原発事故・TPP加入と伝統的循環型農業の終焉
- 2011年 12月 28日
- スタディルーム
- TPP原発循環型農業犬伴 歩
東京都と埼玉県の郊外にはかつて武蔵野と呼ばれた雑木林が今日でも見られます。アニメ『となりのトトロ』のトトロの森もそうです。しかしこのおもにクヌギやコナラなどからなる雑木林は自然の原生林ではなく、江戸時代に堆肥や薪炭用として利用するために人手をかけて営々と作り上げられてきたものなのです。その雑木林の里山地帯に隣接して、所沢市と三芳町をまたいで上富・中富・下富の3区画、約1400haからなる三富新田(さんとめしんでん)と呼ばれる農業地区があります。新田といっても水源には恵まれないため畑作が行われています。ここはもともと近隣29ヵ村の入会地として利用されていましたが、元禄時代に柳沢吉保が川越藩主になると、藩営事業として本格的に農業開発がおこなわれ、三富全体で241戸からなる新田集落として成立しました。300年以上たった今日でも安易に化学肥料や農薬に頼らず、落ち葉や廃菜、鶏糞などを発酵させて作った堆肥を使用する循環型農業を継承しています。三富は営農意識の高い農民たちに支えられて、消費者の信頼を得たブランド性の高い、高品質で安全な農作物を出荷する優良な近郊農業地域としての地位を保っています。三富についてはいろいろなサイトで見ることができますので、ぜひご参照ください。
三富地区は川越藩の主導で極めて合理的、計画的に作られました。入植した農家はそれぞれ約4ha(標準型で幅40間・奥行375間)の短冊形の土地が与えられ、道路寄りには屋敷林と住家、それから広い畑地、一番奥に堆肥用の平地林という構造になっており、今日でもそのままの姿をとどめている地区も多いです。川越藩はここに入植した人たちが地元意識や相互扶助意識を高めるために、上富に菩提所として多福寺を建立し、中富には三富の総祈願所として多聞院とその境内に総鎮守として毘沙門堂も建立しました。日本の伝統的な村落は共同体の意識で結ばれていましたが、三富はもともと川越藩が増収をねらったものとはいえ、単に生産の場としてではなく、人間生活の基礎付けも疎かにしなかった先人たちの叡智は見習いたいものです。関越自動車道の川越ICと三芳PA間を走っていると、この高速道路によって左右に分断されて両側に広がる豊かな農地が見られますが、この景観が三富新田の一部です。戦後は三富地区も膨張する東京のヒンターラント、近郊農業の適地として繁栄してきました。それを支えたのは研究心の旺盛な精農家達の積極的な農業経営によるところが大きいと言えましょう。
さて戦後の産業優先政策とモータリゼーションの進展によって三富の景観はおおいに変貌を遂げることになりました。1960年代以降、高度経済成長期に入るとこの優良な農業地区は様相を変えてくることになります。予想を上回る東京の膨張です。まずモータリゼーションにあわせて雑木林を切り開いて、国道245号(川越街道)に接続する道路が作られ、東京へのアクセスが良くなった三富地区は、工場(東ハト、木村屋總本店、大日本印刷、昭和鋼機など)や建設資材置き場(武蔵野倉庫など)、物流センター(伊勢丹センター、西武運輸、日本通運、日立物流、プラス、楽天ブックスなど)として転用されるようになって行きました。70年代に入ると西武池袋線や東武東上線を利用する東京への通勤者のベッドタウンとしても目をつけられ、かつての農地は工場、資材置き場、物流センターに加えてミニ開発の住宅地、マンションが目につくように変貌していきました。この流れに決定的な役割を果たしたのが、関越自動車道の開通と所沢と川越のICの完成です。80年代のいわゆるバブル経済時に土地開発ブームで沸くようになると、東京ではあちこちで地上げや都市再開発と称するスクラップ・アンド・ビルドが行われ、三富が一部かかっている、平地林の広がる通称くぬぎ山地区はその再開発残土や廃材置き場として、また産業廃棄物処分場として目をつけられるようになり、廃棄物の焼却場もあちこちにできて、「産廃銀座」と呼ばれるほどになりました。廃棄物業者が安易に設置した燃焼温度の低い焼却炉からは大量のダイオキシンが発生して、露地野菜が汚染されているとのテレビ報道(1999年2月から)によって、野菜の売り上げが低迷する風評被害が生じ、はては野菜生産者がテレビ局を訴える裁判沙汰にまでなるに至ったことについてはご記憶の方も多いのではないかと思います。
