トランプ「口止め料」裁判とアメリカの民主主義
- 2024年 7月 10日
- 評論・紹介・意見
- ビジネス傭兵藤澤豊
下記は五月二六日時点までの報道をもとにまとめたものです。その時点ではまだ有罪判決は下されてはいませんでした。ご存知のように三〇日に有罪が言い渡されました。
New York TimesにWashinton Post、CNNやAPにThe Hill、さらにはAFPやBBCやGuardian……欧米の主要メディアが毎日のようにトランプの口止め料裁判の状況を伝えてくる。なかにはリアルタイムと称して、公判中の証言を生放送のような形で列記しているものすらある。AV女優との不倫の口止めから生じた刑事訴訟で有罪ともなれば収監される可能性さえある。前大統領が刑事告発されるという前代未聞の裁判だが、太平洋を隔てた日本から海外のニュースをみている限りでは有罪はほぼほぼ確定のような気がする。
敏腕弁護士を雇ってあの手この手で裁判を先延ばしにきたトランプもここまでかと思いきや、意外な落とし穴があるかもしれない。
落とし穴の可能性に気が付いたきっかけは、四月十八日付けのThe Hillの「Hush money judge cracks down on media over juror fears of being exposed」と題する記事で、タイトルを機械翻訳すると、「口止め料裁判長、陪審員の暴露を恐れメディアを取り締まる」になる。urlは下記の通り。
https://thehill.com/regulation/court-battles/4603806-hush-money-judge-cracks-down-on-media-over-juror-fears-of-being-exposed/?email=eb12079d10893b0abe815c7b35c4a2d7c46f795f&emaila=9e874b08e1c88ec6058ee4c8a8b704ca&emailb=885991de1e0bc543407be9533f0f209b031a7c7d8ec7be89dfefe40606c169e2&utm_source=Sailthru&utm_medium=email&utm_campaign=JPJ%20-%20Hush%20money%20judge
翌日にでてきたBBCの日本語版ニュースは翻訳の手間がかからないからありがたい。
「トランプ前米大統領の刑事裁判、陪審員12人の選任を完了」
https://www.bbc.com/japanese/articles/cj5lq6yeq40o
気になるところをまとめておく。
「フアン・メルチャン判事は、いくつかの報道機関が陪審員候補の雇用主や身体的特徴に関する記事を掲載し、それらの詳細が公開の法廷で伝えられたことを受け、報道機関に陪審員候補の雇用主や身体的特徴を報道しないよう指示した」
記事を読んでいて、子どものころよく観ていたテレビドラマ「アンタッチャブル」を思い出した。エリオット・ネス率いるFBIがマフィアを追い詰める実録風の犯罪もので、しばしFBI側の証人が暗殺されていた。
「アンタッチャブル」はウィキペディアに記載がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%96%E3%83%AB_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)
先の大統領選挙では、トランプの支持者が「大統領選挙で選挙不正があった」と訴えて、アメリカ合衆国議会(連邦議会)が開かれていた議事堂を襲撃する事件まで起こしている。
これまでも、トランプは裁判に関係する人々を攻撃してきた。まるで「アンタッチャブル」を地で行くようなはなしで、そのたびに関係者は身の危険を感じてきた。すでに選出された陪審員や家族や知り合いにも危険を感じている人がいる。
民主的な社会であろうとすれば、出来るだけの情報を公開しなければならないし、特定の社会集団による圧力を受けることなく人々の自由な意思が尊重されなければならないが、そこには思わぬ欠陥がある。
ご存知の方も多いと思うが、アメリカの陪審員制度とその背景をざっとみていく。といっても巷の一私人ができることはWebで調べることしかできないが、大筋を理解するには充分だろう。
<アメリカの陪審制度>
陪審員は、審理の状況を横から見ていて、有罪か無罪かを判断するだけですが、陪審員だけで評議し決めなければなりません。その評決までの過程に裁判官の助けはありません。法廷で直接見聞きしたことだけに基づいて判断し、自ら証拠を調べたりはできません。
<陪審員>
陪審は伝統的に六人から十二人の市民によって構成される集団で、証拠を審理し、評決(「有罪」または「無罪」)を下す。陪審員が審理中に病気などで能力を失い、任務を果たすことが不可能になった場合に備えて、一人または二人人の補充陪審員が選ばれる。
<陪審員の選任方法>
陪審員候補者を選び出す方法は、選挙人名簿、運転免許者リスト、その他その地域の住民が広く載っている名簿(納税者名簿や電気・水道等の利用者など)からの無作為抽出である。最近では、裁判所が複数の名簿を組み合わせて陪審員の親リストを作成しているところも増えてきている。
