公的な事業の評価は正しく行われているか
- 2011年 10月 2日
- スタディルーム
- 藤﨑 清費用便益分析
最初にクイズを一つ。
今の100円が1年後に利子がついて104円になった場合、この104円は
① 今の100円と同価値である。従って、1年後の100円は今の100×100/104円と同価値となる。すなわち、将来時点の金額を現時点で評価すると元の金額から割引された値となる。
② 今の100円から4円だけ価値が増えたものである。すなわち、今の100円と1年後の100円とが同価値であって、①での割引は必要でない。
のいずれが正しいのだろうか。
どちらと考えてもそれほど問題になるようなことではないと思われる向きもあろうが、実は重大な問題に関わってくることになる。どうか最後まで読み進んでいただきたい。
まず、金融の分野では①と考える人が多いのではなかろうか。金融業者の間だけでのことではなく、少なくとも営利企業では同様であるように思う。それは、営利企業ではお金を借りて事業をする場合が多いことによる。企業は通常事業による収入で借入金を返すことになるが、その返済金には当然ながら利子の分が含まれる。元金分は充分に返せても利子分が仮に少額でも返せないようであれば事業自体が成立しないことになる。お金は自然に増えてゆくものだという認識がなければ経営が行き詰まり兼ねないように思われる。だから①だというわけではない。②の“利子がついてお金が増える”と考える場合でも、“その増えた分も返さなければ” という認識があればよいからである。しかし、②よりも①と考えておいた方がより安全だという面はあろう。利子分がわずかに足りないお金を返した場合、②だと借りた額よりは多くを返したという意識が生じがちになりそうなのに対し、①だと借主に損をさせたという意識が生まれそうだからである。結局、心理的な差に過ぎないということになるのかも知れないが、経済学の本、特に費用便益分析について書かれた本では、①の方によって説明しているものが多いようである。なぜであろうか。心理的な差に過ぎなければ②によって説明してもよいと思われるのだが、それは皆無であるはずである。もっとも、①か②かを使わなければ説明できないと言っている訳ではないことはここで断っておきたい。
私は、②によっては説明できないこと自体が、費用便益分析の現行算定法が誤っている証拠を示していると考えている。以下その理由を述べよう。
金融の分野では心理的な差に過ぎないと思われる①と②であるが、金融以外の分野では心理的な差などとは言えなくなってくる。
貨幣価値の変動という面から考えてみよう。
わが国はこの20年ほど貨幣価値がほとんど変化していないが、これはむしろ異常な状態であって、微減し続けるのが常態である言ってよかろう。金利の値がこの通常微減し続ける貨幣価値に影響を受けることは否定できまい。しかし、貨幣価値が不変でも更には仮に漸増したとしても、金利を貨幣価値に連動させるという特別な取り決めがない以上、利払いが必要となることからも分かるように、貨幣価値が金利に直接関連している訳ではない。この小文では両者は無関係であり、貨幣価値は不変であるとして以下考察する。貨幣価値変動の影響を知りたい場合には別途デフレーターを使った算定をすればよい。
貨幣価値が不変なら今の100円と1年後の100円は同価値である。貨幣価値不変とはそのような状態にあることを言うのであるから当然のことである。従って、今の100円が1年後に利子がついて104円になったとすれば、4円分だけ価値が増えたことになる。上記の②が正しくて①は誤っているのである。すなわち、①の説明が必ずしも誤りではないと言えるのは金融の分野のみということになる。
上記の①が誤りであることは、将来のことと過去のことを対比して考えてみても分かる。50年前の100円は今の何円に相当するかというようなことはしばしば話題になる。この場合は、双方の時点に共通の代表的商品をそれぞれの時点での100円でいかほど買えるのか算定してその量を対比することにより答が得られる。これはデフレーターによって貨幣価値変動の影響を消去する算定をしたものと言える。従って、貨幣価値に変動がない場合は50年前の100円と今の100円とは同価値であることになる。将来の貨幣価値はどうなるかは分からないから、これを不変と仮定して算定するのが普通である。すなわち、今の100円と50年後の100円とは同価値であるとするのが正しいことになる。もし、上記の①のように、1年後の100円は今の100×100/104円と同価値であるのが正しいとすれば、過去から未来へと変りなく続く時間の流れの中で、現時点を境にしてその前後でお金の価値に関する概念を変えることになってしまう。これは不合理である。やはり、②が正しいと言わざるを得ない。もっとも、将来の不確実性を考慮する必要性の有無という点で過去と将来とは異なる。しかし、不確実性の程度は、時代や地域の状況によって変わるからその実状に応じて別途加味すべきであって、評価の時点さえ決まれば一律に決まってくるようなものではない。
利子が付くのが普通であるとも言えるお金についてさえ、同額のお金はどの時点で評価しても同じになると考えるのが正しい。ましてや、利子が付くことはないお金以外のものであればなおさらである。しかるに、費用便益分析の現行算定法では上記の②ではなく①を使って説明している。それは、費用便益分析の現行算定法が営利事業の収支評価手法である私的費用便益分析から導かれた際の不手際から、借入金利子を収入によって返済する場合に適した上記①の考え方を、課税金によって実施される公共事業にまで適用させるようにした誤りに根源があると私は考えている。すなわち、年利率の代わりに社会的割引率なるものを導入して将来の便益の価値を現時点の資金投入額と対比するにはこの率を使って割引されなければならないという誤った考え方を採用したため、②では説明できないこととなったのである。
この現行算定法の誤りがもたらす社会への悪影響については、当サイトの「スタディルーム」に掲載された小文「お金が支配する世の中」(8月17日)と「市場経済の現状を放置しておいてよいのか」(9月5日)において述べたので、ここで繰り返すことはしない。このうち前者では現行算定法についてもやや詳しく述べていて、今回の小文は現行算定法の誤謬点についてこれとは多少異なるアプローチにより述べたものと言える。
以上記したように公的な事業の評価は現在誤った方法で行われている。そしてそのために、社会資本整備事業その他公的事業の採択が偏った形で行われ、資源の浪費、地球環境の悪化、富の偏在の加速、飢餓人口の増加等さまざまな悪影響を社会に及ぼしているように思われる。早急な算定法の改定が必要であるが、現行算定法は、率の値こそ各国異なるものの社会的割引率を使うという点では多くの国で共通した学界の定説となっており、さらに、これに基づいて政府等の基準が定められていることもあって、容易には改定できない状態になっているのではないかと危惧される。仮にこのような状態に陥っているとすれば、関係者以外の多くの方々にこの問題に関心を持っていただくことが問題解決の糸口になるのではなかろうか。こう考えたことがこの小文を含む一連の小文を「ちきゅう座」に投稿した理由である。
上記の悪影響によって被害を受けるのは私たちであり後世の人々である。どうかできるだけ多くの方々に関心を持っていただきたいものと思う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study417:111002〕
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