「協同の力で復興を!」仙台シンポジウム -復興の先をめざす意志たち-
- 2011年 10月 25日
- 交流の広場
- 林 郁
「脱原発」社会の実現には、新しいビジョン・新システムが必要である。その新ジョンにつながる待望のシンポジウムが10/8(土)仙台で開催された。横の連帯で復興の先をめざす励ましの集いだった。
問題提起<3.11複合厄災の避難民は7か月後の今もなお10万人を超え、被災現地からの復興構想はまだ見えずにいる。原発の放射線被ばく地域をはじめ、くらしと仕事を奪われた被災地の人々の要求は何か。それを的確に読み取り、具体化することが今、最も問われている。
中央主導型の政府の構想や経済効率・収益だけを焦点とした、それゆえ地域を台無しにしてしまう宮城県の「復興特区」構想とは違う新しい次元の展望をわたしたちは示したい。
自然エネルギーへの転換を!自然環境と調和・融和をはかる新しい産業づくりを、生活と労働の連帯に基づいて行う、それが協同の地域社会づくりの第一歩である。わたしたちはこのような問題意識をもちつつ「復興の先」をめざしたい。これを東北被災地で、近代日本の「周辺」に位置づけられてきた東北で、先ず起動させたい。>(要約)
呼びかけを(5月末に)聞いたとき、これだ!と思った。始めのあいさつ・発起人代表大内秀明先生(東北大学名誉教授)の声は静かで力強く、後方席の私にもじんと伝わった。
大自然の威力には逆らわず融和して生きる道を。三陸沿岸は地震津波の常襲地で、予測されていたのに防災対策は殆ど役に立たなかった。まだ大型余震が続き、地盤沈下や亀裂など新たな被害が発生中、災害は終息していない。現場検証せずに設計図を引き建築する、そんな異常は許されず、「千年に一度の地震だから原発再開は可能」という原発推進派の宣伝は絶対許せない。地震大津波常襲地だったことは宮沢賢治の生まれた年1896年は明治大津波、没した1933年は昭和大津波で「生と死」を2度も体験したことでもわかる。
「この地は明治以後、中央から「東北」という周縁にされてきましたが、本来は奥羽です。自然の脅威だけではない。多様で豊かな自然と奥深い文化と人と、天然資源に恵まれた地です。大震災人災の困難を乗り越えるには、海山川の自然の豊かさにも活目すること。自然循環型の安全なエネルギーの創出は中小企業の高い技術でできます。小型水力、地熱、風力、波力、太陽光など、地産地消のエネルギーをつくり、仕事をつくり、働くことが喜びになる道を協働の力で拓いてゆきましょう」
半田正樹さん(東北学院大学教授)、樋口兼次さん(白鴎大学教授)司会で9人の現場報告が続いた。
極限のとき「協同」のリーダーたちは。そして横の連帯を! (順不同)
☆木村稔さん(本年7月まで宮城県漁業協同組合・会長)は、3/11漁協の出張で上京中だった。津波報を聞きすぐ女川に帰宅すると、ふるさとは無惨な廃墟だった。家と物すべてを流され、浜は5m沈み、地盤は3m余下がってしまった。家族2人の死亡が確認された。可愛い孫が流された悲しみ!こらえて石巻漁港本部に向かう。車も消失、道もなく、苦労して辿りついた漁港は無惨に破壊され、宮城県の142の漁港すべてが被災し漁船の9割が流失、製氷設備、大冷凍庫も破壊された。仲間も。牡蠣のいかだ稚貝もワカメも。避難所に入り休む間なく救援や漁業再開の努力を続ける。最近、仮設住宅に移った。
今は、残った船を修理して皆で結いの順繰り操業を始めている。船がほしい。切実な願いだ。しかし船や漁具を購入するカネを漁協に貸さない。大銀行には公的資金をどんどん投入するのに。
(三陸漁業は日本漁業の中心で魚協は長年つちかった技や新しい工夫を伝え、海浜の環境保全・海洋油濁や廃棄物の清掃、環境ホルモンの検査、リサイクルなどに努めてきた)
地元漁民が懸命に再起の努力をしているところに村井県知事は大企業の「特区」を作ると言う。地元漁民の声や願いを聞かぬ政策に漁協は抵抗し、地元の反対署名1万4千余筆を集めて県に提出した。(知事談話たれ流し報道は「漁協が漁業権を独占しているから開放させる。水産特区構想は政府レベルの問題」など。無理解な報道に私も怒る。その後10/18県議会多数派自民党の策動で署名請願は不採択に。木村さん達は屈していない。災害苦の上にのしかかる政治圧力との苦闘、その辛さを想う)
