童子丸開「515スペイン大衆反乱 (キンセ・デ・エメ):【第4話:暴力反対!】」
- 2011年 11月 7日
- 時代をみる
- 515スペイン大衆反乱松元保昭童子丸開
みなさまへ 松元
童子丸開さんの「シリーズ:515スペイン大衆反乱」の第4話をお届けします。
以下 http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-04.html より転載。
【第4話:暴力反対!】
前回、2011年5月26日にバルセロナなどカタルーニャの都市で起きた広場占拠の強制排除について書いたのだが、カタルーニャ州警察とバルセロナ市交通警察にそれを命じたのはカタルーニャ自治政府(ジャナラリターッ)だった。彼らがこの日を選んだのには抜き差しならぬ理由があった。その次の日の5月27日に、サッカーの欧州チャンピオンリーグの決勝戦でスペインのFCバルセロナと英国のマンチェスター・ユナイテッドが激突することになっていたのだ。
バルセロナはサッカーの街としても有名である。メッシー、チャビ、プジョル、ビジャなど、世界的な名選手をそろえるFCバルセロナ(通称バルサ)は、この数年、毎年のように何かのタイトルを手にし、そのたびにバルセロナはお祭り騒ぎになる。大試合になるとカタルーニャ広場に特大のスクリーンが設けられて試合が実況中継され、何万人ものバルサ・ファンがそのまえでお祭り騒ぎを繰り広げる。勝ってタイトルを手にしようものならもう騒ぎは収まらない。カタルーニャ広場とそこから始まるランブラス通で、興奮したファンがたちまち乱痴気騒ぎを始める。この時期が近づくと、州警察と市交通警察はその対策に頭を痛めることになる。バルセロナの中心街は、発炎筒を放り投げゴミ箱に火をつけて大騒ぎするバルサ・ファンと武装警察官が激突する戦場と化してしまうのだ。そしてこの数年間はすっかりそれが「年中行事」になっている。
バルセロナの年中行事(?) バルサ優勝後のファンの騒動(エル・ムンド紙)
自治体警察に対して広場に泊り込む者たちの排除を命じたのはカタルーニャ州政府の内務長官フェリプ・プッチだった。警察のスポークスマンは強制排除の理由について「カタルーニャ広場の清掃だ」と語ったが、もちろんこれは州政府首脳からの命令である。しかしその「清掃」が、年中行事化しているバルサ「祝勝会」のためであることは明らかである。
バルサは単なるスポーツクラブではない。カタルーニャの財界がこぞって出資し毎年数百億円ものカネを動かす「大企業」であるだけではなく、観光産業や出版、新聞、芸能、グッズ製造と販売など、その周辺で動く金額は半端ではない。立派にカタルーニャを支える重要産業の一つなのだ。同時にまたそれはカタルーニャという民族と地域、そしてバルセロナ市のシンボルであり誇りでもある。もちろんだがカタルーニャ広場での試合中継にはバルサの予算から巨額のカネが投入される。広場にはバルサのファンクラブの方から使用願いが出されていた。
それにしても、州知事のアルトゥール・マスと内務長官プッチの頭の中はどうなっているのだろうか。カタルーニャ自治州を治めるのは、昨年の12月に8年ぶりで政権を取り戻した民族主義保守政党CiU(集中と連合)なのだが、政治的な傾向を帯びる大衆の大規模な動きに警察という暴力装置を動かすことの意味合いが分からないとすれば、しかもサッカーの祭りの方をより重要視したとすれば、彼らは政治家ではなく単なる田舎者の阿呆にすぎまい。
そして広場に泊まりこんでいた約400人の「インディグナドス(怒れる人々)」に対して激しい暴力をむき出しにし、121名(警察官を含む)の負傷者を出すという暴挙におよんだわけだが、すぐに駆けつけた何千人もの市民に広場を奪い返され、警察は「清掃」をあきらめてさっさと署に戻ってしまった。広場にはその日の夜中になっても1万人ほどの人々がそのまま残り続けたのだが、その一部始終はスペイン国内のみならず他の欧州各国民までが即刻知るところとなり、州政府に激しい非難の声が浴びせられるところとなった。おまけに、「清掃」どころか、この大衆運動の参加者とその勢いを2倍にも3倍にも膨らませてしまったのだ。全国紙エル・パイスはこの州政府の愚行について「最も汚い『清掃』(スペイン語記事)」と厳しく(正しくも)批判した。
