日本人の「責任」―徐京植「フクシマを歩いて」にふれて
- 2011年 10月 1日
- 評論・紹介・意見
- 徐京植松元保昭責任
徐京植さんのルポルタージュ「フクシマを歩いて」にふれて考えた拙文です。
「こころの時代 シリーズ・私にとっての3・11 フクシマを歩いて 徐京植」
きょう:アンコール再放送(地上波・Eテレ) 10月1日(土)13:00~14:00
http://www.youtube.com/watch?v=lq4xuXFKlDk
■日本人の「責任」―徐京植「フクシマを歩いて」にふれて
100年後のあなたへ
しあわせなくらしをしていますか。
戦争はありませんでしたか。
地球はおかしくなっていませんか。
飢えている人はいませんか。
そのまえに、にんげんがおかしくなっていませんか。
…(後略)…
これは、今は亡き作家井上ひさしの遺稿となった一文である。
3・11の原発事故直後、東電、政府の発表を固唾を呑んで見守っていた。私も多少の知識はあったから、こんどは誤魔化しようがないだろうと半ば期待をこめて注視していた。人々をどのように救うのであろうかと。ところがすでに周知のように、誤魔化し続ける「安全・安心」情報、事故の過小評価と隠蔽、汚染数値の隠蔽、矢継ぎ早に出てくる避難区域や食品汚染値のいいかげんな「線引き」、東電、政府、保安院、学者、行政官僚の反省のかけらもない鉄面皮な表情…。「パニックを恐れた」?とんでもない!計算された責任回避以外の何ものでもない!日本人とは、これほど卑劣なニンゲンどもであったのか?これらの非人間的な対処に、私は史上最大の原発事故を上回る衝撃を受けた。「にんげんがおかしくなっている…」
以下は、徐京植のルポルタージュ「フクシマを歩いて」に触発されて考えあぐねてきた日本人についての小文である。いっしょに考えていただけたら幸いです。
徐京植のルポルタージュ「フクシマを歩いて」の映像と言葉は、まだ深い余韻を残して私の中で反芻している。
キーワードはたしかに「根こぎ」であるが、「同心円のパラドクス」、「魂の重心」、「自殺」、朝鮮学校と朝鮮人強制労働の金鉱山、「安楽全体主義」と「ハイマツ(這松)」が相互にどのように関連しているのか徐さん自身は解説などせず、観るものは「日本人」への鋭い問いを突きつけられずしりと重たい宿題が残される。配置されたいくつかのキーワードをめぐる想いは、なかなか結像に辿りつかない。
私が考えあぐねたのは、スペイン思想の研究家佐々木孝さんのことば「魂の重心」であった。大切なのはそれぞれの魂の重心に基づく生のかたち、人生の価値、個人の尊厳、自由なのだと語る佐々木さんのことばは重い。自主避難を拒否して汚染地区に妻と居残る在り方は、佐々木さんの存在証明であった。
しかしながら、「根こぎ」に抵抗して自らの「魂の重心」にしたがって生きようとする人はひとり佐々木さんだけではない。「根こぎ」に抵抗して汚染地域から補償を待たずに避難した何万人もの家族、文字通り抵抗することに根をおいて反原発の運動をしながら汚染地に踏みとどまる人々。同時に考えられなければならないのは、家族も入れると何百万人にもなるだろう原発資本と網の目のような国策推進システムに群がって生業(なりわい)を支えている人々もまた、己の「魂の重心」を守り居座る「権利」をもっていることだ。腐った土壌といえどもそこに芋づる式に根を張っている者たちは、正当にもその危機意識を「原発を守る」方向に働かせるだろう。
私たちが見せられてきたようにこのクニは、政、財、官、司、学、報の六角形がしっかりとスクラムを組んで、この期に及んでも原発推進に邁進しようとしている。このような原発推進の諸機構に群がる人々と交付金その他で恩恵を被っている地方自治体住民と関連地方産業、漁協、農協、さらに原発の危険から遠く離れた都会の受益者および電力受給企業を含むと、日本人の相当数が「魂の重心」を原発推進国策に依存しているといっても過言ではなさそうだ。佐々木さんの意図はそうではなくとも、「人生の価値、個人の尊厳」という普遍的概念は、そういう人々にも当てはまる。
それにしても、礼節を重んじるはずの日本人による日本社会はどうしてこのように無責任が蔓延してしまったのだろう。藤田省三さんが警告した「安楽全体主義」のはじまった1960年代は、植木等の「無責任男」が風靡した高度成長の時代でもあった。しかし日本人の無責任性は、もっと根が深そうだ。
