Global Headlines: 死せるスターリン、生けるプーチンを走らす
- 2024年 11月 24日
- 評論・紹介・意見
- 野上俊明
<はじめに>
最初に表題に関して一言。これは、中国の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という故事成句をもじったものである。そもそもの意味は、優れた人物は死んだ後もなおその威光は衰えず、生きる者を怖れさせるというものであるが、私のは反対の意味で使っている。つまりその独裁政権下、独ソ戦勝利の立役者でありつつも、粛清や餓死など何百万人かを死に追いやった恐るべき政治指導者スターリンが、死してなお現代の政治家たちに悪影響を及ぼしているという意味である。
今日紹介するのは、ロシアにおいてプーチン政権の下で、じわりじわりとスターリンが復権しつつあるという恐ろしい現実を伝える記事である。一国家が戦争に進むときは、国内の抑圧体制も強化されるというのは歴史の常態であろう。ロシアの日常は紹介されることが少ないので、みなさんには素直に読んでいたき、考えていただきたいのである。
ついでながら、スターリンに関連するといえなくもない日本の政治事象について、若干触れてみたい。最近YouTubeで、日本共産党(以下共産党)を相手取って、除名処分撤回と名誉棄損の損害賠償を求めて裁判闘争を起こしている松竹伸幸氏の動画を、最近になっていろいろ目にした。元「かもがわ出版」編集長にして元日本共産党中央委員会勤務員だった松竹氏の裁判には、著名なリベラル派知識人である内田樹氏らが支援活動をおこし、有力な弁護団も結成されて闘っている。
松竹氏らの処分問題がニュースになってから相当日が経っているのに、筆者の関心がこのトピックにすぐに向かわなかったのには理由がある。じつは松竹氏らが起こした波紋は、既視感のある光景であったからである。1970年代末に、関心の範囲は狭い左派系知識人サークルに限られたものであったろうが、「不破―田口論争」というものがあった。70年代はじめの共産党の躍進は、「自由と民主主義の宣言」にみられるように政治思想のうえでも斬新な問題提起をともなっていた。ソ連型国家社会主義と訣別し、高度に発展した資本主義社会にふさわしい、市民社会重視の多元的な社会構成のうえに社会主義を展望するユーロ・コミュニズムの潮流と軌を一にするものであった。丸山眞男の直弟子であり、大学教授でかつ共産党の党員でもあった田口富久治氏は、新生共産党の知的パイオニアとして八面六臂の活躍をしていた。
ところがその後70年代末、我々には突然のことに思われたが、共産党の書記局長である不破哲三氏が、田口氏の市民社会と(前衛)政党との関係性や、共産党の組織原則である民主集中制に関する問題提起に関し、本格的な反論を開始した。論争ではレーニン全集すべてが頭に入っているという噂(?)の不破氏が、博引傍証で徹底的に田口氏を論破した印象をあたえるものであった。しかし私は外野からみていて、この論争は勝負では不破氏が押し切ったかもしれないが、内容的には田口氏の問題提起の方が、未来に通じる理論的可能性を含んでいると感じた。しかし党内で激しい批判を受けたという田口氏は矛を収めて、共産党にとどまったという。とはいうものの、それまで新生共産党を代表する論客として大活躍をしていた田口氏は、共産党系のすべての出版物からは姿を消した、つまり失脚したのである。※私は、ほとんどの書籍・資料はヤンゴンに残してきており、残りも断捨離で整理したので記憶のかぎりでしかないが、ユーロコミュニズムの複数(多元)主義と正統派マルクス主義の一元論という哲学的立場の違いを背景に、特に組織原則の点では一歩も譲らないという不破氏の態度は印象的だった。
※ヤンゴンでの経験であるが、2004年に失脚した秘密警察のトップであったキンニュンは、それまで軍事博物館のいたるところに掲示されていた写真が、一夜にしてすべて撤去されたのに驚いた記憶がある。歴史の偽造は、まずは目前の事実を抹殺することから始まるのだということがよく分かった。因果は巡るで、キンニュンの上司は、独裁者ネウィンであり、ビルマ(型)社会主義を標榜し、国民に塗炭の苦しみを味合わせた張本人であった。