結局、チャンピオンリーグ中継用の特大スクリーンは、急遽カタルーニャ広場から1キロほど離れた凱旋門前の広場に移されることになった。しかしひょっとすると州政府には一つのずるがしこい見通しがあったのかもしれない。優勝が決まった場合、バルサ・ファンはカタルーニャ広場からランブラス通にかけて繰り広げられる毎年恒例の乱痴気騒ぎに向かうだろう。もちろんだが大量の武装警官隊が出動することになる。もし広場に集まっている「インディグナドス」がバルサ・ファンにつられて武装警官隊と衝突するようなら、あるいは広場の取り合いでバルサ・ファンと小競り合いでも繰り返せば、マドリッドから始まった515運動全体が単なる浅はかな暴徒の集まりに過ぎなかったと証明できるだろう…。
そして27日土曜日、FCバルセロナは予想通りマンチェスター・ユナイテッドに圧勝し、4度目の欧州チャンピオンに輝くこととなった。さて、カタルーニャ広場では何が起こったのか。
ここで翌28日のカタルーニャ公営TV3の昼のニュースを見てみよう。カタルーニャ語のニュースなので聞いても分かる人はほとんどいないかもしれないが。http://www.tv3.cat/videos/3550850/TN-migdia-29052011
ニュースをそのまま記録したこのビデオでは、最初に銀行の宣伝が入ってそれからニュースの主要項目の紹介が始まる。最初はもちろんバルサの試合と優勝決定シーンである。これがカタルーニャにとって最大のニュースというわけだ。次にバルセロナ市内でのファンの歓喜と騒ぎ、そして「インディグナドスは暴力を遠ざける」という見出しのテロップが入る。ニュース本編では25分あたりから数分間、27日夜のバルセロナ市内の様子が映される。最初のうちはバルサ・ファンの暴れ者たちと武装警官隊との「戦闘シーン」が映される。例年ならばここまででありリポーターの「情け無いことに」という嘆き節で終わることになる。しかし今年は様相が変わってしまった。
以下に掲げる写真はすべてこのTV3ニュースからのものである。ただし掲げる順番はニュースの通りではなく実際に起こった順にそろえている。
まず、広場に泊り込む人々は、テント設置に使う角材などの、危険物となる可能性のある物を全て自主的に片付けて、たとえ暴徒となったファンや警官隊が乱入したとしても惨事にならないように準備した。
テント資材を片付ける泊り込みの人々
次に、広場を騒乱の巷にしないように、バルサ・ファンクラブの人々と広場の分かち合いやお互いの守るべき礼儀などについて入念に話し合い、理解を求めた。もちろんだがバルサ・ファンにも広場を使う権利はあるのだ。
広場の使い方や礼儀などについてバルサ・ファンと話し合う
バルサの優勝が決まり、乱暴な「祝勝会」が始まることが確実になったとき、カタルーニャ広場は大きな緊張に包まれた。もしここで「インディグナドス」がバルサ・ファンと武装警官の「戦闘」に巻き込まれたなら、今までスペイン中でがんばってきた抵抗者たちの努力が水の泡になってしまう…。
「暴力反対」と書かれた紙を掲げ、非暴力抵抗を訴える
広場に集まっていた1000人ほどの人々は、「暴力反対」、「平和な泊り込みに協力を」などと書かれた紙を手で掲げながら非暴力を訴え、また冒頭の写真にもあるように手を組み合って人間の鎖を作って広場を囲ったのだ。またこれにはバルサ・ファンの一部も積極的に加わった。
「平和な泊り込みに協力を」と書かれた紙を掲げる人々
そして深夜、暴徒と化した一部のバルサ・ファンと武装警官隊が近づくと、一斉に“No violencia!” “No violencia!”(暴力反対!)の大合唱が沸き上がった。人々は広場の入り口に座り込み、またスクラムを組み、冷静に、しかし体を張って一歩も退かずに広場を守った。
スクラムを組んで暴力反対を訴えるカタルーニャ広場のインディグナドス
そして結局、バルサ・ファンの乱暴者たちも武装警官たちも広場に乱入することはできなかった。カタルーニャ広場では、泊り込みの「インディグナドス」と優勝を祝うバルサ・ファンが場所を分け合った。バルサ「祝勝会」は明け方まで続いたのだが、事前の入念な話し合いと両者の協力のおかげで、その間決してそれぞれの領域を侵すことはなかった。
手前側が515運動の泊り込み部隊、その向こう側でバルサ優勝を祝うセレモニー
28日の夜が明けたとき、カタルーニャ広場には515運動の人々とバルサ・ファンが寝具を分け合うように寝込んでいた。そして、市から雇われた清掃員のおばちゃんたちに協力して、誰からともなく朝の広場の清掃が始まった。資本家と大銀行の番頭である州政府は、警察の暴力で人々を追い出すことを「清掃」と言ったのだが、これが本当の意味の清掃なのだ。
用具を持ち寄って広場を清掃する人々
