地震予知に科学的根拠はあるか ――八ヶ岳山麓から(482)――
- 2024年 8月 28日
- スタディルーム
- 「リベラル21」地震予知の科学的根拠阿部治平
8月8日、日向灘を震源とした地震が発生し、気象庁は南海トラフ地震の臨時情報「巨大地震注意」を初めて発表した。それから1週間、何ごともなく「注意報」は15日に「解除」された。この間、人によっては大地震に備えて食料を買いこんだし、夏休みだのお盆休みだのの旅行の予定をキャンセルし、観光地は大きな打撃を受けた。
今回の臨時情報には、巨大地震への備えを人々に確認させた意味はあったと思うが、同時に1週間たって警戒期間が終了したことが安全宣言と受け取られる危険性をもつものでもあった。
雑誌「週刊金曜日」の8月23日号に「巨大地震は2040年ごろに」という記事が載った。筆者は地震学者の元京都大学総長尾池和夫先生である。尾池氏は、8月8日の日向灘地震は南海トラフ地震に関連するという前提で大略こういう。
――西日本では、南海トラフの巨大地震の50年前から10年後までの間が内陸部の活断層を中心とする地域の地震活動期となることがわかっている。その活動期と活動期の間は静穏で、その期間の長さが変化することがわかっているとして、1707年の宝永南海トラフ地震、その147年後の1854年安政地震が起こり、その後静穏期があり、1891年の濃尾地震から活動期に入り、1948年で活動期が終わった。その後静穏期が1995年の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)前まで続き、その後活動期に入って現在に至るーー
そして「統計データに基づく予測では21世紀の前半が活動期で、2040年ごろに南海トラフの巨大地震がおこると予想される」として、こう記している。
「日向灘の地震活動は、南海トラフの巨大地震の前にもあるが全体的M7の地震の頻度が高い(ママ)。南海トラフの巨大地震の前後にはその地域の地震活動が高くなる。前回の活動の後しばらく静穏であったが最近活動を始めている。/内陸部の地震活動は1995年以後次の活動期に入っている。/このようなことから、やはり今世紀前半の2040年ごろに南海トラフの巨大地震が起こるという見方が自然なのではないかと、私は思っている」
尾池氏はM7クラスの地震の後にはM8クラスの巨大地震が起こる可能性があると考えているらしい。
注)Mはマグニチュード、地震の規模を定量的に表す尺度。マグニチュードが2増すごとにエネルギーは1000倍に増加する。震度とは異なる。
尾池氏は、かつて『中国の地震予知』(NHK出版)という本で、文化大革命時代の中国における地震予知研究を紹介した。中国では、予知技術、地震観測網、避難訓練が大変よく組織されており、唐山地震のように予知できないこともあったが、予知できたものがあり、住民を巧みに避難させた実績を語っていた。その中にネズミが電線を伝わって移動するといった動物の異常行動と地震発生の関連も肯定的に書いていた。
だが、わたしは中国の地震多発地帯のチベット高原の東端に5年ほど生活して、改革開放後も中国には、地震観測網も予知技術も避難訓練もないことがわかった。尾池氏の本は、中国当局者が提供した材料を何の科学的検討もなく丸呑みしたものだった。
その後尾池氏は、『新版 活動期に入った日本列島』(岩波書店 2011年)を出版した。そこではこう言っている。
「南海トラフの巨大地震の間隔は平均したら117年ですから、(昭和南海地震の)1946年に117を加えると2060年ころになります」「最近起こったマグニチュード4以上の地震のデータから予測すると2040年ころ、マグニチュード5以上の地震から予測すると2040年代、6以上では2050年代となります(p75-76)」という。
だが、尾池氏は、2015年には南海トラフに起こる次の大規模な地震は、2040年ではなく、2038年頃になると予測されているとしていた。
わたしの記憶だと、地震予知が議論されるようになったのは、1976年当時東京大学理学部助手だった石橋克彦氏(現神戸大学名誉教授)が学会で、地震空白地帯である駿河湾・東海地方の大地震の可能性を指摘したことがきっかけであった。1978年には大規模地震対策特別措置法(大震法)が施行された。当時私は夜間高校で地理を教えていたので、地震予知ができるようになるかもしれないと生徒たちに興奮して語った記憶がある。
