核兵器と核エネルギーの犯罪性―ヒロシマからフクシマへ
- 2011年 10月 29日
- 交流の広場
- 松元保昭核エネルギー核兵器
みなさまへ 松元
Peace Philosophyに掲載された国際反核法律家協会(IALANA)副会長:浦田賢治さんの核にかかわる国際法のリポート「核兵器と核エネルギーの犯罪性―ヒロシマからフクシマへ」をお届けします。
核不拡散条約(NPT)4条の原子力の研究、生産及び利用にかんする「すべての締約国の奪い得ない権利」をどう克服できるかが国際法上の大きな壁であるといいます。
国際司法裁判所(ICJ)の元次長であり、現IALANA会長のC.G.ウィーラマントリー判事は、「核兵器と核エネルギーはダモクレスの剣の2つの刃である」として核兵器と核エネルギーの犯罪性を関連づけて講演しています。
またアメリカの国際法教授フランシス・ボイル氏は、「原発の存続・拡散は国際法のあらゆる原則に違反するばかりか、将来世代への犯罪になる」、「現存する人道法、国際法、環境法、及び持続的発展に関する国際法の、あらゆる原則に違反する」と強調しています。
さらにボイル氏は、「日本の核エネルギー(原子力発電)産業は、日本も加盟している国際刑事裁判所のローマ規程第7条で定義されている人道に対する犯罪を持続している」と指摘しており、浦田さんは今後は国際立法に取り組むべきと締めくくられています。
●原文サイトには、日本語版、英語版が掲載されていますが、ここでは日本語版のみを紹介させていただきます。
http://peacephilosophy.blogspot.com/
=====以下、転載=====
Tuesday, October 25, 2011
浦田賢治: 「核兵器と核エネルギーの犯罪性」 Kenji
URATA: Nuclear weapons and nuclear energy are both criminal
Here is a new article on criminality of nuclear weapons and nuclear energy, by Kenji URATA(lawyer, Vice Chair of International Association of Lawyers Against Nuclear Arms), who recently contributed an open letter posing questions over the collaboration of Fukushima University and Japan Atomic Energy Agency.
先日、「原発の存続・拡散は人道に対する犯罪である」という、福島大学と日本原子力研究開発機構(JAEA)の協定に疑義を呈する公開書簡を寄稿いただいた浦田賢治さん(早稲田大学名誉教授、国際反核法律家協会副会長)による、核兵器と核エネルギー双方の非法性についての論文(日本語版、英語版)を紹介します。
■核兵器と核エネルギーの犯罪性
ヒロシマからフクシマへ
浦田賢治
早稲田大学名誉教授
Kenji URATA and C.G.Weeramantry, at Waseda University, July 30, 2001
1 ダモクレスの剣の2つの刃
ポーランドのシュチェチンは、ベルリンのテーゲル飛行場から車で直行1時間あまり、またバルト海にも近いところに位置する。このシュチェチン大学で、今年6月、国際反核法律家協会(IALANA)の総会が開催された。現在の会長はC.G.ウィーラマントリー判事であり、彼は国際司法裁判所(ICJ)の元次長でもある。同判事は、核兵器使用の勧告的意見で、それは「いかなる状況においても違法だ」という個別意見を書いた。(*1) こ
のことですでに世界的に著名だ。
彼は今回総会の6月19日の基調講演で、こう述べた。「核兵器と核エネルギーはダモクレスの剣の2つの刃である」この2つの「剣をつるす脅威の糸は、少しずつ切り刻まれつつある。なぜなら、核保有国が増加し、インターネットで核兵器製造知識の入手が可能になり、原子炉廃棄物に由来する核兵器物質の入手が可能になり、さらにテロ組織の活動が爆弾取得を念願しているからだ。ダモクレスの剣は日々危険なものになりつつある。」(*2)
