米国病?を病んだ現代日本(その4)
- 2011年 11月 9日
- 評論・紹介・意見
- 大木 保米国病?
社会ダーウィニズムに裏うちされた米国支配層の選ばれしものの狂気・ ・
– 心の病は、さまざまな症状をくりかえしあらわしてきます。
わずかな万引きをくりかえしたり、ひとを騙したり、くりかえされるDV、家庭内暴力、
一度に一本のシャンプーをくりかえし使ってみたり、学校のトイレでパンを食べたり、ベッドにウンチしたり、
というふうに、 心の病が深くなればひとは現実の場面にふみこんで行動するようになります。・・
– はるか北アフリカのリビアの空の下では、
たしかに独裁者にちがいなかったであろうカダフィが、抹殺された。・・
だがしかしカダフィが米英の傀儡たるを拒絶して一国の自立をはたし、
国民に誠実をしめしたことは誇るべきことにちがいない。
そして、
その「独裁者」の抹殺で、国民大衆が本当に「国民自身にひらかれた国」を築けるのかといえば、
いたって懐疑的にならざるをえない。
なぜなら米英仏の工作部隊が先陣を切ってリードした外からのエセ倒幕運動にちがいないゆえに、
カダフィの粗野な独裁より、もっと悪質な、しかもスマートな
日本や世界中に横行する傀儡民主主義がシフトされる可能性のほうが勝るとみるのが妥当である。
チュニジア以来、
「ジャスミン革命とか」「アラブの春」ともてはやすマスメディアの宣伝文句の下に隠された実相は、
日本人とちがって、お人好しなどいない西欧列強のあらたな帝国主義の発動による
「偽装された支配」の実行とよぶべき、
「もっとも手の掛からない第二の植民地化」のための策動というに相応しいものにほかならない。
それでも今まだわずかに、
リビア国民大衆には、「ほんとうのたたかい」をたたかいぬく道がのこされては、いる。
ただかつてのカダフィ青年が拒絶したように、徹底的に「NO!」といいつづけることである。
当面の権力サイドからでてくる政策につねに生活者からの拒否をつきつけていくことである。
うっかりその手をやすめれば、
かならずやスマートなハゲタカが「自由化」を迫ってきて丸裸にして去っていくことになる。・・
ついでにいえば、
それはいま、日本に降ってわいたTPPなる交渉(利益要求だが!)が
「紛争抜き」のスマートな、さらなる収奪支配が目的であるという文脈に、じつはつらなっている。
この米国の謀略とよぶべき世界戦略を理解できないとき、
やはりハゲタカの「市場自由化」プロパガンダに屈して蹂躙されることになるのは自明のことである。・・・
—
さてさっそくながら、
四回目となる「覇権主義米国政権のものの考え方の起源」についての読み込みをすすめていきましょう。
テキストには「超・格差社会アメリカの真実」(小林由美)をもちいています。-
「アメリカには文化も文明もない。」と当時のフランスのクレマンソー首相が看破したように、
もうすでにアメリカには理念なき権謀だけの政治家の欺瞞と、それとむすんで
「社会ダーウィニズム」に裏うちされた選民意識にとりつかれた強盗貴族たちの、
さらに独占へとむかったアメリカ資本主義の腐敗が、だれの目にもあきらかとなっていた。
その欺瞞と腐敗から瀰漫する、<個の実存>を疎外しつづける“狂気”が、
アメリカ社会全体の「閉塞と退廃」をすさまじいいきおいでまねいていたことがうかがえる。・・・
— 進歩派の台頭と第一次世界大戦 – (テキストより概略)
「十九世紀末、アメリカ全土の鉄道建設をめぐって財政資金の流用が全国で展開された。」
「農民は穀物価格操作や、運賃の随意設定についての仕組みに」気づき、
「巨大な製粉会社の出現や、カーギルが穀物取引を支配することなどにより、
自作農民が圧迫され、不満を高めた結果、農村を基盤にしたポピュリスト州知事が中西部で相次いだ。」
また、
「北東部の工業地帯でも、移民の悲惨な生活環境や、
7歳の子どもも働かなければ生活できない低賃金に不満がつのっていた。」
すでに「十万人単位の労働者のストライキや暴動が相次ぎ、
それを銃装備した警備会社や軍隊が追い散らす血みどろの労働争議が頻発した。」(小林)・・・
– ついに本格的な労働争議がアメリカにも展開される状況にいたった。
あらたな政治勢力も台頭してきたことで、体制派内にも動揺と危機感が一気にひろがっていく。・・・
「ここに至ると社会主義の台頭を防ぐ必要からも、さすがに腐敗政治の改革が急務になった。」
「その改革をめざした進歩主義を代表したのが、26代セオドア・ルーズベルト、28代W.ウィルソン、32代フランクリン・ルーズベルトだった。」
「かれらは庶民代表のラディカルなポピュリストではなく、
豊富な政治資金をもち、かつ汚職資金源に直接アクセスできて、
改革を交渉できる同じ階層に属する北東部のエリート層だった。」
著者はこうもいって進歩派エリートたちをもちあげている。
「制御不能とさえいえる状態に陥った金権政治に歯止めをかけ、経済力の過度の集中を是正し、
労働者や農民への富の再配分を実行できた」(小林)と。・・・
– アメリカにおいて、はじめての修正主義が実行されたわけだが、著者がたたえるほど、
