いろりん村 収穫祭2024
- 2024年 12月 4日
- カルチャー
- いろりん村
新宿連絡会NEWSから、いろりん村だよりを紹介します。
◇ ◇ ◇ ◇
越後「いろりん村」での米作
りも、今年で2年目。新潟も猛
暑でしたが、秘境の山の上なの
で水不足にはならず、今年の稲
はすくすくと育ち、去る10月11
日、稲刈り作業となりました。
どうせやるならみんなでやろ
うと、今年も大挙11名の仲間が
新宿から馳せ参じ、地元の方の
手伝いも含め、計13名での作業
となりました。当日はとても気
持ちの良い秋晴れ。蜻蛉が飛び
交う中、汗を流しました。
稲刈りはもちろん鍬で。一列になって上手に行けたかと言うと、田んぼの水が捌けず、ぬかるみになって足が抜けない場所が多く。慣れた地元の方はすいすいのと刈って行くが、慣れぬ人々は先に進まず一苦労。猫の額のような田んぼでも、ここまで大変なのかと、稲刈りの過酷さを実感しました。普段あまり動かさぬ身体。翌日筋肉痛となりました。
刈った稲は泥がつかぬようバトンリレー方式で畦に積み、藁縄縛り。こちらは慣れた仲間が手際よく縛る。藁は、かつて長野県千曲市で、縄作りや、藁細工もしてきたので、そちらを体験している仲間はお手のもの。
遅い時期の稲刈りだったので、ある程度乾燥しているから大丈夫だろうと、稲架掛けは省略。
古めかしい「足踏み脱穀機」(何でも大正時代に開発され、広く普及した名機「ダイヤモンド」)「唐箕とうみ」(こちらは明治時代に中国から伝えられたと云われている機械で、昔はどこの農家にもあったらしい)と呼ばれている風力で藁くずなどを吹き飛ばし、選別する装置が、木暮氏の宅より軽トラでは運びこまれ、次は脱穀体験。
「脱穀機」は、「昔、子供の頃やったよ」。と慣れた手つきの仲間もいたが、始めての者は稲が歯にまきこまれたりして、慣れるまでが一苦労。「唐箕」はとにかく風をだすためのハンドルをまわし続けなければならないので、体力自慢が交代しながら風を起こすが、上手に選別できたり、出来なかったりで、試行錯誤。
稲を米までにするための、先人達の知恵を知ることが出来ました。古代の頃からさまざま受け継がれて来たものでもあります。稲も研究され、さまざまな品種が時代、時代で開発されてきました。古代米の稲を、古くから代々守って来られた神社から頂き、それを守り、育てる運動をされて来た長野の故田島巌さんから、かつていろいろ教えて頂いたことを思い出しました。
こういう体験はなかなか出来ないので、とても基調な体験でした。
籾の状態にまでして、昨年の二倍は収穫出来ました。
乾燥と、籾すり、精米は木暮さんに頼み、後日、「いろりん米」が新宿に届けられる予定。大晦日の炊出しとなる予定です。
収穫と脱穀が済むと、いろりん村の片づけ。冬の間、雪にすっぽり埋まる程の豪雪地帯なので、しっかりと養生。
庇を外して、入り口も板を張る。
その後、文豪坂口安吾が愛した松之山温泉の馴染みの温泉旅館に一泊。しょっぱい温泉で疲れを癒やし、夜は収穫祭恒例の宴会。地元の農家さんとの交流を深めて来ました。
初出:「新宿連絡会(野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議)NEWS VOL91」より許可を得て転載 http://www.tokyohomeless.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture1366:241204〕
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