この論調は、「核兵器と原子炉を動かす核エネルギーとは別だ」と言う支配的な二分法を断固退け、核時代の2大要素である核兵器と核エネルギーを関連づけて認識し、両者に共通する深刻な問題に人々が直面することを求めたものだった。
「ヒロシマからフクシマへ」という事態を受け止めるとき、思考の核心となるのはなにか。考えたあげくに到達したのは、核兵器と核エネルギーの犯罪性という概念である。だが日本には、核エネルギーの犯罪性という概念は、みあたらなかった。例えば日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)でさえ、それが訴えたのは核兵器の犯罪性に限られた。
2 核兵器保有・配備の犯罪性
ベルリンの壁が崩壊した直後、IALANAドイツ支部がベルリンで専門家たちの大集会を開いた時、私も招待されて出席した。ここでアメリカの国際法教授フランシス・ボイルは、講演した。そして、広島・長崎への原爆投下は、ニュルンベルク憲章によって戦争犯罪と人道に対する罪にあたるという自説を主張した。(*3)
実はそれ以前に、彼は核兵器の使用だけでなく、保有の犯罪性も主張していた。彼の学術論文「核抑止のパラドックスと国際法との関連性」が1986年に発表されていた。(*4)争点は従来、国家が核兵器を保有することが合法かどうかと組み立てられてきた。しかしここで着眼すべきは、核兵器国が核兵器だけを保有しているわけではないことだ。彼は次のように問題をたてなおした。命令系統、管理、伝達、およびインテリジェンス(C3I)のネットワークに接続された運搬手段に付随して、膨大な数と種類の核兵器を積極的に展開している。この核兵器システムは、緊急警報によってほぼ瞬時に立ち上がるように配備されている。したがって唯一意味のある問いかけの仕方は、現在その使用のために配備され、プログラムされている近代的な核兵器システムの合法性を問題にしなければならない。このように組み替えたのである。
この問いに、彼はこう答えた。世界中の核兵器国、特に2つの超大国によって維持されている核兵器システムは、この単なる保有の段階からはるかに離れた段階にある。すぐにでも熱核戦争を行えるように準備・配備されている段階にある。それは、ニュルンベルク原則に照らすと、こう言える。これは平和に対する罪、人道に対する罪、ジェノサイド罪、および戦争犯罪を犯す計画、準備、または謀議である。これは、元来、国際犯罪を構成するものである。
続けてこう述べた。核兵器と関連システムの保有・配備を合法化することを目的とするあらゆる国際的合意は、国際法の確固とした規範に違反する。1969年の条約法に関するウィーン条約53条に基づき、違法となる。海賊、奴隷、武力侵略、平和に対する罪、人道に対する罪、戦争犯罪、ジェノサイド罪が、ユス・コーゲンス(jus cogens 強行規範)を侵害するものだと普遍的に
考えられている。とすれば、なおさら、人類全体を滅ぼす2つの核超大国による威嚇は、これを行うための能力と共に、同様にユス・コーゲンスを侵害するものと考えなければならない。
さらに彼の深刻な疑念は、核抑止が合法だという抽象的な命題を推進する者にも向けられている。米合衆国の核抑止ドクトリンは違法であって、この違法性が他国の軍事的な反抗を促進する作用を果たしていると論じている。(*5)
3 原発の存続・拡散の犯罪性
「フクシマ」問題をいちはやく、犯罪論の観点から論じたのは、ウィーラマントリー判
事だった。福島第一原発の3月11日事故発生から3日後、3月14日、同判事は各国環境相宛に公開書簡を送り、原発の存続・拡散は国際法のあらゆる原則に違反するばかりか、将来世代への犯罪になると述べた。(*6)