先に三富の農地は1区画約4haと言いましたが、今日日本の農家の所有農地の平均が2ha弱ですから、元禄の入植時から1戸の営農面積としてはかなり大規模であったということが言えます。しかしそれは開墾当時土地が痩せていて、営農生活が成り立つためには1戸当たり4haも必要だったことが実情だったようです。堆肥用のクヌギやコナラなどの平地林が循環型農業には不可欠だったからです。今日でも行われていますが、端境期には麦を蒔き、ある程度生育すると、その麦を畑に梳き込んで農地を豊かにしてきました。冬期には空っ風が強くて表土が吹き飛ばされる被害も多く(強風の日には今日でも空を覆う土煙が見られます。また現地には長年土埃に当たったため目鼻が削られてなくなってしまったお地蔵様もあります。)、隣の畑との境には茶を一列に植えたりして、表土を守っていました。平地林も防風効果を発揮したでしょうし、通称けやき並木通り(別名いも街道)に沿って並ぶ堂々としたケヤキも防風・防火のためでもあったわけです。地下水脈が深く水に恵まれないこの地(三富全体で12ヵ所の共同井戸から飲料水を得ていました。歌枕として名高い古代の遺構、堀兼の井戸も三富に隣接した地区にあります。注)では、入植農民は遠くを流れる柳瀬川まで水を汲みに行っていたとの記録が残っています(一番川に近い区画でも約3kmの距離があります)。この三富を今の優良農地にするため、先人たちは多大な労苦を払っていたわけです。柳沢吉保の命による開削以来およそ300年、三富新田は江戸時代から明治・大正・昭和を通してずっと循環型農業地域として継承されてきました。そして戦後高度成長経済の時代が到来したわけです。
この三富の土地が売買されるようになる経緯としては、現地に在住しない地主の土地がまず目をつけられましたが、現役の農家も土地を売り渡すことになります。それではなぜ三富の農家は土地を切り売りしたり、手放すことになったのでしょうか。農家にはそれぞれ事情があったでしょう。ですが土地を手放す最も大きな理由は、代替わり時に避けられない相続税の納入にあると言えましょう。今から20年ほど前ちょうどバブル経済の華やかりし頃、筆者は所沢市が主催する三富の現状を学習する会に参加したことがあります。その時ある精農家がつぶやくように、相続税は7億円だと洩らしました。年間の疎収入は約1千万円とのことです。これでは安定的に農業を継承していくことはそもそも出来るわけがありません。そこではじめに堆肥や燃料用の平地林を処分することになります。肥料は購入することになり、化学肥料も使用されるケースも出てきて循環型農業が崩れることになります。そして畑地本体の売却へと向かって行ったのです。そこに先に述べたように工場、資材置き場、物流センターなどが進出し、さらに大学も狭くて過密だった都心から移転して、第2キャンパスや新学部を開設(日大芸術学部、周辺には跡見女子大や淑徳大なども)、そして貸地や貸工場、ミニ開発のマイホーム群やマンション、廃棄物処分場と焼却場が乱立するようになっていきました。さらに近年では高齢化社会を反映して、医療施設や介護施設(所沢リハビリセンターなど)が目立つようになり、現在では公園型霊園の開発が盛んで新聞の折り込み広告には墓地分譲の広告が目につきます。ちなみに高品質で名高い川越イモ(サツマイモ)の産地である三芳町は、先年ブームになった市町村合併には最も消極的でしたが、それは農地から転用された工場や物流倉庫などからの税収が潤沢だからとのことです。こうして大量生産・大量消費・大量廃棄という、国がすすめた産業優先政策によって都会が便利で快適な生活を謳歌する陰で、ここ三富やその周辺の雑木林で名高い武蔵野から豊かな農地、きれいな空気と水、オオタカを頂点とした豊かな生態系、美しい景観が奪われてきたのです。