原子力ムラと揶揄されているが、日本の企業集団はもとより、官公庁、教育、福祉、医療、法曹界から学会まで、すべてがムラで構成されているといっても過言ではない。三菱ムラ、日立ムラ、東芝ムラ、鹿島ムラをはじめ、行政各省庁にもムラがあり、細部の部課長ムラという末端までムラ共同体意識が貫かれている社会である。
言うまでもなく日本の経済力は、その技術力と集団主義の威力である。カネと時間の支配はもとより、業績、栄達、人間関係の一切のエネルギーが帰属職場集団の目的に糾合され、個と集団の思考を覆う。個人の自己実現も業績も栄達もムラが保証してくれる。ムラに帰属して生きる日本人。帰属しないでは生きて行けない生活の現実。個人の「魂の重心」とムラとは、切っても切れない関係がからみついている。
数年以上も前になるが、殿平善彦さんら空知民衆史講座の方々に案内されて韓国の元強制連行・強制労働に駆りだされた被害者の方と一緒に北海道深川の旧三井鉱山跡地を訪ねたことがある。数千人もの人々がそこで生計を営んでいたとは信じられない、いまは山峡の雑草と雑木に覆われた廃墟であるが、そこで聞いた話は生々しかった。労務担当警備要員がヤマ(内)とマチ(外界)の門衛を兼ねて外モノを入れないようにチェックしていたという。つまり朝鮮人・中国人の強制連行・強制労働者や日本人タコ労働者たちがヤマから逃げないように、また余所者が侵入しないように監視していたのが憲兵とともに労務担当だったのである。これが日本の企業ムラの原型である。
軍隊的上意下達を筋金としている日本の集団主義というムラには民主主義はない。あるのは、内なる平和を乱すものに対する制裁、外モノの侵入を拒む排外主義である(きだみのる)。日本人の生活の優先的な大部分を占めているムラという職場には、どこにもパブリックな場としての民主主義はない。どこでもムラの利潤追求、利害追求が集団の強固な目的となって個人をしばり、集団主義に洗脳する。
日本は立憲政治と三権分立に立脚し選挙があるのだから民主主義国家であると考えている人も多いと思う。しかし学校や職場で人生の大半の公共生活を終える日本社会では、個人の歴史的社会的見解が発揮され許容されるパブリックな場は市民運動などを除くとほとんどない。学校や職場こそ「人権と民主主義」にほど遠いところはないからである。日本のムラ社会では、「個人の(見解や主張の)尊厳」と「歴史的反省」は、異質で不要なものであって、日本人の大半は訓練されたことがない。つまり没主体性、没歴史性が大事であって、そこから結果する無責任性が日本人の集団主義を支えるエートス(特質)になってしまっている。会社に対する個人の責任、国家に対する個人の責任は、あくまで役割(part)としての任務・義務に対する責任であって、「人間としての責任」を問われる場はない。だからこれほどの大惨事になっても、原発推進のトップから末端にいたるまで「責任」の声は出てこないのである。
数年前、札幌の多くの市民が徐京植さんをお呼びして講演会「《ホロコースト》とパレスチナ―在日朝鮮人が語る」を開催したことがある。徐さんは、「ホロコースト」、「パレスチナ」、「在日朝鮮人」という三つのものを繋ぐ一つのキーワードが「難民」であり、帝国主義と植民地主義が支配した場所では普遍的に起きていると語った。私がとくにつよく印象に残っているのは、在日朝鮮人が被った苦難の歴史に、「日本国政府や日本人が深く関与している。無関心なままに深く関与し、しかも自らは人道的であると考えている。そういう構造」であり、「日本国保守層、そのまわりに集まっている中心部日本国民」が現在行なわれている不正義に対して闘わなければ、全般的な植民地支配の歴史を乗り越えることは出来ない、と述べたことだった。今回の徐さんのルポルタージュでは、明らかに棄民されつつあるフクシマの人々を自らのテーマである「難民」に重ね合わせている。
責任とはレスポンスビリティ(応答)であるから、他者なくしてはありえない。日本のムラ社会は、根源的に他者性を排除することで維持されてきた。維新のエネルギーは、すぐさまアイヌモシリと琉球を植民地化し、ほどなく征韓論として朝鮮侵略に向かい、江華島事件から日清、日露を経て真珠湾にいたるまで、ことごとく奇襲攻撃に端を発しその責任は「敵」になすりけることを常套としてきた。そうして朝鮮、台湾、満州の植民地化にさいしてはすべてが奸策謀略であった。いまだにアイヌ、沖縄、在日の、そして朝鮮半島はじめ周辺諸国の人々にまっとうな謝罪と責任ある施策をとったことは一度も無い。今回のフクシマもすべてのツケが弱者と後世に回される。こうしたエートスはどこからきたものなのか。
