『昨日の敵』は『今日の友』:カダフィ政権打倒で立場逆転 -英米機関に追われた過激派がトリポリ制圧の司令官-
- 2011年 9月 12日
- 時代をみる
- リビア反体制派とアルカイダ伊藤力司英米情報機関
8月20日(土曜日)のリビアの首都、トリポリへの夜襲作戦でカダフィ政権を倒した立役者アブデルハキム・ベルハジ司令官(45)はかつて、ウサマ・ビンラディン配下のテロリストとして米英の情報機関CIAやMI6に逮捕され、拷問を受けたという数奇な人物である。
もともと反カダフィのリビア東部出身のベルハジ青年は1980年代、国内で生きることに希望を失い、当時反ソ聖戦を戦っていたアフガニスタンの「ムジャヒディン」(イスラム聖戦士)のゲリラ戦に身を投じた。現場のアフガン人はじめイスラム各国から駆けつけたイスラム軍団は、パキスタンを根拠地にソ連と冷戦中だったアメリカのCIAから各種兵器をもらい、サウジアラビアなど湾岸産油国からの資金援助を受けて10年にわたる戦争で、ソ連軍を追い出して勝利したのだった。
この反ソ戦争を通じて、戦後アフガニスタンを支配するイスラム集団タリバンが生まれ、2001年の「9・1」米中枢同時テロの“首謀者”ウサマ・ビンラディン率いる国際テロ組織アルカイダが育ったのだった。こうした過程で、少年時代からイスラム主義に「かぶれて」いたというベルハジ青年がウサマ・ビンラディンに憧れ、アルカイダと同調するリビア・イスラム戦闘集団(LIFG)を結成したのは当然の成り行きだったろう。
アルカイダを追跡することを主たる任務としていたCIAが、アルカイダの共闘組織LIFGをも追跡するのは当然である。CIAにはNATO(北大西洋条約機構)の同盟諸国の情報機関も協力していた。中でもアングロサクソン同士の英国の情報機関MI6はCIAとは一心同体と言ってもいいくらいの協力関係にあり、MI6が英国在住のメンバーの多いLIFGの追及でCIAを助けたのは当然のことだった。
さてベルハジは2004年3月6日、タイの首都バンコクでCIAの手の者に逮捕、拘束され、拷問を受けた。この逮捕劇にはMI6のCIAに対する情報提供があったことが、つい最近カダフィ政権崩壊後のトリポリで発見された資料によって明らかになった。
カダフィ政権は1969年の政権奪取以来、エジプトのナセル革命にならって反帝反植民地主義を国是としてきた。当然ながら1970年代を中心にアラブ民族主義の立場からパレスチナ人民解放・反イスラエルの闘争に本腰を入れ、イスラエルをかばう欧米と激しく対立してきた。これに対し米国などはリビアをテロ支援国家に指定、厳しい経済制裁を加えた。
リビア秘密情報機関は1986年、在独米兵が多数出入りするベルリンのディスコで強力な爆弾を爆発させ、米兵3人が死亡、200人以上が負傷するテロ事件を起こした。時のレーガン米大統領は米空軍にトリポリのカダフィ大佐の住む区画へ報復爆撃を命令、大佐の幼い養女を爆殺した。これに怒ったカダフィ大佐は、秘密機関に命じて1988年12月米パンナム旅客機を英スコットランド上空で爆破させ、乗客乗員270人の生命を奪った。
ところがこのカダフィ大佐が、2001年の「9・11」事件を契機にリビアの外交政策を180度転換したのである。リビアはそれまで、核兵器や化学兵器など大量破壊兵器を持つことが米国に対抗する手段と考え、秘かに核兵器や化学兵器の開発を進めていたが、「9.11」後の米軍のアフガニスタン侵攻、サダム・フセイン大統領追放のためのイラク侵攻を見て、さすがの大佐も“宗旨”を変えた。
リビアは一転して米ブッシュ政権、英ブレア政権と接触して“宗旨変え”を売り込み、大量破壊兵器を廃棄した。この時点でカダフィ政権の秘密情報機関と接触して、リビアの方針転換を円滑に進めさせたのが英国の諜報機関MI6だった。18世紀以来「7つの海」を征服した大英帝国の植民地支配を円滑にするため世界に張り巡らせた諜報網の蓄積を持つMI6は、第2次大戦後に誕生したばかりの米国のCIAを寄せ付けないノウハウを持っている。つまり中東・アフリカのアラブ世界にも詳しいMI6がCIAと協力して、リビアの“更生”を助けた訳だ。
