提言:〈3.11〉以後の〈私たち〉と〈パレスチナ〉―ヨルダンへの原発輸出の動きから問われるもの
- 2011年 10月 3日
- 時代をみる
- ミーダーンヨルダンへの原発輸出の動き福島原発事故
○はじめに
3月11日のあの巨大な地震と津波、そしてそれに続く福島第一原子力発電所での事故から、半年あまりが過ぎました。天災によるとてつもない被害だけでなく、四つの原子炉で水素爆発や炉心溶融といった事態が生じ、原発周辺地域一帯では将来長期間にわたり、住民の帰宅やコミュニティの再建が絶望的となっています。避難を強いられた人たちがいる一方で、避難したくても出来ない人たちや、迷いや葛藤のなかに投げ出されたままの状態の人たちもいます。被害の有無や程度の差は明らかですが、光景としては見えない被害の深刻さや、語られることのないさまざまな思いの大きさは、単純に比較できるものではありません。
福島第一原発の周辺地域の状況に関して、パレスチナに関わってきた人たちのなかからは、ナクバ当時のパレスチナ人の状況や、現在なお続くパレスチナ人の難民状況が否応なく重なり合って見えるといった指摘がなされてきました。また、広範な自主避難地域でコミュニティが分断されていることについても、難民キャンプを含めたパレスチナの分断状況に重なって見えるといった声があります。多くの人たちがそれぞれのやり方で〈被災地〉とつながろうとしたり、あるいはまさに〈被災者〉として生きながら、〈日本のなかのパレスチナ〉を自分の問題として考えようとして来ました。これまでパレスチナをはじめとする中東地域の動きに注目してきた私たちミーダーン〈パレスチナ・平和のための広場〉としても、〈3・11〉以後の日本社会のなかで〈パレスチナ〉と関わり続けることの意味を積極的に考え、提起していきたいと思います。
○ヨルダンとの原子力協定の現状
8月26日、衆議院外務委員会で採決される方針だったヨルダンとの原子力協定の承認が、参考人の強い反対意見によって見送られました。これは昨年9月にすでに署名され、福島原発事故後の今年3月31日、参議院本会議で可決されていたものです。同協定は、原子力の「平和的目的に限った利用」における協力における法的枠組みを定めたもので、IAEA(国際原子力機関)による審査等の枠組みのもとで行われること、原子力安全関連条約に基づく措置が取られること、核物質の第三国移転の規制およびヨルダンにおける核物質の濃縮・再処理の禁止、などがそこには含まれています。
ヨルダンの原発受注は、三菱重工とフランスのアレバ社の企業連合、ロシアのアトムストロイエクスポート社、カナダのAECLの三者が入札し、11月までに選定されるという予定で進んでいるため、政府は早期の承認を目指していました。衆議院での今回の通過は免れたものの、閉会中審査(継続審査)の扱いが可決されたので、今後の野田現政権の姿勢をなお注視する必要があります。
日本の原発政策が今後どのような方向をとるにせよ、福島第一原子力発電所の事故への対応が進まず事故原因の調査も終えていない段階で、日本の原発技術を国外に売り込もうとすることは、いずれの国に対してであれ、道義上許されるものではありません。また、仮に事故のリスクを問わないとしても、最終処分手段をもたない「核のゴミ」を大量に生み出し続け、解決手段のない大きなツケを次世代に先送りする国を世界中にさらに増やしてゆこうとすることは、いかなる理由によっても正当化できるものではありません。
野田政権は、菅政権の「脱原発」路線を修正し、定期検査中の原発の再稼働を目指しているようですが、少なくとも国内での今後の新規建設については、もはや相当困難であるはずです。したがって、原発技術を何とか維持しようとする原発産業界の目は、今後ますます海外に向かうことでしょう。しかし、日本国内で仮に原発が一基も稼働していない日が来たとしても、日本の企業が原発技術を維持し、それを海外に売り込むのであれば、真の「脱原発」とは言えません。もはや日本国内だけの視点で「脱原発」を考えていてはならないと思います。