ここにきてTPP加入問題が盛んに取りざたされています。経団連をはじめとして製造業界が加入を積極的に働きかけています。農業を単に生産効率や経済効果の面でしか見ないならば、高齢者が大半を占めて就業人口も少なく、自動車、電機や化学などの産業には足元にも及びません。ですが先ず一度、江戸時代以来の先人達が営々と作り上げ継承して来た、手入れの行き届いた農地とこんもりとした雑木林、見事に育った屋敷林からなる三富の美しい景観を見に来ていただきたいものです。都会の人が癒されるという循環型農業の緑豊かな景観は、江戸時代以来ここに関わって来た人々の努力の継承のたまものであることを忘れてはいけないはずです。TPPへの加入は日本のきめ細かな循環型農業を破壊し尽くさずにはおかないでしょう。現に三富新田の戦後史は、先にご説明したように国の産業優先政策によって破壊されてきた歴史でもありました。三富を一望すると美しい景観の中に虫食いのように、工場や物流施設などが雑然と立ち並ぶ殺風景なエリアも同時に目の当たりにすることでしょう。この光景は経済効果にしか関心が無く、環境や景観に規制をかけない産業誘致政策の結果であることは言うまでもありません。日本には三富のような開拓農地、天に至るような棚田、里山に寄り添うような農村など、私たちの原風景とも言えるような景観が多数存在しますが、多くは崩壊へと向かっています。そしてTPPへの加入がとどめを刺すことになることでしょう。
TPPによる農作物の無関税自由化は、確実に日本の農業に壊滅的打撃を与えると思います。米国や豪州など大規模農業国の安い輸出用農畜産物に対抗しようと、規模拡大を図ってもとうてい太刀打ちできるはずはありません。むしろコスト削減のためさらなる農薬・化学肥料の多用、遺伝子組み換え作物の導入、それらとセットの米国の種苗会社が独占的に支配するハイブリッド作物依存へと向かうことになるでしょう。棚田をはじめとした水田は単に景観ばかりでなく、水源の維持、洪水対策といった国土保全上でも重要な役割を果たしていますが、日本に暮らす人々の精神形成や文化・伝統にも密接な関わりを持っています。(余談ですが、そうなると「豊芦原の瑞穂の国」という日本の美称や大嘗祭・新嘗祭・お田植えといった農業祭祀をつかさどる天皇の役割はどうなってしまうのでしょうか。それをTPP加入賛成の保守や右翼の方々はどう考えているのでしょうか。一度伺ってみたいものです。)農業は暦や季語、年中行事に見られるように私たちの文化や価値観といった精神の形成に大きく関わっています。TPP加入はかろうじて保持されてきた水田や畑地それに山林など、ドジョウやトンボが生息する環境への畏敬の念さえ葬り去ることになりかねません(「農業改良」のもとにすでにメダカはレッドデータ・ブック入りしてしまいました)。目先の利益で伝統的な循環型農業を捨ててしまうのは、単に浅はかでは済まされない、日本文化の行方を左右する重大問題に思えてなりません。野田総理は「美しい農村は守らなければならない」と発言していますが、農民にとっては希望でも誇りでもあり、都会の人にとっては癒しの場である「美しい農村」とTPP加入とはどう両立できるのでしょうか。
現在、福島原発の事故によるセシウムの放射能汚染が喫緊の問題になり、除染作業など遅々として効果が上がらない状況にあります。今にして思えば三富や所沢におけるダイオキシン騒動はこのセシウム拡散問題の切実な前例だったのです。所沢ダイオキシン問題は、三富やその周辺の農地に産業廃棄物置き場や廃棄物焼却炉が作られ、廃棄物焼却の過程で発生する、遺伝子を傷つける発ガン性の高い猛毒ダイオキシンが、周辺に飛散して地下水や農地や洗濯物を汚染し、農作物は風評被害にあって売れなくなり、生産者がこれを報道したテレビ局を告訴したり、乳幼児のいる家庭がこの地区から避難するといった事件でした(一方でこの程度のダイオキシンにはさほどの毒性はないとか、直ちに障害が出るとは言えないと発言する学者もいました)。所沢や三富の野焼きや焼却炉から発生したダイオキシンと福島原発事故によるセシウム、どちらも猛毒であり発生した時点で人知では如何とも解決できない難物に人間が手を染めてしまい、そこで慎ましやかに暮らしていた人々の生活を根底から変えてしまったことで共通しています。また山林や農地の汚染(循環型農業に不可欠な落ち葉は使用できなくなりました)と除染問題、そして除染廃土や廃材・瓦礫をどこに保管するかなどの問題や、農畜産物の風評被害問題でも共通しています。