このようにアルカイダやLIFGを追及するCIA・MI6共同作戦が展開する中で、04年バンコクでベルハジが逮捕された。協力者からMI6に提供された情報がベルハジ逮捕につながった。ベルハジの供述によると、彼はまずバンコクでCIAに尋問され、拷問された。両手両足を縛って壁から吊るす拷問で、CIAはアフガニスタンやパキスタンで活動するアルカイダやLIFGなどの反米組織について尋問したが、ベルハジは口を割らなかった。
ベルハジから思わしい情報を得られなかったCIAはMI6の助言にそって、ベルハジの身柄をリビアの情報機関に渡すことにした。CIAもベルハジらテロ容疑者に対してかなりひどい拷問も行ったが、捕虜の待遇に関するジュネーブ条約に縛られた(いわゆる先進国)の英米は、ベルハジを祖国に引き渡してリビアの情報機関に拷問をやらせることを考えた和訳だ。米国がアフガニスタンなどで捕えたイスラム過激派を在キューバ・グアンタナモ基地の軍収容所に送り、ジュネーブ条約に反する過酷な拷問を加えたことに、米国の人権派団体は厳しく告発していた。
こうした告発を避けるためにCIAはMI6の協力を得て、テロ容疑者の身柄を英米と友好関係にあるエジプト、イラク、サウジアラビアなど発展途上国の情報機関に渡して、拷問による尋問を代行してもらう方式を開発したのだ。英米の「軍門に下った」ばかりのリビアの情報機関が、どれだけ西側に協力するかを見るテストケースとして、ベルハジは2008年にCIAからリビアの情報機関に身柄を移されたのだろう。
2011年9月、今やトリポリの有力者となったベルハジ司令官は西側記者団とのインタビューに答え、リビア情報機関からひどい拷問を受けたことを明らかにした。タイからマレーシアの抑留施設を経て2008年にトリポリに移送されたベルハジは、まずMI6の英国人から尋問を受けた。彼はなぜ英国諜報部がリビアに関与しているのか「驚いた」と述べた。
カダフィ政権の秘密情報機関は、2008年から今年1月までの3年間トリポリのアブセリム刑務所の独房にベルハジを閉じ込めた。この3年間1度もシャワーを浴びることを許されず、1年間太陽を拝むこともできなかったという。時折思い出したように、手足を縛られて壁から吊るされて尋問される拷問を受けた。しかし今年1月、カダフィ大佐は彼ら政治犯に恩赦を発令、釈放されたベルハジはベンガジに戻り、LIFGの同志を募って2月中旬の反カダフィ蜂起に決起した。
ベンガジなどリビア東北部で決起した反カダフィ勢力は、カダフィ軍から寝返った将兵を除いてほとんどが武器を持ったことにない「烏合の衆」。しかしベルハジ司令官の率いたLIFGはかつてアフガニスタンで死闘を経験した戦士の集まりだ。当然のことながら8月20日からの3日間でトリポリを制圧した勢力の主力は、ベルハジ司令官の部隊だった。
さてベルハジ司令官は、米英の情報機関がかつてカダフィ政権とグルになって自分に拷問を加えたことに謝罪を要求するとしながら「リビアを民主的な国家にすることが望みだ。米英に報復するつもりはない」と述べ、イスラム原理主義国家の樹立や反欧米聖戦の路線を取るつもりはないことを明らかにしている。
しかしベルハジ司令官の本拠地のリビア東北部キレナイカ地方は、古くからエジプトのイスラム主義勢力のムスリム同胞団の影響が濃い地方である。ムバラク体制が崩壊したエジプトも、今後長期的にはムスリム同胞団の影響力が強まることは必至とみられている。こうした環境の下で、今後成立するリビア新政権を支えるベルハジ司令官の動向は注目に値する。カダフィ後のリビアは、旧植民地主義者だった西側とどういう関係を構築するのだろうか。
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