米国病?を病んだ現代日本(その1)
- 2011年 10月 18日
- 評論・紹介・意見
- 大木 保米国
政治には「まったくの不信と警戒」だけをもっていろ。 —
このあたりではそろそろ銀杏が黄葉してきました。
さまざまな生きものが冬を意識しはじめているようです。
だがこの国の人間社会では冬がもう何年もいすわったままのように感じているのはわたしだけでしょうか?
みなさんは、はたしていかがお過ごしでしょうか?
さて、はや十月半ばになりましたが、知人の東北被災地H市のAさんやその周囲から、
ひとつとして生活の改善のはなしが聞かれません。
この国の政治行政が決定的に不実であり、そのぶん尊大で、
かつあいた口がふさがらないほど無責任であるということだけがつたえられることのようです。
現政権も、大震災や原発被害実態を隠蔽し、恣意的に矮小化し、さらに事実を曲げてまで、
支援金・復興資金をしぼることに懸命のようです。・・・
ソフトブレーンの宋文洲氏がいうように、
たしかに中国の民衆が自国の「政治になにかを期待することなどない」のだという意味において、
わたしたちは政治に「期待」など抱いては必ずといってよいほど、
手ひどい抑圧や、流れに乗じたあげくにおおきな誤りを犯すにちがいないだろうことは、
幾多の世界政治の歴史がしめしている。
「期待」もまた「反発」とおなじく、「依存」思考そのものであるから。・・
厳密にいえば、その度合いに濃淡があるとしても、
依存は社会の現実から回避・逃亡しようとするものにはちがいない。
また、依存からうみだされる行為・行動にはそれ自体に心的な病理があらわされることはさけがたい。
帝国日本や文化大革命中国などが時の政権の錯誤に負うのみならず、
国民大衆「みずからがなだれこんでいった共同観念」の蹉跌でもあり、
閉塞した現実からの解離そのものに高揚感(妄想としての)をいだいた国民大衆の
心的病理の発現にほかならない。
現代中国の国民大衆が政治そのものに対して期待や反発ではなく、
「まったくの不信と警戒」を手離さないことはなにより賢明なことである。
この賢明さに反して、この日本のアカデミズムにのっかった学者たちの言論は現実にかかわることなく、
「なにか言っている」よそおいだけの、おおよそ無意味な言辞がならべられているにすぎない。
もとより市井のものの日々の生き難い状況にうとく、
なにが切実なことなのかもわからない種族ゆえ、
社会の現実(自己意識)から引っぺがされるということの、
共同観念の自縄自縛作用についても理解の外となっている。
このような種族はそれまで既成秩序概念を前提としておさまっていたくせに、
社会が歴史的な流動をみせたとたんに、その尻馬に乗って、
やおらわけ知り顔で大声をはりだすのがつねの性癖だととっくに見抜かれている。
これにくらべたら「不実で無責任」なだけの連中のほうが、いまのところは「あぶなく」はない。
まっ、もっとも相手にしてはいけない種族といえよう。
それでは、わたしたちが
「まったくの不信と警戒」をもってなおも視線をはずせないものとしてたちあらわれる政治とは?
わたしたちにそれを強いてくるものたちとは、
いったいどのような「ものの考え方」をするものたちなのであろうか?
それこそ、わたしたちに日々の生き難さをしいてくるものたちであり、
わたしたちを日常の自己意識のままに放っておかないものたちである。・・・
—
そのおおもとにあるものたちとは、じつは
東日本大震災や東電福島原発被害実態を恣意的に矮小化し、さらに歪曲したあげく、
被災者に背を向けサボタージュしつづけているこの国の政府の異様な挙動と言動の後ろ盾であり、
戦後いらいこの国を占領支配し、コントロールしてきたご本尊の米国政権にほかならない。
そこでこの米国という国の本態について、
あらためて理解を深めようとおもいたったしだいです。・・・
みずからのグローバル金融資本の暴走破綻によって世界基軸通貨米ドルの威信がゆらぐなか、
日本の政権与党内で提議された「米国債を売って復興国債の財源に充当する」議案を
政権中枢に無視放置させることで、
当面の米ドル防衛をはたした米政権はそしらぬ顔をしているものの、
今度こそはなりふりかまわぬ圧力をかけてきたことが洩れつたわっている。
また、世界グローバル金融の欧米債権国側は「財政規律の健全化」を世界中に強要し、
すでにその意をうけた忠実なる日本の財務官僚主導によって
この国の底なし景気不況があらためて約束されている。( がんばろうニッポン!)・・・
金融世界は温存し、国民大衆だけを犠牲にして意図的に景気を悪化させる財政の立て直し政策こそ、
人をコストとしかあつかわない退廃きわまった資本の思想の傍若無人な姿ではないのか?
いったいなぜ日本の国民が犠牲をしいられたあげく
はてはグローバル金融と心中しなければならないのか?
この欺瞞に満ちたパラダイムに隷属することに意味などあるのだろうか?
いま日本でシフトされている、司法、立法、行政およびマスメディアの目にあまる偏向は
そっくりそのまま米国の支配のためのシフトにならったものであることが、
ナオミ・クライン女史や小林由美女史らのおおくのリポートによってあきらかとなっている。
いまや、
「世界の警察官」兼「判事」兼「錬金術師」という絶好のキャスティングにやりたい放題の米国について、
その実相にふみこんでみようとするものです。
なおテキストには、『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美)をえらびました。
小林氏は元長銀に女性初のエコノミストとして入社し、そのご渡米、
日本人初の証券アナリスト、経営コンサルタントとして長年にわたりキャリアを積まれた人です。
しかし小林氏が華々しいキャリアを磨く一方で、
米国社会について建国以来の病巣にたいして、
きわめて冷徹な眼で観察してきたことがこの著書によってうかがいしることができます。–
–(『超・格差社会アメリカの真実』をテキストにして)–
「アメリカ合衆国は王政や封建制に支配されたオールド・ヨーロッパから独立して
自由と平等の新しい民主主義国家をうち立てた」と、ひとっ飛びに習い覚えてきた日本の子どもたちは、
おおきなまちがいをおしえられてきたということなのだろうか?
小林氏の記述を追ってみよう。
「1620年のメイフラワー号をはじめ、開拓農民のアメリカ渡航資金を最初に出したのは、
植民地からの利益を期待したロンドンのマーチャント階級だった。
その10年後、マーチャント、地主、貴族が自ら殖民に乗り出し、アメリカ東海岸沿岸では、
イギリスから派遣された州知事の下、本国に範をとった『国王の下での民主主義』体制が確立された。
選挙権を与えられたのは、自由人で、かつプロテスタントで、市民権と財産を持つ男に限られていた。」
とあり、どこにあっても歴史はリアルな手順をふんではじまる。
「アメリカ大陸の新興植民地は急速な経済発展を遂げたが、その資本を提供したのは、
ヨーロッパの支配層と、彼らに金融サービスを提供していたユダヤ人バンカーだった。
さらに植民地にはカリブ海やアフリカから略奪されてきた奴隷と、海賊の略奪品が流れ込んだ。
さらには英国の軍事予算の半分が100年にわたってアメリカに投入されつづけた結果、
莫大な戦費を預かり、物資調達、輸送にあたった現地司令官や州知事、政商たちが
植民地の最初の成金層を形成することになる。」
ここまででも、アメリカ合衆国の生い立ちがわたしたちのイメージとはちがって、
なんだか暗雲のもと騒然とした世界のように映ってきます。
ブログ・心理カウンセラーがゆく!http://blog.goo.ne.jp/5tetsu より 転載.
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0655:111018〕
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