原子力安全行政の仕組みが壊れています ――私の原子力日記その1――
- 2011年 10月 8日
- 時代をみる
- 原子力安全行政金子勝
2011年10月3日、私にとって2度目の原子力委員会です。
たくさんの委員がいて、事務局が用意した説明に時間を要するので、一人ひとりの発言時間が限られてしまいます。そこで、以下のメモを配り、この線にそって発言しました。
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2011.10.3原子力委員会メモ
金子勝(慶應義塾大学)
1.長期で議論することと短期で議論することを分けて考える必要があります。
福島原発事故に伴う原子力発電の安全性について議論することは非常に重要です。
しかし同時に、今どういう状況にあるのかを認識することから始める必要があります。
1)来年春にはすべての原発が点検に入り止まると言われています。日本の企業は愚かではないので今年の事態を踏まえて自家発電を拡充しており、たとえ「計画」停電を行っても、大企業は十分に対応できるでしょう。家庭でも太陽光を設置する動きが加速するでしょう。一層の節電も可能で、場合によっては「計画」停電を受け入れるかもしれません。残る問題は中小企業、とりわけ電力多消費型の製造業が夜間操業を強いられるなどの影響です。
2)周知のように、できるだけ原発依存を減らしたいというのが世論調査の結果です。稼働する原発が激減する来夏を乗り切れれば、基本的に原発はいらないという世論が形成されるでしょう。私自身はそれでもよいという立場ですが、こうした状況を踏まえず、中長期的な議論をしていても、事態の変化についていけない間が抜けた議論をする結果になりかねません。
3)節電の効果もあり、原発16基で「計画」停電もしないですみました。現時点では、そもそも、なぜ、どれだけの数の原発が必要なのか、何一つ秩序だった説明がなされていない状況が続いています。民間の余剰発電能力に関して十分な情報開示が行われたかどうかについても疑われています。また日本卸売電力取引所も3.11以降も十分に機能したとはいえません。日本卸売電力取引所も送配電を監視する側の電力系統利用協議会も、(PPSもわずか入っていますが)大手電力会社の出身者でほぼ占められています。当然、運営組織も価格設定も含めて改善が求められるでしょう。それ次第ではかなりの問題が克服できるかもしれません。
4)来年度から原子力庁が発足します。その間にも、原子力安全・保安院によって再稼働に向けてストレステストが行われています。そのことが不信を招いています。
2.原子力安全行政の不信を払拭するには、普通に考えることが大事です。
1)事故発生後に、つぎつぎと安全基準が変わること。これが原子力安全行政の信頼を著しく損ねています。校庭1ミリシーベルトから20ミリシーベルトになり、放射線量が低下したので、また1ミリシーベルトに戻りました。放射性物質に汚染された廃棄物の埋め立て可否の基準が100ベクレルから8000ベクレル以下に変わってしまう。チェルノブイリより高い耕作禁止基準5000ベクレルを上回っています。毎日食べる主食の米の500ベクレルという暫定基準も根拠が曖昧です。さらに、国の除染方針が1ミリシーベルトから5ミリシーベルトに変わったのも、汚染土壌の量が多すぎ費用がかかるという理由だとしか考えられません。しかも、校庭問題と同じく福島県の現地市町村から反発が起きて、再び1ミリシーベルトに戻すという顛末になりました。これでは福島第1原発事故発生以前の基準はほとんど無意味だったということになりかねません。
問題は下水処理汚泥や清掃工場の焼却灰にも出ています。住民の激しい抗議で、横浜市で海に埋め立てようとして頓挫しました。そもそも環境省が決めた8000ベクレルの基準の根拠が曖昧で高いからです。各地で問題化し、野積みになった状態です。除染や廃棄物処理を安上がりで済まそうとして、かえって問題の解決を難しくしてしまいました。現行の原子力安全行政が住民に受け入れられていないことの証なのではないでしょうか。