維新の功業を果たした武士たちの行動原理は、「だまし討ち、謀略など武士たるもの、勝つためには手段をえらばず」であった。「武者は犬ともいえ、畜生ともいえ、勝つことが本にて候」(朝倉宋滴話記)しかし謀略・謀殺の話はもっと古くからある。「女装して宴席にもぐりこみ、不意打ちするヤマトタケル」は、古事記神武東征のだまし討ちの話である。坂上田村麻呂の征夷によって謀殺されたアテルイとモレ(801年)の話はじつに9世紀初頭の話である。コシャマイン(1457)もシャクシャイン(1669)も和合を偽っての謀殺である。秀吉の東北アジア征服構想(1592)による鼻塚・耳塚はいまも京都にあるが、クナシリ・メナシ惨殺後の塩漬けの話は知らない人が多い。アイヌの長老小川隆吉さんは「松元さん、日本人はナンモ変わってないよ」と語っていた。
武士道を西洋キリスト教文明にたいする誇りうる伝統として推奨した新渡戸稲造は、「日本の神の国の種子は、その花を武士道に咲かせた」という。「武士道、これ世界無比、忠君愛国の宝庫、国民的名誉の番人」ともいう。「朝鮮および満州において戦勝したるものは、我々の手を導き我々の心臓に博ちつつある我らが父祖の威霊である。これらの霊、我が武勇なる祖先の魂は死せず、見る目有る者には明らかに見える。」「殖民とは、優等なる人種が劣等なる人種の土地を取ることである。」(植民地政策講義)維新以来の日本の支配層が男社会たる武士のエートスを汲んだものであることは、一目瞭然である。福沢諭吉たるものが、当時の中国に較べ「わが国は英語をしゃべれるものが500人もいる」と自慢して脱亜入欧を唱えていたのも宜なる哉である。
明治維新によってビルトインされた武家の魂は、アイヌモシリの征服、琉球王国の滅亡、台湾出兵、征韓論と、残念ながら奇襲、欺瞞と謀略、謀殺、武力侵略、民族浄化、集団懲罰・虐殺、そして隠蔽と無責任として、日本の近代史を特色づけた。長いあいだ女性を貶め人格の責任関係をないがしろにしてきた男性優位の社会形成も日本人の無責任性を野放しにしてきた深い根のひとつである。狡猾性と無責任性は、一体のものの二面である。『天皇のウヤムヤな居据りこそ戦後の「道義頽廃」の第一号』であると丸山真男は言い残したが、その無責任性は国家組織の形成、社会意識の形成にしっかりと受け継がれてきた。のみならず、あらゆる社会組織を一元的に国家管理の下に置いた「お上主導」の集団主義は戦後においてもムラ形成の主動因として持ち越され連綿としていき続けている。
このようにして日本の国家主義は、企業資本と行政が一体化し組織にがんじがらめにされた没主体的で排外的で無批判な諸個人が集団主義的な活力のみを拡張強化する全体主義・ファシズムを内部から再生産していることになる。それを支えているのは、中心部日本国民であり彼ら(彼女ら)の「魂の重心」をひたすら守ろうとする日々の営みである。6万人デモで話された福島の主婦武藤類子さんのような責任に貫かれた「道義」が日本のムラ、ムラに息づくことが期待できないとしたら、どうしたらいいのだろう。
徐京植さんは、番組でひと言次のようにいう。「日本人はシステムを変えるという果たすべき責任を負っている。恐懼して身を震わせるように反省しなければならない」と。
原発を推進しようとする先にあげた鉄の六角形に根を張る既得権益者たちが、自国民同胞を棄民し犠牲者にして恥じないのであれば、そして彼ら(彼女ら)が自らを批判的に変革しないのであれば、市民運動を中心とした批判的民衆との真っ向からの敵対が避けられない。まだ加害企業の一人も逮捕されていないのに、デモに参加した若者が逮捕されるという理不尽は、またぞろ無責任の準備以外の何ものでもないだろう。責任ある道義に貫かれた日本の本当の改革は、「資本=国家」と合体した中心部日本国民に対する民衆革命の道しかありえないのだろうか。「資本に乗っ取られた国家」に真の民主的な選挙はむずかしい。そのもっとも平和的な覚醒は、タハリール広場の再現であるかもしれない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0626 :111001〕
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