それは今回の松竹氏の場合でも同じであった。組織原則である民主集中制は、いわば共産党の触れてはならないタブーの感があり、これを冒すものは誰あろうと容赦しないという頑なな態度は、田口氏のときと変わっていない。民主集中制は、革命党としての正統性と戦闘性の源泉ともいうべきものであり、治安維持法の時代から今日まで権力の弾圧を耐え抜いてきたのは、これのおかげなのだと確信しているのであろう。そういう文脈にかんがみれば、組織原則に異を唱えるのは、利敵行為だとまでおそらく多くの党幹部は考えているのであろう。
70年代に、自由や民主主義という、いわゆる西側的価値体系に準拠した社会主義社会をめざすと宣言した共産党、それはソ連型の閉じられた社会ではなく、開かれた社会のイメージであった。しかし田口氏が問題提起したのは、共産党の組織原則は古いスターリン型の一枚岩の党、上意下達の党という枠組みにいまだ囚われており、党内民主主義が躍動し、市民社会に対して開かれた党へと変わる必要があるということではなかったか。おそらく党中央を怒らせたのは、今のままの組織原則では、万が一共産党が政権を取って社会において多数派勢力となったとき、ソ連のような専制体制を復活させる可能性があるのではないかという「反共的」「濡れ衣」的疑念であったろう。
共産党中央は、田口氏や松竹氏のような批判に対し、組織運営にかんして民主主義の原則は生かされていると強弁する。しかし多くの識者が異口同音に指摘するように、各級機関の幹部の選出方法は中国や北朝鮮の人民代表大会方式であり、自由な選挙ではなく上級機関からの指名選抜でしかないので、現執行部に有利な多数派形成が行われ、したがって異論が出にくい構造になっている。また上級と下級のタテの関係だけが許されており、所属支部同士や党員同士が横の関係を結ぶことは禁止されているので、党内世論が下から形成されるのが困難である等々。松竹氏の提起した党代表の公選制は、こうした批判を踏まえてのものだった。
共産党が、スターリン主義型の党、コミンテルン型の党から完全に脱皮できていないことの傍証がある。ソ連研究史のうえで有名な「スモレンスク文書」というものがある。ナチスドイツが、1941年6月、バルバロッサ作戦でソ連に攻め入ったとき、これに対しきちんとした準備ができていなかった赤軍はまたたく間に蹂躙され、ドイツ国防軍の怒涛の進撃を許してしまった。モスクワから比較的近いスモレンスクでは、党組織は大慌てで退却したため、多くの党文書を処分できないまま置いてきてしまった。それをナチスが押収しドイツに持ち帰ったため、なにかと秘密のベールに包まれていたスターリン治下の地方組織の現状がどうであったかが明らかになった。
その文書によれば、地方の党組織(ソビエトでは行政組織と一体化している)は、党中央から次々に発せられる(過大な)指令を消化できずにアップアップ状態で、地元から上がってくる要望や苦情にまったく対処できないでいる有様が手に取るように分かったという。スターリンの専制体制にあっては、党組織においてはなおさらのこと、上意下達の上下関係は徹底されおり、下から情報や人民の要求を中央にフィードバックする機能は非常に弱かったのであろう。それは、日本共産党が十年一日のごとく党勢拡大と称して、赤旗拡大や党員拡大、選挙の得票等の過大な目標を下級に押し付け、尻を叩く様と瓜二つではないか。理論や政策を学習する余裕、住民や職場の要求に耳を傾け、それを政策化する余裕、市民社会に分け入って一般市民と交流し関係を深める余裕、そういうものを許容し人の城を築く孜々たる営みをバックアップすることなくして、どうして党勢拡大ができるのであろうか。過大な党勢拡大の目標を押し付けられることが重なれば、「まともに付き合っていられないや」というシニシズム(冷笑)やあきらめを生むに違いない。それは異論が存在することよりも何倍も政党組織にとって恐ろしいことではないのか。
