アジサイの季節になって―長めの論評(十四)
- 2010年 6月 26日
- 評論・紹介・意見
- ベトナム戦争三上治沖縄
ベトナム反戦闘争に存在した空隙は沖縄の本土復帰論に感じていた疑念は通底していたということであった。これは日本人のナショナルな戦争に対する意識や感情[共同の意識]がナショナリズム[国家意識]として表現される場合の乖離感である。ベトナムの地域住民がアメリカの侵略に抗し、そのナショナルな感情を愛国などのナショナリズムで表現するのは自然であったかもしれない。しかし、それを反米愛国闘争として日本での闘争とは重ねられない。反米はいいが、日本では愛国というナショナリズムとは接続できないという意識があった。これはさらに沖縄問題での本土復帰に続くものだった。
沖縄が米の軍政から解放され日本の本土復帰はいいが、それが目標とされるなら、沖縄の地域住民がその運動の中で実現しようということと違う結果になるだろうということだった。本土復帰論は沖縄の心を裏切ることになるだろうという予感だった。本土復帰は日本の政治制度に復帰するだけで、日本政府との関係を媒介にしてアメリカの基地はそのまま存続するし、固定化されると思っていた。どうすればいいのだという問いかけ僕らは持った。これは安保闘争の敗北と連続するものに思えた。戦後の日本人の戦争についてのナショナルな意識や感情が現れ、それが世界史の舞台に出たことは画期的であっても、それは世界的に孤立を強いられた。日本人の戦争についてのナショナルな意識は敗戦国の特殊なものという見解もあるが、僕は世界性を持っていると思う。戦争を政治(外交)の延長上にあるものとする戦争観の否定である。政治(外交)の歴史観の変えるものだ。僕は先のところでこれは世界的には孤立した戦争についての思想であると述べた。ナショナリズムが国家思想としてある世界の現状では、日本のこのナショナルな意識や感情は孤立してあるほかない。この戦争観は孤立していても、国家間対立を絶対的なものとする世界を超え得る世界性のある思想である。沖縄の地域住民の戦争観は日本の戦争観と同質のものと考えた。深さの問題はあるにしても。これを本土復帰論で表わすことは安保闘争を反米愛国主義で語るのと同じに思えた。吉本隆明が「敗北の構造」を語り、南島論を提起していたことに僕が魅せられたのもここに置いてだ。彼が「敗北の構造」というとき、それはナショナルなものとナショナリズムの乖離構造の歴史的な構造を踏まえてのものだったように思う。彼には戦中から戦後にかけての敗北[挫折]、安保闘争での敗北[挫折]が連続したイメージとしてあったと推察できる。これは国家(ナショナリズム)を超えるということに関係する。
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〔opinion039:100626〕
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