アジサイの季節になって―長めの論評(十一)
- 2010年 6月 22日
- 評論・紹介・意見
- 三上治学生運動安保
僕は先のところ安保改定に対する反対の立場として反米愛国主義的なものが一つの大きな考え(潮流)としてあり、それに対抗する立場としてブントや全学連が存在したと述べた。それは戦後世界の米ソ支配の構造の中で、どちらかではなく、どちらでもなく全否定するという考えだった。ブントや全学連のこの考えは非現実的で空想的に感じたけれど、とても魅力的なものだった。米ソの在り方が人類史を代表するという考えに疑問を持っていたからだ。それに代わる世界像はなかなか見だせないが、世界のへの啓示として魅力があった。
反米愛国という時の愛国という考えにもブントや全学連は否定的であった。愛国というのはナショナリズムというか、国民的意識(国民感情)を代表する言葉である。安保条約はアメリカが日本の植民地化(従属)を強めるものだから、それに反対する民族解放という愛国的闘争が安保闘争というわけである。安保条約はアメリカの占領状態の存続を認めるものであったから、分かりやすいところがあった。だが、これは岸が戦後占領政策の清算を掲げて、つまりはナショナリズムをいう側面の批判にはならない。共産党のいう愛国と岸のいう愛国は裏腹であったにしても相似的なものであった。ソ連とアメリカを入れ換えれば同じものになる。ブントや全学連が愛国主義(ナショナリズム)に反対したのは安保改定に存在した日本の国家と独占資本の意思(アメリカの要請に対応する再軍備と戦争参加)に反対するためだった。ここで重要なのは戦後の日本のナショナリズムである。ナショナルなものとは国民が国家的、共同的なものとして持つ意識や感情である。しかし、ナショナルなものとナショナリズムは同じではない。ナショナルなものがナシヨナリズムという形態であらわれるのは近代制度によるが、近代制度が移入物であった日本ではその間に乖離が存在し続けてきた。これを自覚しないとナショナルなものとナショナリズムは混同されてしまう。戦後の日本人のナショナルなものの一つは戦争についていえば、戦前―戦中の聖戦意識が非戦意識に転じたものである。このナショナルな非戦意識はナショナリズムという表現を持たなかった。共産党(左翼)のナショナリズムも保守(右翼)のナショナリズムも米ソの側から下りてくるものであり、乖離を持っていた。米ソの戦争は「正義の戦争」であるというのに対して日本人のナショナルな戦争観は「正義の戦争」ということを否定していたからだ。日本の戦後のナショナルな意識は沈黙の中にあり、流通するナショナリズムへの拒絶感の内にあった。それは愛国主義の否定に連なっていた。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion031:100622〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。