松竹氏の除名理由に、問題を党内で処理することという規約に違反し、党批判的な問題提起を外部の雑誌で行なったことが挙げられている。たしかに規約の逐条的理解においては違反しているといえるであろう。しかし私は動画で松竹氏の目を赤くして弁明する、誠実さにあふれた様子を見たとき、腑に落ちた。永年党員であり幹部党員の松竹氏は、このままでは氏が愛してやまない党は衰退し、なくなるかもしれないという危機意識に駆られて、雑誌発表を決断したのであろう。異論が組織内で素直に受け止められるような雰囲気(エートス)が日常的にあるのであれば、そんな冒険はしなかったであろう。確かにその危機意識は当たっており、先の総選挙では、かつての左翼陣営の双璧であった共産党・社民党合わせて9議席でしかなく、泡沫政党の瀬戸際に追いやられているのだ。これは私の印象批評にすぎないが、志位議長の弁明の記者会見を動画で見たとき、その木で鼻をくくったような官僚風の態度に、この処分はこの人の自己決定ではなく、だれかに言わされているのではないか、との疑念が浮かんだ。
松竹問題で感じることは、地方出身者にありがちな、ふだんは標準語をしゃべっていても、とっさのときにお国訛りが出るように、党の深層に潜んでいた前衛党神話や理論的無謬性のマインドセット(思考態度、思想習慣)が、限界状況の際につい出てきてしまうのではないかということである。共産党が選挙で勝ち続けているというなら、共産主義の勝利は必然であり、党の綱領は全く正しいと主張しても、かなりの人々を納得させられるであろう。しかし長期低落を余儀なくされ、衆議院の議席が一桁台になってもなお綱領や組織原則が不動だと言い切れるのだろうか。「プディングの味は食べてみなければわからない」とあるように、真理判定の基準は大局的には実践にあるとするのがマルクス主義の立場ではないのか。党の理論政策や実践にどこか時代にそぐわず、国民の要求とずれているから、支持者や支援者が減っていると考えるのが普通ではないか。少なくとも党を挙げて謙虚に理論と実践の検証のために力を尽くすべきではないのか。やせ我慢と強弁の姿勢が目立つ今日この頃である。
最後に松竹弁護団から、裁判闘争の意義の説明がなされたので、それを記しておこう。
共産党の主張する松竹処分の法理は、共産党が構成員たる松竹氏に対しどのような処分を行なうかは、結社の自由に属することで、国家権力たる司法の介入すべき問題ではないということである。弁護士曰く、この主張は、日頃共産党が「職場に憲法なし」として企業の人権無視を批判する活動とは矛盾している。
企業に限らず、政党、宗教団体、労働組合などの中間団体(部分社会)においても同じ法理が当てはまる。
たとえ組織内部であろうと、構成員の人権や言論の自由は蹂躙されてはならないのだ。松竹氏の場合、一方的に処分が下され、規約に謳われている党大会での弁明の機会も与えられなかったし、党機関紙その他で不当にも党の破壊分子扱いされ、名誉を汚された。除名処分の撤回と名誉棄損の回復を求めての裁判には、中間団体における人権擁護という一般的な意義が認められる。政党と市民社会と国家との関係を改めて見直すいい機会だと、私は感じた。
しかしこの問題は共産党にとって、どう転んでも傷つかずに済まないであろう。裁判に勝ったとしても、松竹氏らの人権侵害を行なった党という汚名はついてまわるであろうし、負ければ、処分決定者の責任問題が浮上するであろう。まさに共産党は危急存亡の危機にあるといえるのであろう。
(1)ロシアの歴史修正主義:記憶が消されつつある
――スターリン主義の犠牲者を追悼するモスクワのグーラグ博物館が突然閉鎖された。
出典:taz 16.11.2024 von Inna Hartwich
原題:Russischer Geschichtsrevisionismus:Die Erinnerung wird auslöscht
https://taz.de/Russischer-Geschichtsrevisionismus/!6049343/
グーラグ博物館は、スターリニズムの犯罪を記憶にとどめるロシアで唯一公式に認められた場所であった。 Foto: Maxim Shipenkov/EPA/picture alliance
暗い背景に4つの文章が書かれている。モスクワ北部にある国家グーラグ博物館は、ホームページでこれ以上の説明をあえて提供していない。「専門家による博物館の検査中に、防火安全規定違反が発見された」と、そこには書かれている。博物館は休館日が続くが、いつまで休館するかは誰にも分からない。