彼によれば、市民はみな、一人ひとりが環境の受託者だ。各国の政府の担当者は、この点で特別の責任を負っている。原発の恐るべき帰結は将来世代へ破局的な損害をあたえるだけではない。太陽光その他の再生可能エネルギー源は、世界が必要とするあらゆるエネルギーを供給できるのに、それらを無視することになっている。原子炉の存在がテロリストの標的になっている。原子炉からでる廃棄物の総量は計測不能であるが、これを安全に処理する方法はない。これらのことを知りながら、原発を存続し拡散するのは、信託されたことに違反し続け、子や孫への責任を放棄することになる。道徳と法のいかなる基準に照らしても、正当化できない。現存する人道法、国際法、環境法、及び持続的発展に関する国際法の、あらゆる原則に違反する。政府当局者が新しい原発の建設を止めるため直ちに行動しなければ、危険を自覚しつつ将来世代に対する犯罪をおかすことになる。
全世界の各国の環境相よ、いますぐに行動してほしいと訴えた。
私はこの見識に感銘し、その英知と勇気に感動した。そして私自身さらに、つぎのように主張した。原発の存続と拡散は、現存世代に対しても人道に対する犯罪になるのだと。(*7) 日本政府と東京電力によって、一般市民である地域住民
の人間の尊厳に対する深刻な攻撃がなされ、その結果、生活の質を極端におとされるなど、非人道的行為がなされているではないか。そういう意図はないと弁明するかもしれないけれども、しかし人道に対する犯罪の成立については、意図に関する要件は問題にならない。
人間の尊厳が攻撃されている点で、原発の生存被曝者がうける苦しみの質はヒロシマ・ナガサキの被爆者のそれと共通するものがある。しかも、この原発被曝者の数は桁違いに多く、いまなお定かでないほどだ。フクシマで、内部被曝を含む低線量被曝が、現場労働者や子どもたち、地域住民の生命、健康と安全に現実的に脅威を及ぼしている。しかも排出放射性物質の悪影響は大気と海洋をふくむ地球環境に及び、生態系の破壊と繋がり人類の生存に関わると認識されている。
他方、ボイルもいちはやく、原子力産業の犯罪性を指摘してきた。3月20日付けの書簡である。要点はつぎのとおりだ。日本の核エネルギー(原子力発電)産業は、日本も加盟している国際刑事裁判所のローマ規程第7条で定義されている人道に対する犯罪を持続している。全世界の日本以外の核エネルギー(原子力発電)産業についても、同じことが言える。日本の核エネルギー産業が人道に対する犯罪をやめるよう、日本の人民はいまこの法的な結論を使うべきだ。全世界の日本以外の核エネルギー(原子力発電)産業についても、同じことが言えるのである。とくにモックス(MOX)は、プルトニュームを含んでいる。それは、人類が知っている最も致死性の高い物質だ。しかも福島第一原発3号炉はモックス(MOX)・プルトニュームを使っており、ここですでに爆発がおきている。日本政府と核エネルギー産業に対して、この情報開示要求を持続すべきである。(*8)私はこの見解から示唆をうけた。
4 核兵器廃絶・脱原発・平和探求
さて、IALANAのシュチェチン宣言(6月19日発表)はつぎの2点を含んでいる。核兵器全廃条約の締結にむけた準備作業を開始させること、また核エネルギーの世界規模での廃絶を呼びけることである。この第二点目に立ち入ると、5月26日の日本反核法律家協会(JALANA)理事会の決議を「核エネルギーの全廃の呼びかけ」と受け止めて、これを支持した。また、必要なことは、再生可能エネルギーとエネルギー生産の民主化とにむけた完全な転換である、と述べたのである。
今回総会の背景と特徴はなにか。振り返っておこう。一昨年(2009年)6月26日に採択されたIALANAベルリン決議の眼目は、翌年(2010年)5月のNPT会議を展望する点にあった。核兵器のない世界の将来像を現実にするには、全体的かつ恒久的な核兵器撤廃を達成する条約の締結を必要としている。IALANAは、核不拡散条約(NPT)再検討会議から、このような条約の締結に向けた速やかな交渉開始を要求する声が起きることを期待するとのべた。しかしIALANAは、この期待は失望に終わったと評価し、したがって漸進主義でなく、核兵器のない世界に向け「跳躍する」方途を独自に追求することにした。ここではまだ、「核兵器と原子炉を動かす核エネルギーとは別だ」と言う二分法がゆきわたっていた。
