アジサイの季節になって―長めの論評(十二)
- 2010年 6月 24日
- 評論・紹介・意見
- ナショナリズム三上治学生運動安保
1968年ころに出た本に橋川文三『ナショナリズム 神話と論理』がある。僕はこの本を興味深く読んだことがあるし、ナショナリズムについては考え続けてきたことであるからそれを披歴してみたい気もする。だが、ここでは安保闘争に限定しながら述べておきたい。これは国家と戦争についての国民的意識の現れという意味である。自民党(保守)も共産党・社会党(革新)も対アメリカに対して日本の独立的立場を主張した点においてある種の共通性があった。これはアメリカに対する日本のナシュナリズム的な主張と言える。ここでの問題はこのナショナリズムが戦後の国民のナショナルな意識や感情と乖離していたという点である。だから、ナショナリズム(愛国主義)を批判していたブントや全学連の方がナショナルな意識や感情を代弁しえたということが存在したのだ。これは無意識も含めてナショナルな感情を代弁しえたにしても、その理念やイデオロギーがナショナルなものであったかは別である。また、それに自覚的であったか、どうかもである。国家間関係の問題(安全保障)にとって戦争は自然であり、国家が軍備を持つことは自然であるという国家意識(ナショナリズム)が戦後の日本人のナショナルな感情や意識からは疑念に見られていたということである。この日本人の戦争についてのナショナルな意識は世界的に見れば孤立状態であった(現在のそうである)が、それなりの基盤を持ってきたのである。これは沖縄との関係を考えると明瞭になる。
戦後の日米関係の中で沖縄は日本に主権があるかどうかという問題として論議されてきた。いわゆる潜在主権の問題である。1960年の安保改定時もこのことは問題にされたが、これは積み残されて1960年代後半から1970年の課題になった。岸はこの解決を弟の佐藤栄作に委ねていたが、それは沖縄に対する日本の主権回復ということだった。沖縄が日本復帰をしなければ「戦後は終わらない」ということが自民党(保守)でも語られていた。この時代の革新([左翼]の主流は沖縄の本土復帰だった。沖縄が米軍の軍政下にある限り、そこからの解放として日本の復帰を構想することは当然であった。本土復帰が沖縄地域住民(琉球弧の住民)の共同意識と感情(ここではそれをナショナルな意識と感情と呼んでおく)の表現たりえるのだろうか。そういう疑問を僕らは抱いた。沖縄の地域住民の持つ戦争についての意識や感情を本土復帰は解決するのか。沖縄独立論や南島論で本土復帰と別の構想を僕らは模索しようとした。これは挫折した。これは1960年の安保闘争時の問題と深くつながっていた。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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