21世紀ノーベル文学賞作品を読む(1―上) 高行健の『ある男の聖書』(集英社刊、飯塚容:訳)――祖国を捨て政治亡命者となった男の逃亡の記
- 2024年 8月 22日
- 評論・紹介・意見
- 「リベラル21」横田 喬高行健
1940年に中国に生まれ、1989年の「天安門事件」を機にフランスに政治亡命した作家・高行健は2000年度のノーベル文学賞を受けた。受賞理由は「普遍的な正当性、痛烈な洞察力、言語的な独創性を持った作品によって、中国の小説や劇作に新たな道を開いた」。その代表作の一つ『ある男の聖書』の内容の一端から、この独創的作家の真価を探ってみたい。
<本書に登場する主要人物――「彼」は中国に居た頃の主人公。父親は銀行員。母親は元女優。「おまえ」は現在の主人公。作家、演出家、画家。中国と決別し、フランス国籍を取得している>
カーン! カーン! スチームハンマーの音が規則正しく、三、四秒の間隔で聞こえてくる。繰り返される、その衝撃音。偉大で、輝かしく、正しい共産党! 神よりも正しく、輝かしく、偉大である! 永遠に正しい! 永遠に輝かしい! 永遠に偉大である!
「同志諸君、私は毛主席と党中央を代表して、諸君に会いに来た!」
その高級幹部は中肉中背で、顔が大きく血色も良かった。四川訛りの演説は、声量豊かでめりはりがある。一目で、軍隊を指揮した経験があると判った。文化大革命が始まると、指導的立場を維持している高級幹部は、毛沢東夫人江青から国務院総理周恩来まで、毛沢東本人も含めてみな軍服を着た。高級幹部は職場の党委員会書記の案内で、講堂の赤い布を被せた主席台の席に着いた。会場の脇の出入り口と背後の表玄関には、軍人と政治工作担当の幹部が居て、警戒に当たっていた。
真夜中近く、全職員が部署ごとにまとまって講堂に集まってきた。ビル全体で一千人余りの職員が、全員出席している。順番に着席し、通路まで人で埋まった。部隊から転属してきた政治工作担当幹部が、やはり古い軍服姿で、軍隊で毎日歌われる歌『大海を渡るには舵手に頼る』(文革時に流行した革命歌)の合唱を指揮した。音域が広く、発声練習が必要なこの毛沢東賛歌は、当時の文人や職員には歌い難かった。
「私は同志諸君を支持する。党に反対し、社会主義に反対し、毛沢東思想に反対する敵を攻撃せよ!」
会場から即座にスローガンが湧き起こった。誰が口火を切ったのかは判らない。彼は未だ心の準備ができていなかったが、思わず手を振り上げていた。スローガンの声も不ぞろいだった。拡声器から伝わる高級幹部の声の方が大きくて、疎らなスローガンを直ぐに圧倒した。「同志諸君が一切の妖怪変化を攻撃することを支持する!あらゆる反動分子のことだ。毛主席も、おっしゃった。反動分子を攻撃しなければ、逆襲を許すことになる!」
彼のすぐ前と両脇の人たちが立ち上がり、拳を上げて叫んだ。「一切の妖怪変化を打倒せよ!」「毛主席万歳!」「万々歳!」・・・。
スローガンはこの時、あちらこちらで湧き上がり、次第に声が揃い、力強くなった。それが何度も繰り返された後、会場全体が声を揃えてスローガンを叫んだ。背丈より高い波のように、また防ぎようのない高潮のように、その声は心を震わせた。彼はもう左右を見る余裕はなく、この聞き慣れたスローガンの持つ脅威を初めて感じた。毛主席は遠い空の果てに居るのではない。その辺に飾っておく偶像でもない。その威力はとてつもなく強大で、すぐさま一緒に、はっきりと、ためらいなく叫ばずにはいられなかった。
「私は信用しない。この会場の諸君全てがそんなに革命的なのか? 私が問題にしているのは、筆をもてあそぶ奴らだ。我々の革命的スローガンを受け入れ、赤旗を掲げながら、赤旗に反対する奴らだ。口で言うことと頭で考えることが別々な、反革命の裏切り者だ! 連中には、公然と革命に反対する勇気はないだろう。この会場には居ないか? もし居たら、この演台に上がって考えを述べてもらおう!」
会場は静まり返った。息をするのも憚られ、重い雰囲気に包まれた。針一本床に落ちても、音が聞こえるほどだった。
「奴らは本性を隠し、我々のスローガンを受け入れておいてから、態度を一変させる。我々の党組織をあちこちで破壊し、我々を悪者に仕立てようとする。なんと陰険なことか。同志諸君! 目を光らせろ! しっかりと見据えるのだ。やつらを根こそぎつまみ出せ!」
高級幹部が立ち去ってから、職員たちは順序良く静かに退場した。心の中の動揺を読み取られるのを恐れ、お互いに目を合わせなかった。それぞれの事務室に戻った後、人々は闘争を開始した。自己批判し、懺悔し、個別に話を聞き、涙ながらに過ちを党に報告した。
人間はこんなにも腰抜けで、水に溶いた小麦粉のように頼りないものか。身の潔白を証明し、他人を告発する時には凶暴になるくせに。深夜、それは人間が最も気弱になる刻だ。本来なら閨房の楽しみに耽り、安らぎを得るべき時間に、尋問や供述も行われたのだった。