現在日本企業が原発輸出を目指す相手国は、ヨルダン以外にベトナム・インドネシア・インド・トルコ・サウジアラビアなど多数あり、先の国会で原子力協定締結承認が目指されていたのは、対ヨルダンのほか、対ロシア・韓国・ベトナムのものでした。私たちミーダーン〈パレスチナ・平和のための広場〉としてはとりわけヨルダンに対する原発輸出の動きに対し注意と警戒を呼びかけるものですが、それぞれの地域に対するいずれの動きに対しても重大な注意が払われるべきだということは、言うまでもありません。
○ヨルダンにおける原発建設の問題
ヨルダンにおける原子力発電所の建設予定地アル=マジダルは、首都アンマンから北東に40キロ程度しか離れていない内陸部にあります。仮に100キロで円周を取れば、シリア南部だけでなく、パレスチナのヨルダン川西岸地区は、ほぼ全域が収まります。ヨルダン国内とはいえ、この圏内に暮らすパレスチナ人の総数は、ヨルダン国籍取得者も含め、600万人ほどにもなるはずです。福島第一原発レベルの事故が起きた場合、ヨルダン国内よりもはるかに人口が密集するパレスチナ側に対しても甚大な被害をもたらすことを、ヨルダン政府はどのように考えているのでしょうか。
1947年の国連パレスチナ分割決議以降、1948年のイスラエル建国、さらに1967年の六月戦争をピークとしながら、この地のパレスチナ人たちは現在に至るまで追放と難民化の状況を生きています。福島原発周辺地域の人々が、豊かな生活文化を築いてきた土地から、自らの意思とはまったく無関係に追われるという〈難民状況〉を強いられているなか、日本企業がまさにそうした事態の元凶である原発をパレスチナ難民の暮らす地域に建設するなどという計画はそれ自体、〈難民状況〉を生きるパレスチナ人や、福島原発周辺地域の人々に対する信じがたい冒涜です。
ヨルダンに対する原発輸出の問題について、8月24日の衆議院外務委員会参考人質疑のなかで田辺有輝氏(「環境・持続社会」研究センター理事)は、首都アンマンと工業地帯ザルカーに近いことによる「甚大な事故影響」のほか、立地上の問題としては冷却水確保が困難なこと、およびシリア・アフリカ断層上に位置するヨルダンの地震リスクを挙げました。他方で服部拓也氏(日本原子力産業協会理事長)は原発輸出推進の立場から、ヨルダンが日本の耐震設計に関心を示していることを指摘し、澤昭裕氏(国際環境経済研究所所長)も同じく推進の立場から、仮に日本がヨルダンに原発を供給しなくとも他国が供給することになるので、高い安全基準をもつ日本の原発によって世界の安全に寄与した方が良い、と述べています。また澤氏は、ヨルダンでの原発建設のリスクに対する指摘を受けてなお「途上国が原発を進めるなか、日本が安全な方法での推進策を提示しなければ、途上国は選択肢を失う」「安全対策は各国が自分で行うべきこと」だと述べています。日本国内の原発に対し、これだけの欠陥や問題が指摘されているなかで、あたかも相手国の安全に貢献することを目的としているかのような原発輸出推進の主張の疑わしさには、十分に注意する必要があります。
○「平和利用」の実態
もちろん日本による原発輸出が止まればそれで済む問題ではなく、原発技術をもつそれぞれの国の住民が、自国の原発輸出を止める努力をすることと同時に、新規導入国になろうとするヨルダンのような国において、その住民が原発の危険性と問題性を認識し、政府に働きかけてゆくことが必要です。ヨルダンにおいては、グリーンピースなど従来からの環境団体だけでなく、中東諸国における民主化革命の流れに刺激を受けてか、反原発に焦点を絞った新しい動きが出てきていることが注目されます。同時に、ジャーナリストなどを含めた民間の知識人層から、「核エネルギーの平和的利用」を求める機運が出てきていることにも注目する必要があります。隣国イスラエルがNPT(核不拡散条約)に加盟しないまま核開発を進めてきたなかで、ヨルダンのような親米の資源小国が、NPTの枠内で堂々と「平和的利用」を求めることは、ある意味で当然です。ヨルダンにおける原発建設の問題において本来まず問われなければならないのは、建設上のリスクなどではなく、イスラエルの核開発と占領政策とに対して、ともに見て見ぬふりをしながら黙認してきた国際社会の欺瞞性であり、「被爆国」日本の一貫しない姿勢です。
