現代史研究会「廣松渉没後30年シンポジウム」
- 2024年 11月 1日
- 評論・紹介・意見
- 合澤清廣松渉現代史研究会
*特に予約は不要ですが、会場がいっぱいになり次第締め切らせていただきます。
主催:現代史研究会 担当&進行係・合澤清
日時:2024年11月30日(土)12:30~17:00(開場は12:00)
場所:専修大学神田校舎本館2階201教室〔130名]:地下鉄「九段下」下車、徒歩5分
会場費・資料代:500円
講師と演題/
渡辺恭彦(京都大学教員):「思想史上の廣松渉ー新カント派とマルクスの受容に着目して」
山本耕一(駿河台大学名誉教授):「廣松理論のなかの唯物論」
古賀暹(元「情況」編集長):「事的世界観と仏教」
司会:高橋順一(早稲田大学名誉教授)
開会の辞:石塚良次(元専修大学教授)/閉会の辞:吉田憲夫(大東文化大学名誉教授)
*研究会終了後の懇親会も予定しています(場所などは未定)
1994年5月22日に廣松渉先生が逝去されて、今年で30年が過ぎました。今また、かつて廣松さんが東京で主宰されていた「社会思想史研究会」の有力なメンバーでした筑波大学名誉教授の竹村喜一郎さんが9月17日にお亡くなりになるというアクシデントに見舞われました。この間、何人かのメンバー、関係者が物故され、残されたわれわれとしてはまことに寂しい限りですが、これも人の世の定めとして受け入れる以外にありません。
残されたメンバーも、それぞれがかなり年を取ってきました(病身の方も多いようです)が、まだ意地を張って、それぞれの分野で活躍されていることは風のうわさでお聞き及びのことと思います。昔、廣松さんが言われていた「やせ我慢も我慢のうちだ」という言葉を思い出しながら、あの世に行くまでせめて廣松の教えを守り抜いて頑張りたいと願う次第です。
これがこの集まりの最後になるかもしれませんが、思い切り虚勢を張ってにぎやかに楽しい研究集会を送れれば幸いだと思います。 2024年10月24 日 合澤 清
「廣松渉」をどうとらえるか? この問いにはいまもって答えが出ていない。ある者にとっては、反正統派マルクス主義の旗手であり、またある者にとっては『存在と意味』を頂点とする壮大な哲学体系の構築者である。その哲学体系のうちでおこなわれているさまざまな学問領域への越境を思いあわせるなら、知の巨人という表現こそが廣松にふさわしいと考える人もいるだろう。読む者の関心によって、「廣松渉」という巨塊は、その関心にみあうさまざまな相貌をみせるのである。それでもしかし、われわれは、「廣松渉」とはなにかを問いつづけ、「廣松渉」そのものをとらえようとする。そのうちには、未知の宝がねむっており、それを掘り起こすことで、世界のみえかたが劇的にかわるとの想いに駆られてである。廣松が逝ったのは前の世紀の末であり、そこから30年がすぎた。これを機に「廣松没後30年シンポジウム」を開催する。あらためて「廣松渉」とはなにかを問いなおすための出発点としてある。想いをおなじくされるかたが一人でも多く参加されることをつよく希うものである。(山本耕一)
講演のサマリー
新カント派やマルクス主義は大正期から昭和初期に京都学派の間で受容されたが、思想潮流の移り変わりや思想弾圧などもあり、戦間期になると翳りを見せていった。一時は後景に退いたこれらの思潮を、みずからの体系的思考へと取り込んでいったのが廣松渉である。
もとより新カント派とマルクスを受容した人物は廣松に限られるわけではない。たとえば、新カント派の研究から出発した高坂正顕も、1950年代に入るとマルクスを疎外論的に解釈する著作を公刊した。田辺元の蔵書からもマルクスを綿密に読み解いたことが分かる。新カント派やマルクスを読解した三木、高坂、田辺らと比べたとき、廣松の独自性はどこにあったのだろうか。本報告では、東大図書館所蔵の廣松渉寄贈図書なども紐解きつつ、戦前の京都学派から戦後の廣松への連続性を跡付けることを試みる。 (渡辺恭彦)
「唯物論」は、マルクス・エンゲルスにとって基本的な理論的カテゴリーであり、マルクス主義哲学者である廣松渉もこれを重要視する。しかし、一方には、マルクス・エンゲルスの「唯物論」そのものについて、十全な理解が一般に定着しているとはいいがたい現実がある。「唯物論」が廣松理論のうちでしめる位置が、一見すると不明確であるかにみえるのも、このことに起因しているかにみえる。本報告では、マルクス・エンゲルス「唯物論」についての廣松の理解をとらえなおし、さらには、廣松理論そのもののうちで、 「唯物論」がどのようにつかわれているかを考えてみることにしたい。(山本耕一)
廣松さんと吉田宏晢さんとの対談『仏教と事的世界観』を、全く、理解できなかったことが発端だ。哲学用語やヨーロッパ語が分からないのは勉強していないのだから当然。だが、墓も寺にあるというのに、子供の時から仏教系の用語は使い慣れているハズなのに、全く、理解できない。他の文人たちが書いた親鸞、法然、日蓮などとはまるで違う世界なのだ。
この二人の対談は廣松さんが初めて書いた『エンゲルス論』につながるものなのだと気づいたのは、ごく最近、約5年ほど前のことだ。西欧がキリスト教を脱するのには唯物史観の登場によってだが、インド仏教の歴史はその過程に相当する。①仏陀とバカヴァットギータ― ②第二回大結集と仏教の分裂 ③大乗の成立とナーガルジュナ ④アサンガーヴァスバンドアと唯識論という順に仏教をならべて、廣松哲学と革命思想を語ってみたい。
話は、僕のことだから、ざっくばらんだ。本当かな?いかがわしいな?思われて結構。解体と構築はそこから始まる。ヨーロッパで行われている二つの戦争はなにを意味しているのか、こうした地点から考えてみようと思っている。あれから30年、11月1日(古賀暹)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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