数時間前、終業後の政治学習の刻、職員たちはそれぞれ『毛沢東選集』を机の上に置き、新聞を広げていた。こうして二時間をもっともらしく過ごせば、嬉々として帰宅できる筈だった。革命の嵐は党中央の上層部で吹き荒れるだけで、未だ庶民の身には降りかかっていなかった。が、政治部の幹事たちが事務室に来て、職員総会を開催すると通告した。
もう夜の八時だし、二時間余り暇つぶしした後だから、気乗りがしなかった。部長の老劉は口を歪め、くわえたパイプに刻みタバコを詰めている。一体今日はどれだけ吸うことになるんですかと訊かれても、老劉は笑って答えなかった。しかし、気が重い様子だ。
老劉はふだん偉そうにしないし、党委員会を批判する壁新聞を張り出したので、職員はみな親しみを感じていた。老劉に付いて行けば間違いない、と誰かが言うと、老劉は訂正した。「毛主席に付いて行かなくては駄目だ!」。みんなが笑った。この時までは、未だ誰もこの階級闘争を同じ事務室の同僚の間で繰り広げようとは思っていなかった筈だ。
それに老劉は抗日戦争時代からの古参党員だったから、年功序列から言って、部長室の肘掛けの付いた革製の椅子を誰かが奪うことなど考えられなかった。室内には、微かにカカオの香りがするパイプタバコの匂いが漂い、雰囲気は依然のんびりしていた。
夜中になってから、政治工作幹部と、あまり自分の意見を言うことのなかった穏健な党支部書記たちが、それぞれ各事務室に出向いて、一人ずつ事情を聴いた。自己批判する者、懺悔する者、泣き喚く者があり、それから告発合戦が始まった。
公文書の授受担当の黄大姐が、彼の前に発言した。彼女の夫は国民党政府の役人で、彼女を捨て、妾を連れて台湾へ逃げたのだった。彼女は、党のお陰で私は生まれ変わることができました、と言ってすすり泣き、ハンカチを取り出して涙と鼻水を拭った。本当に驚きの余り、泣き出したのだった。彼は泣かなかったが、背中に汗をかいていた。もちろん、それは彼自身しか知らないことだったが。
大学に入った年、彼は未だ十七歳で、ほとんど子供だった。一度、上級生の右派分子を批判する大会に出たことがある。彼ら新入生は階段教室の前方の床に座るよう、指示された。政治教育の洗礼を受けさせようというのだ。名前を呼ばれた右派分子の学生は前に出て、腰をかがめ頭を垂れた。額と鼻の頭に汗をかき、それに鼻水と涙が加わって、足元の床が湿った。その真面目で哀れな様子は、まるで水に落ちた犬のようだった。
演壇に上がって発言するのは、みな同級生だ。興奮しながら熱弁を揮い、右派分子の反党的な罪状を列挙した。その後、食堂で人のいないテーブルを見つけてそそくさと食事を済ませていた右派分子の姿は、いつの間にか消えてしまった。話題にする者さえおらず、まるで最初から存在しなかったかのようだった。
労働改造という言葉を、彼は大学を卒業してからも聞かなかった。その言葉はタブーで、口にしてはいけないようだった。彼は、父が当時どのような審査を受けて農村へ労働改造に送られたのか、知らなかった。母がその言葉を使ったのを、おぼろげに覚えているだけだ。その時、彼はもう家を出て、北京で大学に通っていた。
母が寄越した手紙の中に「労働改造」の文字があった。更に一年が過ぎ、彼が夏休みに帰省した時、父は既に農村から戻って仕事に復帰していた。紙一重のところで、右派分子にされずに済んだのだ。このことを両親は彼にずっと隠していた。
文化大革命の時になって彼は父に問い糺し、初めて父が古参革命家だったあの遠縁の伯父に売られたのだという事実を知った。父の職場では指導部の規定を上回る数の右派分子を摘発したが、父は右派分子の認定を免れ、減俸及び身上調書への記入という処分を受けた。罪状というのは、ちっぽけな壁新聞にささやかな「意見発表」をした咎である。
彼はなんと、九年前の父と同じ罠に掛かってしまった。彼は壁新聞に署名しただけだった。{諸君は国家の大事に関心を持たなければならない}――『人民日報』にゴシックで印刷されていた毛主席の呼びかけだ。彼が出勤した時、一階のホールに壁新聞が張り出され、署名を募っていた。そこで彼も筆を執り、名前を書いたのだった。
この反党的な壁新聞が書かれた経緯も、壁新聞を書いた者の政治的野心も、彼は知らなかった。彼は告発することができなかったが、この壁新聞が矛先を党委員会に向けているのには下心があると、認めざるを得なかった。署名をしたということは、彼が方向を見失い、階級的立場を失ったことを意味する。彼は政治的誤りがあったことは疑いない、と自己批判した。この事は彼の身上調書に書き込まれ、彼の履歴は潔白ではなくなった。
初出;「リベラル21」2024.08.22より許可を得て転載
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記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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