これは福島の原発事故以前から存在してきた問題です。中東への原発輸出推進政策も、とりわけ民主党・菅政権で目立って推進され始めたことをふまえれば、私たちはもっと早くからこの問題に注目し、発信すべきでした。日本国内における原発の問題と同様、「知っていた」にもかかわらず、忙しさのなか手が回らないことを言い訳に、問題を深く知りそれについて発信しようとしてこなかったことを、私たちは恥ずかしく感じています。
そのことをふまえ、なおかつ「今さら」何かを言うことに意味があるとすれば、一つには、〈3・11〉以降日本の中でようやく広く知られるようになった原発労働の問題があるでしょう。原発は事故のリスクや「核のゴミ」の問題を抱えるだけではなく構造的に被曝労働を不可避としており、野宿労働者を含めた底辺の労働者の犠牲の上に成り立つ差別的なシステムであるということが、以前に比べずっと広く認知されるようになりました。ヨルダンで原発が建設されたとき、その被曝労働の担い手は誰になるのでしょうか。国外から外国人労働者が集められるにせよ、キャンプ出身のパレスチナ難民が原発に入るにせよ、彼らの被曝や健康被害の実態は、日本でそうだったのと同様、一般に広く知られることもないままに葬り去られてしまうことでしょう。
また、見落としてはならないのは、原発の主要な核燃料であるウランの採掘がヨルダン国内で行われることによって、深刻な環境破壊が予想されることです。資源の少ないヨルダンで世界の全ウラン量の2パーセントほどに相当するウランが発見され、2008年には、アレバ社とのあいだで採掘にかんする合意が取り交わされています。ウランそれ自体も半減期45億年(ウラン238の場合)というとてつもないものですが、採掘によってウランを含んだ大量の鉱滓や残土が生まれ、世界中のウラン鉱山周辺部でドラム缶に詰められたまま、放置されています(ヨルダンで建設が計画されている100万キロワット級の原発一基が一年間稼働すると、ウラン鉱滓・残土を含む放射性物質は、ドラム缶700万本分と試算されます)。
○情報の発信と共有、意見交換を
こうした問題は、ヨルダンはじめ中東各国では、まだまだほとんど知られていないと思われます。福島原発の事故そのものは中東地域でも報じられましたが、これだけでは「地震による事故の経験をふまえた、より安全な原発技術の供給」という推進派の主張を封じることは出来ません。危険や被害の状況をセンセーショナルに伝えるだけではなく、環境破壊と被曝問題、原発の建設にともなう国家の情報一元管理、テロ対策を含めた監視強化、反対する人々への弾圧やコミュニティの分断等々を含め、原発が社会全体のありようを変えてしまう存在であることを伝えることが不可欠であり、そのさいには日本社会の経験が深刻に捉えかえされねばならないでしょう。また、その上で避けて通れないのは、「核保有国」による核の独占を認めた核不拡散体制の矛盾と、表面的な「非核」とひきかえに核の「平和利用」を進めてきた日本のあり方を自らの問題として問うという根本的な議論です。「原発がなくても電力は足りる」という主張は正論ですが、エネルギー・シフトの観点からだけでは、原発輸出を止めるどころか、国内の原発さえも止めることは出来ないのではないでしょうか。電力が足りようが余ろうが、支配層が潜在的な核武装能力を手放そうとしない限り、原発は動き続けるでしょう。
私たちは真の意味で日本が核と決別してゆく道筋こそが、原発輸出の停止を含めた日本の脱原発を実現する道筋であると考えます。またそれがイスラエルを含めた中東の非核化、そして核管理体制の地平を打破する真の核廃絶の道筋と重なるよう願うことを表明し、これをもってとりあえずの提言とします。
私たちの問題意識を多くの人たちと共有し、意見交換してゆきたいと思います。本提言を読まれた方々からのご意見、不十分な点や事実誤認に対する指摘および批判を歓迎します。どうぞ忌憚のない応答をお寄せ頂けるよう、お願い申し上げます。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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