しかし、1980年代以後の大地震をふりかえると、専門家の作ったハザードマップのもっとも危険とされた地震防災対策強化地域は発生せず、予想外の地域で発生した。地震予知への疑いを強めたのは、1995年の阪神淡路大震災の直後、さる地震学者が「地震予知の可能性は極めて疑わしい、学者だけでなくいろんな人が国家予算を取るために予知だ、予知だと騒ぎ立てるのだ」と発言したことだった。地震の予知は火事の予報をするのと同じこと、といった学者もいた。
もっとも衝撃的だったのは、1998年東京大学理学部助教授ロバート・ゲラー氏(現東京大学名誉教授)の、「地震は気象や海流とは異なる。地震予知は本来できるものではない」という発言だった。
ところで、尾池氏の説くところにはジャーナリストや地震学者の異論がある。
最近の代表的なものは、東京新聞(8月15日から)の<南海トラフ臨時情報を問う>という特集である(小沢慧一記者)。
そこでの名古屋大学の鷺谷威教授(地殻変動学)の話を集約すると次のようになる。
〇気象庁の南海トラフ地震臨時情報の統計は、1904~2014年に発生した世界の地震データである。それによると、マグニチュード(M)7の地震後、7日以内にM8以上の地震が起きた例は1437回中6回としているが、これには、南海トラフのような「海溝型」だけでなく、内陸での地震などさまざまなメカニズムの地震が含まれている。
〇また、1904年からの統計は、観測精度の信憑性の疑問もある。データに一定の質が担保されるのは、一般的に1970年代以降だとされるからだ。「気象庁がまとめたごちゃまぜのデータでは学術論文としては通らないだろう。この統計から言えることは大きな地震が起きやすいという地震学の常識を表しているに過ぎない」
〇臨時情報は想定震源域の中で地震が起きたか否かを発表の基準とするが、過去にこのサイズの地震が起きた記録はなく、「東日本大震災が南海トラフで起きた」場合を当てはめただけのものである。
〇想定震源域自体あまりしっかりした根拠がない。その線の内側か外側かだけで南海トラフ地震の発生可能性を判定しても、科学的にあまり意味はない。注意情報の南海トラフで想定するM7の後に、M8が実際に起きたケースは知られていない。
〇東日本大震災では3月9日にM7.3の前震が起き、その2日後にM9の地震が発生した。安政地震(1854年)や、昭和東南海地震(1944年)では、注意情報より一段警戒度が高い「巨大地震警戒」のケースが発生している。
橋本学・元京都大防災研究所教授によると、政府が地震学者の委員たちに発生頻度を出すよう求めたとき、「どう考えても出せない」と拒否したという。さらに、京都大防災研究所の西村卓也教授によると、過去の日向灘の地震が南海トラフに影響を与えたとする研究はない。「(震源域を)広げたのは南海トラフが起きたときに日向灘に影響を与える可能性が否定できないことが主で、逆はあまり考えられていない」とのことである。
尾池氏の所論には異なった見解があることは以上のとおりである。気象庁の地震予知情報も堅い科学的根拠にもとづくものではない。今後も予知情報を出すなら、これを国民に明らかにしてから予知情報を出すべきである。
わたしは、国は地震の基礎研究を強化するべきであって、地震予知ばかりに人とカネを集中することに強い疑問を持つ。むしろ、防災対策を首都圏や東海・南海地域に限定するのではなく、列島全体の原発の停止と建造物の耐震性の強化にとりくむこと、さらに大地震発生時の正確な情報を国民に逐次提供する仕組みをつくること、被災からの速やかな復興を準備すること、このほうがより現実的であると思う。
ところで、「週刊金曜日」誌の記事「巨大地震は2040年ごろに」の「はしがき」は、「地震学の専門家が説明する」として尾池説を肯定的に紹介している。これは危険ではないか。尾池説と同時に、異なる見解を持つ他の地震学者の見解も紹介すべきではなかったか。
(2024・08・25)
初出:「リベラル21」024.08.28より許可を得て転載
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〔study1315:240828〕
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