☆鈴木昭雄さん(東西しらかわ農協代表理事組合長)は原発放射能被害に憤る。食物連鎖の農業にとって放射能の被害は甚大だ。懸命に育てたのに出荷制限でどん底だ。食べ物生産者が何悪いことした?原発は心底悔しい。3月11日夜中に急きょ井戸を掘った。水が止まり牛や作物が生きられねから。
その井戸水を牛たちに与え、灌漑にし、職員は夜中も緊急救助に動いた。しかし放射能の風評被害で作物は売れず、70万円かけて育てた牛も売ねえ。(風評は差別だ)精密な器機で検査し、安全を確認しても売れんから、自分が先頭に立って売りに出た。東京都に交渉し、上野公園で牛肉2千食をその場で1品ずつ検査数値を示し、納得有料で完売した。牛飼いの苦労を想い、タダには出来なかった。
(清流に地鮎棲む米どころ、標高差500mの気候差が多様な惠みとなり、有機主体で野菜や苺など果物を「みりょく満点」ブランドに育てた組合である)
☆岩佐国男さん(JAみやぎ亘理代表組合長)は、15m余の津波に家族と家と物すべて流された。組合の60人が死亡、89人が全てを失った。助け合いの優しい集落だから、老人はみな助かった。が、救助に出た青壮年が犠牲になった。悲しい。家族の死はつらい。が、命あった自分はすぐに組合の米、野菜、苺など全部、ひもじい避難者に放出し、自分も公民館避難所に入った。マイクをにぎって皆を励まし、寒い中で食べ物を分かち合い、温め合った。5日後に自衛隊が入った。
自慢の「もういっこ」ブランドの苺ハウスは全滅、5千haの水田は8百haだけになった。百姓の心がつまった米です。買い支えたいと村出身の他郷に住む人が言ってくれた。避難所に来てくれたボランティアが有難かった。「農業技術は流されなかった。立ち上がろう」と遠い山辺に苺を植えた。
☆岩井義信さん(宮城交通労働組合委員長)―石巻も気仙沼も他も営業所はみな水没全壊した。大事なバス31台が流失、ガソリン無し。生き残った従業員は救助ボランティアに出た。「住民の足を守るのが我々の任務だ」と仲間と言い交わし、必死の努力で運行にこぎつけた。が、原発風評被害で観光客が来ない。観光バスが収益だったから苦しい。海外旅行よりこの東北を見る旅に来てもらいたい。
☆井上肇さん(生活クラブやまがた生協特別顧問)―福島原発爆発被害者が続々山形に逃げてきた。すぐ受け入れ、米沢新聞社長経由で吉村美恵子知事に伝えた。寒さが厳しかったから毛布を。立正佼成会がアフリカに送る毛布を分けてもらった。そこにご遺体がたくさん運び込まれた。被災地は焼き場も破壊されたから、山形でお骨にし、弔った。
食事提供、正確な情報の提供、市民の協力も得て医療や保育や学校転入、老人の世話―地域のまとめが大切です。今も1万人(米沢に3000人)が居住中。阪神大震災の体験者が米沢に移り住んで救援に力闘中。よその神様は有難い。コ―プの横の連携が非常に役立った。これからも横のつながりを。
☆山本伸司さん(パルシステム生協連合会理事長)は、すぐ職員の安否を確認し、災害対策本部を立ちあげた。食材供給、支援物資提供、被災地元生協との連携、石巻災害復興支援協議会に参加、放射能との闘い、正しい情報発信、被災メーカーへの見舞金等々。生協創始者賀川豊彦の献身に学ぶ。
(下山保前理事長らが創建したパルシステム生協は首都圏と福島に組合員130万人、独自基準の減農
薬産直を進め、生活クラブと共に「質の生協」と言われる)
☆山本隆さん(ピースボート共同代表)は、阪神大震災を体験したので即刻支援に動いたが、電話が不通で現地の状況が判らず、ガソリンが無く、やっと3月17日に車で石巻に入った。何もないガレキ地、余震多発地では、安全と食と活動を自身で賄う、だから初めは受け入れが大変だった。ボランティア自身の自立、泥かき・炊き出し・ケア等々の作業分担、自衛隊との協働、各NPOの調整も。10月上旬までに6千6百人が働き、食事40万食を提供。仮設に移ってもまだまだボランティアが必要です。
☆田中羊子さん(日本労働者協同組合連合会専務理事、東北復興本部長)―東北に新しい日本を、原発全廃安心社会を。被災者自身が立ち上がる仕事おこしを。と、釜石、大船渡、気仙沼、石巻など沿岸被災地に入り、地域の人と一緒に求職者支援訓練をしている。若者の応援もあり、休耕地の活用、農園と直売所作り、遠野まごころネットとの出会い、岩手県労働局からの期待など。同時に「協働労働法の法制化」「公的訓練就労事業制度の確立」「コミュ二ティ事業就労支援条例」という新制度の実現に奮闘中。(身近な支援と新制度・大局を合わせて報告、澄んだやさしい声が胸にしみた)