三富地区は一時産廃置き場が乱立するようになり苦悩しました。産廃に埋め尽くされた瀬戸内の豊島を始め、全国に散在する廃棄物処分場は行政の及び腰の対応が悪徳業者を増長させ、問題を長引かせました。また所沢ダイオキシン風評被害問題では、生産者が報道したテレビ局を訴えました。しかし非難されるべきは国土保全や環境保護を考慮しない国の産業優先政策であり、ダイオキシンを発生させた処分業者とそれを許した行政のはずです。これと同様に放射能による風評被害の責任は農産物を敬遠する消費者ではなく、国の原子力行政や東電、彼らにお墨付きを与えた原子力ムラの学者達にあり、生産者と消費者は共に放射能汚染の被害者のはずです。ダイオキシン問題の場合は野焼きの禁止、旧式や小型の焼却炉の撤去、高温焼却炉の導入などで何とか最悪の事態は回避したようです。しかし一度広範囲に飛散した放射線汚染はそうはいきません。山林・土壌・地下水・河川や海の汚染で、農林・畜産・漁業などは放棄せざるを得ず、ついには放射線量の高い地区では汚染された故郷から出て行かねばならないという取り返しのつかない事態に至っています。
ダイオキシン禍もセシウムによる放射能汚染も、自然と人間の共生を度外視して、性急に利益のみを追求して止まない、生命よりも産業・経済を優先する文明のあり方を如実に示しています。国や推進論者はリスクを無視してコスト削減ばかりに目を向け、私たちの日常生活を足元から支える、生命に直結した食の安全、自然と環境、そして歴史や伝統、文化といったカネに換算できない大切な価値をゼロ査定してしまいました。また原子力発電においては、国や電力会社は使用済み核燃料の確かな処理計画やそのノウハウもなく、どこか僻地に貯めておけばいいだろう程度の考えで、原発による発電は低コストだとして平然としている有り様です。TPP加入問題でも同じような構造が見え隠れしています。加入推進論者は、日本農業も知恵を出して大規模化や生産性の向上をはかれとコスト面にしか言及せず、またオレンジの自由化でもミカンは大丈夫だったではないか、安全性や価格も含めて消費者が選択できるようになるなどと主張しています。しかしこれは全くのまやかしとしか言いようがありません。そもそもミカンとオレンジは同じ柑橘類とはいっても味も香りも食べ方も全く異なる果物です。輸入オレンジの自由化の時はポストハーベスト問題に目をつぶったように、TPPの場合は遺伝子組み換え食品などの安全性については無視されることになりかねません。また外食産業や食品加工業界を一瞥しさえすれば、低コスト第一主義で安全性の不確かな外国産原料ばかりが目につきます。現実には消費者が食品を選択する余地は極めて限られています。さらに国土保全上重要な林業も管理が行き届かず、また日本の急峻な地形が災いして高コストとなるため、商社や木材業者は日本の木材を敬遠して外国産木材を輸入するようなり、国産スギ1本がダイコン1本と変わらないほどに下落して、苦難を強いられています。スギは手入れの行き届かないスギ林で、花粉を大量に飛散させて、生き残りを図っているとの学説があります(報道によれば、福島県のスギ雄花から高濃度放射性セシウムが検出されたとのこと、「人体への影響は小さい」としていますが、花粉の飛散シーズンが心配です)。TPP加入で日本の農畜産業は林業と同じ道をたどることになるでしょう。農業は知恵を絞って工夫しろとの言いようは、食の安全や人口爆発による世界的な食糧危機に備えた食糧の確保、生命を育む自然環境の保全、歴史や文化との密接な関わり、観光資源としての美しい景観といった、子孫に繋げていくべき農業の総合的なあり方の展望を欠いているとしか考えられません。原発事故とそれによる放射能汚染およびTPP加入問題、このダブル・ショックで各地の風土に適応した伝統的循環型農業は終焉を迎えることになるでしょう。
注 武蔵なる堀兼の井のそこを浅み思ふ心をなににたとへむ(古今集)
武蔵野の堀兼の井もあるものをうれしく水の近づきにけり(千載集)
汲みて知る人もありなむおのづから堀兼の井の底のこころを(西行)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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