しかしながら3月11日福島第一原発事故を受けて急遽IALANAは、核エネルギーのない世界の実現を求める活動をするか否か、このことが問われた。また今年4月は、チェルノブイリ事件の25周年にあたっていた。ちなみに国際原子力機関(IAEA)などによる被害の認識は過小評価であって、現実にあっていないではないかなど、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)による新たな批判的見解がだされた。(*9)また原発のグローバル拡散をもってクリーン・エネルギー革命といえるのか、このことが問われていた。
こうみてくると、今回総会の新たな成果がはっきりする。それは創立以来23年に及んで、核兵器の廃絶から平和の探求に進んだIALANAが、この2つの目標のもとに、今回世界規模での脱原発を位置づけたこと、そして法律専門家としてこの課題に取り組むことを決めたことである。視点を換えてみれば、核兵器廃絶・脱原発・平和探求、これを三位一体と見て取り組むことにしたともいえよう。
こうした立場を自覚すると、法律専門家として脱原発の課題に取り組む場合、その実例は限りなく多い。国際原子力機関憲章を頂点とする原子力条約法制が存在する。また日本には原子力基本法制がある。そこで、どう考えるか。例えば核不拡散条約(NPT)4条にいう“奪い得ない権利”と、今後どうむきあうか。「平和的目的のための原子力の研究、生産及び利用を発展させることについてのすべての締約国の奪い得ない権利」が現行条約の定めである。したがって、これは変更できると考えて取り組む。国連に加盟するほぼ全ての国が締約国になっている場合でも、国際立法の段取りにしたがって取り組むのである。再生可能なエネルギーの革命の進行に適合するなら、こうした作業にも、確かな展望が開けるだろう。
注
1. C.G.ウィーラマントリー判事の個別意見の全訳は、ジョン・バロース『核兵器使用の違法性:国際司法裁判所の勧告的意見』(浦田賢治監訳、山田寿則・伊藤勧共訳)早稲田大学比較法研究所叢書27号、259-426頁。
2. IALANA ? Schutzenstr. 6a ? 10117 ? Berlin ? Germany, Final Declaration of the General Assembly of IALANA,Szczecin, 19th of June 2011(URL) 3. フランシス・ボイル「今日の核抑止の犯罪性」。この論稿は、2010年9月4日、オーストリアのフェルトキルヒで開催された会議での講演記録である。この会議の名は、「倫理への勇気(Mut
Zur Ethic):直接民主主義」第18回大会である。浦田賢治編著『核抑止の理論:国際法からの挑戦』2011年12月、日本評論社発売予定、所収。
4. Francis A. Boyle, ”The Relevance of International Law to the “Paradox” of Nuclear Deterrence, Northwestern University Law Review, Vol.80,No.6, at1407, Summer 1986. 5. この論文の全訳は、前註3の書物『核抑止の理論:国際法からの挑戦』に収められている。
6. 「日本の原子炉の破局」(浦田賢治訳)『日本の科学者』2011年7月号57-59頁。
7. 浦田賢治「原発事故:原子力と核、同じ脅威」秋田さきがけ(6月10日)、信濃毎日新聞(6月22日)など、共同通信の配信(識者評論)による。
8. Nuclear Power Industry is a Crime Against Humanity!
Sunday, 20 March 2011 09:11
9. IPPNW「チェルノブイリ健康被害」新報告と、首相官邸資料「チェルノブイリ事故との比較」との驚くべき相違。Peace Philosophy Centre の
URL(2011年4月18日)。
*『法律時報』2011年10月号の「法律時評」に掲載。
(以下、英語版は省略させていただきましたので原文サイトをご参照ください。)
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