この成り行きは、ロシアがいかに過去から脱却しようとしているのかを改めて示している。グーラグ博物館は、スターリニズムの犯罪を記憶にとどめることを公式に認められた国内唯一の場所である。この博物館は、強制収容所の元囚人の主導により、2001 年にロシアの首都の中心部に設立された。2015年には北に移転し、市当局は数百万ユーロ相当の費用をかけて古い多階建て住宅の改築を承認していた。当初は裏庭の小さな博物館であったものが、建築的に考え抜かれた追悼の場所となった。ここでは、従業員たちは常に国家の監視下に置かれていたものの、国の大きな記憶のギャップを埋めようとしていた。特に若者は、「収容所管理本部」(ロシア語で「GULag」がその略称)についてほとんど何も知らない。この当初は管理上の用語であったものが、抑圧的なソビエト体制そのものを象徴するものへと急速に変化した。2000万人が収容所を通過し、そのうち200万人が死亡、ソ連政権によって70万人が処刑され、集団墓地に投げ込まれた。その時代のトラウマ、つまりロシアのすべての家庭に深く残る傷は、いまだに癒えていない。それが国家の望むところなのだ。
大粛清を正当化するスターリン主義
長年にわたり、政府は記憶を消し去ってきた。司法長官は以前の被害者の復権を撤回し始めた。スターリン主義の犠牲者の家屋に貼られた追悼プレート「最後の演説」は、繰り返し剥がされている。また、2001年に発足したものの、現在は禁止されている人権団体メモリアルによる伝統的な「名簿返還」キャンペーンさえも禁止されている。国家によって虐待された人々の名前を大声で読み上げることは、誰にも許されてはいない。しかし、グーラグ博物館は10月30日に「追悼の祈り」を呼びかけていた。何時間も前から、人々は主にスターリンの殺人マシンによって命を落とした肉親を追悼するために、博物館の庭に集まっていました。多くのロシアの観察者は、これが博物館の突然の閉鎖の主な理由であると見ている。
クレムリンは、過去の国家の行動を美化している。スターリンは「偉大な勝利」をもたらした「有能な指導者」である。悔悟はいずれにしても役に立たないと、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は数年前、強制収容所博物館の館長ロマン・ロマノフ氏に語った。クレムリン当局によると、アーカイヴの公開には「あまりにも大きなリスク」が伴う。「先祖について知ることを、すべての親族が喜ぶとは限らない」からだ。そのため、国家はスターリニズムについて、大粛清を正当化するようなニュートラルに近い物語を維持している。スターリンの新しい記念碑、胸像、レリーフが国内各地に登場しても、もはや憤慨する人はほとんどいない。「グーラグ(強制収容所)は昨日だけではなく、今日のことだ」とグーラグ博物館の館長はいつも言っていた。閉館後、一部の人は美術館の説明の下に書き込みをしている―「博物館は閉館しているが、博物館が語ることは今日、博物館の外で、私たちの目の前で起こっている」
(2)イリーナ・シェルバコワ、亡命と脱出について語る:「ロシアが恋しいとは思わない」
――プーチン、ウクライナ、そして欧米。文化研究学者のシェルバコワが、民主主義、連帯、東欧専門家アン・アップルバウムの功績について語る。
10月にベルリンを訪れたノーベル平和賞受賞者のイリーナ・シェルバコワ氏。 写真:Doro Zinn
出典:taz12.10.2024
原題:Irina Scherbakowa über Exil und Flucht „Ich vermisse Russland nicht“
https://taz.de/Irina-Scherbakowa-ueber-Exil-und-Flucht/!6039574/
<イリーナ・シェルバコワ>
人権活動家。1949年モスクワ生まれ。歴史家であり、ドイツ研究の専門家。2022年にノーベル平和賞を受賞したメモリアル(Memorial)の共同創設者。『マイ・ファーザーズ・ハンズ』の著者。
taz: シェルバコワさん、どちらからいらっしゃいましたか?
シェルバコワ: 私はチェコ政府からプラハでのメモリアルとのイベントに招待されました。8月の捕虜交換で釈放されたオレグ・オルロフ氏は、ロシアにおける政治犯に関する展示会をオープンしたのです。オルガ・ミシクもそこにいました。彼の有名な写真はプラハでも知られています。彼女は抵抗の象徴となりました。
taz: どの写真でしょうか?