それが体制内改革であることに、そのリーダーシップに負うことに意義があるわけではないだろう。
かれらは支配体制を護持するために、
もとからあった法律カードを、度が過ぎる強欲な連中相手に切っていっただけなのだ。
むしろここには豊富な政治資金と権力を行使できる者がたらい回しで大統領になれて、
あらたに正義のもののようにふるまうことをゆるした制度的な問題こそが問われるべきであった。
富と権力をほしいままにする支配層に都合のいい、歪んだ民主主義制度は退廃を助長する。
その証拠に当時から穀物取引を支配したカーギル社が、世界屈指の穀物メジャーとなって存続している。
(余談だが、近年には日本の東食がその傘下に下ってカーギル・ジャパンとなっている。)
また仮にも、農民や庶民を基盤にした者がその志を曲げずに大統領になっていれば、
改革の最中のドサクサに乗じて、
ウォール街のJ.P.モルガンやロックフェラーたちの術策である「連邦準備銀行制度」がとおることはなかった。
これ以降、金融資本は連邦国家による保護を、また国(FRBだが)はマネーサプライを「勝手しだい」とし、
さらにこのシステムを維持するために恒久的に所得税を導入することとなった。・・・
– ウッドロー・ウィルソン大統領が
ウォール街を支配するJ.P.モルガン、ロックフェラーらの連邦準備銀行制度を容認したことと、
モンロー主義をほうりだしてウィルソンのアメリカが第一次大戦に参戦したこととは動機が一致する。
連合国(英、仏)側が敗戦してしまうと、
アメリカ銀行団の巨額の貸付債権がこげつくおそれがでてきたためである。
またしても金融資本の要請に従って、こんどはドイツに宣戦布告したのである。・・・
ただ、
「ウィルソンは前年の1916年に「欧州の戦争にアメリカを巻き込まない大統領」として、辛うじて当選していた。
したがって参戦するために世論の支持を形成する必要に迫られ、広報委員会(CPI)を設けた。」
「委員会は、映画、漫画、ポスター、パンフ、本、新聞などあらゆるメディアを使って
政府のアジェンダ(思惑)を全国に流布し、ドイツを残虐な国として描きだした。
そして7万5千人のスピーカーをリクルートして、一回4分間のスピーチを、一人100回ずつ全国で展開させた。」
「一方ではボーイスカウトや教会などさまざまな団体を組織化し、画期的な世論形成戦略を編みだした。」
「広報委員会出版の『アメリカが戦争に巻き込まれた経緯』は700万部のベストセラーとなった。
委員会の活動が奏効して、ドイツの作曲家ワーグナーのオペラはオペラ座から姿を消し、
ダックスフント犬はコンテストから締めだされ、ドイツ移民もひどい目に遭った。」
「政府主導による新聞・出版からハリウッドまでを包含した大掛かりなPR戦略によって、
アメリカのPR産業の基礎がつくられ、ここにまた国際競争力を持つ新たなアメリカの産業が誕生した。」(小林)
– こうしてアメリカ国民は、戦争に巻き込むためのもう一つの謀略といわれるルシタニア号撃沈事件と、
政権の圧倒的なプロパガンダに騙されて、 死のヨーロッパ戦線にひきこまれたのである。
参戦から勝利の日までの一年余の間に13万人が戦死している。
著者はここでも新たなPR産業の誕生というエコノミストらしい追記をしているが、
これこそは現在、世界中で米国が官民同体となって常習的に実行している
紛争地収奪のための尖兵たる任務を帯びたPR産業のことにほかならない。
支配のための「情報操作(マニュピレーション)や謀略」のもとに、
世界的規模で圧倒するプロパガンダの煙幕をはって、
その後の戦闘介入(「民主化」と、のたまう!)を正当化する。
まったくそういう意味では、たしかに国際競争力をもった新たな産業に立派に成長したというほかない。・・・
「第一次大戦参戦によって、南北戦争で軍需物資と資金を提供したサプライ・チーム(の二世)は、
新たに加わったメンバーのJ.ケネディ、C.ディロンとともに、再び戦争の利益を手中にした。
なかでも火薬メーカーのデュポンは、敵国ドイツのパテントを基礎に軍需物資を製造し、
戦争が終わった時には火薬メーカーから総合化学メーカーへと大きな転換を遂げていた。」(小林)
– アメリカを例外として、長期にわたった第一次世界大戦は、未曾有の犠牲をもたらした。
戦闘員の戦死者は900万人、非戦闘員の死者は1,000万人、負傷者は2,200万人といわれる。
またこの戦争によって、「スペイン風邪」が伝染して世界的に猛威をふるい、
戦没者を上回る病没者を出している。
そうした国力の低下のうえに、敗戦国はもとより戦勝国も、
莫大な軍需費用を費やしたことによって疲弊しつくすこととなった。 それゆえ、
後のベルサイユ条約において、戦勝国は敗戦国に報復的で過酷な条件を突きつけるほかなかった。・・・
(このあとは次回に続きます。)
ブログ・心理カウンセラーがゆく!http://blog.goo.ne.jp/5tetsuより 転載.
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0678:111109〕
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