石破茂内閣の下で、「選択的夫婦別姓」の制度化は可能か? ― 日本社会になおも根強い「家庭」幻想
- 2024年 10月 6日
- 時代をみる
- 夫婦別姓池田祥子
自民党総裁選を制した石破茂氏
自民党員の「裏金」問題などをきっかけにして、岸田文雄首相は辞任。その後の総裁選では石破茂氏は2位。次いで、1位だった高市早苗氏との決戦投票が行われたが、なんと、石破茂氏が逆転勝利した。
その後、石破茂内閣の各大臣が決められたのだが、その後、「お披露目」だけで実質的な政治活動もないままに、衆院解散が決められ(10月9日)、そして選挙の投票(開票)日は10月27日と決定された。これらの目まぐるしい政界の動きは、テレビ・新聞では、まさしく既成の「政治スケジュール」のごとく、坦々と報道されている。
「選択的夫婦別姓」をテーマにしている本稿にとっては、ある意味、問題外ではあるが、ここでどうしてもひと言、疑問を述べておきたいテーマがある。「衆議院の解散権」をめぐってである。
それは、時々、忘れたころに問題になるのだが、なぜか突き詰められることがなく放置されてしまう。ただ、その問題は、法曹界ですら賛否両論あり、しかも日本の国会はそれを政治の責任として決着つけようとしないからであろう。
憲法には、第69条に、「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」と規定されている。まさに「通常」の解散規定である。
ところが、もう一つ、第7条に、天皇の「国事行為」の一つとして、第3項「内閣の助言と承認によって」「衆議院を解散すること」とある。
この条項は、戦後日本の「天皇制」の継続とも関わる問題ではあるが、元々「解散」そのものが存在しないアメリカ(GHQ)の手によって、戦前の天皇の「衆議院の解散権」がそのまま形式的に継承されたものと思われる。そうであれば、日本国家の独立以降、改めて「国会(衆議院)の解散」とは何か?が問い直され、条文改正が行われてしかるべきであっただろう。
しかし、この7条の「解散」条項は内閣(総理大臣)にとっては「便利」である。なぜなら、天皇の「国事行為」として形式的に行われるものの、その「理由」は、一切問われないからである。それゆえなのだろうが、戦後、衆議院4年の任期満了による総選挙は1回のみ(三木武夫内閣)、69条解散は、4回のみである(1948年12月、吉田茂内閣、53年3月、吉田茂内閣、80年5月大平正芳内閣、93年6月、宮沢喜一内閣)。
そして、それ以外の解散=19回は、すべてこの第7条解散となっている。
衆議院選挙に一体どの位の費用がかかっているのか、詳細は分からないが、かなりの費用が充てられていることだろう。任期途中の議員たちがまた選挙となり、しかも、今回の場合は、仕切り直しの新しい総裁選挙と新内閣の組閣の直後である。
形ばかりの「新首相の所信表明」だけで選挙を行う、とは、一体どういうつもりなのだろう。新首相と新しい内閣の下で、何が、どのように動くのか、それを見ずして、何を基準に候補者を選べというのだろう。
この「第7条解散」の徹底的な検討・廃棄もできない日本の政治、まして今回の石破茂内閣には、ここでのテーマ「選択的夫婦別姓」制度の導入なども、日本の歴史と思想の問い返しを必要とするものである以上、おそらく期待すること自体、無理であろう。
石破茂首相と「選択的夫婦別姓」
9人もの立候補者が揃った自民党の総裁選で、「選択的夫婦別姓」は一つの注目すべき政策課題となっていた。もっとも積極的に掲げたのは小泉進次郎氏(元環境相)である。彼は、(もし総理になったならば)「夫婦別姓を認める法案を1年以内に提出する」と述べていた。それに対して、(故)安倍晋三路線を継承する高市早苗氏(経済安全保障担当相)は、「戸籍上のファミリーネーム、家族一体とした氏(うじ)は残したい」として、強い反対の立場を表明していた。
この両者の分かりやすい「賛成/反対」の論に対して、石破茂氏は、「(選択的夫婦別姓を)やらない理由が分からない」と述べていた。趣旨からすれば「選択的夫婦別姓」制度に、とうぜん「賛成」の論ではある。
それゆえなのだろう、2024年6月10日、国内・国外でのトラブルを起こしやすい「旧姓の通称使用」を見限って「選択的夫婦別姓」制度を積極的に希望する「提言」を取りまとめた経団連も、石破氏の発言に気を良くして、「早期に国会で議論され、成立することを私たちは期待している」と語っていた(経団連ダイバーシティ推進委員長魚谷雅彦氏・資生堂会長、2024.10.2、「朝日新聞」)。
しかし、10月4日、就任後初の所信表明演説が行われたが、もっとも肝心の「裏金の実態解明のための再調査」に関しては踏み込まれず、「政治資金改革」の抜本的な提案もなされなかった。そして、「選択的夫婦別姓」制度に関しては、なんと、ひとことも触れられてはいなかった。
「選択的夫婦別姓」制度に絡まる日本の「家庭」の制度と思想
度々言及されるが、1996年、法務省の法制審議会が「選択的夫婦別姓」制度の導入を求める民法改正案を答申したのは有名である。しかし、これは、自民党の「保守派」の強い反対で現実化されなかった。さらに、「夫婦同姓」の民法の規定が、「両性の平等」を保障する憲法に違反しているのではないか、という裁判も、2015年および2021年の二度に渡って、最高裁は「合憲」の判決を下している。ただし、後者の場合は、国会でさらに審議を進めるよう提言が付記されてはいたが・・・。
しかし、職場や、家庭の「男女平等」の徹底、あるいは「男女」に拘らない「ペア」の自由(同性婚)などの運動に拮抗した「バックラッシュ」の動きが、1990年代後半から顕著になってきた。
これらの動きと重なるように、第一次安倍晋三内閣の下では、教育基本法が改訂され、新たに加えられた「家庭教育」の条項には、児童福祉法に倣って、「父母その他の保護者は子の教育について第一義的責任を有する」と規定された。
また、第二次安倍晋三内閣の下では、「家庭教育支援法案」が提出され(2016年10月)、各地方自治体の「家庭教育支援条例」の制定などによる積極的な協力体制もありながら、最終的には「家庭教育支援法」の制定は見送られている。
しかし、先の岸田文雄内閣の下で発足した「こども庁」が、2023年4月、「こども家庭庁」に名称変更されたことは、いまだ記憶に新しい。さらに「こどもまんなか社会」を打ち出した岸田内閣の下で、「こども基本法」が新たに制定された。
その第3条5項を参考までに上げておこう。
― こどもの養育は家庭を基本として行われ、父母その他の保護者が第一義的責任を有するとの認識の下、十分な養育の支援を行うとともに、家庭での養育困難なこどもにはできる限り家庭と同様の養育環境を確保することにより、こどもが心身ともにすこやかに育成されるようにすること。
以上、「結婚」における「男女」の「姓(氏)」の問題は、結局は、「こどもの育ちの場」としての「家庭」のあり様と密接に関係しあっていることが分かるだろう。
「選択的夫婦別姓制度」自体、ある意味では非常に「妥協的な」提言である。にもかかわらず、それを認めることによって引き出されるさらなる「個人像」および「家庭像」の変容が、歓迎されもし、逆に、非常に警戒もされるのである。
次回は、いま少し丁寧に、「選択的夫婦別姓」をめぐる「個人」および「家庭」のイメージ(思想)の対立状況を、出来る限り対比的に言葉化してみたいと思う。(24.10.5)
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〔eye5782:241006〕
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