シェルバコワ: 写真は、2019年にロシア警察特殊部隊の前に座る17歳のオルガの姿です。彼女は、統一地方選挙から無所属候補者が排除されたことに対して抗議したのです。彼女は憲法の表現の自由に関する条項が書かれた本文を手に持っていました。彼女は2年間、自宅軟禁となり、その後ロシアを去らなければなりませんでした。現在はドイツに在住しています。私たちとチェコ人は、ソビエト政権との共通の歴史を持っています。ロシアの政治犯の状況には大きな共感が寄せられています。私たちはチェコの学校にも招待されました。そこで、戦争の状況とロシアからの脅威が多くの若者には身近に感じていることが分かりました。
taz: ロシアでは、人権団体メモリアルは禁止されていますね。亡命中の活動はどのようなものですか?
シェルバコワ:メモリアルは、一般的にスターリン時代と共産党支配に関する情報を提供しています。私たちは情報を収集し、文書を評価しています。複数の組織のネットワークがあります。チェコ共和国にも独自のメモリアル組織があります。
taz: あなた自身、亡命してどのくらいの期間になるのですか?
シェルバコワ:2022年3月7日にロシアを出国しました。2022年7月からドイツに滞在しています。taz: モスクワが恋しくないですか?
シェルバコワ:正直に言うと、いいえ。今のロシアが恋しいとは思いません。恋しいのは、メモリアルでの仕事、そして今もそこにいる友人や同僚たちです。私にとって、2022年2月24日のウクライナ攻撃の日は、それまでほとんど想像もできなかったような大惨事を象徴する日となりました。その攻撃は多くのものを破壊しました。例えば、私が生きている間にロシアが民主的に発展するだろうという希望でした。
taz: あなたはプーチン政権下でのネガティブな展開を観察し、早い段階から警告していました。
シェルバコワ:プーチンが権力を握ってから、より危険で権威主義的な国になりました。2014年にはクリミア併合がありました。そしてドンバスへの攻撃。しかし、歴史家といえども人間であり、彼がそのような戦争を始めるなどとは誰も想像したくありませんでした。2021年晩夏以降、彼はウクライナへの攻撃を計画していることは明らかでした。
taz: ロシアの人権状況に対する圧力は、再軍備と並行して高まったのでしょうか?
シェルバコワ:メモリアルは2017年にすでに「外国代理人」と宣言されており、常に攻撃を受けていました。ロシア連邦最高裁は2021年12月、メモリアル・インターナショナルを抹殺しました。ウクライナへの侵攻は2月に行われました。
taz: ロシアによる攻撃の直後、あなたはインタビューで、キエフへの攻撃はクリミアとは違うと語っていました。あなたはプーチン大統領が間違いを犯したのではないかと期待した。
シェルバコワ:もっと多くの人々が街に出て抗議してほしいと願っていました。デモは行われ、何千人もが逮捕されましたが、私たちは十分な力を持ち合わせていませんでした。私は、欧米諸国がもっと迅速かつ断固とした対応を見せてほしかったのです。私は恐怖からではなく、怒りからロシアを去りました。仕事を続けることが不可能であるためでした。プーチン大統領や戦争に反対する多くの人々が、ロシアを去りました。また、ソ連時代のように、二度と沈黙させられたくはありませんでした。夫も私も、強制移住を決して許しませんでした、1970年代にも、1980年代にも。今回は、私たちは荷物をまとめて犬を連れて出て行きました。幸いにも、子供たちはすでに出ていった後でした。私は、祖父母がモスクワに移住してからちょうど100年後にロシアとモスクワを離れたのです。
taz: 彼らはどこから来たのですか?
シェルバコワ:ベラルーシとウクライナの国境沿いの小さな町の出身です。私は家族の記録、本、家具をすべて残さなければなりませんでした。時々、親友が個別の、特に重要な文書を私に持ってくることがあります。
taz: あなたはドイツに直接こられたのですか?
シェルバコワ:いいえ。このケースでは幸運にも、私たちはすぐにイスラエル国籍を取得することができました。イスラエルには親戚がいますが、自分たちがパスポートを必要とする状況になるとは思いもしませんでした。
taz: なぜドイツに向かったのですか?