☆武健一さん(中小企業組合総合研究所共同代表、46年余連帯労組関西地区生コン支部委員長)―(抵抗精神と希代の実行力で知られる人、「ポスト資本主義」的分析と提言であった)
アメリカ経済の衰退に巻き込まれた従属国日本は、世界最大の債権国になり、ツケの借金9百兆。アメリカ型市場原理主義は破綻している。それで、日本で利潤、利権を得ようとTPPなど仕掛けてきているが、我々は餌食になることを拒否する。対抗する理論は「共生・協働」である。
農協、漁協、建設業協など各協同組合(生産者・消費者)は連携して被災地復興プランを練り、地域自立型まちづくりに取りくむ。雇用促進のため地元中小企業に受註することを求め、協同の力で大企業との対等な取引を確立する。TPP拒否。アメリカ軍への思いやり予算カット。
3.11のとき組合は賃上げ交渉中だった。727社で作った事業協同組合は今年の妥結賃上げ分一人10万円を皆で被害地に寄付すると決めた。私たちは最大被災地の南三陸に入って今は専従が住民といっしょに互助復興に取り組んでいる。これから必要になる生コンはポーラスコンクリートが良い。保水性、透水性、耐久性のある経済的にも得な、緑のためになるクリーン生コンが出来た。原発事故ではなく、事件、犯罪である。放射能の閉じ込めに私共は学者研究者の協力を得て取り組んでいる。
(小野紘一・土木工学京大名誉教授が会場から発言、放射能汚泥を地下深くに閉じ込める工法を説明された)(地元の商店組合長の発言もあった)。原発交付金を断わり「脱原発」を決めた南相馬市や浪江町への応援の声やTPP反対の声。日本の農~医療・健康保険制度~食の安全からIT、日本の金融保険まで多々混乱させ、特に地方を苦境に追い込む「環太平洋経済連携協定」、各種協同組合・共済組合解体に向かう外圧内圧に農協・生協など共闘で抵抗し農協青年部は国会前で座り込む。医師会、沖縄も反対、福島県もTPP反対決議をする。強引に押し付ける米国エージェントに従い、「規模拡大生産拡大」を言う日本国首相と経団連会長は故国ふるさとを愛していないのだ。「格差、貧困は自己責任、勝ち組、負け組」など嫌だ!
私はウオール街占拠座り込みの女性ナオミ・クラインのスピーチ(10/6,2011ネット配信)―司会の半田正樹さんや武健一さんの発言、同行参加者たちの声と交響するその声を読み返した。
☆<今、世界で最も重要なこと>「I love you、私たちはここでお互いを見つけたのです。1%の富裕層は危機を好む。人々が困難に打ちひしがれ、絶望したその時こそ大企業優先政策を押し通し、社会保障を民営化し公共サービスを大幅に削減する。カネの力で最後の制約を取り除き、儲ける。これが世界中で起こっていることです。それを防ぐ一つのものがあります。それは99%の声です。
世界の天然資源を使い尽くしながらカネ(利権)を得た人達は、世界経済を破壊し、なおも海や森を乱獲している。けれど、私たちは互いに食べ物を分かち合い、温め合い、情報を共有し、お互いを気にかけている。暴力に対し、非暴力で抵抗しています。大切なことは、勇気と私たちの倫理(Moral compass)です。これからの命のために根本的に市場原理・拝金の価値観を変えよう!」
99%運動は10/15世界82カ国地域に拡がった。世界の99%の手本になる東日本被災者の再起共生を!
☆このシンポジウムの詳細は、実行委「変革のアソシエ」が書籍にまとめ、来年刊行される。
<ちきゅう座編集部より>以下を訂正いたします。皆様に謹んでお詫び申し上げます
*木村稔さん(本年5月まで宮城県漁業協同組合長)→(本年7月まで宮城県漁業協同組合・会長)
*岩井義信さん(宮城交通労働組合委員)→(宮城交通労働組合委員長)
*武健一さん の箇所、「需注」→「受註」
*会場からの発言「京都大学の学者」→「小野紘一・土木工学京大名誉教授」
(2011年10月29日)
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。