2)そもそも問題の根源は、8月26日にいわゆる「放射能汚染瓦礫処理法」の56条に、除染に関する基準について環境大臣が原子力安全委員会の意見を聞かなければならないという規定が突然入り、議論なしに国会を通過したことにあります。原子力安全委員会はSpeediの情報を隠し、多くの人々を被曝するままに任せてしまいました。とくに放射性ヨウ素は半減期が短いので、子供にとって致命的事態をもたらした可能性も否定できません。いわゆる「原子力ムラ」の関係者が除染業務をやるのはふさわしくありません。なぜ技術力のある民間企業に直接委託せず、日本原子力研究開発機構に介在させるのかも非常に不透明です。問題は、評価機関と実施機関が分離されていない点にあります。両者を分離したうえで、これまでの原子力安全行政にかかわりのなかった清新なメンバーを加え、より国民に開かれたものとすべきです。この間見られたように、安全基準を頻繁に変えたり、詳細な線量測定もしないまま住民の決定権を奪ったり、混ぜて薄める除染や仮置き場のような方式をとったりすることは問題です。二次災害をもたらしたり、問題を長期化させたりするだけです。
3)子供や妊婦の胎児は放射能に弱く、日本の未来を担う無限の可能性を持っています。子供と妊婦を守るために本格的除染が不可欠です。とくに(それ自体いいことかどうかは別にして)食の提供や子育てに携わっている女性の反発は、イデオロギーに関わりない強い反発です。まず、人々の「不安」を取り除くことを最優先するべきです。これは危機管理の鉄則です。残念ながら、そうした原則は破られています。たとえ原発プラント本体の安全性を確保できるようにするとしても、現に、人々が生活の安全を脅かされていると不安を抱く状況を解消しないかぎり、原発の安全性に関する議論は何らの説得力を持ちえません。仮に、原発再稼働を重視する人にとっても、このまま除染が進まないと、原発の再稼働は困難になります。
4)立地自治体が仮に原発再稼働(新規建設も同じ)を認めたとしても、周辺自治体との軋轢と亀裂が進みます。今回の福島第一原発事故では、電源三法交付金(+固定資産税収入)を全くもらっていない、あるいはわずかしかもらっていない広範囲の周辺自治体にも大量の放射性物質が飛散しました。ただでさえメルトダウンして燃料棒が取り出せず事故処理が相当に長引くのに、便益は一切ないのに被害だけが長期化するという状況が消えなければ、軋轢と亀裂は拡大し、また脱原発の国民世論も強まるでしょう。牧之原市の浜岡原発永久停止の決議はその兆候にすぎません。
除染費用・賠償費用の「節約」と原発再稼働は両立しないことを自覚すべきです。
5)コメの予備調査で、福島県二本松市から国の暫定基準と同じ値が検出されました。コメは毎日食べる主食なので、問題はかなり深刻です。それは放射能汚染の日常化を意味し、食の不安を通じて原発事故問題を一層拡大してしまいます。内部被曝を防ぐために、「汚染された土壌の本格的な除染」と「食品の全量検査」が不可欠であり、急ぐ必要があります。すでに新米シーズンなのに、去年米が売れています。やがて、このように不十分な「除染」を続けているうちに子供に健康被害が出た場合、原発廃止の世論は決定的なものとなるかもしれません。ここで原発の安全性について、いくら議論しても無意味な事態になりかねません。
3.事故を引き起こし、公表データをずるずるとかさ上げしていくやり方、「やらせ問題」を含めて、電力会社に対しても原子力安全委員会に対しても原子力安全・保安院に対しても国民の間に不信感が募っています。その当事者がストレステストをやって原発を再稼働すると言っても、ほとんど説得力がないことを自覚すべきです。とくに、九電玄海原発の再稼働と佐賀県知事、北電の泊原発などで「やらせ問題」が明らかになり、保安院自身も過去にそうした行為を行っていることが露呈しました。
普通に考える必要があります。たとえば、有害物質が入り何度もラベルを貼り替えた食品会社があるとしましょう。責任者をかえずに、もう一度やり直しましたと言って、誰がその会社の製品を買うでしょうか。雪印はラベルを貼り替えただけで潰れました。
1)危機管理にとって非常に重要なのは、透明な手続きです。関係者以外の人間を入れた別の仕組みで、「消費者」に分かりやすい安全基準を設けないかぎり、いかなるテストを実施しても信頼性に欠けます。
2) 事故調査委員会の検証結果を待って、新しい安全基準を設けるのが基本的な筋です。しかし、全ての原発が停止することを「混乱」と考える方々は、それを待てないというのであれば、保安院によるストレステストではかえって混乱を招くだけであることを認識すべきです。とくにシミュレーションは仮定の数値を少し変えるだけで、かなり違った結果が出ます。すべてを「仲間内」ですまそうとする時代は終わったのです。
3)原発の安全性に関する議論をする前に、現行の手続きの問題点についてきちんと認識しておかなければなりません。せっかくの議論が無駄になる可能性があるからです。原発の安全性の検証手続きについては、原発に批判的な専門家を入れた第三者委員会を介在させ、公開の原則をもって丁寧な説明をすることが最低限必要です。