シェルバコワ:私はもともとドイツ学の研究者でした。メモリアルでは、長年にわたり、ドイツの歴史家や追悼施設、財団と緊密に協力してきました。私たちは20世紀の歴史、戦争や独裁政権によってつながっています。私は奨学金を受け取ることができ、同僚や友人たちに支えられています。私はワイマールに1年間いました。そしてイムレ・ケルテス・コレグを通じてそこで働きました。ご協力に大変感謝しております。一方、私たちはベルリンでモスクワの同僚やドイツの仲間たちとともに「フューチャー・メモリアル」記念協会を設立しました。ロシアで行なっていたように、小学生向けの教育プロジェクトを含め、私たちは活動を継続しようとしています。 今、異なる状況下で、多くの国に散らばるロシア系ディアスポラの若者たちとともに。これには、ケルバー財団が支援してくれています。
taz: モスクワに残った人たちはどのような状況ですか?
シェルバコワ:メモリアル・インターナショナルは清算され、モスクワの家も取り上げられてしまいましたが、同僚たちはまだそこに存在しています。私たちは情報を交換し、緊密に連絡を取り合っていますが、彼らのことがとても心配です。彼らは大きなプレッシャーにさらされています。
taz: ドイツで安全だと感じますか?
シェルバコワ:はい、私は恐れていませんし、政治家でもありません。ロシアの政治家と野党のメンバーにとっての危険性は異なります。ベルリンのティアガルテン地区で殺人事件がありました。そしてロンドンでの殺人事件。そしてもちろん、ソーシャルメディアを通じてドイツの政治に介入しようとする絶え間ない試み。
taz: あなたはフランクフルト・アム・マインでは、10月20日にパウルス教会で歴史家アン・アップルバウムを称えるスピーチを行う予定ですね。彼女はドイツ書籍業界の平和賞を受賞する予定です。モスクワでアップルバウムにお会いになりましたか?
シェルバコワ:私は2000年代初頭にメモリアルでアン・アプルバウムに会いました。彼女は著書「Der Gula収容所』のために、私たちの資料や人脈を利用して当時の目撃者たちを調査し会いました。彼女は、適切なタイミングで何が重要な問題であるかを的確に把握しています。メモリアルでは、ソ連における政治的テロの歴史に関するあらゆる資料を収集しています。回想録、文書、研究、書籍、収容所と収容者のリストなど、膨大な量の資料が作成されました。アン・アップルバウム著の『収容所』は素晴らしい本です。とても読みやすく、国際的なベストセラーとなりました。2004年にはロシア語版も出版されています。
taz: その後、アップルバウムは、ウクライナで数百万人の命を奪った大飢饉「ホロドモール」について研究しました。
<アン・アプルボームの本>
●ウクライナ大飢饉:スターリンとホロドモール 白水社 2024
●権威主義の誘惑:民主政治の黄昏 白水社2021
●鉄のカーテン(上)(下):東欧の壊滅1944-56 白水社2019
●グラーグ ソ連集中収容所の歴史 白水社2006
シェルバコワ: この本は2017年に出版されました。しかし、それ以前にアン・アップルバウムは冷戦について別の本を書いています。彼女は、ウクライナにおける集団飢饉について、欧米ではほとんど知られていなかった当時、その本を書きました。1930年代初頭のソ連における大規模な飢饉は、スターリンが組織したものでした。この件については、ソ連では沈黙のベールに覆われていました。ウクライナのほとんどの家庭には、この悲劇的な記憶が残っています。
スターリンの政策は、その残酷さのすべてをもってウクライナを襲った。それはまた、集団化への抵抗に対する復讐でもあった。ここ20年間、私たちはポルタヴァ市から1時間ほどのウクライナに小さな別荘を所有しています。大飢餓の記憶は今でもそこに強く残っています。ドイツの占領下時代と同じように。ソ連の強制労働者数百万人がドイツに移送され、そのほとんどがウクライナの出身でした。
taz: アン・アップルバウムの最新作は『専制者たちの枢軸』というタイトルです。ロシアは現在、イランや北朝鮮などと同盟を結んでいる。フィコスやオルバン、AfDやBSWもいます。ソビエト時代はすべてがもう少し単純だったのでしょうか?