TV3のニュースは、広場が無事だったことへの安心と同時に軽い驚きをもって、27日深夜の出来事を伝えている。同様のニュースは国営TVを初めとする大手TVでも、また全国版の大手新聞でも報道された。そしてこの夜のカタルーニャ広場が持つ意味は、これから後の515運動を考える際に、限りなく大きいものと言える。
スペインの一般市民の中では、515運動など、しょせんはあのバルサ・ファンの乱暴者たちと同レベルの「お騒がせ」に過ぎないのだろう、要は日ごろの欲求不満を何かで晴らすといった程度のものだろうと思っていた人たちも多かったのだ。むしろその方が多数派だったに違いない。5月15日にマドリッドで大衆の反乱が始まって以来、訳知り顔の評論家や学者たちの中には「これは今のスペイン社会に対する欲求不満の爆発である」とか何とか言いながら、半分は「インディグナドス」に擦り寄るように同情してみせ、一方で「彼らには政策も思想も無い」と突き放してみせる類の者が多く見られた。この手の知ったかぶりどもはどこの国にもいるのだが、そんな「知識人」たちのもっともらしい話を聞けば、誰でも一瞬そうかと思ってしまう。
しかし、26日の強制排除から28日の明け方までに明らかになったバルセロナの「インディグナドス」の行動と態度は、515運動を見る人々の目を一変させたと言ってよい。特に、お定まりのように欲求不満をアナーキーに爆発させて武装警官を挑発するだけの一部バルサ・ファンと、前日にあれほど激しい暴力を受けながらも非暴力に徹し一糸も乱れずにまとまって広場を守る彼らとの見事な対比は、そのモラルと志の高さを多くの国民の目に焼き付けるに十分なものだった。「インディグナドス」は市民の信頼を勝ち得たのだ。それは、このシリーズでもう少し後に触れることにするが、6月19日に行われた巨大な市民デモを見ても明らかである。
28日以後、広場に再び大きな「テント村」が作られ、数百名による常駐の泊り込み体制が作られ、もはや警備当局者はカタルーニャ広場にはこれ以上の手出しができなくなってしまった。実は27日には、前日26日のバルセロナに続いて、スペイン各地で広場占拠の撤去が武装警官の手で強行されていたのだ。マドリッドではプラド美術館前の通りで「インディグナドス」と武装警官隊の大きな衝突が繰り広げられていた。しかしそれらの警察を使った「清掃」は、バルセロナと同様にことごとく失敗に終わり、広場占拠はスペイン中でますます規模を拡大させていった。マドリッド州でもマドリッド市だけではなく州内の中小都市全域に広場占拠が根付いてしまったのである。新聞はこれを「ビッグ・バン」と呼んだ(スペイン語記事)。
この5月15日以来の動きは「スペイン革命」として即座に欧米各国で紹介され、同様の広場占拠の運動が次々と他の国々を巻き込んでいくことになる。それについては次回にご説明したい。
しかしその一方で別の問題も持ち上がっていた。この515運動(15M)自体は一応「今こそ真の民主主義を!(Democracia Real, Ya!)」を合言葉に、現状に危機感を持つ人々が集まったものだが、あくまでも個々人の事情を抱えてのものであり、大量の資金があるわけでもなくそれぞれが生きていかねばならない。いつまでもこの形で続けることは不可能だった。また多くの潮流をその中に含み、自分たちが今度どのような動きをするべきかについて決して一致できるものではなかった。実際にこれ以降、時間がたつにつれてそういった多くの問題が吹き出していく。これを「限界」とみなすのか、「もっと幅広い大きな流れになりうる要因」とみなすのかについても、見方が分かれるだろう。そのようなことについても引き続いて見てしていくことにしよう。
(2011年11月2日 バルセロナにて 童子丸開)
これまでの掲載のご案内。
童子丸開「515スペイン大衆反乱 第1話:バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ」http://chikyuza.net/archives/15800
童子丸開「515スペイン大衆反乱 (キンセ・デ・エメ):【第2話:プエルタ・デル・ソルへ!】」http://chikyuza.net/archives/15960
童子丸開「515スペイン大衆反乱 (キンセ・デ・エメ):【第3話:広場を取り戻せ!】」http://chikyuza.net/archives/16201
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1702:111107〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。