リスク分析が機能するには、リスク評価機関の独立性・一貫性、それを踏まえたリスク評価・リスク管理に関して、ステークホルダーとの間で、公開の原則に基づいてリスクコミュニケーションを行うことが非常に重要です。残念ながら、現状ではいずれも満たされていません。ここが現在の原子力安全行政に対する国民の不信を招いているのです。この問題を払拭しないかぎり、いかなる議論をしても説得力を失います。
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伴英幸委員らが、原発を止めるという選択肢も議論すべきだと主張しました。
その後、内閣府原子力災害対策本部の「東京電力福島原子力発電所の事故から得られた教訓とその取り組みの進捗状況について」と電気事業連合会の「原子力発電所における取組状況」の報告がありました。前者はIAEAへの報告をベースにした安全対策の現状、後者は主として原発プラントにおける津波対策、全電源喪失に対する対策の報告でした。
*原子力委員会の報告については以下で公開されています。
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/sakutei/siryo/sakutei7/index.htm
阿南久委員が、事故発生後の被害状況の検証もなく安全対策はあるのか、と食い下がりました。
私はつぎの点を述べました。
①IAEAへの報告では、1~4号機はすべて水素爆発したことになっています。にもかかわらず、今になって2号機は水素爆発ではないという。これはIAEA報告とつじつまが合いません。伴英幸委員が言うように、事故原因について地震の影響を排除すべきではありません。
②24時間作動の監視映像を公開すべきです。この間の問題は、データを小出しにすることにあります。原子力安全・保安院の中村審議官が3月12日午後の記者会見で「メルトダウンの可能性がある」と述べて、その夜に辞めて、西山審議官に交替しました。2カ月後に、実は「メルトダウンしていました」になり、6カ月後には、1~4号機は水素爆発していたはずが、実は2号機は水素爆発ではないと言い出す。2カ月後になって発表したのは温度と圧力のデータだけ。その公表データにそってみても2号機はかなり前から圧力低下が起きており、一部の専門家から地震による格納容器の損傷が起きていたとの指摘があって、ようやく地震計のデータを持ち出してくる。放射線量のデータも、2カ月後のデータ公開に際して、ホワイトボードに「20秒間に0.8ミリシーベルト」という殴り書きだけです。批判的意見を持つ研究者にも検証可能なように、全てのデータを公開すべきです。
③過去の国会での議論や東電が事前に認識していたことからしても、津波を「想定外」とすることはできませんが、津波に関しては別の問題があります。津波の高さは場所によって大きな違いがあります。近隣地域でも、津波の高さが5~10m(想定内の範囲)のところがあります。柏崎刈羽原発事故では活断層の見落としていたためにシュラウドのひび割れ事故が起きましたが、福島原発の立地に際して、地形による潮位の違いを見落としていたのではないか。
*たとえば福島第一原発の設計段階において、「遡上高」という概念が抜け落ちていた可能性もあります。なお津波高と遡上高については以下を参照。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq26.html
④原子力ムラは国民の信用を失っています。原子力安全・保安院だけでストレステストをやっても誰も信用しません。原発に批判的な専門家を入れるか、同時並行で別の検証を行い、そこに原発に批判的な専門家を入れるかしないかぎり、簡単には原発を動かしましょうということにはなりません。保安院だけのストレステストで再稼働して、もし小さな事故でも起きれば、それで原発は終わります。ずさんな除染についても同じ。もし子どもに健康被害が出れば、原発は終わります。
私は委員会で、手続き論から始めねばならず、失礼を顧みず、あえて「原子力ムラ」という言葉を使いました。その閉鎖性が深刻な事故を引き起こしたと考えるからです。批判する者を排除する、「仲間内」だけになってチェックが甘くなる、事故を起こしても責任を問われない、だからまた同じ誤りを繰り返す。2度とこのような事故を起こさないように…。
(2011年10月05日 00:54)
http://blog.livedoor.jp/kaneko_masaru/ より転載。
〔eye1654:111008〕
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