シェルバコワ:ソビエトはすでに外交政策と国内政策を密接に結びつけていました。彼らは、世界中の民主主義国に対する憤りを煽る方法を正確に知っていました。しかし、プーチンは間違いなく、国民に新たな拡大的な民族・帝国思想を植え付けました。彼は同盟相手を選ぶのにまったく躊躇しません。西洋は長い間、それを信じようとしませんでした。私たちはそれを警告しました。彼は2008年にはグルジアを攻撃し、2014年にはクリミアを攻撃しました。二度とも、彼は西洋を試したのです。そして、何も起こらなかった。
taz: 彼は感動したでしょうか。
シェルバコワ:: 私は、欧米がもっと早く、必要であれば制裁措置も辞さないという態度で対応していれば、チャンスはあっただろうと考えています。彼の攻撃性には、自分自身の強さでしか対抗できません。彼は他の言語を受け入れません。彼らは、恐怖、都合、あるいは経済的利益から見て見ぬふりをしていました。 それは控えめに言っても近視眼的でした。今日、私たちはそれの大きな代償を支払っています。
taz: 今、侵略者と交渉する見込みはあると思いますか?
シェルバコワ:交渉はありました。ミンスクIおよびII条約です。彼はすべてを破棄しました。プーチンが勝利できると考えている限り、それは無意味です。
taz: 一部では、彼は脅威を感じたためにウクライナに侵攻したと信じられています。あなたの考えでは、彼は民主主義により脅威を感じているのでしょうか、それともNATOにより脅威を感じているのでしょうか?
シェルバコワ:民主主義と自由が意味するすべてのものからです。西洋の自由なライフスタイルから。西側諸国は彼の敵です。彼によれば、西側諸国は退廃と堕落を体現しているが、ロシアは自らの「価値観」を擁護しているだけだといいます。彼は絶対的な同性愛嫌悪者であり、フェミニズムを嫌っています。彼はナショナリズム、伝統、軍国主義が拠りどころです。NATOからの危険性という主張は、単なるこけおどしに過ぎません。フィンランドは何十年にもわたって中立を維持してきました。ウクライナへの攻撃後にNATOに加盟したのです。スウェーデンもまたしかり。バルト諸国は、自分たちを守るために早期に加盟しました。いいえ、プーチンはウクライナの親欧州、民主的な発展を残忍な武力で破壊しようとしているのです。彼の軍隊は恐ろしい戦争犯罪を犯しています。彼らは、マリウポリで行ったように、子どもたちがいる劇場を爆撃し、小児病院を砲撃し、捕虜を拷問する。攻撃開始以来、数えきれないほどの戦争犯罪が記録されています。
taz: ロシアの人々は戦争に飽き飽きしているのではないですか?
シェルバコワ:はい、しかし、大衆は運命論的になりがちで、それに順応し、見て見ぬふりをするのです。 クルスクでも突如戦闘が始まったとき、ショックを受けた者もいました。しかし、だからといって、今、人々がこぞってプーチンに反対しているわけではありません。彼は依然として大多数の支持を得ています。プロパガンダを信じようとする姿勢は依然として存在しています。プロパガンダは戦争を正当化します。そして、それを信じることで、個人的な責任から解放されるのです。
taz: しかし、イデオロギーだけではお腹は満たされませんよね?
シェルバコワ: その通りです。しかし、例えばモスクワでは、戦争に志願した人にはすぐに2万ユーロ相当のボーナスが支給されます。ロシアには大金がある。犠牲者の遺族にも補償金が支払われます。
taz: この戦争はどのようにして終わらせられるのでしょうか。
シェルバコワ:ウクライナをプーチン大統領の犠牲者として差し出すことによってではありません。プーチン大統領は西側諸国の国民感情を操作しようとしています。私の意見では、彼を止めることができるのは戦場だけです。それ以外はすべて、危険な幻想にすぎません。プーチン大統領は、停戦を勝利として売り込める場合にのみ停戦に同意するでしょう。彼はウクライナという国家を滅ぼしたいのです。そしてヨーロッパを不安定化させる。狂気じみた再軍備です。彼にはもう後戻りできない。西側諸国は、彼に脅迫されてはならないし、彼の脅しに屈してはなりません。さもなければ、安全も真の平和もあり得ないのです。
(機械翻訳を用い、適宜修正した)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion13976:241124〕
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