。(「第3章 核燃料サイクルをめぐって」の章末から)
以上、戦前の商工省から戦後の通産省、今の経産省が、核発電(原子力発電)と核兵器をにらんだ愚かな政策を、税金と電力料金を好き勝手に使って続けているのだ。
私たちはこれらの歴史的事実を念頭において、経産省・資源エネルギー庁を核とする原子力ムラと闘っていかねばならない。皆さんにも同書をぜひ読んでいただきたい。
・・・・・・・・・
◆7月10日(水) 原子力規制委員会抗議 12時~13時 規制委員会前(毎週)
◆7月12日(金) 17時~18時 経産省前抗議集会(毎週)
経産省前テントひろば経産省正門 ◎経産省前の座り込み行動は、平日:12~16 時(月 ~木)、13~17時(金) 土・日・休日:12~15時
◆7月14日(日)諸戸川河口で魚釣り(検体収穫)と海浜バベキュー
◆7月15日(祝)海の日アクション2024年海と命を守る集い
三崎公園野外音楽堂(いわき市小名浜下神白大作)
JR泉駅からタクシーで20分
◆7月19日(金) 総がかり行動 18時~19時30分
衆院第二議院会館前
◆月例祈祷会「死者の裁き」 7月30日(火)午後2時30分より
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5280:240708〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。