世情に疎い法律の専門化という官僚の一員に過ぎない裁判官の判断で判決がくだされる日本の裁判制度より、アメリカの裁判のほうが巷の常識に基づいた判断が可能にみえる。リンカーンの有名なゲティスバーグ演説が人々の常識に基づいたという思想の本質を語っている。
「government of the people, by the people, for the people」これを「人民の人民による人民のための政治」と訳した(痴れ者がいる)。ちょっと脱線するが、一言言っておく。なぜ人たちと言わずに人民としたのか?巷の人々を日常生活から距離を置いた政治的な人と位置付けたい、そして官製政治思想をその人たちに下賜する思い上りの影をみるのは考え過ぎか? 訳された時代背景もあるのだろうが、今「人民」と聞けば、なんとかかんとか人民共和国の人民しか思い浮かばない人の方が多いだろう。人民という言葉は今の普通の人たちの日常生活には縁がない。
Peopleを素直に日本語に訳せば、人たちといったところで、人たちなら日常生活で口にするし耳にもする。
リンカーンがいったPeopleを平たくいえば、政治的にも社会的にも経済的にも思想的にも特異性のない巷の普通の人たちということになる。
ここでアメリカ社会の特殊性?が気になる。
アメリカの識字率をググったらChatGPTが下記をだしてきた。
「全米平均で、2022年には米国成人の79%が識字能力を有する。2022年には全米の成人の21%が非識字者である。成人の54%が小学校6年生以下の識字率。2022年には18歳以上のアメリカ人の21%が非識字者である」
高校まで義務教育のアメリカで成人の五十四%が小学校六年生以下の識字率。そこには二十一%の非識字者も含まれる。アメリカは地理的にも文化的にも広い。上は限りないが下も底しれない。それこそ種々雑多で何がアメリカなのかと問われても、生粋のアメリカ人と自認している人でも、これがアメリカだと断言できないだろう。無差別に選出される陪審員のなかには、小学校六年生以下の識字レベルの人もいるだろう。
小学六年生以下だからと除外するわけにはいかない。誰もが一人のPeopleとして同じ責任と同じ権利をもっている。
被告人としてはその人たちに有罪か無罪かの評決をゆだねることになる。心配するなと言われてもねーどころか勘弁してほしいと言いたくなる。それは日本人だからというわけでもない、心情だろう。
リンカーンのPeopleの先にはどんな社会でどんなとんでもないことが起ころうと起こるまいとPeopleの自業自得ということだが続いている。
アメリカの民主主義にはもう一つ大きな問題がある。広大な国土にさまざまな人たちが多種多様な社会をつくり上げてきた。人種も違えば文化も違う。合衆国という名前が示すように、各州はそれぞれ独自の法体系をもっている。社会として共同体として、個々の人たちの志向も嗜好も立場も違う。ここからどの州でどのような陪審員の評決による裁判かで、判決にばらつきがでることをさけられない。リベラル志向のニューイングランドの州、たとえばメインとかロードアイランドと人種差別が色濃くのこる深南部のテネシー州やアラバマ州では、人びとの常識が当然のこととして同じではない。トランプに限らず、被告人としてはこっちの州なら無罪間違いなのにと思わないほうがおかしい。アメリカという一つの国だが、そこには大ざっぱしても一つのこれといった常識があるわけではない。
p.s.
<アメリカの陪審員制度の問題について若干の補足>
検察側が有罪判決を勝ち取るには、トランプがAV女優への支払いに関連するビジネス記録を改ざんしただけでなく、二〇一六年の大統領選でマイナスになりかねない情報を有権者から隠すためだったことを立証しなければならない。
ニューヨーク州の刑事裁判では、陪審員の評決は全員一致でなければならない。もし陰謀論者のようなトランプ支持者が一人でもいれば、あるいは脅迫に屈するか買収された人が一人でもいれば評決に至らない。裁判長は陪審員に審議を続け、評決を下すよう要請するが、それでも全員一致にならなければ、裁判官は無効審理(裁判打ち切り)を決断しなければならない。裁判をやり直すかどうかは、マンハッタン地方検事が決定できる。
トランプは、第一級ビジネス記録改ざんの三十四の重罪で起訴されているが、陪審員がそのうちいくつかでは有罪、他は無罪と評決する可能性もある。この場合、裁判所は部分評決を受け入れることになるが、マンハッタン検察は前大統領を再審することもできる。
再審したところで、アメリカの民主主義のもとでの裁判は陪審員として選任された巷の人たちの常識しだいであることに変わりはない。これがリンカーンのいうPeopleの真意で、それがアメリカの民主主義ということになる。
2024/5/26 初稿
2024/7/9 改版
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion13790:240710〕
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